その3

 マシューがこの山に連れてこられたときは、周りの様子は全く見えなかった。だが農民たちの残した足跡とにおいによって、三人は迷うことなく山を下りた。


 事件の『解決』した村は、ひどく静まり返っていた。

 もともと夜はひっそりとしていた村だったが、ここ数日は夜回りで騒ぐ男たちの声があちこちで聞こえていたこともあって、逆に普段よりも静まり返っているように感じられた。

 しかし、それもパトリックの農場の近くは別だった。

 マシューたちは農場近くの茂みに身を潜めて敷地内をうかがった。牧童たち数人が広い敷地内を、ランプやたいまつをもって歩き回っている。まるでこのあたりだけが、今夜もけだものの襲撃に備えているかのようだった。

 明かりが行ったり来たりする様を、マシューがじっと眺めていると……


「マシュー」


 隣に伏せているアルベールの呼びかけに、マシューは目線で答えた。この時のアルベールは、マシューに負けず劣らず鋭い目をしていた。


「このあたり……本当にかすかだけど、あのにおいがする」

「……事件の犯人か」

「うん」


 アルベールは頷く。このあたりに、犯人がいる。


「アルベール、においをかげば、こいつが犯人だと断定できるか?」

「もちろん。実際の現場でにおいをかいだんだ」


 と、やりとりをしたその時。


「誰か来る」


 スザンヌが小さくつぶやいた。


「右側、あぜ道のほうから」


 彼女の言うほうに目を向けると、ランプの小さな明かりを手に、こちらに近づく人影がある。それを見たアルベールが、小声で話しかけてくる。


「こっちが風下だから、においはよくわからないな。たぶん犯人じゃないとは思うけど……」

「わかった。奥さん、銃は撃たないで。俺が回り込むから、ふたりはそのまま

『伏せ』だ」

「その言い方はやめろ」


 マシューは返事もせずに影から見て茂みの裏側に入りこんだ。茂みから見える明かりをもとに、匍匐前身で影へと近づいていく。すれ違うタイミングでマシューは動きを止め、完全に気配を消した。そして影が自分より後ろに歩いて行ったところで……。

 マシューは音もたてずに茂みを越えると、後ろから影に飛びかかり、足を払った。影はいとも簡単に倒れた。すかさずマシューは馬乗りになり、その口をふさぐ。そしてもう片方の手でランプを奪い、その影の顔を照らした。

 影の正体は……。


「アランか?」

「マシューさん! 無事だったんですね!」


 マシューはアランの拘束を解いた。そしてアランにも、伏せて静かにするよう指示をした。


「親父から、マシューさんは狼に襲われて亡くなったと聞いていたんですが……何があったんです?」

「すまん、話はあとだ。それより、クマヨシがどこか知らないか?」

「一緒じゃなかったんですか」

「ならパトリックはどこだ?」

「すみません、わからなくて……ついさっきも絶対家から出るな、って言ったっきりどこかに行ったんですけど……」


 と、そこに、アルベールとスザンヌもやってきた。


「マシュー、この子は?」

「パトリックの息子、アランだ。父親と違って人外の種族にも理解があるいい子だ。アラン、この二人はアルベールとスザンヌ。俺を助けてくれたふたりだ」

「こ、こんばんは……」


 アランからの挨拶もそうそうに、アルベールは近づいて話しかける。


「こんばんは。突然だが少年、他の牧童連中はこんな夜中まで何をしてるんだ? 牛たちはもう牛舎の中で眠っているはずだろうし、外で寝ている羊の番にはこんなにもいらないだろう」

「い、いや、それは……」


 アルベールの顔はアランの眼前にまで来ていた。そのためか、アランは完全に委縮していた。


「自分も、何か今日は外が騒がしいので、何が起こったのかって見に来たところなんですよ」

「そうか」


 そう言うとアルベールはアランから離れた。マシューと目があったアルベールは、小さく首を振った。

 どうやらアランは事件の犯人ではないようだ。



 再びマシューは顔を上げ、牧場の敷地内に目をやった。

 敷地には、木造の小屋が三つ並んでいる。その中の一番右の小屋から、男たちが見回りの交代のために出入りしていた。


「アラン、一番右の小屋はなんだ?」

「牧草を入れてるところですが……」


 そこにクマヨシがとらわれているかもしれない。そうじゃなかったとしても、牧童がいる。誰かひっ捕まえて話を聞けばいい。


「アラン、よく聞いてくれ。パトリックの奴がクマヨシをとらえてどこかに閉じこめているかもしれない。もしかしたら父親の不都合な真実を知ることになるかもしれないが、いいか?」

「……ええ。なんか昨日あたりから、親父もおかしいんですよ。しきりに外に出るようになったり、こっそり備蓄してる食べ物をどこかに持っていったり。その理由を知れるなら、俺も知りたいです」

「そうか……すまないな」


 苦虫をかみつぶすような顔でマシューが言うと、


「あっ、そうです。マシューさん、これ……」


 と、アランはズボンのポケットに手を入れる。


「親父の上着から、こっそり取ってきたんです。お返しします」


 そう言ってアランが取り出したのは、昨日フィリップの家で見つけた毛玉だった。

 アランが毛玉を見せた瞬間、アルベールの瞳はカッと見開かれた。


「ちょっと貸してくれ」


 アルベールは毛玉を取ると、自分の顔の前に近づけた。しばらくそのにおいをかいでいたアルベールの身体が、徐々にこわばっていくのがわかった。


「間違いないんだな、アルベール」


 マシューの質問に、アルベールは大きく頷く。


「ああ。紛れもなく、この毛玉の持ち主が犯人だ」


 そう言うとアルベールは、毛玉をマシューに返した。

 これで、フィリップの娘を襲った犯人がこの敷地内にいることが確定した。そう思うと、マシューの身体は緊張に包まれた。

 ついに、奴と対峙することになるのか。だが、その前に……。


「アルベール、アランを頼んだぞ」


 それだけ言うとマシューは、姿勢を低くしてひとり一団から離れた。マシューは敷地内を動く明かりをひとつひとつ確認しながら、頭のこぶを押さえた。

 脳裏に、パトリックと牧童たちからの凄惨なリンチの記憶が蘇った。痛み、哀しみ、苦しみ、そして怒り。

 村の自治を守るためにしたことの是非など、どうだっていい。ただ、俺の家族を傷つけた奴らは、絶対に許さない。


 そしてもう二度と、俺の家族は死なせない。


 マシューは暗闇の中静かに息を吐くと、精神を周りの環境に集中させた。真っ暗でほとんど何も見えなかった自分の周囲が、突然明るくなったように見え始めた。

 自然とひとつになり、気配を消して獲物に忍び寄り、一気に仕留める。


 復讐の名のもとに、マシューの『狩り』が、いま始まろうとしていた。

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