その3
マシューとクマヨシは見覚えのある場所まで道を戻ると、そこからまっすぐ家へと歩いていった。
なぜ一度家に帰ろうと思ったかは、マシューにもわからなかった。ただ腹がすいただけかもしれない。それとも家を空けて二日になるために、娘のミカの様子が少し気になったのか。もしかしたら、娘を失ったフィリップと話をしたことで、自らにとっての娘の存在の大きさを改めて感じ、顔を見たくなったのかもしれない。
そんなことを考えながら向かう家路は、マシューにとってさほど大変なものではなかった。家へ入る前にマシューは、
「ミカ、戻ったぞぉ」
といつもと変わらぬ声をかけた。するとマシューがドアを開けるよりも先に、ミカはドアを開けてふたりを迎えた。
「おかえり。事件、解決したの?」
「まだだ。でも一度戻ろうかと思って。お前が家でひとりさみしくしてるといけないからな」
「もう、またそんなこと言って」
マシューの口からふっと出たその言葉に、ミカは笑い交じりに答える。するとクマヨシが、間髪入れずにミカに声をかけた。
「姉ちゃんは昼ごはん、もう食べた?」
「まだだけど……そうそう、今朝ね、川向こうのおばさんが、ほら、こんないっぱいの卵をくれてさ」
言いながらミカは、机の上の小さいかごをとって、中を見せてきた。真っ白な卵が三十個ほど、ところせましと並べられていた。
「ひとりじゃ食べきれないからどうしようかって思ってたんだけど、みんな来てくれたからよかったよ。クマヨシ、野菜出して切ってくれる?」
「はーい」
クマヨシが床下の物置からキャベツやじゃがいもなどを出す横で、ミカは卵をひとつずつ、大きなボウルに割り入れはじめた。
アーバンカルトの一帯では、卵料理がその土地の名物としてよく知られていた。先ほどのフィリップの家もそうだが、村では養鶏を営んでいない世帯でも、大きな小屋を構えて鶏を飼っていることが多かった。
この村でよく食べられているのは、今ミカが作っているような、野菜入りのオムレツである。
キャベツやジャガイモ、玉ねぎといった野菜を細かく刻み、塩と胡椒で少々辛目の味付けをしながら、フライパンで少し固さが残るくらいまで炒める。そしてそれを牛乳やバターでまろやかな味をつけた溶き卵に入れ、さらに混ぜる。それをフライパンに乗せ、半熟になったところで形を整えれば、胡椒の香りとバターの風味が食欲をそそるオムレツの完成だ。
マシューたちは食事の間、留守中のことを少し話した以外、もくもくと食べ続けた。食事の間に話せるような明るい話題は、この場の誰も思いつかなかった。いつもは美味しいはずの料理も、この日だけは腹に詰めこむだけのような気がした。
そして食事がすんで、
「ごちそうさま」
といったところで、ようやくミカが話を切り出してきた。
「ところでお父さん、調べは進んでる?」
「まあまあだな」
「今日もどこか行ってきたの?」
「犠牲になった子の、親父さんに会ってきた」
「……そう」
ミカはうつむいて少し黙った。恐らく、マシューが帰ってきた本当の理由がわかったのだろう。そしてミカは顔をあげて、明るく続けた。
「それで、例の事件の犯人、見つかりそう?」
「どうだろうか。今のところ手掛かりは、これだけしかないからな」
マシューは巾着袋から例の毛玉をとり出し、ミカに見せた。
「これって……ちょっと貸してみて」
毛玉をミカに渡すと、
「狼の毛皮じゃないかな、これ」
「どうしてそう思った?」
「どうしてかはわからないけど、触った時に何となくそんな気がして」
答えながらミカは、クローゼットの奥から狼の毛皮を持ってきた。
「ほら、触ってみて」
ミカに促されるままに、マシューは双方の毛の感触を比べるように確かめた。ミカの言う通り、ふたつの毛の手触りはよく似ている。ミカの持ってきた狼の毛皮は、狩ってからまだそれほど年も経っていないものだった。それと比べると、毛玉のほうはいくらか艶がないようにも思われる。
「でしょ?」
「言われてみればそんな気もするな」
もしかしたら、これは大きな手掛かりなのかもしれない。マシューは毛玉と比べるように、自分のひげをなでた。
