第8話 鷲爪組歓迎

 料理屋に来ておよそ四半刻。外はすでに陽が落ちかけ、仄暗くなっていた。

 剣華のために開かれたらしい席は、盛り上がりを見せていた。


「だから俺はじじいと酒を飲むのは嫌いなんだよ。すぐ黴の生えたような話ばかりしやがる。んな昔の話なんざ、最近の奴らにとっちゃ、どうでも良いんだよ。とっとと地獄に行って、閻魔にでも聞かせてやれってんだ」

「お主こそ、とっととくたばった方がよかろう。すでに酒の飲み過ぎで肝臓がいかれておろうがのう。そもそもぢゃ、お主のような懐古の情を解せず、酒を水としか思うとらん奴には酒を飲む資格なんぞない。鼻糞でも肴にして尿でも飲んでおるのがちょうど良い。上酒なんぞ、もってのほかぢゃ」

「じじいこそ、自分のしまりの悪りぃ尿でも飲んでやがれ」

「かっかっか、お主のどぶ臭い尿よりはよほど飲みやすいわい」

「俺の尿は酒の匂いしかしねぇ」

「ならば、その尿を飲んでおれば、永久に酒を飲み続けられようぞ」

「はっ、ならじじいにも飲ませてやらぁ」

「馬鹿を言え、誰がおっさんの尿など飲むか」

「俺はまだおっさんじゃねぇ」

「お、そうぢゃったかのう? 確か、三十五であったと記憶しておったが」

「二十六だ!」

「二十六? 見えぬなぁ。可愛そうに、どうやら酔いのあまり己の本当の年すら忘れてしもうたようぢゃのう」

「あんだと」

「お二人とも」


 険のある常盤の声が、保長と一右衛門の童にも劣る口喧嘩の間に割り込んだ。


「せっかくの御料理を前に、あまり品位のないお話ばかりされていると――」


 常盤が妖刀・鬼切丸の鯉口を一寸ほど切った。瞳に明らかな狂気が宿る。


「――二人まとめて、喉を斬り裂いてやる」


 保長と一右衛門の顔色がさっと変わった。


「こ、この刺身、ほ、本当に美味しいのう」「そ、そうだな。う、美味い美味い」


 常盤は刀を戻すと、


「分かっていただければ、よろしいのでございます」


 元の表情に戻ってそう言った。

 一方、その反対側では――


「剣華さん違うです! 鯛とひらめはわさび醤油で食べるですよ!」


 そんなことを叫び、真鶴が剣華の醤油に大量のわさびを混入させていた。

 剣華は言われるまま、鯛の切り身にその醤油を漬けて口に運ぶ。


「っ~!?」


 鼻が取れるかと思うほど、つんと強烈な刺激が鼻の奥の奥を襲った。


「げほっげほっ……な、何だこれはっ?」

「どうです! わさび醤油、美味しいですね!」

「相変わらず真鶴は阿呆ね。そんなに大量のわさびを入れて、美味しい訳ないでしょうが」


 嬉々として断言する真鶴に、呆れ顔で言う珠藻。真鶴は反論する。


「そんなことないですよ! 万人受けする味です!」

「万人受け? あんた、自分の感覚が普通の人と大きくずれていることを、もうちょっと自覚すべきね」

「そ、そんなことないです!」

「そんなことあるわよ。そもそも、その小さな身体で、自分は十五歳だなんて言い張っている時点でおかしいから」

「それは絶対に間違ってないですよ!」


 真鶴が強く否定すると、珠藻は嘲笑するように言った。


「だとしたらさ、その胸、本当に残念よねぇ。あたしのを少し分けてあげたいくらい。さすがにこれだけあると、ちょっと重いのよねー」

「み、見せびらかすように揺らすなです! ぢるーの場合、背も胸もこれから大きくなるです!」

「いやー、無理でしょ」

「無理じゃないですよ! ばばぁの珠藻と違うです! 成長が止まってる訳じゃないです!」

「ばっ……」

「ぢるー知ってるです! 珠藻の本当の年はふがっ!」

「ま~づ~る~、あんた、その先を口にしたら、てんぷらにして食べるわよぉぉぉ~?」

「い、痛いです!」

「つっ! あ、あんたこそっ、指を噛まないでよ!」


 険悪に睨み合う真鶴と珠藻。その間に挟まれている剣華は慌てて、


「ちょ、ちょっと待て! こんなところで喧嘩するな!」

「そうよ、真鶴。お酒も飲めない子供は、早く家に帰って大人しくおねんねしてなさいよ」

