第14話 生命絡繰秘術

 九ツ半。すでに皆が寝静まった夜半。

 かりんはふと目を覚ました。

 真っ暗な室内に、障子越しに薄い月明かりが差し込んでいる。かりんはその微かな光を頼りに布団から身を起こすと、不器用な手で少しずつ障子を明けていった。

 夏の夜の生暖かい風がかりんの頬を撫でた。空は晴れていて、綺麗な満月が暗闇の中にぽっかりと浮かんでいる。

 剣華は任務で不在であり、部屋には今、かりんしかいなかった。


『聞こえるか』


 不意に風音に交じって声が聞こえてきた。かりんは後ろを振り返ったが、誰もいない。庭の方は暗くて良く分からなかった。


『お前が、役に立つ時がきた』


 声がより鮮明になった。どこかで聞いたことのある男の声。


『良いか、よく聞け。お前をあのお方が必要とされているのだ。これはお前にしかできないことだ』

「……ん」


 月に淡く照らされたその小さな頭を、かりんはゆっくりと縦に振った。







「にぃ、ちゃ。おか、え」


 まだたどたどしいながらも、かりんはそう言いながら剣華を迎えた。


「ただいま、かりん。元気にしていたか?」

「ん」


 剣華が頭を撫でてやると、かりんは首を竦めてくすぐったがった。

 その日の晩、御庭御番所に詰めていた剣華は、朝になって屋敷に帰ってきた。番所勤めは、御庭ノ者が表向きの体裁を繕うため、定期的に持ち回りで行っている仕事であり、御城への登城を許された後から剣華も加わっていた。夜間における大奥の警固というのが番所勤めの名目ではあるが、実際には何もすることがないため、ほとんど居眠りしながら過ごした。一右衛門などは酒を飲んでいるという。

 とは言え、布団の中で熟睡した訳ではないため、少々眠い。

 廊下を歩く剣華の後を、かりんが静かに付いてくる。活発さはないが、そういうところに以前の面影を微かに感じ、剣華は嬉しく思う。

 部屋に戻ると、剣華は継裃を脱いで楽な着流し姿になった。


(少し仮眠を取るか)


 と思ったが、不意にかりんが着物の袂を無言で引いた。


「どうした?」

「にぃちゃ……」


 くいくいと、思いのほか強く引っ張ってくる。


「……どこか、遊びに行きたいのか?」

「ん」


 珍しくかりんは大きく頷いた。剣華は嬉しくなって、


「いいぞ。今日は天気も良いし、どこへでも好きなところに行こう」


 剣華はすぐに朝餉を済ませると、かりんを連れて屋敷を出た。

 暑さが日ごとに増してくる少暑の頃である。強い日差しの下、今は盛りとあちこちで蝉がわんわん鳴いていた。

 かりんが独りでに歩き出す。


「どこに行くのだ?」

「……ん」


 剣華はひた向きに歩いて行くかりんの後を追った。

 やがて四半刻ほども経った頃、二人はある屋敷へと辿り着いた。

 三百坪ほどの広さを持つ御家人屋敷であった。道に面した塀の向こうに長屋の屋根が見え、その奥に二階建ての屋敷が建っている。とうに陽は昇っているというのに、未だ門扉は閉じられたままであった。

 表門の前で立ち止まったかりんへ、剣華は声をかける。


「どうしたかりん? ここは人様の御屋敷だぞ」

「………」


 頷くこともせず、かりんは無言で門扉を押す。

 その瞬間、門扉の一部分が素早く回転、彼女の姿が向こう側へと消えた。


「かりんっ?」


 剣華は慌てて駆け寄った。だが、門扉を押してもまるで手ごたえが無い。かりんを呑み込んだ形跡すらも残っていなかった。

 剣華は即座に跳躍し、門ごと飛び越した。

 石畳の上に着地する。裏側から改めて門扉を調べたが、やはり何の変哲もない扉であった。


(何らかの絡繰か。くそ、おれが付いていながら)


 剣華は悔しさに奥歯を噛み締める。だが、後悔している暇はない。


(この屋敷のどこかにいるはずだ)


 石畳を進み玄関へ至ると、屋敷内へと草履のまま踏み込んだ。

 屋敷の中はがらんとしていた。人の気配がまるでない。


(何者かが、おれを誘き寄せるためにかりんを利用したのか。だが、だとしたらなぜかりんがそれに応じたのか……?)


