第9話

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 葵依の起こした豪風という表現も生ぬるいような風に、アキナは目を見張った。両脚に力を込めて踏ん張ろうとするが、なすすべもなく吹き飛ばされる。

 アキナの視界が青空に埋め尽くされた。かと思うと次は、逆さになった平安神宮の社殿が目に入ってくる。アキナは回転しつつ空中を行っていた。

 アキナは、ムエタイの構え姿勢、カポエイラのジンガ開始の体勢の順で、超速で四肢を駆動した。

 視界の先に正方形の氷が生まれ、間髪を入れずに生じた炎で一瞬にして氷解。その結果生じた水に突っ込んで、アキナの落下速度は著しく減少。

 社殿の屋根への衝突を免れ、アキナはすたりと社殿の手前に着地した。社殿の瓦がわずかに欠けた様子で、ぱらぱらと眼下に落ちていく。

(蓮くん、クウガ。お願いだから無事でいて!)

 焦るアキナは広場を見回した。

 クウガや蓮も戦っていたはずだが、平安神宮全体に吹き荒れた風によってか、二人の姿はなかった。ゲルマン騎士団の三人は暴風の瞬間に伏せたのか、元いた位置から数メートルの場所で俯せになっていた。

「いやちょっとすごいやん。完全にケリを付ける気ぃで攻撃したんえ。それを超念武サイコヴェイラーを巧みに駆使して、被害損害いっさいなしと来た。これはすばらしい。只事やないえ」

 アキナからほど遠い砂石の広場の中央で、葵依は悠々と立っていた。意外に良く通る声での感嘆の台詞には、小馬鹿にしたような響きがあった。ゲルマン騎士団の三人は立ち上がり、小走りで葵依のもとへと戻っていった。

(クウガ! 良かった、生きて……)

 葵依の頭上斜め後方、社殿の頂点ほどの高さでクウガが宙に浮いていた。両足の下には二つの黒球があった。黒球の引力を自らに適用し、重力に抗しているのだった。

「あったりまえだよ。いくらあなたの力がすごくても、私たち神人にはぜっっっったいに敵うはずがないんだからさ。悔しかったら、もう一発でも二発でも撃ってきてみれば? まあぜーんぜん無駄だと思うけどねー」

 思いっきり厭味ったらしく言葉を放って、アキナは葵依たちの気を引き続ける。クウガの奇襲を何としても成功させたかった。

 挑発を耳にした葵依の眉が歪んだ気がした。次の瞬間、クウガは黒球を中心に身体を倒し、頭を葵依に向けた斜め四十五度の姿勢になった。黒球が消えたかと思うと、葵依の背中に再出現する。

 引力を受けたクウガは急加速。一直線に葵依へ向かって空中を疾走する。

(やった!)アキナは歓喜した。クウガの拳が葵依の後頭部に直撃──。

 唐突にクウガの進路は真右に逸れた。制動が聞いていない様子で高速で吹っ飛び、地面を何回も跳ねて転がる。

(え? どうして)アキナが困惑していると、葵依はいつも以上に優雅に笑んだ。

「堪忍え。あんたらの魂胆ぐらいお見通しやわぁ。うち自身が放った風やで。誰がどのへんに飛ばされてその後どう動くかなんて、予測してないとでも思ってはる? 甘いわぁ。わざと隙を作って、一番頭が切れる兄はんを片付けさせたもらったんよ」