こうしているうちに、陽もだいぶ傾きかけてきた。さあ、もう休憩は終わりだ。
「気をつけるんだぞ、ミカ。外で物音がしたら、何があっても扉や窓を開けるなよ。万が一のために火を焚いておいて、刃物も持っておけ。外に出るなんてもってのほかだからな」
「わかってるよ、大丈夫大丈夫」
マシューはそう言われて、留守番の時にここまでミカに注意するよう言ったのは初めてだったような気がした。まだ十歳そこそこの時でさえ、戸締りと火の番だけをするようにとしか言わなかったのに。
「ああ、お前も、もう子どもじゃないんだもんな」
「うん、だけどあたしにも狩りの心得があれば、一緒に行けたかもしんないのにね」
まったくもってミカの言う通りであった。彼女には獣の身をどうさばけばいいのも知っているし、山を駆ける身体能力も孤独に耐える強い心もある。幼いころから体力さえ鍛えていれば、共に山にだって出られたかもしれない。だが、今の時代では、それはいばらの道だろう……。
「そうかもな。だが今から行くのは狩りじゃない。相手が何者かさえわかっていないんだ。たとえミカが猟師だったとしても、連れていくわけにはいかない。お前の親父として」
「そっか、そうだよね。うん。じゃあ行ってらっしゃい。気をつけてね!」
「ありがとうな。お前のほうも、くれぐれも気をつけるんだぞ」
マシューたちが家を出るのに、ミカは小さく手を振って送った。
家から少し離れたところで、クマヨシが小さい声で話しかけてきた。
「父さんもしかして、姉ちゃんのこと心配だったりする?」
「当然だ。でも、あいつなら大丈夫だろう。頭もいいし、度胸だってある」
にもかかわらず、手を振って見送ることしかできなかったミカの思いが、マシューにもなんとなくわかっていた。もしミカが数世代後に生まれていれば、女猟師も当たり前の存在となって、ともに怪物退治に赴いていたかもしれない。
そんな幻想をマシューは心の隅に抱きながら、黄昏近い草原を歩いていった。
マシューたちがハンスじいさんの小屋に着いたのは、昨日と同じくらいの時間だった。しかし集まっている男たちは、昨日着いた時と比べてかなり少ない。ざっと三割程度だろう。もしかしたらここ数日の間何も起きていないために、村人たちの警戒心も薄れはじめているのかもしれない。
ただ小屋の中にはすでに、パトリックとその一団の姿があった。パトリックは一団の片隅で、牧童の一人となにやら話をしていた。そのそばにはアランの姿もあったが、どうやらこちらには気づいていないらしい。ただ気づいていたとしても、マシューと自分の父親の関係は把握している彼のことだから、自分から話しかけてくることもないだろう。マシューもわざわざパトリックと関わって何か得があるわけでもないので、気づかないふりをすることにした。
そして他の顔ぶれに目を向けると、その中に見知った顔があった。
「あっ、マシューさん……」
昼間に話をした男、フィリップだった。フィリップは目をあわせた瞬間ゆっくりと立ちあがった。彼は鶏を捌くためのものだろう大きなナイフと、小さなランプを腰のベルトに帯びていた。
「フィリップか、来てくれたんだな」
「あの後行くべきか少し悩んだんですが、やっぱり私も何もしないわけにはいかないという思いが消えなくて」
「ああ。それが自分で考えた末に出した答えなら、何も間違っちゃいないさ。本当にありがとう」
この事件に関して自分がどう動くべきか、彼もかなり悩んだことだろう。その末に導き出した、『自身の手で娘のかたきを討つ』という決断のもとに馳せ参じたフィリップにマシューは大きな敬意を表した。そしてその思いに応えるようにフィリップは大きく頷く。
「はい。ところで……」
「どうした?」
「マシューさんとパトリックさんは、どういう関係で?」
「あいつは昔猟師で、俺と一緒に猟に出てたんだ。それがどうした?」
「さっきパトリックさんにも声をかけられたのですが、息子さんとは違って、パトリックさんとは仲が良くなさそうな印象があったので」
「あいつは俺がオークを息子として育てていることが気にいらねえのさ。昔からそういう奴だった」