「何言ってるです! ぢるーもお酒くらい飲めるです!」

「本当に? ちびるーなのにお酒飲めるの?」

「ちびるー言うなですよ! 見るです!」


 珠藻に挑発された真鶴は盃に脈々と酒を注いで、一気にあおる。一瞬にして顔が真っ赤に染まった。


「う、うぃぃぃ~。ど、どうれす! ぢるーらって、おひゃけくりゃいもめりゅ、あ、ありぇ?」


 怪しい呂律でふらふらし、真鶴はこてんと畳にひっくり返った。


「ありぇ? にゃ、にゃんかおかしいれふぅねぇ。あひゃ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」

「やっぱだめじゃん」


 狂ったように笑い出した真鶴を見下ろし、してやったりと珠藻が微笑む。やがて真鶴の笑いが止まったかと思うと、鼾をかいて寝入っていた。


「はっはっは。どうや剣華。うちの者たちはみんな仲が良いやろ。本当は他にもおるんやがの、今は遠方に出ておるのや」

「は、はぁ……」


 御頭に自信満々に言われ、曖昧に頷く剣華。


(これのどこが仲が良いのだ……?)


 そして、内心で思いきり呆れるのであった。


「ちょっと、何ですかあなたたちは」

「退いてやがれ! 殺すぞ!」


 庭の方から言い争う声が聞こえてきた。

 複数の乱暴な足音を鳴らし、中庭へと踏み込んできたのは十数人の男たち。いや、もっと多いだろう。続々と入って来る。

 少しばかり遅れて、怖ろしく長い刀を手にした異装の青年侍が姿を現した。


「久しぶりだな、餓鬼。あのときの借りを返しに来てやったぜ」


 竜兵衛であった。剣華は立ち上がり、ぶっきら棒に言い返す。


「ご丁寧なことだな。ならば、さらに借りを作ってやろう」

「けっ、相変わらずの自信家じゃねぇか。おい、野郎ども! 女子供も構いやしねぇ! 刃向う奴ぁ、全員、ぶっ殺しちまえ!」


 竜兵衛の怒号に、男たちは鬨の声を上げた。


「ははは、これは、なかなか壮観やのう」


 御頭は酒の盃を手にしたまま、暢気に笑って告げた。


「斬り掛かってくる者に対しては、遠慮なくやり返して構わん」


 先頭の男四人が先駆けて縁側を飛び越え、白刃を煌めかせながら座敷へと侵入してきた。真っ先に動いていた剣華と常盤が、二人ずつ瞬時に斬り捨てる。そのまま二股に別れ、庭へと躍り出た。

 地面に着地すると同時、剣華は飛び掛かって来た男の剣閃を見切って軽く回避。無防備な喉首へ、斬撃を瞬息の動作で叩き込んだ。頸動脈から血を吹き出しながら仰向けに倒れ込んだ男の顔を踏みつけ、別の男が斬り掛かってくる。横薙ぎの鋭い一刀を剣で受け止めるや否や、獣の速さで男の脇を駆け抜け、腹を斬り裂いた。そのまま次の男へと特攻、下段からの斬り上げで胸から上を物の見事に切断する。池に落ち、血と水の飛沫が盛大に上がった。

 そこへ蛇蝎のごとく下から這い寄って来た鋭利な刃物に気付き、剣華は咄嗟に身を翻して横へと跳ぶ。袴の裾が三寸ほど引き裂き咲かれた。


「てめえの相手は、この俺だ!」


 竜兵衛が咆える。


「良いだろう。おれに二度も挑んできたこと、あの世で後悔しろ」


 剣華は吐き捨てるように言い、竜兵衛と対峙した。

 竜兵衛がその刀――絡繰殺人刀『蛇腹刀』を巧みに操った。やはり自在な動きで宙を奔り、剣華へと迫る。


「貴様ごときに使うのは、少々勿体ないが、致し方あるまい」


 そう小さく呟き、剣華は天剣を煌めかせた。

 天剣神術第参式――『変幻』


「な、なにっ?」


 竜兵衛の驚愕は当然のことであった。それまで自在に動き伸びる刀は、己だけの専売特許であると考えていた。それが、目の前の男がまったく同じことをしてしまったのである。


「て、てめぇっ、なぜ俺と同じ刀をっ!?」


 否、同じではない。

『蛇腹刀』は使い手がその手首に微妙な変化を付けることによって自在な動きを実現しているため、当然、自在と言えど制限が付く。しかし、参式『変幻』は、使い手の意識に呼応して動く。すなわちその動きは、無制限。