 焦燥や怒りとともに、脳裏にいくつかの疑問が浮かぶ。

 それほど広い屋敷ではない。すぐに一階を回り終え、続いて二階へと上がった。だが、二階にも人が潜んでいる様子は無い。

 後は長屋か庭か――そう思案しつつ階段を降りようとしたそのとき、突然、大きな揺れが屋敷全体を襲った。

 地震、ではない。

 立っているのもやっとの振動の中、剣華は格子窓から外を見て息を呑んだ。

 庭の地面がゆっくりと上昇していた。――いや、


「屋敷が、沈んでいる……?」


 屋敷自体が下降していた。一階部分はすでに完全に地面の中にあり、今や二階も地中へと呑み込まれようとしている。

 逃げ場はなかった。やがて屋敷が丸ごと地下へと沈み込んでしまう。

一階へと降りてきた剣華は外に通じるすべての出入り口が塞がっているのを確認した。ただ一つの例外が玄関であった。そこのみが、薄暗い地下道へと接続していた。


「……この先にかりんがいるのか」


 罠である可能性は高いが、先に進む以外にない。剣華は覚悟を決め、石壁に備え付けられている僅かな絡繰灯の明かりを頼りに、地下道の奥へと進んでいく。

 やがて開けた場所に出た。暗くて全体をよく見渡せない。

 突然、天井から強い光がさし、剣華は目を細めた。周囲が外のように明るくなる。

 そこは五十畳ほどの広さがある何もない空間であった。


「また会ったな」


 聞いたことのある声が奥から響いた。


「これは、貴様の仕業か」


 剣華が鋭く睨みつけたのは、鷲爪組の屋敷で対峙した狐面の剣客であった。


「一応は、そうだ、とでも言っておこうか」

「何のつもりだ。かりんを返せ」


 剣華は闘志を剥き出しにする。


「そんなにもあの娘が大事か」

「当たり前だ。かりんはおれの妹だ」


 剣華の断言に、お面の向こうから笑い声が漏れた。


「妹か、くくく」

「何がおかしい」

「さてな。……そんなにも大切だと言うのなら、力づくで取り返してみろ」

「無論、そのつもりだっ」


 剣華はそう言い放ち、疾風となって彼我の距離を一瞬で駆け抜けた。走行の勢いに、さらに回転して遠心力を加え、そこから巧みな手捌きで勢いを殺さず抜刀する。分厚い鋼鉄すら斬り裂く電光石火の渾身の一撃。

 しかしそれは、狐面の剣客の眼前で空を切る。


「間合いすら、まともに取れんのか」


 嘲笑う狐面の剣客。しかし突然、空気が燃え盛った。

 伍式ノ極技――『焔』

 剣華は斬撃の直前まで剣を鞘に収めておくことで、相手に悟らせることなく伍式『紅蓮』を発動していた。

 剣閃から一拍遅れて放たれた炎の斬撃は、狐面の剣客の顔面を焼いた。


「がっ……」


 お面の上から顔を抑え、よろめく剣客。その隙を剣華は逃さない。勢いそのままに懐へと飛び込み、そこから一気に斬り上げる。

 だが、狐面の剣客は崩れた体勢から強引に剣を振り降ろした。しかも、剣華と同じ伍式を発動している。

 炎と炎がぶつかり合い、凄まじい熱風が辺りに吹き荒れた。だが、次第に剣華の炎が呑み込まれ始める。


「く……がぁっ」


 剣華は高熱に全身を焼かれながら弾き飛ばされた。


「くははっ、やはりその程度か!」


 狐面の剣客の哄笑が響く。


「ここからだ!」


 怒号とともに、剣華の天剣が眩く煌めく。

 天剣神術第参式――『変幻』

 第参式は幼い頃から、剣華が最も得意とする神術であった。それゆえ技の種類も多く、また熟達して威力も高い。

 参式ノ奥義――『蟒蛇うわばみ

 極技である『蛇』が左右に蛇行して迫る技であるのに対し、奥義『蟒蛇』はそれを上下方向にまで拡張させたものであった。上下左右に蛇行し空を駆ける大蛇が、剣客に牙を剥く。


