第10話 鷲爪組絡繰屋敷

「剣華さん! 何してるですか!」


 真鶴の怒鳴り声が剣華の耳朶を打った。

 湯殿の前の廊下。風呂に入ろうと板戸を開けようとした剣華を、真鶴がいきなり呼び止めたのである。


「何って、風呂に……」


 訝しげな顔で振り向くと、真鶴は小さな肩をいからせ近づいてくる。


「見れば分かるですよ! そうじゃなくて、問題はその子です!」


 ばっと真鶴が指差したのは、剣華に手を引かれる無表情の少女――昨晩、剣華が五年ぶりに再会した妹、かりんであった。


「かりんが、どうかしたのか?」

「どうかしたじゃないですよ! まさか一緒にお風呂に入るつもりですか!」


 詰問する真鶴に、剣華はきょとんとして、


「そうだが……何か? 昔はよく二人で入ったものだが……」

「昔は昔です! もう十五と十三ですよ! お互い大きくなっているですから、一緒に入るなんておかしいです!」

「そ、そうだろうか……」

「そうです! かりんちゃんとは、ぢるーが一緒に入るですから!」


 と真鶴が叫んだとき、いつからそこに居たのか常盤が後ろから口を挟んだ。


「真鶴、そんなに目くじら立てなくとも良いではありませんか。剣華さんは重度の妹病なのです。妹様と一緒に居なければ禁断症状を起こしてしまわれるかもしれません」

「起こさぬ! あと人を勝手に病人のように言うな」


 常盤の助勢が返って話をややこしくしてしまう。


「なんか楽しそうね。何してんの?」


 さらにそこへ珠藻が姿を現す。


「珠藻には関係ないですよ!」

「何よ、ちびるーのくせに」

「ち、ちびるー言うなです!」


  真鶴の代わりに、常盤が説明する。


「真鶴が、是非かりんさんと裸のお付き合いをしたいと言ってきかないんですよ」

「え、もしかして、真鶴はお鍋?」


 お鍋とは女性の同性愛者のことである。


「変な風に解釈するなですよ!」


 真鶴が憤ると、珠藻は悪戯っぽく笑って暴露した。


「でもさ、あんた、貸本屋からしょっちゅう衆道ものの草双紙を借りてるよね?」

「なななななっ、何でそれを知ってるですか!」

「何か面白いものないかなーと思って、部屋を漁ってみたから」

「勝手に人の部屋を物色するなですよ! と、とにかくです! かりんちゃんのお風呂は、ぢるーに任せるです!」


 真鶴がかりんの手を掴んだ。


「行くですよ!」

「ん」


 かりんはされるがまま引っ張られていく。


「真鶴だけでは心配です。念のため、わたくしも一緒に入りましょう」

「じゃあ、あたしも。あ、せっかくだし剣華ちゃんも一緒に入らない?」

「珠藻! それだと意味ないですよ!」

「えー、だって、みんなで入った方が楽しいじゃん」

「お、おれは遠慮する!」


 剣華は四人が湯殿に入って行くのを見送った。


(かりんは熱いお湯が苦手だった。ちゃんと湯加減を調整してあげてくれるだろうか……)