 参式ノ極技――『巻蛇(まきへび)』

 天剣は『蛇腹刀』の動きを完全に捉えて飛び掛かると、蔦のように巻き付いてその動きを完全に奪った。


「ば、馬鹿なっ、こ、こんなことっ、で、できるはずがっ……」


 蛇を呑み込む大蛇と化した天剣は、螺旋を描きながらさらに伸びていく。『蛇腹刀』と異なり、参式『変幻』が到達する長さに、原則制限はない。


「ひっ、や、やめろっ! やめてくれぇぇぇっ!」


 すぐに天剣の剣先は『蛇腹刀』の柄まで到達、そのまま慌てふためく竜兵衛の腕に、胴に、足に、首に、顔に絡みつき――絞め殺す。

 全身を容赦なく切断された竜兵衛は、断末魔の叫びすら上げることなく絶命した。





 座敷の方でも戦いは繰り広げられていた。

 酔って寝ていた真鶴も、いつの間にか立ち上がっている。


「子供は寝てて良いけど?」

「う、うるさいです!」


 珠藻のからかいに足を踏み鳴らして怒る真鶴の頭上へ、座敷へと踏み込んできていた男が刀を振り降ろす。

 しかし驚くべきことに、真鶴はそれを掌で受け止めた。そのまま一気に男の懐へ飛び込むと、腹に掌底を放つ。

 大の男が軽々吹き飛んだ。縁側を越え、中庭の池すらも越え、塀に激突する。内臓が破壊されたのか、男は吐血して事切れた。

 琉球武術――『てぃー

 大陸より伝来した武術と、琉球古来より伝わる武術を融合させて創り上げたとされている。その奥義は〝気〟の制御。体内を流れる〝気〟を自在に操ることで、使い手は己の身体を鋼のような強度にまで高めることが可能であった。


「痛い? ね、どれくらい痛い?」


 真鶴のすぐ横。珠藻が顔に微笑を浮かべ、右手一本で体格の良い男を軽々と持ち上げ、喉元をきつく締め上げていた。


「ぐ、うぐ……」


 男は目を剥き、口から涎を垂らしながら苦痛に顔を歪めている。


「苦しい? でも、もうちょっとくらいなら我慢できるでしょ? え、もう無理? そんなこと言わずにさ。え、頼むから早く殺してくれ? ……しょうがないわね。じゃあ、終わりにしちゃう」


 そう言って珠藻は口元を歪め、鋭利な牙を覗かせた。次の瞬間、ごうっ、と音を立てて男の全身が花火のごとく華々しく燃え上がった。

 炎の中で絶叫を上げたのも束の間、男の身体が一瞬にして炭と化す。


「たまやー」

「相変わらず、珠藻は酷い殺し方するです!」

「そう? でも苦しんでいる姿を見るの、結構好きなのよね」

「鬼ですか!」

「あんな醜い奴らと一緒にしないでよ」


 庭の方で一際大きなざわめきが起こった。


「りゅ、竜兵衛さんが殺られたっ……」

「こ、こいつらっ、ば、化け物ばかりだ!」

「に、逃げろ!」


 まだ残っていた数人の男たちが完全に戦意を失い、一目散に逃げ出してしまう。


「待つですよ!」

「追わんでええ」


 後を追いかけようとした真鶴を御頭が制す。それから彼は、いつの間にか塀の上に立っていた黒い人影を見ながら言った。


「後は、保長の役目やからのう」






 夜闇に紛れながら、保長は逃げた男の一人を追っていた。姿勢を低め、右半身の蟹走りで路地から路地へと駆け抜けて身を隠す。いつの間にか姿は若い飛脚に変じている。

 男は追っ手が来ていないと踏んだのか、浅草寺を北へ過ぎた辺りから早歩きとなっていた。やがて両側町へと至り、狭い路地を進む。


(ここに奴らの隠れ家があるのか? それとも、一時的に身を隠すだけか……)