「くっ! なんて性悪な……」アキナが思わず毒づいた。

「アキナ」後ろから切羽詰まった声がして、アキナは振り向いた。

 蓮が苦渋に満ちた面持ちで歩いてきていた。左足をわずかに引き摺った、不自然な歩き方だった。

「蓮くん! 無事だったんだ! でももしかして、怪我してるんじゃあ……」

 アキナが心配を吐露すると、ぱちぱちぱちとゆっくりとした拍手が後ろから聞こえてきた。

 振り向くと葵依が、白く艶やかな手を叩き合わせていた。

「麗しい同胞愛やなぁ。うち、泣いてしまいそうになるわ。けれども此度の宴もこのへんで仕舞。神妙に降さ……」

 ボグッ! 痛々しい異音がアキナの耳に飛び込んでくると、葵依の身体は逆「く」の字になった。しかしどういう訳か、大音量のわりに吹っ飛びはしなかった。

「がはっ!」苦し気に息を吐いて、よろけた葵依は両手を地に突いた。

「なんだか知らないけど、そんなおっきな隙、見逃さないよ!」

 呆気に取られていたアキナは、すぐに我に返って駆け出した。だがすぐさま葵依のすぐ後ろの地面に、扇面が寝た状態の扇が現れた。

(これで止めだ!)思い定めたアキナは、腕を胸の前で交差した。

 全力疾走で頭から葵依に突っ込む。すると頭頂部のわずかに前方、紅蓮の炎が蜷局とぐろを巻いた。突進頭突き技、アルバォンジカベッサを火炎が纏っていた。

 だが敵の四人はふわりと宙を舞った。葵依の後ろでは扇がいつの間にか直立状態になっていた。

 アキナのアルバォンジカベッサは空を切った。とっさに炎を収めてから、アキナは五歩ほど進んだ後に急停止した。

 姿勢を戻した葵依は、とっさに後ろを振り返った。扇の起こす風の力を利用したのか、敵の四人がはるか向こうに着地していた。

 しかし葵依はすぐに両手を地面に突いた。面持ちは苦渋に満ちており、左手は謎の攻撃を受けた腰に遣っている。

「回復能力は自分自身には使えないようだな。一時は危うい思いもしたが、これにて形勢逆転。あとは我々が蹂躙するだけだ」

 有無を言わさぬ調子で宣言しつつ、クウガは重厚な足取りで歩み寄ってきた。眼差しは強靭な精神を感じさせる鋭いものだった。

「回復ってどうゆう……」アキナが疑問を発すると、隣に来たクウガが口を開いた。

「俺の敵二人は、再起不能なダメージを与えたにも拘わらず悠々と立ってきた。二人は壱次元サイコワンでこそあれ特殊能力は使えない。そこから導き出される結論は『水無瀬葵依の異能には傷を治癒するものも含まれる』だ。よって俺はゲルマン騎士団の二人より先に、水無瀬葵依を叩いた」

 重い調子でクウガは説明した。

「それはわかったけど、さっきクウガはどうやって水無瀬を攻撃したんだ?」蓮が即答する。

「この一件の片が付いたら教える。今は確実に敵を除く時だ」

 クウガの静かな断言の直後、クウガとアキナは走り始めた。わずかに遅れて蓮も従いていく。

「猪口才な!」苛立ちを滲ませた口振りで、葵依が叫んだ。すると扇が現れて、再び扇面が後ろに引かれた。

「同じ手は食わないよ!」ぴしゃりと言い放ち、アキナはムエタイの構えを取った。疾駆するアキナたちの眼前に、屹立する三角柱が出現。扇による突風が発生するも、地面にしっかりと固定された氷柱の三角形の頂点で分かれてアキナたちの走行経路はほぼ無風となる。

「チェックメイトだ!」

 一瞬の爆風をやり過ごし、アキナは地を蹴って跳躍した。身体を完全に水平にして空中を進み、両足で氷柱を蹴りつける。

 バリンッ! 甲高い音とともに氷柱の上部は砕けた。小さな礫になって、凄まじい勢いで葵依たちへと飛んでいく。

 ゲルマン騎士団の三人が前に出た。巧みな剣捌きで礫を捉えるも、到底全部は防げない。すぐに何発も身体に食らい、後方へとすっ飛ぶ。

 仲間の犠牲で時間を稼ぎ、葵依はどうにか扇で礫を防いだ。

 しかし、タンッ! 残っていた氷柱の上面を蹴ってクウガが跳んだ。扇の守りの内側に入り、頭のすぐ後ろに白球を発生させた。するとぐんっとクウガの頭が前に行き、ややあって身体が加速を始めた。

 葵依は苦し気な顔をクウガに向けた。刹那、クウガの右フックが葵依の左頬に綺麗に命中。葵依は盛大に右方へぶっ飛び、何回も地面を跳ねた。社殿の下の石段にぶち当たり、ようやく止まる。

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