第4話 江戸盛場騒々

「この部屋です! ここを剣華さんの部屋として使ってください!」


 厠、湯殿など屋敷内を一通り案内された後、剣華が連れて来られたのは、中庭に面する八畳ほどの一室であった。隅に箪笥や衣類などを入れた行李、枕屏風などが置かれており、どうやら予めきちんと用意してくれていたようである。


「新しい着物が行李の中に用意されているですから、着替えてくださいです! それ汚いですから!」


 それだけ言い残して、真鶴は立ち去った。

 剣華は部屋の真ん中に胡坐をかいて座り込んだ。

 途中、真鶴から一方的に聞かされた話に寄れば、この屋敷は御庭番の御頭が将軍から拝領しているものらしい。しかし、将軍警護を最大の職務とする御頭は常に城内に詰めているため、この屋敷に帰ってくることは稀であり、その代りこの屋敷は御庭番の者たちが居住する言わば組屋敷のように利用されているのだという。

 御庭番は特殊な役職であった。

 武士の家系でなくとも、七段以上の段位を持ち、試験に合格さえすれば、町人でも百姓でも剣華のような浪人武芸者でも就くことができた。無論、前歴や身元は厳しく検められる。

 剣華は因幡國の生まれである。訳あって、十二の頃より国を離れ、武者修行の旅を続けてきた。主に山陽道から畿内にかけて諸国を遍歴、山野で孤剣を磨き、また各地の著名な道場を訪れては腕自慢の武芸者との真剣勝負で力を付けた。

 見る間に頭角を現し、やがて京にて腕試しがてらに試験を受けて武芸七段を取得した際、ある人物より秘かに御庭番のことを知った。そして思うことがあり、江戸に上って入番試験を受けることを決意したのである。

 先ほどの試合の疲れもあって、剣華は背中から畳の上に倒れ込むと、大の字に寝転んだ。


(やはり、江戸は大きい)


 京や大坂も大きな街ではあったが、江戸はそれとは比較にもならなかった。

 天井を見上げてしばらくぼんやりとしていると、


「着替えましたか!」


 勢いよく襖が開き、真鶴が部屋の中を覗き込んできた。


「寝てるじゃないですか! 早く着替えるです!」


 剣華を見て、真鶴は不満そうに怒鳴った。


(……なぜそんなに慌てて着替えねばならんのだ)


 真鶴が再び部屋を出て行った後、剣華はしぶしぶ立ち上がり、部屋の隅に置かれた行李を手に取った。

 開けると、中には江戸小紋に染めた木綿の小袖の他、羽織や寝巻なども用意されていた。剣華は汚いと言われてしまった着物を無造作に脱ぎ捨てる。


「もう着替えましたか!」


 またも勢いよく襖が開いた。


「ま、まだ着替えているところだ!」


 剣華は褌一枚であった。


「ま、まだ着替えてなかったですか! は、早く着替えてください!」


 真鶴は慌てて部屋から出て行く。

 しばらくして、今度はおずおずと伺うように襖が開いた。


「……着替えましたか?」

「ああ」


 応じると、「それは良かったです!」と、真鶴は襖を開け切って、


「とても似合ってますよ! 先ほどの襤褸はぜひ捨ててください!」

「襤褸……」


 洗濯してまだ着るつもりであった剣華は、襤褸と言われて顔をしかめた。そんなことにはお構いなく、真鶴はいやに嬉しそうに言う。


「では行くですよ!」

「行く? どこに?」

「決まってます! 日本橋ですよ! 江戸と言えば日本橋です! ぢるーが案内するです!」


 日本橋と言えば五街道の起点にして、江戸でも有数の盛り場であった。


「今から?」

「もちろんですよ!」


 確かに剣華も、一度は江戸の街を様々歩いてみたいと思ってはいたが、つい先ほど一戦交えたばかりである。正直、今すぐに出向く気にはなれなかった。


「ほら、行くです!」


 しかし、またしても真鶴に力強く手を引っ張られてしまう。

 ――兄ちゃん! 早く早く!