 そんなことを考え出すと不安で、そこで何ができると言う訳でもないが、剣華は湯殿の前から離れなかった。

 しばらくして、廊下の向こうから保長が歩いてくるのが見えた。剣華の姿を認めた保長は、品のない笑みを浮かべて、


「なんぢゃ、そんなところに突っ立って。もしかして、女子たちの風呂でも覗くつもりか? かっかっか。いいのう、儂も付き合うぞ」

「ち、違う!」

「まさか、堂々と入るつもりか。むぅ、さすが男の娘ぢゃ」

「誰が男の娘だ」

「かっかっか。冗談ぢゃよ。それより、儂と一緒にお風呂に入らぬか?」

「絶対に遠慮する」


 保長の提案から明らかに危険な香りを感じたので、剣華は即座に拒絶した。


「そうか? 遠慮せんで良いぞ、はぁはぁ」

「なぜそこで息を荒げる!」

「いやいや、儂はただ、たまには男同士で裸の付き合いをしてみるのもどうかのうと提案しとるだけでな、はぁはぁ」


 興奮したように頬を上気させ、ゆっくりと近づいてくる保長。剣華は後退りながら、


「卑猥な目で見るな! おれは男だ!」

「お、男でもな、後ろの方には穴が開いておってぢゃな、はぁはぁ」

「好い加減にせんと、貴様のひなびた一物をぶった斬るぞ?」

「ま、待て、早まるな。わ、儂はまだこれを失うとうない」


 剣華が常備していた天剣の鯉口を切ると、さすがに保長も足を止めた。


「だったら、それ以上おれに近付くな」

「むぅ、随分と嫌われたようぢゃのう。……ちなみにぢゃが、儂のはひなびてなどおらん、まだまだ現役ぢゃ。ほれ、今もこんなに」

「見せるな!」


 そうこうしていると上がり場から声が聞こえてきた。


「お、上がってきたようぢゃ。今なら、戸の隙間から」

「おい、こら」


 保長が音も無く湯殿の戸の前まで移動し、手慣れているのか、怖ろしく滑らかな動作で戸を半寸ほど開けた。その隙間を覗き込む。


「何をされていらっしゃるのですか、変態ご老人」

「うひょっ」


 保長が頓狂な声を発して仰け反った。隙間の向こうに、すでに浴衣を身に着けた常盤が立っていた。


「い、いやな、ちと若い娘たちの裸でも拝んで、英気を養おうかと」

「そうでございましたか」


 保長の言い訳に、淡々とした常盤の返事。


「もしくは、一緒にお風呂に入ってくれたりしても嬉しいのう、なんて」

「結構でございますよ」

「ひょっ、本当か?」

「はい。熱湯にしておきますから、お先に入ってお待ちになっていてください」


 常盤の瞳は氷のように冷ややかであった。


「それは死ねと同義ぢゃな。しかし、老人で出汁を取っても美味くないぞい」

「飲む訳がございません」

「酷いのう……。まぁ、冗談はそこまでにしておいてぢゃ」


 保長が急に表情を引き締めた。


「皆に伝えてくれ。大広間に集合ぢゃとな」







 四ツ半。町木戸が閉められ、夜の遅い江戸の街もそろそろ寝入りに着く頃。

 江戸の満天は雨雲で覆われていた。

 剣華は笠で雨を防ぎながら、木の陰に身を潜めていた。地上へと降り注ぐ土砂降りの雨が、さらに周囲の視界を悪くし、彼の小柄な身体を隠してくれている。

 水煙にくゆる暗闇の先に、三階建ての屋敷があった。

 そこは、ある大身旗本が郊外に所持していた抱え屋敷。そして、鷲爪組の本拠地であった。


(そろそろか)


 そう内心で呟いた時、不意に雨音に交じって百舌の鳴く声がした。突入の合図である。

 剣華は水を跳ね飛ばしながら疾駆し、塀を軽々飛び越えた。梅の木の傍に着地する。

 それぞれ別々の地点から敷地内へと侵入した剣華、一右衛門、常盤、珠藻の四人の役目は、屋敷内にいると見られる敵の頭目を見つけ、捕縛、あるいは殺害することであった。

 庭を抜けて屋敷に近付こうとしたとき、雨音に地面を駆ける足音が交じった。

 右手の土蔵の中から五人、若党、あるいは浪人風の男たちが刀を手に現れ、剣華の行く道を塞いだ。


(……事前に侵入が気付かれていたのか?)

「なんだ、ただの餓鬼じゃねぇか」


 その中の一人、がっしりとした体格の、いかにも権高そうな男がつまらなさそうに言った。


「まあいい! こいつは俺が殺る!」


 腕に覚えがあるのか、男が豪快に腕を振り上げ、真っ先に飛び掛かってくる。

 力強い斬撃が脳天に叩き込まれる前に、剣華の剣が男の刀を根元で真っ二つに叩き割っていた。返し刀で喉元を一閃。ぱっくり割れた喉から血を噴き出して、男は声すら上げずに後方に倒れ込んだ。


「かかってくる者には容赦せぬぞ」


 剣華が低い声で恫喝すると、男たちは怯んだように一度動きを止めたが、すぐに瞳に戦意を漲らせて躍り掛かってきた。

 剣華は地面を強く蹴り、男たちの真ん中目がけ飛翔した。泥を撥ね着地する。

 いきなり自陣へと飛び込まれ、男たちが僅かに狼狽えたその一瞬の隙を、剣華は見逃さない。舞い踊るように剣を振るう。

 雨に血が交じり、赤い水溜りができた。男たちはほとんど成す術も無く、骸となってその場に倒れ伏した。

 全員を殲滅させた剣華は土間から屋敷内へと潜入する。

 屋敷内はあちこちに絡繰灯が点いていて、昼間のように明るかった。


(やけに静かだ……)


 しかし、先ほど庭で斬り合ったのが嘘のように、屋敷内はしんとして外の雨音ばかりが耳に届いてくる。すでに侵入は気が付かれているはずだというのに、何とも奇妙であった。

 廊下を進みながら襖を開け放ってみるも、どの部屋ももぬけの殻である。


(何かの罠であろうか?)


