その6

「……お前は山に自分の息子、ウィレムを連れて来ていた。自分の子供を自慢したい、という気持ちもあっただろうが、あの時のお前は息子を猟師にするために山に慣れさせておこう、とも考えていたんだろう。

 でもそんなお前に、猟師の兄貴分たちはみんなこう言っていたよな。『山で行方不明になるかもしれないから、連れてくるな』と。だがお前は聞かなかった。

 で、案の定……俺が戦場に行っていた間だからちょうど三歳くらいのころか、ウィレムは行方不明になってしまった。お前が猟師をやめて山を去ったわけも、実のところそれが理由だったんだな。そのまま山の中で死んだものと思って一刻も早く息子のことを忘れようとした、ってところか。

 その間、お前の息子がどのように生きてきたかはわからんが……山に捨てられた赤ん坊が狼に育てられて、狼人間として大人になるまで生きたという話もあるらしい。そいつが同じように『第三の人狼』として生きてきたってことも、あり得なくはない話だ。

 それに子どもは人智を超えたものの影響を受けやすいとも聞いたことがある。もしかしたら、言葉も話せぬころから山に連れて来ていたのが、『山にあてられる』ことに近い形で何らかの影響を及ぼしたのかもしれん。

 そうでなければ、とっくの昔に厳しい自然の中で死んでいたことだろう。ウィレムはお前が山に連れてきたおかげで遭難し、逆にお前が山に連れて来ていたおかげで助かったのかもしれん。皮肉な話だな。

 とにかく、奴はこの年まで生き延びて動物でいう繁殖期を迎えた。そして欲望の赴くままに、犠牲者に襲い掛かった。

 ただ、手口が動物としてはありえないほど残虐だったのは、こいつの生まれもってのものだろう。その意味では、お前が言うオークと同レベル……いや、それ以下かもしれん」


 語るマシューの言葉は、先ほどまでの野生的な様子がまるで嘘であるかのような、理知的な語り口だった。

 聞いている間ずっと、パトリックは無表情のままじっとマシューを見つめていた。逆にウィレムのほうがマシューに鋭い視線を投げかけ、敵意をむきだしにしていた。

 さらにマシューは続ける。


「……俺は事件を調べた当初、その手口が動物の仕業とも人間の仕業ともつかずにいた。この地方にはさまざまな種族の生きものがいるからな。考えられる限りのあらゆる可能性を考えながら調査を続けた。

 そしてお前が大演説をぶったその日の夜、俺たちは鶏を食おうとしていたウィレムと遭遇した。こいつが俺の斧をはじき返した瞬間、犯人がただの動物じゃないと確信を持った。

 ちなみに、俺の投げた斧をはじき返したのはその腰のナイフだな。まさか幼いころからお守りに持たされていたナイフが、手入れもなしにずっと使えたなんてこともありえないから、山で死んだ奴の死体からかっぱらってきたものだろう。

 そして俺が奴の姿を見失った後、あの納屋でお前は奴と十数年ぶりの再会を果たした。その正体はすぐに分かっただろう。

 お前の『正真正銘の息子』アランとそっくりだったんだからな」


 マシューが突きつけるように言った瞬間、パトリックは黙ったまま大きく息を吐いた。


「お前はこの事件の犯人が自分の息子だとわかった瞬間、なんとかしてこいつを助けようと考えた。

 お前はウィレムを逃がすと、自分の腕に傷をつけ、空に向けて銃を撃った。犯人に襲われて逃げられたと偽装するためにな。そして俺たちに、犯人の正体は狼だったと嘘をついた。

 狼だと言ったのは、昼間に俺たちが見つけた毛玉を、俺たちが狼の毛だと報告したからだろう。

 この毛玉と奴のかぶっている狼の毛皮とを比べてみれば、色つやも手触りも完全に一致するはずだ」


 ここまで言うと、マシューは毛玉をとり出しふたりに見せつけた。


「そして、自分の息子が犯した罪をすべてクマヨシにおっかぶせようと奸計をめぐらし、俺とクマヨシを狼狩りに向かわせた後で『村の自治を守るために事件を早く解決させる』という大義名分のもとに他の村人たちにクマヨシを犠牲にするように仕向けた。自分の息子が犯人だという事実をひた隠しにして、な」


