第5話 旗本奴悶着

 浅井月影は今より五十年以上も昔、四代将軍家綱の頃に活躍した絡繰技師である。

 鬼才、狂人、化物――大よそそういったものが、彼を評する上で最も好まれた表現であった。

 その理由は、彼が生み出した数々の絡繰が現在の絡繰技師でさえ理解できぬほど複雑精妙であったのと同時に、人道を無視した狂気的な代物であったからである。


「彼の絡繰遺産は今でも秘かに売り買いされ、危険な人に渡ったりしてるですよ! 時々、そのせいで悲惨な事件も起こっているです!」

「なるほど。それであの反応か」


 剣華は納得して頷く。月影の名が出た途端、周囲から忌み物でも見るかのような視線を受けたのであった。


「そうです! 今後は気を付けるですよ!」

「それはむしろ、お主の方だと思うのだが……」


 当然のごとく諫めてくる真鶴に、剣華は脱力してしまう。


「こいつには何を言っても意味ねぇよ。それより、腹が減ったぜ」

「茶店で腹ごしらえするですよ!」


 時刻は昼八ツ(二時)。剣華たちは一右衛門と合流していた。

 大川に沿って沢山並ぶ茶店は縁台が置かれただけのものから、簡素な屋根があるもの、しっかりとした店構えのものなど、多様であった。それでも書き入れ時のため、どの店も客で溢れている。団子の幟を掲げた茶店から、ちょうど数人連れの客が満足げに出て行くのが見えたため、三人はそこに決めた。

 店内の腰掛けに座ると、すぐにお盆に湯呑みを乗せ、茶くみ娘がやって来た。年は十と少し、中々に可愛らしい子であった。


「いらっしゃいませ」


 忙しそうに立ち回りながらも、まるで疲れた様子は見せず、娘は柔らかに微笑む。

一右衛門がぶっきら棒に言った。


「酒くれ」


 娘の笑顔が見る間に陰った。そして、申し訳なさげに、


「す、すいません、うちには置いてないんです」

「何だ、酒もねぇのかふげっ」

「お酒は要らないですよ! 団子を十皿ほしいです!」


 酔っ払いの口を暴力的に塞ぎ、真鶴が代わりに注文する。


「あ、はい。団子を……えっと、十皿?」


 娘は驚いたように目を丸めた。


「はいです!」


 恐らく食べきれるかどうか心配であったのだろう。少々不安そうにしながらも、娘は店の奥へと消えていく。

 しばらくして、娘がお盆に大量のお皿を乗せて戻ってきた。ひと皿には、紀州梅ほどもある大きな団子が五つ刺さった串が三本。一度にすべて運ぶことができず、娘は何度か往復した。


「いただくです!」


 真鶴が元気よく食べ始める。瞬く間に一本食べきると、口の中を団子で膨らませたまますぐに次の一本に至る。


「おいひいえふ!(美味しいです!)」

「ったく、これだから餓鬼は。もっとゆっくり食え」


 呆れる一右衛門の横で、剣華も一本を食べ終え、すでに二本目に手を伸ばしていた。甘味のあるたれが付いていて確かに美味しい。


「ふむ、たひかに、ふまひな(うむ、確かに、美味いな)」

「お前もか……」


 十皿もあった団子がすべて無くなるまで、大した時間はかからなかった。

 剣華が煎茶を喉に流し込みながら一息ついたとき、店の入り口の方で何かが落ちる音と小さな悲鳴が聞こえ、続いて怒号が耳朶を打った。


「てめぇ何しやがる!」


 振り返ると、数人の手下を連れた十八、九の青年侍が目を吊り上げ立ち上がっていた。


(何だ、こいつは……?)


 総髪を天に向かっておっ立て、光沢のある天鵞絨の襟が付いた着物を纏い、腰には呆れるほど長い刀を差している。まるで妖怪が現れたかと錯覚するほどに、青年侍は異様な身なりであった。

 そのすぐ目の前で、先ほどの茶くみ娘が肩を縮め、頭を下げている。足元には割れた湯呑み。侍の着物の裾が濡れているところを見ると、どうやら誤って湯呑みを落とし、運悪く侍に中の茶を引っ掛けてしまったらしい。


「本当に、すいません」

「すいませんじゃねぇ。これ、どうしてくれんだ、あぁ?」


 娘は必死に謝罪しているが、自慢の着物に茶を掛けられたことがよほど気に入らなかったのか、侍の怒りはまるで収まらない。


「ありゃあ、旗本奴だな」


 剣華の横で一右衛門が小さく言った。

 派手な格好をして無頼を働く、旗本の青年武士やその奉公人たちのことを旗本奴と呼んだ。度重なる幕府の捕縛や処刑の甲斐あって、かつてに比べ勢いは衰えてきてはいるものの、未だに不治の病のように江戸の街に巣くっていた。町人をいわれのない理由で脅し、金をせびることなど、彼らにとっては日常茶飯事であった。