 そう思考が過ったとき、剣華は鋭い予感に突き動かされた。

 瞬時に地を蹴り、襖を突き破って左の部屋へと飛び込む。その直後、先ほどまで剣華が歩いていた板床に、数十本の槍が一斉に突き刺さった。

 周囲を見渡し、はっとする。

 その部屋の出入り口は、先ほど突き破った襖のみ。他はすべて、ただの壁。そして頭上は――剣山で覆われた悪趣味な天井。

 それが唐突に落下を開始した。

 槍が突き刺さった廊下へ戻ろうとしたが、鋼鉄の襖が現れ、出口に強固な蓋をされた。

 退路を断たれた剣華は剣山を斬り飛ばし、さらには天井を円形に斬り取った。

 剣華の周囲に天井が落下する。轟音とともに屋敷が震え、土埃が舞った。

 不明瞭な視界の中に微かな人影。剣華は咄嗟に横薙ぎの一閃を放つ。

 土煙の先に人影が上下に分断されるのが見えた。だが、手応えに不可解な違和があった。肉を斬った感触ではない。

 背後から外の雨音に交じり、きりきりという雑音。


(人形かっ)


 瞬時に身を翻して切断したが、やはりそれは絡繰人形であった。真っ二つになって、能面のごとき無表情で地面に転がる。

 そのとき風を切る鋭い音を剣華は察知した。

 天剣神術第肆式――『甲羅』

 現れたすり鉢状の銀盾の陰に、剣華は瞬時に身をひそめた。矢が次々と盾に当たり、跳ね飛ばされる。

 盾を構えたまま、剣華は壁に向かって走った。壁を蹴り、跳び上がった先は、天井が落ちたことで出現した一階と二階の狭間にある空間。

 大人がぎりぎり立ち上がれるほどの高さで、そこに数人の男たちがいた。腰に差した大小は抜かず、矢を板ばねの力で発射する絡繰弓を手にしている。

 剣華は天剣を直刀へ戻すと、すぐ横の男の胸を突いた。即死した男の身体を盾に、飛んできた矢をやり過ごし、二人目の男を斬り伏せる。

 男たちは弓を捨てると、刀を抜いて一斉に襲い掛かってきた。だが、まるで舞い踊るように剣を振りながら動き回る剣華を、誰一人として捕え切れない。

 血の雨が次々と降り、やがてその場にいた男たちはすべて骸となった。

 剣華はそのまま狭間の空間を進んでいく。やがて二階へ抜けると思しき穴が頭上に現れた。

 二階へと躍り出る。


「かかれぇっ!」


 響き渡る怒声。待ち構えられていた。

 全部で十五人ほど。一人ずつ斬り倒していくには少々数が多い。それに完全に囲まれてしまっている。

 神術を発動、天剣が光る。

 天剣神術第参式――『変幻』

 参式ノ極技――『蜷局とぐろ

 剣先が竜巻のごとく旋回する。頭が、首が、胸が、腹が、足が斬り裂かれ、剣華を取り囲んでいた男たちは盛大に血を吹き出しながら床に倒れ込んだ。

 死屍累々の中心で一息ついたのも束の間、四方の襖が開き、さらに大勢の男たちが現れた。

 剣華は溜息を付く。


「息つく暇がないな」







「ったく、息つく暇がねぇぜ」

 一右衛門は銃弾を正確に敵の急所に撃ち込みながら、苛立ち交じりの溜息を吐き出した。

 屋敷内に侵入した一右衛門は、迷路のごとく入り組んだ廊下に迷い込んでいた。

 前方の壁から飛び出してきた男の胸に銃弾を撃ち込み、さらに背後から迫って来た男二人を連射で仕留めると、今度は銃口を頭上に向けた。発砲と同時に、男が天井から悲鳴を上げて落ちてきて、地面へと叩きつけられる。