「なるほど……」
マシューが突然機嫌悪そうに答えたのを気にしてか、フィリップはごまかすように話を終わらせた。
と、そこに、ハンスじいさんが昨日と同様、男たちを引き連れて帰ってきた。気がつけば、小屋の中の男たちは昨日と同じくらいになっていた。どうやら事件への警戒心が薄れてきていたというのはただの杞憂だったらしい。
「お帰り、ハンスじいさん」
「やあ、ただいま……あれっ、お前さんは……」
ハンスじいさんは、マシューのとなりに立っているフィリップに目を丸くして驚いていた。
「フィリップも今日から夜回りに来てくれるそうだ。自分も何もせずにはいられないってな」
マシューがそう言った横で、フィリップは大きく頷いた。
「わかった。でも無理はしないでおくれよ」
ハンスじいさんはフィリップに優しく声をかける。そしてすぐさま、マシューは昼間の件について話を切り出した。
「それでじいさん、フィリップの件に関して、少し話しておきたいことがあるんだ」
「そうか、わしも話したいことがあるんだが、お前さんから先に」
「ああ。フィリップの家に行ったときに屋根の上を調べたんだが、この毛が引っかかってたんだ」
そう言ってマシューは、毛玉をハンスじいさんに渡す。ハンスじいさんはミカがしたのと同じように、毛玉をつまんで触った。
「俺の娘は、狼の毛皮じゃないかと言っていた」
「ほう……」
ハンスじいさんは、ふわふわした毛玉を触ったり転がしたりして感触を確かめている。
「毛の手触りからは、わしには年老いた狼のように思えるんだが……」
「そう、それでな、実はフィリップの家の末娘が……」
マシューは末娘のとった妙な行動を、詳しくハンスじいさんに話した。ハンスじいさんは何度も頷きながら、注意深く話を聞いていた。
「……うむ、その子のとった行動が彼女の見たありのままだとしたら、妙に人間くさいようにも思うな。ならただの動物という線は薄くなるが……」
「そう考えたほうがいいかもしれん。犯人の可能性はできるだけ絞りこもう。で、じいさんの話したいことってのは?」
「ああそうだ。実はな、わしは明日の朝からまる一日、この村を離れなきゃならんようになった」
「どういうことだ?」
「実はノイバーブルクの役人から、視察の前に事件について話を聞くから出頭するように言われたんだ。あとはこの村への道案内をするようにとも」
「息子からの連絡ってのは、それだったのか。まったく、役人どもめ、話を聞きたいんならそっちから出向いて来いってんだ!」
「それでな……いや、残りはこの後で話そう」
ハンスじいさんはどこか言いづらそうにそれだけ言うと、小屋の中に響くような声で集まった皆に呼びかけた。
「おーい、みんな集まっておくれ!明日と明後日の件で話したいことがあるんだ」
その呼びかけに、男たちはハンスじいさんの前に集まった。マシューたちもハンスじいさんの指示に従って、一団の中の端に加わった。
マシューは、ハンスじいさんが最後に言いかけていたことが、どうにも気になっていた。何だろうか、俺一人には言えないことだろうか。
ざわついていた男たちが落ち着きを見せると、ハンスじいさんは落ち着いた声で話し始めた。
「皆も知っているように、明後日この村にノイバーブルクから役人が視察に来る。その件で明日、わしは朝早くからノイバーブルクまで行かねばならなくなった。そこで、わしの代わりに明日と明後日、みんなをまとめる者を決めなきゃならなくなった。とはいっても、誰がその役をするかはもう決めてあるし、本人に声もかけてある」
あまりに突然のことばに、マシューは眉間にしわをよせた。もしハンスじいさんの代わりに村人たちの指揮をとるとしたら、犯人捜しを進めている自分だろうと、マシューは考えていた。だがそんな話、俺は聞いていない。ならじいさんは、誰に声をかけたんだ……?
「じゃあ、みんなにひとこと頼んだぞ、パトリック」
なんだと⁉
マシューは眼をカッと見開いた。この件を任せられる奴がこの村にいるだろうかとは考えていたが、よりにもよってパトリックとは!
