第15話 荒御霊

 今まさに剣華の目の前で、『かりん』の華奢な身体が血の花を咲かせ、崩れ落ちていく。


「にぃ、ちゃ……」


 唇から、微かな呟きが零れる。

 鮮血で着物を赤く染めながら、彼女はぐしゃりと地面に倒れ込んだ。


「邪魔をしおって。このがらくため」


 男がそう吐き捨てた瞬間、剣華の額に鋭い青筋が走り――


 ――その激憤に天剣が強く呼応した。


 天剣とはすなわち、神が宿りし剣である。

 神の霊魂は二つの相反する側面を持つ。

 一つは、人々に恵みと平和と加護を与える和魂にきたま

 今一つは、天変地異や争い、祟りを引き起こす荒魂あらたま

 このとき目覚めたのは、まさにその荒ぶる魂であった。

 雷鳴のごとき荒々しさで天剣が煌々と輝く。光が剣華の身体を呑み込んだ。


『ぎしゃぁぁぁぁぁっ!』


 突然、怪鳥の鳴き声にも似た鋭い咆哮が聞こえて来たかと思うと、光塊から巨大な白銀の蛇が飛び出した。

 白銀の蛇は剣華を封じていた忍へ一瞬で迫ると、その身体を丸ごと呑み込んだ。

 生々しい咀嚼音が響く。

 さらにもう一匹の蛇が光から躍り出て、もう一人の忍へと襲い掛かった。忍は咄嗟に逃げ出そうとするも、瞬く間に追いつかれ、やはり一呑み。

 二匹だけではない。さらに六匹の巨蛇が光の中から現れた。


「こ、こやつらは……?」

「み、通温みちまさ様!」


『剣聖』が呆然と立ち竦む主人へと駆け寄った。そのまま奥へと退避しようとするも、蛇の一匹が瞬時に躍り掛かる。

 咄嗟に肆式『甲羅』を発動し己と主人の身を護った『剣聖』は、蛇の牙に砕かれることは辛くも防ぐも、大きく弾かれ吹き飛んだ。主人を庇いつつ、驚異の身体能力で地面に着地。

 さらに八匹の蛇が殺到してくる。


「ば、化物めっ……」


 男が手元で何かを操作すると、先ほど開けられた壁が素早く閉じていった。

 轟音が鳴り響き、激しい震動が起こる。壁が閉じ切る前に、蛇の頭が二つ強引に捻じ込んできていた。

 だが、足止めにはなった。その隙に男と『剣聖』は硝子容器の合間を縫って、奥へ奥へと逃げていく。

 やがてその姿は一番奥にあった扉の向こうへと消えていった。

 直後、蛇を抑えていた壁が破壊され、八匹の蛇が狂ったように暴れ回る。硝子容器が次々と破砕し、中から液体と人の裸体が零れ落ちていく。さらには天井や地面すらも突き破り、異形の蛇は地上へと姿を現した。






「……な、何だ、こいつらは?」


 緊急の出撃要請を受けて駆けつけた武装廻り同心たち十数名は、愕然としてその場に立ち尽くした。

 それは八匹の巨大な蛇であった。

 地中から身体を出し、銀鱗を陽光に煌めかせ暴れ回っている。

 籠細工の見世物などではない。それは確かに生きていた。時に咆哮を上げ、塀や砂土を吹き飛ばし、嵐の海のごとく荒れ狂う。

 町奉行配下の武装廻り同心は、武芸に秀でた侍たちで構成されており、主に凶悪な犯罪者の捕り物をその職務としていた。それゆえ、この太平の世にあって、多くの修羅場を潜り抜けてきた猛者たちである。

 だが、当然ながらこのような化け物を相手にしたことはない。


「ぎゃっ」


 牙を剥いて飛び掛かって来た蛇に、老練の同心が為す術も無く噛み付かれて即死、死体が襤褸屑のように宙を舞った。また別の若い同心は鋼鉄の腹に巻き付かれ、全身の骨を粉砕されて絶命した。