 そのときふと剣華の頭を過ったのは、すでに遠い、どこか夢のような記憶……。


「あっ、一右衛門さん! だめですよ! また朝からお酒飲んで!」


 廊下の途中で真鶴が唐突に立ち止まり、大きな声を出した。剣華も慌てて停止する。真鶴は剣華の手を掴んだまま、襖が開け放たれた一室へとずかずか入って行く。

 部屋の中に居たのは、だらしなく胸元をはだけさせ、銚子そのままに酒をあおっている男であった。髪をざんばらに伸ばし、無精ひげが生えた顔は山賊さながらであるが、顔を赤くして何とも億劫そうに酒を飲んでいるため、ただの怠け者のようにも見える。歳は……二十後半から三十前半と言ったところか。


「あーあーうっせぇなぁ。だからお前は声がでかいんだっての。もうちっと音量を落してしゃべってくれよ」


 蠅を追い払うように手を振って、一右衛門と呼ばれた男は面倒そうに言う。真鶴は頬を膨らませて、


「それは一右衛門さんがのんべえだからです! 身体に悪いですよ!」

「ん? 誰だ、お前は?」


 真鶴の言葉を無視し、一右衛門は彼女に手を引かれた剣華の方を一瞥する。


「新人さんですよ! 天雲剣華さん!」


 真鶴が代わりに応えると、一右衛門は胡乱げな目で、


「そいつが新入り? 野郎だって聞いてたが、女じゃねぇか」


 女と間違えられ、剣華はむっとした。


「……おれは女ではない」

「そうですよ! 女の子みたいですけど、女の子じゃないですよ!」


 真鶴の反論は、かえって剣華をしかめっ面にさせた。自身が女っぽい容姿であることを、剣華はかなり気にしていた。男の着物を着ているというのに、それでもしょっちゅう女に間違われるのである。欲情した暴漢に襲われそうになって返り討ちにした回数は、両の手で数えきれない。