 客たちが関わり合いを持つまいと素知らぬ顔をしていると、侍の手下の一人がまるで見世物の口上のような大声で言った。


「嬢ちゃん、この方を誰やと思っとるんや? 今を時めく鷲爪組、その四天王の一人〝貞光〟こと、加鳥竜兵衛様やぞ」


 鷲爪組と聞いて、客たちの顔が一斉に強張った。中には慌てて店を出る者もいるほどである。どうやら悪名高い連中らしい。


「こんな家畜小屋みたいな店、この方にかかりゃ、すぐ店じまいや。この意味、分かるな?」


 今にも泣き出しそうな青い顔をして、娘は震えながら頷く。そんな彼女に、手下は下卑た笑みを浮かべて続けた。


「けどなぁ……おめぇさんは、なかなかに可愛い顔しとるからなぁ、ま、少々、わしらの言う事聞いてくれさえすりゃ、この店もまぁ、今まで通りに商売繁盛や」


 そこで手下の視線が、店の奥で怯えていた店主と思しき気弱そうな老人へと向く。


「どうや、あんたも娘一人のために大事な店、潰しとうないやろ?」

「す、好きにしてくだせぇ……」


 店主が掠れた声で同意した。

 その途端、娘がついに泣き出してしまう。自分の味方は誰もいない。その恐怖と悲しみから、小さな肩を震わせて嗚咽を漏らす。


「くそ! 何だあいつらは!」

「剣華さん、だめですよ! ぢるーたちはあくまで隠密、武士とこんなところで騒ぎを起こしちゃいけないです!」


 怒りに目尻を吊り上げ、今にも飛び出しそうな剣華を真鶴が大き過ぎる小声で嗜めた。しかし、剣華には見て見ぬ振りすることなどできなかった。


「ま、良いんじゃねぇか。ちゃんと殺さないよう、手加減すりゃあよ」


 どうでも良さそうにしならがも、なぜか一右衛門が後押した。剣華はそれを聞き終わる前に、もう地面を蹴っている。


「うごっ?」


 野を駆ける猪のような速さで走り、跳ぶと、竜兵衛という名らしい異装の青年侍を容赦なく蹴り飛ばした。異風の着物をはためかせ、竜兵衛が宙を舞う。店から五間ほども離れた場所に、彼は頭から地面に激突した。