 間髪入れず今度は両側から挟み込むように、刀を手にした男二人が襲い掛かってきた。すでに銃口をその内の一人に向けていた一右衛門は即座に発砲し、射殺。続いてすぐ目の前で刀を振り上げた相手にも動じず、正確に眉間を撃ち抜いた。

 絡繰拳銃『灰身滅智けしんめっち

 曼荼羅を銃身に刻んだ浅井月影作のこの銃は、一右衛門の人間離れした早撃ちに耐え得るだけの強度を有する数少ない銃でもあった。

 この廊下は、銃を武器とする者にとっては明らかに不利な戦場である。身を隠して接近してこられ、いきなり刀で斬り掛かられると対処が難しい。

 だが、一右衛門はそのような不利などものともしていなかった。

 一右衛門の五感は、忍ですら息を巻くほどの鋭さを誇っていた。

 達人の一刀すら止まって見えるほどの視覚。

 壁数枚隔てた先の呼吸音すら鮮明に聴き取れる聴覚。

 狼にも匹敵する嗅覚。

 この場においては聴覚によって、敵が潜む場所を完全に把握していた。その気になれば、目を瞑っていたとしても正確に相手の急所を撃ち抜くことができるであろう。


(……向こうの方から、畳のにおいが漂ってくんな)