「はっ、だと思ったぜ。こんな可愛い子が女の訳ねぇもんな」

「逆です! 一右衛門さん酔っぱらい過ぎですよ! 剣華さん気にしないでください! 一右衛門さんはいつもこうです! ぢるーも男の子に間違えられたです!」

「餓鬼は男でも女でも一緒だっつの」

「ぢ、ぢるーはもう十五です!」


 その言葉に剣華は驚いた。自分より年下かと思っていたのだが、まったくの同い年だったのである。一右衛門は真鶴の貧相な胸元をじろじろ見て、


「見た目がそれじゃあしゃーない」

「う、うるさいですよ!」


 酔っ払いに胸の小ささを指摘されて、真鶴は足を踏み鳴らして憤る。


「そんなことよりちょうどいいです! 一右衛門さんも」

「断る」

「まだ何も言ってないですよ! 日本橋に一緒に行くです! 剣華さんを案内するですよ!」

「んなもん、お前だけで十分だろーが」

「十分でもです! 一右衛門さんは屋敷にいるとずっとお酒飲んでるですから、外に出た方が良いです!」

「外に出てもどうせ酒は飲む」

「もう、本当に仕方ない人ですね! それでも屋敷でぐーたらしてるよりよほど良いです! 行くです!」


 真鶴は一右衛門の手を掴んだ。するとどういうことか、唐突に一右衛門が尋常ではないほど痛がり出した。


「いてっ、いてぇって! わ、分かった分かった! 行くから、変な技かけんのやめてくれ!」

「分かったら良いです! ほら、早く立つです!」

「ったく、せっかちな餓鬼だな」


 舌打ちしつつ、一右衛門は銚子を持って立ち上がる。


「ぢるーは餓鬼じゃないです! それと、お酒は置いていくです!」

「ばっか野郎! 酒は俺の命の水だ! お前は俺を殺す気か!」

「何言ってるですか!」

「さっき屋敷でぐーたらしてるよりはよほど良いって言ったじゃねぇか」

「もう! 分かりました分かりましたですよ! ただしそれ一本だけですよ! さぁ、行きますよ剣華さん!」

「あ、ああ」


 二人の言い合いを半ば呆れ顔で見ていた剣華は、いきなり大きな声で呼びかけられたので少し驚いた。


「何を驚いてるですか!」

「だ~から、お前の声がでかすぎんだよ。しかも、いやに甲高ぇし」

「そんなことないですよ! そうですよね剣華さん!」


 不意に問いかけられ、剣華は本音を告げた。


「いや、確かに半鐘のごとくうるさいぞ」


 半鐘とは火災や洪水などの発生時に鳴らされる釣鐘のことである。

 真鶴は眉を吊り上げて怒った。


「何ですか! 剣華さんまで一右衛門さんの肩を持つですか! 意外と失礼な人ですね! もう良いです! さぁ、行くですよ!」

「いや、ちゃんと声がでかいの自覚しろよ」


 一右衛門の突っ込みも無視され、結局、二人の男は真鶴に引っ張られて屋敷を出た。

 空は雲一つなく晴れ渡り、絶好の行楽日和といった天気であった。

 右手に天空に聳え立つ黄金の天守を見ながら、南へと向かう。日本橋はここから御城を南側に迂回して、およそ一里半ほどの距離である。二刻ほどで辿りつけるだろう。

 先頭を行く真鶴は歩くのが早く、小さな身体ながらずんずんと進んでいく。一方、一右衛門はだらだらと後を付いてくる。時折、真鶴が振り返って「一右衛門さん、遅いです!」と言うが、彼は鬱陶しそうに「歩くのしんどいんだよ」と返すばかりで一向に早く歩こうとしなかった。

 やがて麹町の大きな通りまで出て来たとき、一右衛門が唐突に言った。


「おい、絡繰駕籠借りようぜ」

「まだ半里も歩いてないですよ!」

「別に疲れたんじゃねぇよ。こいつに江戸名物の絡繰駕籠に乗せてやろうと思ってよ」

「絡繰駕籠とはなんだ?」

「あれだ」


 一右衛門が顎をしゃくった先、道の脇に設けられた上屋の下に、ずらりと木でできた箱状の駕籠が並んでいた。しかし、人足が担ぐ棒は付いておらず、代わりに四輪の車輪が付いている。


「そうか、あれが自力で走るという絡繰駕籠か」


 剣華は納得するような口ぶりで言う。


「地方じゃ基本、見られねぇもんだからな」


 江戸では当たり前の絡繰ではあるが、江戸外においては販売や所持が原則的に禁止されていた。江戸内で販売される絡繰にはすべて税がかけられており、それによって幕府は多大な利益を得ている。江戸外での販売を禁止することには、その利益を幕府が独占するという意図があった。


「もう、仕方ないですね!」


 真鶴の同意も得て、三人は四輪の絡繰駕籠を一台借りることにした。四人乗りであるという。他に二輪のものも置いてあったが、それは一人乗りらしかった。代金は決して安いものではなく、まだ禄が支給されていない剣華の代わりに二人が払ってくれた。

 引戸を開けてみると、中は一畳ほどの広さであった。右前方の壁に把手が付いている。


「これを使って動かすですよ!」


 真鶴が大きな声で説明してくれるには、この把手を前に倒すと加速し、後ろに倒すと減速するらしい。また、左右に動かすことによって下の四輪が連動し、進む方向を自在に変えることができるという。


「ぢるーがやるです!」


 その役を自ら買って出る真鶴。なぜか誰よりも楽しそうであった。

 三人が乗り込んで、真鶴が把手を前方に押し倒すと、本当に駕籠が動き始めた。少しずつ速さを増しながら前へと進んでいく。


「本当に動いた」

「もちろん動くですよ!」


 驚く剣華へ、真鶴がやはり大きな声で応じる。後ろの席では一右衛門がまた酒をあおっていたが、真鶴は運転に集中していて気が付かない。

 内濠に沿うようにして進んでいく。思いの他、絡繰駕籠での移動は快適であった。道が人造石で整備されており、轍割れやひび割れがないためか振動は少なく、しかもなかなかに速い。坂道さえも悠々と登ってゆく。何より動かないため汗をかかないし、簾を全開にしていると涼しい風が入ってきて心地よい。