「な、何だてめぇ!」


 手下たちが一斉に声を荒げる。しかし剣華は彼らを無視し、娘に声をかけた。


「お主は奥に入っていろ」


 剣華はいきり立つ手下たちにはやはり目もくれず、彼らの間を縫って店を出ると、せっかくの頭髪と着物を砂にまみれさせて地面に転がる竜兵衛へと近付いていった。


「あ、あのっ、危ないですっ」


 慌てて娘が呼び止めようとしたが、剣華は聞く耳持たない。


「このちび餓鬼、こんなことをして、ただじゃすまねさねぇぞっ……」


 竜兵衛は怒りと屈辱で奥歯をきつく噛みしめながら立ち上がり、刀の柄に手をかけた。


「あ、兄貴っ、昼間からこんな場所で刃傷沙汰はさすがにっ……」

「うるせぇ! こんな仕打ちを受けて黙ってりゃ、それこそ鷲爪組の名に傷がつくだろうがぁ!」


 慌てて口を挟んできた手下を一蹴し、竜兵衛は刀を抜いた。

 それは刀身がゆうに七尺を越していた。大の大人より頭一つ背の高い竜兵衛ではあるが、それでも容易に扱えるとは思えぬ長さである。

 道行く人々が何事かと立ち止まり、瞬く間に野次馬が増える。


「この加鳥竜兵衛様を蹴り飛ばしたこと、後悔させてやらぁ」


 竜兵衛は長い刀を手に、腕に自信があるのか、はたまた大した相手ではないと高をくくっているのか、無造作に剣華へと近づいて行く。

 やがてその広い間合い内に相手を収めると、風切音を響かせ大上段に振り降ろした。さすがに殺す訳にはいかないと思ったか、狙いは剣華の右手首。しかし、空を切る。

 剣華は斬撃を避けるどころか、懐へと飛び込んでいた。驚き目を見開く竜兵衛の顎めがけ、拳を突き上げる。

 鈍い音がして、竜兵衛は再び宙を舞う。背中から地面に激突し、ぐっ、と喉が鳴る。


「貴様ごとき、剣を抜くまでもない」

「こ、この餓鬼がぁっ!」


 竜兵衛は怒り狂い、刀を振り回す。しかし、剣華は素早い体捌きで、相手の得物の長さなど意に介さず、華麗に回避してみせた。様子を見ていた野次馬から歓声すら上がった。

 竜兵衛は少々息を荒げ、不意に攻撃を止めた。そして不敵に笑う。


「なるほど、多少はできるようだな」

「貴様の目は節穴か? 多少どころか、貴様との力の差は歴然だろう」

「はっ、てめえの目こそ、どうやら節穴のようだなっ」


 竜兵衛はそう吐き捨てると、刀を横に薙いだ。その瞬間、予期せぬことが起こる。


「っ!」


 咄嗟に跳び下がった剣華の胸元を、刀の剣尖が掠める。着物の襟が真一文字に切れ、はらりと風に捲れた。


「……刀が、伸びただと?」


 驚く剣華へ、竜兵衛は勝ち誇った表情で告げる。


「はははっ、こいつぁ、ただの刀じゃねぇ。浅井月影作の絡繰遺産が一つ――絡繰殺人刀『蛇腹刀』。俺様の最凶の相棒よぉ!」


 竜兵衛が哄笑とともに刀を振り回すと、元より長い刀身が伸び、さらには鞭状となって剣華に襲い掛かる。


「くっ」

「無駄だぜぇ!」


 半身で回避した剣華へ、巻きつくように殺人刀が動いた。剣華は堪らず天剣を鞘から抜くと、刃の先端を斬撃で弾き返す。


「どうしたぁ? 刀を抜くまでもなかったんじゃねぇのかぁ?」


 竜兵衛が右手を振るうと、それに合わせて刀が自在な動きを見せる。それはさながら、剣華の天剣神術第参式『夢幻』であった。ただし、さすがに伸長の範囲に限界があるようではある。

 しかし相当に使い慣れしているようで、簡単には間合いに踏み込むことができない。そのため、剣華は防戦一方となっていた。

 もっとも、明らかな弱点があった。疲労である。あれだけ振り回していれば、当然、かなりの体力を消耗するだろう。実際、竜兵衛は徐々に息が上がり、なかなか剣華を捕えられないことに焦りを感じている様子であった。

 そのとき、剣華に回避された斬撃が、そこにあった絶叫絡繰の線路を一部寸断した。

 それを見て、真鶴が大声で剣華を咎めた。


「剣華さん! 乗れなくなったどうするですか! 早く倒すですよ!」

(先ほどまでは止めていたくせに……。仕方がない)


 大勢の人前で自身の手の内を見せることは好ましくないが、このままでは絡繰のみならず、人も巻き添えになってしまいそうであった。剣華は腹を決める。

 天剣神術第壱式――『閃耀せんよう

 剣華の剣が眩く発光し、その刹那、一筋の耀きが空間を貫いた。

 参式『夢幻』が剣の形を自在に変形する術であるのに対し、壱式『閃耀』はただ真っ直ぐ剣が伸びるだけの術である。しかし、その速度は『夢幻』の比ではない。目では到底追うことができぬ弾丸の速さで宙を奔り、弾指の間に相手に突き刺さる。


「なっ……」


 竜兵衛は突然の激痛に驚き、さらに右手の甲に剣が刺さっていることに瞠目した。

 剣が抜け、ばっと血が噴き出す。『蛇腹刀』が地面に落ちた。


「ど、どういうことだ? か、刀が、伸びた……?」


 先ほどの剣華と同じことを呟く竜兵衛。


「剣が伸びる訳ないだろう。気のせいだ」


 すでに元の長さに戻した剣を鞘に収めると、剣華はぞんざいに嘯いた。


「そんなことより、早々にあの頭の悪そうな手下どもを連れて立ち去れ。存在しているだけで不愉快だ。もちろん、貴様のその不気味な格好も見ていて本当に気味が悪い」


 この場でこれ以上の悶着は避けるべきだろう。そう判断しての言葉ではあったが、この言い振りではむしろ挑発にしかならなかった。案の定、竜兵衛は激高し、


「こっ……の、言わせておけばっ……」

「あ、兄貴っ、その出血量、早く治療しねぇとやばいっすよ」

「う、うるせぇ! こんな傷、どうってこと――」


 手下の言葉には耳も貸さず、竜兵衛は意地を張って左手で落した刀を掴もうとする。そのとき、彼の背後に人影が忍び寄っていた。

 それは竜兵衛に負けず劣らず、異様な身なりをした青年であった。年は竜兵衛と同じくらいであろうか。二枚目な顔をしているが、なぜか白粉と紅を顔に塗っている。また女が着るような赤い長襦袢を着て、腰に大小はさしていない。