あっけにとられるマシューなど気にも留めず、ハンスじいさんの立ち位置にパトリックは入ると、ひとことどころでは済まない演説をぶち始めた。
「あらためて村の諸君、こんにちは。明日からはこの俺、パトリックがこの事件について任されることになった。みんな、よろしく頼む。
今のところ、村の女を犯して殺してきた残虐な化け物は、なりをひそめている。皆の中には、もう現れないんじゃないか、と考えているものもいるだろう。だが、それは違う。奴はまだ、この村のまわりに潜み、お前らのおふくろを、嫁を、姉を、妹を、娘を、虎視眈々と狙っているんだ!」
突然、パトリックは一喝するように言い放って男たちの気を引き締めると、ふたたび落ち着いた声で話し始めた。
「今日の夜回りには、フィリップも来てくれた。ほら、ここにいる、化け物の犠牲になった娘さんの父親だ」
パトリックはフィリップを指さして言った。村人の視線を一身に受けたフィリップは、ずっと下を向いていた。
「娘さんが無残な姿で見つかった後、フィリップは俺に、思いのたけをすべて話してくれた。どれだけ悲しかったか、どれだけ悔しかったか、彼の思いは、俺の口からはとうてい語れるものではないだろう。だがフィリップはこうして悲しみを乗り越え、娘のかたきを討たんがために、こうして俺たちの仲間に加わってくれた!彼の強さと勇気をたたえるとともに、今度は俺たちが村人たちの敵に対し、勇気と怒りの鉄槌をくだすべきである!」
パトリックが大きく身振り手振りをしながら言葉を一言ずつ投げかけるたびに、集まった男たちの熱気がどんどん上がっていくのが感じられた。
「いいか、奴は化け物だ!化け物に理性などない!奴は発情しはじめたら、手当たり次第に女に襲い掛かるんだ!そんな奴は、どんな目にあわせてやればいい?」
「ぶっ殺せ!」
男たちのひとりが叫んだ。
「いや!それでは全っ然足りない!俺たちの怒りを、不安を、すべて奴にぶつけるんだ!生かさぬよう殺さぬようさんざん痛めつけた後で、生きたまま皮をはいでやれ!くたばったら首をはねて、剥いだ皮と一緒に村のど真ん中でさらしてやれ!」
さらにパトリックの演説は続く。
「さっきじいさんも言ったように、明後日には都会から役人どもも、この村にやってくる。奴らは俺たちのことを何も知らない田舎者と考えて、見下してくるだろう!どうだ、ここらで化け物を仕留めて、俺たちの本当の力を見せてやろうじゃないか!なあ!」
「おう!」
パトリックが煽り立てた瞬間、一団から大きな歓声があがった。マシューにはそれが、まるで一匹の巨大な怪物が上げた咆哮のようにも聞こえた。
「明日は化け物を仕留めるため、山狩りを行う。皆それぞれ仕事はあるだろうが、なるべく人数が必要なんだ、どうか参加してほしい!
いいか!これ以上人ならざる化け物どもを、この村にのさばらせておくわけにはいかない!奴らは俺たちにとって、『悪』そのものだ!明日から、いや今夜から!俺たちは悪に立ち向かうんだ。悪なるものは徹底的に叩き潰せ!俺たちの村から追い出せ!その意思を忘れるな!以上だ!」
大演説が終わった瞬間、先ほど以上の大歓声と、万雷の拍手が沸き起こった。パトリックはまるで自慰行為でも終えたかのような妙に満足げな表情で大きく息をつき、ハンスじいさんと握手を交わした。
あれだけ出すもの出し切れば、そりゃ気持ちいいだろうよ。マシューは他の男たちと対照的な冷めた顔つきで、パトリックの姿をじっと見つめていた。
この演説は、マシューにとってはただただ不愉快なものでしかなかった。
パトリックは声がでかいから、大人数に向けての演説みたいなものは得意中の得意だそう。だがその内容は、正直なところひどく薄っぺらなものだった。特に演説の最後のあたりは、明らかに俺たち親子……特にクマヨシのことも含んでいるような気がしてならなかった。論点を少しずらし、巧妙に自分の考えをぶちまける。その狡猾さには、反吐が出そうな思いだ。
それ以上に不愉快だったのは、フィリップを半ば晒し上げにしたことだった。集まった男たちの士気を上げる、ただそれだけのためにフィリップの心の傷を利用したようにしか見えなかった。事実フィリップ本人は演説の間中、じっと下を向いてうつむいていた。ひとりの人間の感情よりも、士気を上げること、さらに大演説をぶちあげる自分への陶酔を優先する、そんな人間が大勢の者の上に立っていいのだろうか。
