その8

 小屋の外はすでに明るく、黒から水色、黄色に見事なグラデーションを作っていた。その中を雲が流れていく。風は涼しく、戦いにつかれて血と汗にまみれたマシューの身体のほてりを冷ました。


 外にはアルベールとスザンヌ、そして遅れてきたらしきアランが心配そうに立っており、クマヨシだけはふたりのそばでじっと座っていた。

 クマヨシ以外の三人はマシューの姿を見るなり、心配そうにかけよってきた。動けないクマヨシの代わりのつもりなのだろうか、アランは真っ先にマシューのそばに駆け寄りその身体を支えた。


「マシューさん、大丈夫ですか!?」

「ああ……すまんアルベール、また頼む」

「まったく、手当てするほうの身にもなってくれ……」


 アランがゆっくりと地面にマシューの身体を座らせた。そこにクマヨシもふらつきながらようやく追いついてきた。


「これじゃ何回治してやっても同じじゃないか。薬だって限りなくあるわけじゃないんだぞ……」


 ぼやきながらもアルベールは、マシューの首筋を止血しはじめた。


「それで、アルベールさんからうちの親父がこの小屋にいたって聞いたんですが、何があったんですか? 親父は無事ですか?」


 アランが言った途端、アルベールはぼやきをやめた。スザンヌも視線をうつむき加減にしている。おそらくずっと、扉の外で中でのやり取りをずっと聞いていたのだろう。

 どうやら本当のことを何も知らないのは、アランだけのようだ。

 マシューも一瞬、どう言ったらいいのかわからなかった。しかし小さく息を吐くと、意を決したように話し始めた。


「パトリックは昨夜の見回りで、事件の犯人に遭遇した。それが犯人にとっちゃ不都合だったんだろう、奴は再びパトリックに襲いかかった。

 その結果パトリックは片腕を失った。だが犯人はその後で俺が殺した。俺のことはいいから、親父のもとに会いに行ってやれ」  

「……はい!」


 マシューが促すと、アランは立ち上がって小屋の中に駆けこんでいった。

 アルベールとスザンヌは、何も言わずにマシューの顔を見つめていた。これでよかったのか、と言っているかのような表情のふたりに、


「……アランには重すぎる話だ、こうでも言わなきゃ余計な重荷を背負わせることになる。もっとも、いつかは本当のことを知ることになるだろうが……」


 マシューは言って、小屋の扉の向こうに再び目を向けると、


「それは俺の仕事じゃない」


 と言い切った。


 ふたりが小さく頷いたその隣で、クマヨシだけは話に耳を傾けながらも半開きになった小屋の扉の、その向こうをじっと見つめていた。その姿に、あの時のクマヨシの言葉がふと思い出される。


『父さん、その二人を殺すのか……?』


 かたや山に置き去りにされて拾われ、怪物でありながら人間として育った者。

 かたや山で遭難してもなお生き延び、人間でありながら怪物として育った者。

 よく似たようで真逆の生涯を送った、互いに『例外である』者同士、なにか感じるところがあるのだろうか。


「……クマヨシ。確かに奴も、お前と同じ生き方をすることはできただろう。だが奴は俺たちのもとに戻ってくる前に、人間として許されぬことに手を染めた。

 一度殺しの味を知って、もとに戻れなくなった奴らを俺も何人も見ている。最初の犠牲者を嬲り殺した時点で、奴はもう後戻りできなくなったんだよ」


 マシューは話の最後に、静かながらも力強く諭すような口ぶりで告げた。するとクマヨシは、


「もっと早くに出会えていれば……」


 ため息をつくような声でつぶやいて、小さく十字を切った。

 その横顔を、じっとマシューは見つめていた。

 ほんの数日前まで許せないと語った者にさえここまでのことを思える男が、いつ人殺しになってもおかしくないだなんて、そんなことあってはならない。いや、あってたまるか。

 息子の良心を心の底から信じながら、マシューはふたたびアルベールたちに声をかけた。


「そうだ、クマヨシは無事だったんだな」

「ええ、毒が回る前に、だいたい吐き出していたみたい。小屋のすみに、吐いたあとがあって。私たちが来る前に、誰かが応急処置で吐かせてくれてたんでしょうけど……」


 スザンヌの答えに、マシューは疑問を抱いた。


「そうだったのか、一体誰が……?」

「あの小屋の中に、そんなことしそうなのは一人しかいなかっただろ」


 きっぱりとアルベールが答えた。

 マシューはうつむくと、最後の最後にきっちりと筋を通した、その男に思いをはせた。


「なあ、今はどこにいるんだ?フィリップは……」

「クマヨシ君の回復を見届けて、自分の家に帰っていったよ。『ほとぼりが冷めたら、また会いましょう』と、それだけ君に伝えてくれと残してね」

「そうか……ありがとう……」


 マシューの口から、思わず言葉が漏れた。

 その時、はるか遠くからかすかなひづめの音が、マシューの耳に聞こえてきた。どうやらアルベールやスザンヌにも聞こえているようだ。


「マシューさん、この音は……」

「ハンスじいさんが帰ってきたんだな。また一部始終を役人連中に説明せねばならん。よし、立てるか? クマヨシ!」

「うん……もう大丈夫」


 マシューが立ったと同時に、クマヨシも少しよろめきながらも二本の足で立ち上がった。




 こうして、小さな村を恐怖に陥れた事件は、幕を下ろした。

 村の婦女五人を辱めてその命を奪った犯人の遺体は、汚れを祓うために炎で焼かれ、灰は山にばら撒かれたと、人々の間には伝えられている。


 しかし――ここからは余談であるが、後年になって、こんな不思議な話も伝えられている。

 それは、マシューもクマヨシもすでにこの村を去り、事件は伝説として語られるようになった、そんな時代のこと。


 アーバンカルトの古い墓地は区画整理でつぶされ、埋められていた遺体は改葬されることになった。

 おおかた棺の掘り出し作業が完了し、工事が次の段階に移ろうとしていた時、墓地の片隅から突然新たに棺が掘り起こされた。そこには墓石も棺があることを示す目印もなく、棺はまるで隠されたようにひっそりと埋められていた。

 その棺の中から、奇妙な遺体が見つかったという。

 なんと、一人分の人間の遺体とともに、三本分の腕の骨が出てきたというのだ。

 三本腕の奇形の人間なのか、何らかの儀式のつもりであったのか……。


 この謎は工事関係者や村の住人たちの間でしばらく話題となったものの、区画整理が終わるころにはもう忘れ去られてしまっていた。

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