「よくこんなものを拵えたものだ」


 剣華が感心して言うと、真鶴が横から、


「江戸の人は凄いです! 絡繰に詳しい人、沢山います!」

「まぁ、絡繰大江戸って言われるくれぇだからな」


 一右衛門は興味なさそうに言うと、ぐびぐびと酒をあおった。


「ちっ、もう無くなりやがったぜ。まぁ、向こうで買えば良いか」

「一右衛門さん! それ一本だけって言ったですよ!」

「おい阿呆っ、前を見ろ前を!」

「ひゃっ」


 真鶴が慌てて把手を右に切った。駕籠を大きく傾がせながら、前から走って来ていた別の絡繰駕籠を間一髪のところで回避する。


「もう! 一右衛門さんのせいですよ!」

「俺のせいにすんな!」


 桜田御門の前を通り、山下御門から外濠を出る。東海道へと続く大きな道へと出ると、人工河川である京橋川の向こうに日本橋一帯が見えてきた。駕籠は川に架かる京橋を渡り、日本橋南へと入った。

 色鮮やかな建物がひしめき立ち、大勢の人々でごった返していた。

どこかで絶えず笛や太鼓が鳴り響き、洒落た格好の男や美しく着飾った女たちが浮かれ騒ぎながら歩いている。まるで祭りの最中ではないかと疑ってしまうほどの活気ぶりであった。


「これが、日本橋……」


 剣華は思わず嘆息する。


「琉球には絶対にこんなところないですよ!」


 真鶴が瞳を輝かせて言う。

 やがて一行は、日本橋南詰の広場へと辿り着いた。高札場と晒場があり、また青物市場で賑わっていた。人通りが多いため、駕籠はなかなか前に進まない。

 真鶴が後ろを振り返って言う。


「ここから歩くですよ!」

「めんどくせぇ」

「歩くです!」

「だから前見ろって! 人ひくぞ!」

「歩くです!」

「ああもう! しゃーねぇな!」


 一右衛門が不承不承、了承したところで、真鶴が駕籠を専用の駐輪所に停めた。三人は徒歩で日本橋を渡る。橋の幅は四間、長さは三十五間を超えており、思わず圧倒されてしまう大きさであった。


「ほら、見るですよ!」


 真鶴が指差す方を見遣って、剣華は息を呑んでしまう。

 御城の天守の向こうに、富士山が見えたのだ。

 澄んだ空の青に見事な白の稜線が映え、かなりの絶景であった。橋を渡る人々も、思わず足を止めて見入っている。


「富士山とても大きいです!」

「お前の胸もあれくらいありゃ良かったのにな」

「一右衛門さんは黙ってください! 剣華さん! 何、確認してるですか!」

「し、しておらぬ」


 下から思いきり睨み付けられ、剣華は慌てて目を反らした。

 川の両岸には沢山の荷船が停泊し、人足たちが忙しなく働いていた。


「あそこは何だ?」


 北岸の賑わいを指して、剣華は訊いた。


「魚河岸ですよ! ここで獲れる魚美味しいです!」


 どうやら魚市らしい。魚と聞いた一右衛門は、まだ昼前であるというのに何とも折よくぐぅと腹を鳴らして、


「あー、刺身でも食いながら一杯やりたいぜ」

「さっきから何杯もやってるじゃないですか!」


 橋を渡り切り日本橋北へと至ると、目測で四、五丈、階層でいうと四、五階ほどはあるだろう高層の建物がいくつも現れ出した。

 呉服、薬、茶、書物、家具、結髪道具、瀬戸物など様々な問屋の他、旅籠や米屋、両替屋、呉服屋、料亭などが軒を連ねている。店頭をざっと見ただけで品ぞろえの豊富さが伺え、ここで買い物をすれば大抵のものが揃うことであろう。