 ここまでマシューが話した途端、ようやくパトリックは口を開いた。


「おい、さっきから聞いてりゃ、『だろう』だの、『はずだ』だの、お前の作り話ばかりじゃないか。ぶん殴られたおかげで、まともな話もできなくなったか」


 言葉の内容だけは威勢がいいが、その口調はまったく釣り合っていない妙に静かなものだった。そんなパトリックに対し、マシューは逆に毅然として言い放った。


「いいだろう。ならこの考えに至った理由を挙げていこうか。

 パトリック、お前の長男の誕生祝に鹿の肉を送ったのは、俺の娘が生まれクマヨシとも出会う少し前のことだった。それはお前もはっきりと覚えてるはずだ」


 マシューは仕切りなおすように、振りあげた斧をしっかりと握りなおした。


「……ところでだ。お前の息子、アランの見た目は一人前の男に見えるよな。俺はてっきり、ずっとクマヨシと近い年だと思っていたよ。

 ついさっき、自分の年齢を十四歳だと言うまではな。

 アランが誕生祝を送った赤ん坊だったとしたら、どう考えても計算が合わない。

 その時はじめて、お前にはアランのほかにせがれがいて、名前はやっぱりウィレムで間違いなかったと確信した。名前に関しては、最初は俺も勘違いだと思っていたがな。

 なら、そいつはどうしたのか。

 病気か何かで死んだのか、とも考えたその時、一昨日にフィリップの家に訪れた時のことを思い出した。あの時、実はアランも俺たちに同行していた。

 フィリップの家で俺たちは、フィリップの末の娘に会った。あの子は犯人の姿を目の当たりにした唯一の人間で、その時の話を聞こうとしたんだ。

 だがあの子は俺たちの姿を見るなり、突然泣き出した。あの時はてっきり俺かクマヨシの姿を見て泣き出したものかと思っていたんだが……本当はアランを見て泣いたんだな。

 そりゃそうだ。自分の見た犯人の姿とそっくりの弟が、目の前にいたんだから。

 それにしても、まったく皮肉な話だ。俺のことを化け物の親父だと罵倒していた貴様のほうが、まさか本当に化け物の親父になっちまうとはな」


 マシューの言葉が終わると、小屋の中は一瞬静まり返った。そしてパトリックは引き金に指をかけたまま再び銃を握りなおし、静かに言い放つ。


「……それで、こいつをどうしろというんだ」

「そんなことは決まっている。お前があの晩言ったように、こいつに人殺しの裁きを受けさせるんだ。お前だって知っているはずだろう、山にあてられて理性を失った人間がどうなるか」

「だがこいつは違う。武器だって使うし、俺のことも親父と認識してる」


 パトリックの声はしだいに半ば震えるようになり、言葉には熱を帯びてきた。


「いいか、マシュー。お前は俺のことを自分と同じ化け物の親父だと言ったが、まったく、なんてトンチンカンな話だ。こいつはお前のせがれと違って、オークじゃない。元から知性のある人間なんだ。しっかりと道徳を学べば、すぐにこの村の人間として生きていける」

「道徳を学びまっすぐに生きてきた俺の息子を殺そうとした貴様が、道徳を教えるのか? 何を言ってやがる!」


 マシューの一喝には、この上ない怒りがこもっていた。犠牲になった者たちや、その遺族の悲しみや苦しみが言葉のひとつひとつにこもって、マシューの口からついて出てきた。


「たとえ人間だろうが、奴は何の罪もない他人をためらいもなく犯して殺せるけだものだ! さあ、奴を引き渡せ!」

「長く離れていたとはいえ、まぎれもない自分の息子をそう簡単に引き渡すと思うか?」


 きっぱりとパトリックは言い切った。その口調は、マシューのそれといささかも変わらなかった。


「なあマシュー、お前は言っていたな?『息子が人殺しなら、俺が殺す』と。

 そんなことが平気で言えるのはな、お前があの化け物と血がつながっていないからなんだよ。本当の息子なら、親は何があろうと理解しようとし、かばおうとする。そうだろう?

