第12話 生存者
六腕ノ阿修羅を破られた爪一朗は、忌々しげに剣華を睨みながら後ずさった。上がっていた畳がすべて降りていき、部屋が元通りの広さとなる。剣華は隙なく剣を向けたまま、
「逃がしはせん」
「ま、待て。……少し、俺の話を聞け」
爪一朗は逃げられないと悟ったか、いきなりそう切り出した。
「命乞いならば聞き入れる気はない」
「別に、俺は命など惜しくはねぇ。ただ、俺を今すぐここで斬り殺すと、てめぇらが後から後悔することになるぜ?」
爪一朗は肝の据わった不敵な笑いを見せた。相手の意図を計りかね、眉をひそめる剣華に、爪一朗は横柄に口を開く。
「俺を倒したご褒美に教えてやらぁ。今、この江戸ではな――」
そのとき爪一朗の頭上から人影が降ってきた。
人影が剣を振るい、突然のことに反応できなかった爪一朗の背中が、ざっくりと斬り裂かれる。大量の血飛沫が畳を赤く濡らし、爪一朗はその場に崩れ落ちた。
「がぁっ……く、くそが……」
爪一朗が怨嗟の声を漏らし、地面から人影を睨みつけた。
人影は狐のお面を被った剣客であった。手には爪一朗の血がべっとりと付いた直刀が握られている。
「忠告を聞かず挑んだ戦いに大敗を喫した挙句、禁秘をこうも簡単に暴露しようとするとはな。まったくどこまでも使えない男だ」
狐面の剣客は小さく呟き、倒れた爪一朗の背に剣を突き立てた。
爪一朗は完全に絶命した。
「何者だ、貴様は?」
剣華は突然現れた得体の知れぬ男を警戒した。
「さてな」
剣華の問いには答えず、狐面の剣客はゆらりと剣を持ち上げた。そのまま鷹揚に畳を踏み締め、剣華へと近づいて行く。
剣華は剣を構えた。相手から明白な殺気が伝わって来ていた。かなりの使い手であることを剣華は察する。
(この男の武器も直刀か)
反りのない直刀を手にした剣客は珍しい。剣華は少々不気味な悪寒を覚えつつ、精神を集中させた。ここまでの戦いで身体の各所に傷を負ってはいるが、どれも浅い。神術は使う度に相当な体力を有するが、可能な限り使用を抑えて来たこともあって、まだ余裕はある。
やがて接近した両者は、間合いの駆け引きなどなく激突した。
狐面の剣客の峻烈な初太刀を剣で弾き返すと、剣華は素早く手首を返して払い斬りを放つ。剣客は上体を反らしてそれを回避。剣華の追撃も紙一重で躱され、反対に鋭い突きが剣華の胸を襲う。
寸でのところで突撃を避けた剣華は、突き出された剣を大きく弾き飛ばして狐面の剣客を無防備にすると、神速の袈裟斬りをお見舞いする。
(もらった!)
だが、それは狐面の剣客の着物を微かに斬り裂いただけで空を切る。剣華の攻撃を読んでいたのか、剣客は予め片足を引いて半身で回避していた。
直後、狐面の剣客が一瞬にして間合いを詰め、剣華の懐へと飛び込んできた。拳が剣華の顎を殴り上げる。
剣華の身体は吹き飛ばされ、大きな弧を描いて畳に激突した。
即座に起き上った剣華は、口から垂れた血を拭いつつ相手を睨み据えた。狐のお面が嘲笑を浮かべているような気がして、苛立ちを覚えた。
「あんな一撃で仕留められるなどと思うなよ?」
「……のっ」
剣華は全力で躍り掛かった。
山野で磨き、また幾多の実践で培った技の数々を、寸分の惜しみなく放つ。流水のごとき動きと電撃のごとき強さで次々と繰り出される斬撃は、まさに圧巻。
だが、それを狐面の剣客はすべて受け流してみせた。
「その程度かっ」
狐面の剣客が一喝とともに踏み込んで必殺の斬撃を繰り出した。目にも止まらぬ速さの三連突き。
天剣神術第肆式――『甲羅』
回避不可と判断し、剣華は神術を発動。ほぼ同時に巻き起こった盾越しの三つの衝撃に耐えきれず、宙を舞った。
空中で蜻蛉を切りながら、さらに神術を使う。
天剣神術第壱式――『閃耀』
一条の閃光が虚空を切り裂き、狐面の剣客へと襲い掛かる。そのとき、予期せぬ事態が起こった。