 ある店の前で人だかりができていた。背伸びして隙間から覗き込むと、1尺ほどの可愛らしい人形が包丁を振り降ろし、足元の大根を見事に切り刻んでいた。歓声が上がる。


「絡繰人形屋ですよ!」


 興味を引かれ、剣華は建物内に足を踏み入れる。

 広い店内には多種多様な絡繰人形が置かれていた。茶運び人形や背中掻き人形、朝起こし人形など中には実用的なものもあるが、ほとんどは観賞用らしい。舞を演ずるものや琴を弾くもの、的を弓矢で射るもの、中には犬に追いかけられて逃げ惑うという滑稽なものまであった。親子連れが多く、親に人形が欲しいとねだる子供の姿があちこちで見かけられた。


「もっと大きなものはないのか?」


 ふと剣華は昨晩の絡繰武者のことを思い出して訊いた。


「どれくらい大きいですか!」

「七尺ほどだ」

「大き過ぎです! そんな人形ある訳ないですよ!」


 真鶴は大げさに仰け反って怒鳴った。

 絡繰人形屋を出て、真鶴を先頭にしてさらに日本橋を散策した。一右衛門はつまらなさそうにしつつも、一応は後を付いてきている。しかし、いつの間にかその手には新しい銚子が握られていた。かなり酔ってきたのか、足取りが浮つき始めている。

 浜町堀と呼ばれる水路を渡った辺りで、真鶴の足取りがやけに速くなってきた。剣華にはまるで見当が付かないが、どうやら彼女はどこかに向かっているようであった。


「おいっ、ろこまで、ゆくんらよ!」

「もうすぐです! いい加減、飲み過ぎですよ!」


 呂律の回らなくなってきた一右衛門を叱りつけ、真鶴はさらに歩く。

 やがて一行がやって来たのは、大川(隅田川)に架かる両国橋の西詰に設けられた大きな広場であった。


「何だここは?」

「絡繰遊園です!」


 真鶴が興奮気味に叫ぶ。


「絡繰遊園?」

「はいですよ!」


 見渡すと、大勢の人で賑わう広場には、至る所に見たことのない巨大な絡繰と思しきものが置かれてあった。

 元々火除地として作られたこの広場『両国広小路』は、沢山の絡繰遊具や見世物小屋、芝居小屋などが集まる、江戸最大の壮大な遊び場であった。


「つーか、お前、本当は自分がここに来たかっただけだろ」

「べ、別にそういう訳じゃないですよ! あ、あくまで剣華さんに見せてあげたいと思っただけです!」


 一右衛門の指摘に、真鶴は慌てたように反論する。


「これだから餓鬼は」

「餓鬼じゃないです! 一右衛門さんこそ、ぢるーの知らないうちにまたお酒買って!」


 言い争う二人を後目に、剣華は頭上、十から十五丈ほどの高さをうねり伸びる蛇のような道を仰ぎ見ていた。その一番高いところから、人が乗った箱のようなものが一気に急降下していく。絶叫が青空に木霊した。