 だから俺は何があってもこいつを守る。ピクリとでも動いてみなマシュー、今の俺は、ためらいなく引き金を引けるんだぞ」


 マシューは奥歯をぐっと噛みしめた。先の言葉だけならば、パトリックの毅然とした口調もあってマシューも少なからず心が動いたのもまた事実であった。パトリックもマシューも、子を思う父親には変わりないのだから。

 しかし、そのあとの言葉はマシューの怒りをあおった。父親としての自身の否定と侮辱にほかならなかった。


 にもかかわらず――。


 マシューは口からは白い歯を見せ、ニンマリと笑った。だがその眼は怒りのまなざしのままじっとパトリックを見据えたままだった。その異様な表情のままマシューは乾いた声でカラカラと笑い始めた。

 斧を振り上げたまま不気味に笑うマシューの姿に、パトリックは困惑を隠せなかった。その眼は余裕を失い、まるで見たことのない怪物を相手にして怯えているかのようにさえ見えた。

 そしてマシューがゆっくりと息をつくと、顔から笑いが消えた。


「クマヨシと俺が血がつながっていない、か。そりゃお前の言う通りだ。だが……あいつの身体にはな、まぎれもなく俺の血が流れているんだ。この意味が分かるか? いや、貴様にはわかるまいな、パトリック」

「知るか! 考え方や魂を受け継いだとか、どうせそんな下らねえ話だろうが!」

「そうじゃない。本当にあいつには俺の血が流れているんだよ。俺があいつを拾った日、何があったか……教えてやろうか」

「聞きたくもない!」

「そうか……残念だ」


 最後にポツリと言うと、マシューはウィレムをにらんだ。

 ウィレムは父親と自分の危機を察したのだろう、敵であるこちらをにらみながら、狼のように小さくうなっている。

 パトリックはまだ撃ってこない。

 この距離ならば、パトリックは確実にこちらに鉛弾をぶちこんでくる。

 だが奴も、たとえ引き金を引いたとしても、火薬に火がついてさく裂するまでの間に斧の刃が自分の頭をかち割るとわかっているんだろう。

 それにどちらかに斧を投げたとしても、直後にもう片方からの攻撃を受けることは確実だ……。

 マシューが脳内であらゆる可能性をシミュレーションしていた、その時だった。


「と、父さん……」


 後方、足元から声が聞こえた。風の吹きこむ半開きの扉の向こうから。

 今のマシューにはふり向く余裕はなかったが、そこには確かにクマヨシがいる気配がした。

 クマヨシの奴、ここまではってきたのか?それとも、アルベールたちが連れてきたのか?


「そのふたりを……殺すのか……?」


 喉の奥から振り絞る声が、マシューの耳に聞こえた。

 なぜクマヨシはそう言ったのか?マシューにはわからなかった。同じ『迫害される青年』同士、何か感じるところがあるのか?

 断罪か、救済か。マシューの身体から汗が噴き出した。


 しかし。

 パトリックが自分の足元を見た。クマヨシの姿を見つけた、かもしれない。その瞬間にマシューは一気に振り切るように叫んだ。


「クマヨシ、下がってろ!」


 そして。


「この野郎、まだ生きてやがったか!」


 そう言ってパトリックが銃口をマシューの足元に向けた瞬間、マシューの斧の刃がきらめいた。


「やめろっ!」


 叫びとともにマシューは右腕に渾身の力をこめて振り下ろした。

 直後、火薬の焼けるにおいと銃声とともに、パトリックの銃が地面に落ちた。

 銃把をしっかりと握った、パトリックの右肩から先と一緒に。


「ぐあああああ!」


 苦悶の絶叫と同時にパトリックは右腕のあった部分を押さえながら、壁に突き立った斧の隣へと、もたれかかるように体をぶちあてた。


 そして、その叫び声を合図とするように――。

 ウィレムはナイフを抜き、一心不乱にマシューにおどりかかった。

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