 保長が推測していると、不意に男が立ち止まった。何度か周囲を確認し、誰もいないのを見計らって、ある店へと入っていく。

 長屋に挟まれるように建つ、古びた小さな居酒屋であった。

 保長はしばらく経ってから、何食わぬ顔で縄暖簾をくぐった。

 狭い店内であった。土間の上に長い腰掛や酒樽が雑然と置かれ、町人たちがまばらに陣取って思い思いに酒をあおっている。白髪頭の店主が衝立の向こうから顔を出したので、保長は安酒を頼んだ。

 端の腰掛けに座り、酒を飲むふりをして店内を見渡す。そこで保長は奇妙なことに気付いた。

 先ほどの男がいないのである。

 保長は長年の訓練で、たとえ顔を見ずとも、体格や動きの癖によって人を判別することが可能であった。店の中にいる数人ほどの男たちは、明らかに後を追ってきた男ではない。

 保長は視線を店主へと向けるが、再び衝立の向こうに隠れてしまって、様子が伺えない。

 店の奥へと目線を移動させる。ただ行き止まりの壁があるだけである。


(なるほどのう)


 安酒を何杯か飲み干した後、保長は店を出た。左右を目視し、耳をそばだてて十分に注意を払ってから、跳んだ。

 店の屋根の上に猫のような身軽さで着地した保長は、そのまま屋根伝いに奥へと進む。やがて端まで辿り着くと、下を見下ろしながら満足げに呟いた。


「思った通りぢゃったか」


 四方を長屋の壁に囲まれた密空間。そこに、誰が使うとも分からない井戸があった。

 井戸の前に飛び降りる。背後が居酒屋の背に当たる壁である。恐らく回転扉などの仕掛けが施されてあるのだろう。なかなかに手が込んでいる。

 井戸の中を覗きこむと、半分ほど埋め立てられていた。そして、横道が掘られている。


「さて、どこに通じておるのかのう」


 保長は慎重に周囲の気配を探りながら、井戸の中へと飛び込んだ。






 剣華たちは外濠に沿う土手を、番町の屋敷に向かって歩いていた。

 御頭は料理屋での後始末のために残り、保長はいつの間にか姿を消し、一右衛門はまた吉原に行くというので日本橋で別れた。そのため、今いるのは剣華のほか、常盤、珠藻、真鶴の四人だけである。


「剣華さん、今日は色々と失礼いたしました。せっかくの歓迎会にも関わらず、あのような騒ぎになってしまいまして」

「いや、別に、お主のせいではない」


 料理屋での一件に関して詫びてくる常盤に、剣華はむしろ自省の念を覚えながら言った。


「そもそも、あれはおれが広小路で起こした一悶着のせいだ」

「いえ、それだけではなく、色々と見苦しいものをお見せしいたしました」

「ほんっと、あの二人のやり取りは見苦しいわよね」

「見苦しいです!」


 と、自分のことを棚に上げて保長と一右衛門のことを非難する珠藻と真鶴。剣華は思わず小声で呟いた。


「……お主らは人のことなど言えぬだろう」


 やがて一行は九段坂の麓へと差し掛かった。長く傾斜の強い坂を上って行く。


「あれ?」


 ふと珠藻が立ち止まる。

 道の端のちょっとした草むらに、小さな人影が佇んでいた。

 十歳ほどの女童であった。すでに夜五ツを過ぎている。迷子であろうか。


「大丈夫? お父さんとお母さんは?」

「どこから来たですか!」


 珠藻や真鶴が声を掛けるが、女童は頷きもしない。


「この辺りの子かもしれません。近くの自身番屋に聞いてまいります」


 常盤が言う。付近は武家屋敷が多いが、少し行けば町屋敷が集まる一帯があった。しかし常盤が駆け出そうとしたとき、


「かりん……?」


 呟いたのは剣華であった。目を見開き、唇を震わせながら、ゆっくり女童へと近づいて行く。

 やがて一間ほどの距離へ迫ったところで、剣華はもう一度震える声で呟いた。


「か、かりん……な、なぜ……?」

「知ってるですか!」


 真鶴が問う。しかし彼女の大きな声すらも、今の剣華の耳には届かなかった。

無理もない。

 女童は五年前に死んだはずの妹であった。

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