 彼は後ろから竜兵衛に近付くと、涼しげな顔をしながら、血を吹き出し続ける右手を容赦なく踏みつけた。

 竜兵衛の口から絶叫が木霊する。


「竜兵衛ちゃーん。こぉ~んなところで、何して遊んでるのかしらぁ?」


 青年がねっとりとした女の口調で訊く。竜兵衛は、はっとしたように怯えた声を出した。


「じ、二郎さんっ……す、すいませんっ、こ、これには訳がっ……」

「訳ぇ? あ~んな子供にさしで敗れて、どんな良い訳ができるのというのかしらぁ?」


 二郎と呼ばれた青年は端正な顔に妖艶な笑みを浮かべ、竜兵衛の右手を踏む足を擦りつけるように動かした。


「があああっ……」

「あらぁ、情けない声出しちゃって。それでも鷲爪組の四天王の一人なのかしら。まぁ、あんたは四天王のうちで最弱だけど、それでももう少し頑張ってくれないとねぇ」


 竜兵衛の右手から流れる血で、地面に小さな水溜りが出来始めていた。


「じ、二郎の兄貴っ、そ、それ以上やると、ほ、本当に兄貴が……」

「え~、何よ、あんた? あたしに命令? へぇ~、三下のくせに、いつの間にそんなに偉くなっちゃったの?」

「い、いえ、そ、そんな、命令なんて、めっそうも……」

「おい、そこのおかしな身なりの野郎。貴様もこいつらの仲間か? だとしたら、こいつらを連れてとっとと帰ってくれないか」


 剣華が見かねて声を投げた。二郎の眦が吊り上がる。


「あんた、男装した小娘のくせして生意気ねぇ」


 今度は剣華の方の眦が吊り上がる番であった。


「おれは男だ!」

「男? あら、女じゃないの?」

「貴様のようなおかまと一緒にするな!」

「お、おかま、ですって!?」


 二郎は額に青筋を立てた。それから、ふふふと怨念めいた不気味な笑い声を漏らし、懐に手を突っ込む。


「どうやら、かなりきつ~いお灸が必要みたいねぇ!」


 稲妻のごとき速さであった。懐から瞬時にして引き出された手に、懐剣ほどの大きさの何かが握られていると思ったときには、すでにその先端が剣華の方を向いていた。真っ直ぐ、ちょうど剣華の右胸の辺りへと。


(何だ、あれは……?)


 しかし、しばし経っても何も起こらず、代わりに二郎が艶美な唇を楽しげに歪めた。その視線は、なぜか剣華の後ろ――一右衛門の右手へと注がれていた。


「へぇ、あなたも、この使い手だったのねぇ」


 どこか嬉しそうな口調で言う二郎。一右衛門の手には、いつの間にか二郎が持つそれと瓜二つのものが握られ、二郎の方へと向けられていた。


「けっ、お前みてぇな奴と一緒にされたかねぇよ」


 吐き捨てる一右衛門に、二郎は面白いものでも見つけたように笑い、


「そんなつれないこと言わないでほしいわ。よく見るとあなた、なかなかあたし好みの野性的な顔してるじゃない」


 二郎の色目に、一右衛門は苦々しく顔をしかめた。


「気持ち悪ぃからやめろ」

「あら、傷つくわぁ」


 からからと笑い、二郎が武器と思しきそれを着物の中に仕舞った。それに合わせて、一右衛門も戻した。


「まさかそんなものを隠し持っているって知らなかったから、今回は少しあたしが遅かっただけ。今度は、ちゃんと一対一で戦いたいわ」

「ふん、負け惜しみ言いやがって」

「その言葉、次に会う時まで忘れないでほしいわね。あたしは鷲爪組の四天王が一〝季武〟こと桜坂二郎よ。あなたは?」

「……お前に教える名前なんてねぇよ」

「え~、教えてくれないの? 酷い人ねぇ。まあいいわ、次に会う時はきっと教えてちょうだいね。約束よ、うふふふ」


 二郎は踵を返して立ち去った。


「て、てめぇも覚えてやがれ!」


 手負いの竜兵衛もそう言い残して、手下に助けられながら逃げていく。

 旗本奴を撃退した剣華たちへ、周囲から歓声と拍手が巻き起こった。

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