「ほう、少しはまともな技だ。だが――」

――『双頭ノ蛇』

 狐面の剣客の剣の剣尖が二つに分離する。その様、まさしく双頭の蛇。それぞれが縦横無尽に動き回り、剣華の『蟒蛇』と激突、そして弾き飛ばした。

 剣華は二股の蛇に呑み込まれ、全身を斬り裂かれる。


「そ、そんな……お、おれの、奥義が……」


 血を流し、膝をつく剣華。辛うじて致命傷を免れたのは『蟒蛇』によって、少なからず威力を減じさせていたからであった。


「どうやら、私の方が一枚も二枚も上手のようだな」

「く、くそ……」


 痛みと悔しさに顔をしかめて狐面の剣客を睨み据えた瞬間、その顔が驚愕で固まった。

 先ほど『焔』の一撃を受けた際に溶けたのだろう、狐のお面が半分ほど失われ、その奥に剣客の顔が覗いていた。


「今更、隠す必要もないな」


 剣華が自分の顔を見て唖然としていることに気付き、剣客は自ら溶解したお面を外した。

 現れたのは、どこかで見たことのある顔であった。


「ち、父上……?」


 不意に口を突いて出た言葉に、剣華は自ら驚いた。

 死んだ父に似ている。

 かりんと同様、実は生きていたのか。その考え脳裏が過ったが、しかし、そのはずがない。

 なぜならば今、目の前にいる男は父・剣聖とよく似た顔をしてはいても、年齢にして二十歳そこそこの若者であった。肌は瑞々しく、髪も黒い。当時すでに四十を超えていた父親だとは考えられない。


「だが、それにしては……」


 あまりに似過ぎていた。


「驚いたか、御庭ノ者よ」


 訊き慣れない声が響いた。正面の壁、三尺ほどの高さのところから、櫓のようなものがゆっくりと突き出していく。

 その上に人が乗っていた。

 いかにも癇癖が強そうな、四十がらみの男であった。相当な身分であるのか、将軍や大名が重要な儀式で着用するような、最高位の礼服を身に着けている。

 男と目が合った瞬間、剣華は背筋が粟立つのを感じた。

 それは底知れない冷たさを讃えた瞳であった。傲慢なほどの強い自尊心を持ち、逆に他人の価値など歯牙にもかけていない。


「かりんをさらった張本人は、貴様か!」


 剣華は怒りに任せ、傷を押して立ち上がった。しかしその身体を、左右から飛んできた鎖が拘束する。両腕両足が雁字搦めに縛られ、身動きを完全に奪われてしまった。

 二体の忍がいた。

 異様に四肢が長い忍。剣華の脳裏にあのときの記憶が急速に蘇る。


(こいつら!)


 忘れるべくもない。彼らは天雲一族の里を襲った忍であった。


「そろそろ種明かしをしてやろうぞ」


 男は嘲笑うように言い、


「そやつは余の〝武具〟――絡繰人形よ」

「か、絡繰人形だと……?」

「これを見るがよい」


 男が手を鳴らした。それを合図に、背後の壁が独りでに開いていく。

 現れたのは、今いる部屋よりも一回り大きな部屋であった。そこに、数十もの円錐形の硝子容器が整然と並び、薄気味悪い色をした液体で満ちたその中に何かが浮かんでいた。

 裸体の人――いや、それは人と呼ぶには異常であった。

 腕が三本ある者、頭部が二つある者、あるいは目がない者、耳がない者――

身体の部位が多かったり、少なかったり、あるいは形状がおかしかったりするものが大多数を占めていたのである。


「こ、これは……?」


 顔をしかめて瞠目する剣華に、男は高らかに語った。


「ふははははっ、これぞ、伝説の絡繰技師・浅井月影が遺した究極の絡繰術 ――『生命絡繰秘術』よ!」

「生命絡繰秘術だと……?」

「いかにも。浅井月影に寄れば、人間も、動物も、そしてありとあらゆる生き物も、突き詰めていけば複雑精緻な絡繰に過ぎないという。すなわち、父母の存在を必要とせず、まったくの無から新たな生命を生み出すことが可能。それこそが、生命絡繰秘術よ。とは言え、見ての通り失敗作ばかりではあるがな」

「な……」


 人知を越えた話に、剣華は呆然とするしかない。


「そやつは数少ない成功作よ」

「こ、この男が、作られた絡繰人形……? な、ならば、父上の姿をしているのは……」


 剣華は絞り出すように問う。


「それが、この生命絡繰秘術の神髄よ。一から創り出すとは言え、元となる材料が必要となる。それが『遺元子いげんし』と名付けられた生き物の根源。血でも、骨でも、臓器でも、どこからでも採取可能なこの『遺元子』さえあれば、その『遺元子』を持っていた生き物とまったく同じ姿と力を有した生き物を生み出すことができる。だから余は、最強の絡繰人形を創り上げるために、少しでも力のある人間の『遺元子』を欲した」