剣客の持つ剣が輝いたかと思うと、剣華が放ったそれと瓜二つの閃光が虚空を駆けていた。
両方向から空間を貫いてきた剣と剣が、ぶつかり合って火花を散らす。
互いに軌道が逸れる。しかし剣華の一撃は相手の右肩を掠めただけであったが、剣客の一撃は剣華の脇腹を五分ほど抉った。
「な……」
剣華は瞠目し、言葉を失った。
狐面の剣客が放ったそれは、剣華とまったく同じ――否、下手をすると、それ以上の威力を備えた壱式『閃耀』の一撃であった。しかも後から放たれたにもかかわらず、相手に届いた瞬間は同じ。
「ば、馬鹿な……な、なぜ貴様が、その剣を……?」
狼狽えた様子で問う剣華。
間違いない。狐面の剣客の剣は、天雲一族の男児しか扱うことのできない、天剣であった。
「……天雲一族の生き残り、とでも言っておこうか」
狐面の剣客は奇妙な言い回しをした。
「おれの他にも、生き残りがいたのか?」
剣華は目を瞬かせる。だが、あり得ない話ではなかった。剣華と同じように、あのとき里から逃げ延びた者がいたとしてもおかしくはない。
「だ、誰なのだ? 克峰か? それとも、鍔雪?」
過去の記憶を探り、思い出せる名を並べた。その声質から、自身とそれほど離れた年ではないと判断した。剣華と同年代の男子は決して多くない。
しかし、狐面の剣客は剣華の問いには応えず、不意に耳をそばだてるような仕草をした。小さく溜息のようなものをついて、
「どうやら、命拾いしたようだな。今日のところはこれくらいにしておいてやろう」
「なっ、おい、待てっ!」
剣華の静止を聞かず、狐面の剣客は踵を返した。壁際まで到達すると、壁を円形に斬り抜く。生じた暗闇から雨が横殴りに飛び込んできて、一瞬、稲光が部屋の中を照らした。
狐面の剣客はそのまま降り注ぐ雨の中へと姿を消した。
剣華が駆け寄ると、すでにその姿は闇と雨に紛れて見えなかった。
「あいつは、一体……」
剣華の呟きを掻き消すかのように、近くで雷鳴が轟いた――と思った瞬間、屋敷が凄まじい鳴動に襲われた。
他の御庭ノ者たちが堂々と屋敷内に踏み込み、敵と交戦している最中、保長は屋敷の床下へと忍び込んでいた。
長年の経験と勘を生かし、慎重に奥へと進んでいく。
やがて行き止まりへと辿り着いた。
行き止まりの壁に耳を当てる。保長の優れた聴覚はすぐにあることを理解した。
(この先、屋敷内から地下へと通じておるな)
やがて人気のない場所から屋敷内に侵入すると、保長は先ほど行き止まりとなっていた地点へと進んだ。
そこには物置があった。
保長は辺りを物色する。灯が無く真っ暗であったが、彼は怖ろしく夜目が利く。しばらく目を凝らして探索を続けた後、満足げに鼻を鳴らした。
「これぢゃな」
床板の一部に、他とは色の異なる場所があった。そのちょうど繋ぎ目のところに人差し指大の隙間があって、中に輪っかが見えた。
輪を指で引くと、かちりと音が鳴って、歯車が軋むような音とともに床が落ちていった。二畳ほどの暗闇が現れる。
保長が携帯用の絡繰灯で照らすと、階段となっていた。五尺ほど進んだ先で平坦になり、道が奥へと続いている。
地下道へと至ると、そこは思いのほか快適であった。空気が流れるような仕組みが整えられているのか、湿気が少なく、空気が澱んでいない。
六間ほど進んだところで、重厚な扉へとぶつかった。錠がおろされているようであったが、針金を使ってすぐにこじ開けた。
「なるほどのう。こんなものを地下に隠しておったとはな」
内部を絡繰灯で中を照らし、感心したように呟く保長。同時に彼は、背後に迫る微かな気配を感じ取っていた。その気配の殺し方は、怖ろしく訓練された熟練の忍のものだ。
その忍が地を蹴り、駆け出した。真っ直ぐこちらに迫ってくる。膨れ上がる殺気。保長は腰の忍刀に手をかけた。
激しい金属音が地下室に反響した。
保長は音もなく繰り出された相手の刀を、斬りつけられる寸前で受け止めていた。
(何ぢゃ、今のは?)