「絶叫絡繰です! ぜひ乗るです!」

「なかなか楽しそうだな」


 剣華は頷く。


「楽しいですよ! 一右衛門さんも乗るです!」

「俺は乗らねぇ」

「怖いですか!」

「怖くねぇ。せっかく飲んだ酒を吐いちまいたくねぇだけだ」

「仕方ないですね!」


 真鶴がやはり剣華の手を引いて走り出した。五十文を支払い、列に並ぶ。

 そのうち順番が回ってきて、六人乗りの金属製の箱へと乗り込んだ。中には腰掛けがあり、目の前に握りが付いていた。剣華と真鶴は運よく一番前の列であった。

 店員のおやじが、二人のところに来て言った。


「お嬢ちゃんたち、しっかり掴まっておいてくれ。身体が小せぇ分、振り落されやすいからな」

「……おれは女ではない」

「あれ。そりゃすまんかった。あんまり可愛い顔してっから間違えたよ」


 剣華はむっと唇を尖らせた。

 箱は空を行く道にしっかりと固定されているようであった。やがて何らかの絡繰によって、ゆっくりと動き始めた。からからと音を立てながら最初は傾斜を登り続けていく。広場やその向こうの街並みが一望でき、なかなかの光景だ。と、思っていたのも束の間、箱が下降を開始。

 思いの他、落下の速度は速かった。

 それもそのはず、地面目がけてほぼ垂直に急降下するのである。絶叫とともに一気に地上付近まで落ちると、そこから勢いそのままに弧を描いて向きを変え、今度は地面に沿って直進。登って落ちてを繰り返し、途中で幾度か本当に振り落されそうになりつつも、剣華たちは無事に終着地点へと辿り着いた。


「最高でした! もう一回乗るです!」


 降りるなり、真鶴が飛び跳ねながら宣言する。二人は再び列に並んだ。二回目を乗り終えて、


「楽しかったです! もう一回です!」


 三回目を乗り終えて、


「もう一回ですよ!」


 四回目を乗り終えて、


「もう一回!」

「ちょ、ちょっと待て!」


 剣華は堪らず、またも列に並ぼうと駈け出す真鶴を止めた。


「一体、何回乗るつもりだ?」

「最低でも十回は乗りますよ!」

「十回!?」


 剣華は驚愕した。


「阿呆か? もしかして、お主は阿呆なのか?」

「あ、阿呆言うなですよ!」

「いいや、阿呆だ。お主は阿呆に違いない。あんなもの、毎回中身が変わる訳でもなし、一度乗れば十分だというのに、それを何度も何度も繰り返し乗るなど、正気の沙汰ではない」

「う、うるさいですよ! 楽しいから何度も乗るです!」

「限度というものがある」

「だから十回と言ったです!」

「だからそれが限度を超えていると言っている!」


 剣華は負けじと大声で言い返し、そして溜息を付いた。


「……他にも色々あるだろう」


 剣華は周囲を見渡す。回転する馬の絡繰や巨大な風車に似た絡繰など、広場には多様な遊具があった。


「仕方ないですね! じゃあ次はあれです!」


 真鶴は不満そうではあるものの、折れて別の絡繰を指差した。


「いや待て。もう絡繰遊具は飽きた。あの小屋は何だ?」


 剣華は広場に乱立する小屋の一つに視線を向けた。そこにも行列ができている。


「見世物ですよ! 行ってみるですか!」


 剣華の返事も待たず、真鶴は走り出す。


「大きな絡繰人形のようです! 見てみるですよ! 七尺の人形もあるかもです!」


 しばし列に並んで、二人は小屋の中へと通された。

 小さいもので六尺、大きなものは八尺ほどの絡繰人形がずらりと整列していた。腕を動かして竹光を振ったり、駆け足をしたり、逆立ちをしたり、それぞれ様々な動きで見る者を楽しませている。


「すごいですよ! 剣華さんが言ったの、ありますですね!」


 興奮する真鶴。だが、剣華は首を左右に振った。


「いや、こんなものではない。もっと滑らかで、多彩な動きをする奴だ」

「そんな絡繰人形、ある訳ないですよ!」

「いや、確かにおれは見たぞ。むしろ戦った。浅井なんたらが作ったという、絡繰武者なる大きな絡繰人形と」

「もしかして、浅井月影ですか!」


 真鶴が大声で言ったとき、急に他の客から注目を浴びた。胡乱げな目で見られる理由が分からず、剣華が戸惑っていると、


「剣華さん! ここでその話はだめですよ! 外に出るです!」


 まるで人のせいに言う真鶴に手を引かれ、剣華は見世物小屋を出た。

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