 そこで男は口の端を残忍に歪めた。


「そこの忍どもを用いて天雲一族の里を滅ぼしたのは、この余よ。かつて剣神とまで謳われた男より、最高の『遺元子』を手に入れるためだけにのう」

「き、貴様ぁぁぁぁぁぁっ!」


 我を忘れるほどの怒りが、腹の底から湧き上がった。身体から血が流れ出すのも厭わず、剣華は男に飛び掛かろうとする。だが、動けない。


「大よそのことは理解したようだな。……ならば、そちが妹だと思っていた者の正体も分かるだろう」

「まさか……」


 男の背後から、かりんが姿を現した。男は冷酷な笑みを顔に浮かべて告げた。


「こやつも、余が作った絡繰人形よ。そちの本当の妹など、とうに死んでおるわ」


 剣華は身体から急速に力が抜けていくのを感じた。


「淫具としても使える下女として作ったが、感情と言語に欠陥があって破棄しようとしたところを、手落ちで逃げられてしまったのよ。しかし、まさかこのような形で役に立つとは思わなかったぞ。良くやったのう」

「ん……」


 男が労いの言葉を投げかけると、かりんは頬を引き攣らせるようなものであったが、顔に微かな笑みを浮かべた。


「さて、話は終わりぞ。余が誇る最強の絡繰武者『天雲剣聖』よ、やつを殺せ。これであの忍に続き、御庭ノ者を二人始末したことになる。江戸最強の武芸者集団と謳われる御庭番も、思っていたほどではなかったの」

(あの忍というのは、保長のことかっ……)


 最近まるで姿を見せなかった保長が、すでにこの男によって殺されていたということに、剣華はさらに絶望的な思いとなった。


(この男、一体、何を企んでいるのだ……?)


 随分と多くの血が流れ、次第に意識が薄れ始めてきた剣華の頭の中で疑問が過る。


「あ、あ、あっ」


 そのとき声にならない声が響いた。剣華が顔を向けると、かりん――いや、『かりん』が何かを訴えるように、男の装束に縋りついているのが見えた。


「どうした? あの御庭ノ者はこれから殺す。そのために、お前を使ってここに誘い込んだのよ」

「んあっ!」

「馬鹿め。離れよ。お前の役目はもう終わっておる」

「あっ! にぃちゃ! にぃちゃ!」


 しかし、『かりん』は離れない。


「余の命が訊けんのか!」


 苛立った男はかりんのか弱い手を振り解き、大きく突き飛ばした。倒れた『かりん』を、蔑みの視線で見下ろす。


「やはり、失敗作だったようだの。早急に処分せねばならん」

「あぁぁぁぁっ!」


 男の言葉に、『かりん』が金切り声を上げた。


「黙れ。その声、耳障りぞ」

「貴様こそ黙れっ!!」


 剣華の雷鳴のような怒号が空気を震わせた。


「失敗作だと!? 貴様の都合で作り出しておいて、意に叶わねば捨てるというのか! まるで道具のように!」

「ふははは、馬鹿げたことを言う。まるで、ではない。こやつはまさしく道具よ」

「き、貴様っ……外道め!」


 剣華の言葉に、男は俄かに顔に怒りを露わにした。


「外道? 笑止! 余こそ、正統の存在よ! どいつもこいつも、なぜそれが分からぬ! 『剣聖』よ、その不愉快な輩をすぐに殺せ!」

「御意」


 男の命を受け、『剣聖』が剣を大上段に振り上げた。剣華は力を振り絞るが、やはり固く身を縛り付けている縄から逃れることができない。


「にぃちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 突然、『かりん』が怒声を上げて櫓から飛び降りた。着地で大きくよろめくも必死に立て直し、全力で駆けてくる。

 剣華の瞼に、電撃のような痛みとともにあのときの光景が蘇る。


「く、来るな!」

「あぁぁぁぁっ!」


 剣華の訴えも虚しく、『かりん』は真っ直ぐ突っ込んでくる。


「ふん。他愛も無い」


『剣聖』は身体の向きを変え、ただ愚直に突進してくるだけの『かりん』へと、構えていた剣を振り降ろした。


「あぁぁぁぁ――っ……」


 斬撃が『かりん』の肩から脇へと貫いた瞬間、彼女の声は途切れ、激しい血飛沫が散った。

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