相手の斬撃が予想外の軌道を描いたことに、保長は驚いていた。その原因は相手と距離を取り、その忍の姿を目視してすぐに分かった。
襲い掛かって来た忍は、人間離れした長さの四肢を持っていた。
「面妖な忍ぢゃな。初めて見たぞ」
忍は蜘蛛のように身体を低くして刀を構え、覆面から覗く獰猛な瞳で瞬きすることもなく保長を凝視していた。
「一体、どこの忍なのぢゃ?」
「応える義理などない」
保長の問いに、忍はきっぱりと断じた。その声にはまるで抑揚がない。
「真面目ぢゃのう」
保長は顔に笑みを浮かべつつも、その目で油断なく忍の全身を見渡した。ただ四肢が長いだけでない、他にも何か得体の知れない秘密が隠されているように感じた。それが何かまでは分からない。また、先ほど斬り掛かってきた刀には、一見では分からないが毒が塗られているようであった。
「これは、簡単には帰してくれそうにないのう」
「帰す訳にはいかない。ここで死んでもらう」
忍は床の上を這うように駆けた。
長い腕を唸らせ放ったのは、保長の足を狙う一閃。それを軽く跳んで避けた保長へ、二本の手裏剣が投擲される。
保長はたった一振りで二つの手裏剣を跳ね返すことで、着地点を狙って飛び掛かって来ようとした忍の動きを牽制。無事に着地した保長は、同時に前方へと走った。咄嗟に放たれた忍の剣閃を、身を捻って躱すと、無防備の胴体を鋭い斬撃を叩き込む。
手応えは少なかった。元より予想はしていたが、装束の下に鎖帷子を着込んでいるのである。ならばと身を翻しつつ、今度は首へ斬撃を見舞う。
動脈を切断した確かな感触があった。激しい血飛沫が上がる。
(思ったほどではなかったか)
倒れ込む忍を見下ろし、息を吐く保長であったが、何かが警鐘を鳴らしていた。
地下室を後にするべく、忍に背を向ける。
忍が音もなく立ち上がったことを、保長は見ることも無く察していた。
(やはり)
保長は後ろ手に手裏剣を投げた。見事に頭部へと命中する。しかしまるで動じることなく、忍は長い腕で斬り掛かってくる。
「一体、どういう身体をしておるのぢゃ」
呆れるように言いながら、保長は剣戟を繰り広げる。忍の首からはいつの間にか出血が止まっていた。
相手の忍もかなりの腕前ではあったが、保長には及ばない。刀を弾き飛ばされ、身体に致命的な傷が刻まれる。
だが、それでも忍の動きは衰えることはなかった。戦意もまるで損なわれていない。保長は何かに気が付いたのか、刀を弾いて相手から距離を取ると、言った。
「なるほど。分かったわい、お主の正体が」
「………」
保長は顎鬚を指で擦りながら、瞳を鋭く光らせる。
「道理で、首を斬っても生きておる訳ぢゃ。……それに、どうやらお主は鷲爪組の者ではなさそうぢゃのう。この地下室にあるものと言い、何かもっと大きな陰謀が背後で蠢いておるようぢゃ」
地下室内を静寂が満たす。外の雷鳴も、どうやらここまでは届いて来ないようだ。空気はひんやりとして湿度も低く、精密な絡繰を保存するには最適な環境である。
「……そこまで知った者を、生かしておくにはいかない」
沈黙を破り、忍が唸るような声を出した。
「できるかのう。儂の推測が正しければ、完全な不死身ではあるまい」
「やってみせる』
不敵に笑う保長へ、忍はそう宣言する。
「ならば、やってみるがよい」
刀を構える保長。だがそのとき、背筋を走り抜ける悪寒で身が震えた。
いつの間にか、忍から殺気が消えている。それどころか、もはや気配、いや、生気すらも感じ取れない。
直感に任せ、保長は思いきり床を蹴った。全速力で地下室の入口へと走る。
しかし間に合わなかった。
凄まじい閃光と轟音の奔流が、保長の身体を瞬く間に呑み込んだ。
忍の体内に仕掛けられていた爆発物が一斉に炸裂し、地下室ごと吹き飛ばしたのであった。
突然の激震によろめきながらも、剣華は破壊された壁から外へと身体を乗り出した。
一体何が起こったのか、屋敷の一部が吹き飛んでいた。そこから火の手が上がり、雨だというのに瞬く間に燃え広がっていく。
落雷であろうか。だが、なぜか硝煙の臭いが鼻を突いた。
(他のみんなは無事か……?)
不本意な形ではあったが、すでに頭目の首は手に入れていた。これ以上、この屋敷に留まっている意味はない。剣華は合図の笛を鳴らすと、そのまま夜の闇へと身を投じ、予め決めていた落ち合いの場所へと向かった。
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