 同心たちは反撃を試みるも、刀も、槍も、果ては鉄砲の玉すらも、蛇の硬い鱗に傷一つ付けることができない。


「こ、ここはいったん、引きましょう!」


 紅一点の女同心が恐怖に耐えかねて叫んだ。


「だ、だめじゃ。ここを突破されたら、甚大な被害が出てしまうぞ。何としてでも喰い止めるんじゃ!」

「は、はいっ」


 年長格の同心の鼓舞に応え、彼女は勇気を振り絞り、剣を振るった。だが、銀鱗に弾かれて刀身が真っ二つに切断される。そこへ、蛇の牙が迫る。

 立ち竦んだ彼女の前に立ち塞がる小さな影があった。大きく息を吸いこみ、気合の掛け声とともに拳を突き上げる。


「はっ!」


 拳から吹き荒れた〝気〟の奔流が、蛇の頭部を弾き飛ばす。

 小さな影は女同心の方を振り向くと、白い歯を見せて言った。


「危なかったです!」

「こ、子供……?」

「子供じゃないですよ!」


 それは真鶴であった。

 蛇の咆哮に交じり、哄笑が響き渡った。


「はははははっ! 俺はお前らみたいな化け物と戦えるのを待ってたぜ!」


 妖刀・鬼切丸――『鬼ノ土手腹裂キ』

 懸河の一刀が、壮年の同心へ噛み付こうとしていた蛇の腹に叩きつけられた。蛇の巨体が高々と舞い上がる。


「化け物が現れたっつーんで急いで駆け付けてみたけどよ、こいつら、ちゃんと銃弾効くんだろうなぁ?」


 締まりのない声とともに、流れるような連射音が轟いた。

 一右衛門流銃技――『十弾一撃』

 一斉に放たれた計十発もの銃弾がすべて、寸毫の狂いなく蛇の瞳へと吸い込まれていく。弾き飛んだ蛇の頭は、そのまま地面に倒れ込むように激突して大きな地響きを引き起こした。


「こいつら、あやかしじゃないわ。もっと高位な――恐らく、神様。それも、とびきり神格の高い。あ、みなさんこっちこっち」

「な、何者じゃ、お主ら?」

「まぁまぁ、気にしないで」


 珠藻が武装同心たちを庇いつつ、撤退させていく。


「おい、こいつらまるで効いてねぇぞ」


 一右衛門が目を見張る。

 先ほど眼を撃ち抜いたはずの蛇が、何事も無かったかのように起き上っていた。眼には傷一つ付いていない。真鶴も〝気〟を込めた掌底で蛇の突進を何とか弾き返しながら怒鳴る。


「攻撃が効かないですよ!」

「面白れぇ! なら効くまで斬り続けるまでだ!」


 常盤が咆え、妖刀を振るう。


「こいつぁ、俺の得物じゃ分が悪ぃ」


 頭上から滝のごとく降ってきた蛇の頭を咄嗟に横転して回避し、一右衛門は脱兎のごとく遁走を始めた。


「逃げるですか!」

「お前らに功を譲ってやろうってんだよ」

「逃げるですか!」

「だから逃げるんじゃねぇって」

「はっ! 腰抜けめ!」


 常盤が怒鳴り、一人疾風となって技を繰り出す。

 妖刀・鬼切丸――『鬼ノ首斬リ』

 常盤の斬撃が蛇を吹き飛ばす。だがそのとき彼女のすぐ背後に、別の蛇が迫っていた。


「危ないです!」


 琉球武術『手』――『飛速気砲』

 真鶴の掌から放たれた峻烈な〝気〟が、超高速度で虚空を駆け抜け、一瞬で常盤に激突。真横から鉄槌を受けたように弾き飛んだ常盤のすぐ脇を、蛇の牙が擦過した。


「大丈夫ですか!」


 地面を幾度も転がってようやく止まった常盤は、立ち上がって声を荒げた。


「痛いぞ阿呆! もっとまともな助け方をしろ!」

「せっかく助けたのに阿呆とは何ですか! 他にやり方が無かったですよ!」

「俺ではなく、蛇の方を吹き飛ばしたら良かっただろうが!」

「……あ」

「この阿呆!」

「ちょっと間違えただけわわっ! あ、危ないです! 言い合ってる場合じゃないですよ!」

「貴様のせいだ!」


 八つの蛇が暴れ、辺りは酷い有様となっていた。蛇が現れた屋敷は原形が分からなくなるほど破壊し尽くされ、周囲の屋敷も巻き添えを食って半壊している。


「早くどうにかしないといけないです!」

「待て! 動きがおかしいぞ!」


 常盤が言う通り、突然、蛇たちの動きが鈍重になっていた。


「好機ですよ!」


 真鶴が〝気〟を体内で練りながら駆け出すも、八匹の蛇が一斉に後退を開始した。まるで何かに引き摺られるように、地中へ戻って行く。やがてすべての蛇が地下へと姿を消し、地獄に通じるような大穴だけがそこに残った。