 雨と汗と血のにおいに混じった、常人では決して嗅ぎ取れないであろう微かな稲藁のにおい。一右衛門はそれを頼りに、迷路状の廊下を進んでいく。

 途中、幾度かの襲撃を返り討ちにして、畳みの部屋へと辿り着いた。五十畳はあろうかという広い部屋であった。

 部屋の反対側に、どこかで見たことのある人物が立っていた。


「いらっしゃい。お久しぶりね」


 女装の青年。鷲爪組四天王の一人〝季武〟こと桜坂二郎であった。


「あん、誰だてめぇ?」


 惚ける一右衛門に、二郎は流し目を送って、


「あら、い・じ・わ・るぅ。本当は、しっかり覚えていたくせに」

「……けっ、確かに、そのひでぇ顔、忘れたくても忘れねぇよ」

「酷いわねぇ。だけど、あたし好みの人からだったら、そういう風に邪険にされるの、結構、好きだったり。何だかぁ、興奮しちゃうのよねぇ」


 言いながら、二郎が着物の襟に手を入れる。


「だけど、そんなことよりずっとずっと興奮するのが――」


 ぱんっ、と乾いた音が鳴った。

 二郎が撃った銃弾が一右衛門の頬を掠めていた。背後の壁には穴が穿たれている。


「――こ・ろ・し。あははははっ」

「ふん。今ので殺っとかなかったこと、後悔するかもしれねぇぜ?」

「あら、そんな野暮なことする訳ないでしょ? 今ので終わらせていたら、せっかくこうして誘き寄せた意味がないもの」


 二郎は余裕の笑みを浮かべ、懐から大判を取り出した。それも目減りした元禄大判金ではなく、品位の高い慶長大判金であった。


「へぇ、なかなか景気が良いじゃねぇか。そいつで命乞いってか?」

「馬鹿なこと言わないで欲しいわ。これを投げるから、畳に落ちた瞬間を合図にしようってこと。けちな貨幣じゃ箔がつかないでしょ?」

「なるほどな。良いだろう。いつでも投げやがれ」

「……ああ、本当に素敵よ、その自信満々さ。でも、そういう相手を撃ち殺すのが、さいっこうに楽しいのよねぇ!」


 二郎が指で大判を弾いた。

 回転しながら高く舞い上がったそれは、天井まで三寸ほどのところで上昇を止めた。続いて、真っ逆さまに落ちていく。

 一右衛門は覇気の感じられない姿勢で立ち、左手を懐に突っ込みながら、銃を持った右手をだらりと垂らしている。

 やがて大判が畳から五寸ほどの距離へと迫ったとき――

 まだ畳に落ちる前に、二郎が唐突に引き金を引いた。

 銃声が鳴り響き、放たれた銃弾が真っ直ぐ一右衛門の額へと飛ぶ。


「あはははっ、馬鹿ねぇっ! あたしがそんなに真面目だとでも思ったのっ?」

「馬鹿? 俺が馬鹿なら、お前は馬糞だ」


 一右衛門の右手が消える。

 否、消えたようにしか見えないほどの速度で動いた。

『灰身滅智』が火を噴く。

 弾道は斜め上方へと真っ直ぐ伸びる。それは、二郎が撃った銃弾の弾道と、寸分の狂いもなく交差しており――

 銃弾が銃弾を弾き飛ばした。


「けっ。いちいち勿体ぶったことしやがって」


 一右衛門が銃を揺らしながら不敵に笑った。


「う、嘘っ! じゅ、銃弾を撃ち落としたですって!? そ、そんなこと、人間にできる訳がないわ!」


 二郎は驚愕に目を白黒させ、目の前で起こった出来事を必死に否定する。


「できる訳ねぇ? おいおい、今、やってみせたじゃねぇかよ」

「ま、まぐれよ! そうよ、まぐれに決まってるわ!」


 二郎は銃口を一右衛門に向け、再び発砲した。


「何度でも見せてやらぁ」


 一右衛門は軽い口調で言って、発砲。またしても寸分違わずに銃弾を銃弾で弾く。二郎は唇を震わせて後退りする。


「ば、ば、化け物っ……」

「おいおい、さっきまでの威勢はどうしたよ」


 二郎は我を忘れて銃を連射するが、いずれも途中で強引に進路を変えられ、あらぬ方向に着弾した。


「こ、こんな……」


 追い込まれ、愕然と呟く二郎であったが、同時に胸の内で秘かにほくそ笑んでいた。

 一右衛門の頭上、音もなく天井板が反転する。

 降って来たのは、白刃を煌めかせた剣客であった。それに気付いた一右衛門は咄嗟に銃口を上に向けた。


「あははははっ! 油断したわねぇ!」


 二郎は哄笑を響かせ、残り三発の弾丸を狙い澄まして残らず撃ち放つ。


「甘ぇよ」


 一右衛門が懐に入れていた左手を出した。


「え?」


 二郎が唖然とする。一右衛門の左手には、もう一つの絡繰拳銃――『身心都滅しんしんとめつ』が握られていた。

 右の『灰身滅智』で剣客の眉間を撃ち抜き、左の『身心都滅』で二郎が放った三発をいとも簡単に弾き飛ばす。すべて二郎の足元の畳に着弾した。


「お、言ってなかったけな? 俺、実は二丁流なんだ」


 おどけた口調で告げる一右衛門。


「な、何よ……こ、こんな……こんな……」


 もはや二郎は戦意を喪失していた。膝をつき、額を畳に擦りつける。


「い、命だけは助けてっ! お、お願いよ! あ、あたしの身体なら、あなたの好きにして良いから!」

「誰がお前の身体なんか好きにするかよ」


 一右衛門は不快そうに顔をしかめ、


「じゃあ、一つ聞きたいことがあるからよ、それに正直に応えてくれりゃ、考えてやってもいいぜ」

「ほ、本当っ? あたしが知ってることなら、何だって答えるわ!」


 二郎は平伏したまま歓喜した。


「聞きたいことってのは他でもない、その絡繰拳銃のことだ。そいつは浅井月影が作ったもんだろう」

「……そ、そう聞いているわ。この絡繰拳銃――『涅槃寂静ねはんじゃくじょう』は浅井月影が作った銃だってね」

「だが、それはおかしいんだよ。浅井月影が作った絡繰拳銃は二つしかねぇはずなんだ」

「……え?」

「つまり、月影作のものは、『灰身滅智』と『身心都滅』、すなわち、俺が持ってる二丁だけってことになる。……お前、一体それをどこで手に入れた? いや、この組の背後に、何がいる?」

「……そ、それは」


 二郎の表情が曇り、明らかに言い淀んだ。

 一右衛門は彼の眉間へ『灰身滅智』の銃口を向ける。


「わ、分かっているわ。だから、命だけは……」

「ならとっとと教えやがれ」

「じ、実は――うっ」


 急に小さな苦鳴を漏らしたかと思うと、二郎が体をくねらせ、悶え始めた。


「おい、どうしたっ?」

「ぐ、あ、ぁ……」


 呻き声を上げ、唇から涎の糸を引く。手足が痙攣し、眼球が飛び出すほど大きく目を見開いている。顔は血の気が引いて蒼白になっていた。

 一右衛門が傍に駆け寄ると、背筋に細い針が刺さっていた。


「……毒か」


 ものの数十秒ほど苦しんだ後、二郎は醜い形相で絶命した。吐瀉物のすえた臭いが漂い、一右衛門は顔をしかめた。


「裏に何かあるらしいのは、どうやら間違いねぇようだな」

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