パトリックが去った瞬間、マシューはハンスじいさんにまるで詰め寄るように声をかけた。
「なあじいさん、これはいったいどういうことだ?」
「……マシュー、どうかわかってくれ」
「らしくないぜ、よりにもよってあんな奴に……」
だがハンスじいさんはそんなマシューの反応を前もって予想していたかのように、冷静に説き伏せるように続けた。
「そりゃお前さんの気持ちだってわからんでもない。だが村の者の中にはわしとパトリック以外に、大人数をまとめ上げられるような性格や経験をもっている者はおらん。それにこの辺の百姓にほとんど顔を知られていないお前さんよりも、普段から村の者と話をしているパトリックのほうが、みんな言うことを聞くんじゃないかと思ってな。この村の連中の気持ちがバラバラになっては、それこそ犯人の思うつぼだ。だから今回はどうかこらえて、うまく立ち回ってくれんか」
マシューはじっと黙っていた。確かにパトリックは自分より百姓たちに名前も知られ、慕われている。だがこの件については、まず自分に話を通してほしかった。じいさんもいない中で奴にすべてを任せてしまっては、自分やクマヨシ、それに他の村人たちにも、何か良くないことが起こるような気がする。
しかし……。
「……判った。そうなってしまったものは仕方がない」
のである。現に集まった百姓たちも皆、パトリックの演説に共感し、リーダーとして認めてしまっているのだ。
マシューが苦虫をかみつぶしたような顔でうつむいていると……
「おいマシュー、調べのほうはどうなってんだ」
いかにも偉そうな態度で話しかけてきたのは、パトリックだった。
「ああ、断定はできないが、フィリップの家で犯人を絞り込める……」
「手掛かりが見つかったのか。見せてみろよ」
パトリックはマシューの話を遮ると、マシューに詰め寄るように言った。マシューは相変わらずのパトリックの態度にいら立ちを感じながらも、巾着袋の中から毛玉をとり出して見せた。
「狼の毛だ。多分犯人のもので、毛皮かどうかはわからんが……」
マシューの見せた毛玉を、パトリックはひったくるようにつかみ取り、手触りを確かめていた。そして、これだけか、と言わんばかりに小さくため息をつくと、
「よし、これは俺が預かっておこう。重要な手がかりだからな」
これには、さすがのマシューも聞き捨てならなかった。
「おい待ってくれ。犯人を捕まえた時に、そいつを首実検に使うんだ。返してもらおうか」
「首実検には俺も立ち会う。それで文句はないだろう」
「実際に捕まえるのは猟師の俺だ。そんなこと通るかっ」
マシューは手を伸ばして取り返そうとしたが、その手は払いのけられてしまった。
「俺は明日からこの件の指揮をとるんだ。常に手掛かりを持っていて当然だろう。何をふざけたことを……」
ふざけているのはどっちだ!マシューがそう言い放とうとした、その時であった。
「パトリックさん、それはあんまりじゃないですか。その手掛かりは僕たちが歩き回って、ようやく見つけたものなんですよ。どうか返してもらえませんか」
クマヨシだった。普段は余計なことなど言わないこの男も、さすがに腹に据えかねたのだろう。しかし……。
「化け物が口をきくな。話をしたいんなら、俺たちと同じ姿になってからにしな」
パトリックはそう言い捨てると、嘲笑をはじめた取り巻きたちのもとに帰っていった。クマヨシの言葉は、パトリックに話を打ち切るチャンスを与えただけだった。心無いことを言われたクマヨシは何も言わず、ただじっとうつむいていた。
「クマヨシ……」
「大丈夫。僕は大丈夫だよ、父さん」
人間の中で育ち、誰よりも人間として生きたいと願ってきた男の、本当に小さな一言だった。その一言には、まるで諦めの言葉にも近い響きを含んでいた。こればかりは仕方ないと、十数年生きてきてわかっているつもりでも、心に刺さるものがあるのだろう。
マシューは再びハンスじいさんに目を向けた。ハンスじいさんはそっぽを向いて、小屋の片隅を見つめていた。ハンスじいさんはこうなることがわかっていたのかそうでないのかは、マシューにわかるはずもなかった。フィリップはその空気のなかで、ただひとり困惑しているようだった。
大きく息をついた後でマシューは、その手に斧を握った。
「よし、今夜の見回りに出るぞ。じいさん、今夜の見回りのルートを教えてくれ」
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