「誰か倒れているです!」


 穴の中を覗き込んだ真鶴が叫んだ。すぐに穴へと飛び込む。常盤も後に続く。

 真鶴は倒れている人物を確認して驚きの声を上げた。


「剣華さんですよ!」






 温かい風が頬を撫でた。その微かな刺激に喚起され、剣華は瞼を開いた。


「う……ん」


 視界に映ったのは、見慣れた天井であった。


「目を覚まされましたか」


 すぐ傍で常盤の声がした。

 剣華は身を起こす。身体があまりにも重くて驚いた。

 そこはいつも使っている一室で、剣華は畳の上に敷かれた布団の上で横になっていた。開け放たれた障子の向こうは暗く、しかし天気が良いのであろう、夜空にはぽっかりと明るい半月が浮かんでいる。


「お身体の調子はいかがでございますか? 随分と疲労されておられましたので、まだ寝ておられた方が良いかもしれません」

「……大丈夫だ。それより、おれは一体……?」


 なぜここにいるのか分からなかった。記憶が曖昧で、頭がぼんやりとしている。


「覚えて、いらっしゃらないのでございますね……」


 常盤は沈んだ声で言い、


「わたくしの、操を奪ってしまわれたことを」

「なに!?」

「嘘でございます」


 剣華は脱力した。溜息を付き、


「冗談はよせ。何か、隠しているな?」

「……それは」


 眉を伏せる常盤。


「そうだ。確か、おれは地下で……」


 気絶する前の映像が少しずつ頭に蘇ってきて、剣華は唇を噛んだ。が、ふと気付いて顔を上げる。


「お主らが助けてくれたのか?」

「……本当に、覚えていらっしゃらないのでございますか?」


 常盤は先ほどと同じことを、しかし今度は少し驚いたような顔をして訊いてきた。


「どういうことだ?」

「いえ……それより、かりんさんのことでございますが……かなり酷い怪我で、今、真鶴が隣の部屋で、懸命に治療してくれているところでございますが……」

「い、生きているのか!?」

「今のところは、でございますが……」


 剣華はすぐに立ち上がり部屋を出ると、すぐ隣の座敷の襖を開けた。

『かりん』は布団の上に寝かされていた。傍に座っていた真鶴が驚いて顔を上げる。


「剣華さん! 目が覚めたですか!」

「ぶ、無事なのか?」

「……怪我の方は、ぢるーの〝気〟で何とか治したです。見つけた時、すでに虫の息でしたが、それでも何とか生きていたのが幸いだったですよ」

「ならば、助かるのだな?」


 剣華の問いに、真鶴は首を曖昧に振って、


「分からないですよ。体力がかなり弱ってるですから、このまま意識が戻らない可能性もあるです。飲まず食わずで日が経つと、厳しいかもです」


『かりん』は生気を失ったように蒼白な顔をしていた。

 痛々しい姿を見ながら、剣華は胸の奥から怒りが湧き上がるのを感じた。


(おれはまた、守ることができなかったのだ)


 奥歯を血が滲み出そうなほど強く噛み締め、剣華は激しく己を責めた。


(おれは強くなった。そう思っていた。だが、それはただの奢りだったのだ。おれは弱かった。おれは、こんなにも弱かったのだ!)


 剣華の瞳から滾るような雫が零れ落ち、布団を熱く濡らした。







「まさか、そのような化け物を内に飼っておったとはのう」

「儂にも驚きぢゃったわい。しかも、どうやら本人はまるでそのときのことを覚えておらぬようぢゃ」


 明かりも付いていない暗がりで、二つの人影が声を潜めて談議を交わしていた。


「つくづく興味深いのう。……して、本題やが、どこまで分かった?」

「さすがに、あの状況では地下屋敷にあった証拠を隠滅することができんかったようぢゃ。……予想していた通り、いや、それ以上のことが判明したわい。これを見るがよい」

「これは……」

「奴が集めたらしい、浅井月影が遺した絡繰術の記録ぢゃ。破損したものも多く、恐らくはごく一部ぢゃがの」

「むぅ……まさか、このようなものまで。この絡繰を実現していたとしたら怖ろしいことや。これ以上、野放しにしておく訳にはいかん」

「同感ぢゃ」

「して、奴の居場所は分かっておるか?」

「……一応はの。ぢゃが、恐らくこれは――」

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