第2話 悪徳女衒

 夜四ツ(10時)をとうに過ぎていた。

 どう見ても堅気とは思えぬ人相の悪い男が、絡繰行燈を片手に闇に沈む屋敷の廊下を進む。最奥にある部屋の前で足を止めると、襖越しに呼び掛けた。


「二八さん。連れてまいりましたぜ」

「うむ」


 中から小さく返答があった。それを了承の意とし、男は襖を開けると、隣にいた小さな人影に睨むような視線を注いで不躾に命じた。


「さぁ、入れ」

「……はい」


 か細い声で返事をしたのは小柄な少女であった。小さな肩を不安気に縮めながら、薄暗い部屋の中へと足を踏み入れる。

 部屋の中央に舶来物と思しき豪奢な寝台が設置されており、その上に誰かが座っていた。


「ご覧くだせぇ。見事な上玉、いや、極上ですぜ」


 男が得意げに言い、行燈を少女の顔の前に掲げて見せた。

 男が言う通り、少女は美しかった。

 齢は十四、五ほど。顔立ちは人形のように整い、紅をさした小ぶりな唇はまるで桜の花びらのようである。肌はほとんど白粉を塗っていないというのに、初雪のごとく白い。造花の簪で飾った髪は、夜の闇よりもなお暗く艶やかであった。

 極上という言葉でさえ、むしろ役不足であろう。少女は〝絶世の美女〟と形容しても良いほどの美貌の持ち主であった。


「おぉ……」


 二八と呼ばれた部屋の主が、少女を見て思わず嘆息する。仄かな灯りに照らされ、彼の姿が見て取れた。歳は四十か五十か。男にしては背が低く、手足が短くて腹が出ている。髪は頭頂まで禿げ上がり、出目金のような顔はなかなかに醜い。だが、服装だけは贅沢で、上等な綿製の着物を身に着けていた。


「満足いただけたようで」


 言って、人相の悪い男が頭を下げて退いた。行燈の灯りが襖の向こうへ消え、部屋は完全な暗闇となった。

 閉じられた背後の襖から、かちりという施錠音が微かに響いた。閉じ込められたと知って、柳の葉のように長い少女の睫毛が震える。

 不意に室内の灯りが点けられた。どこか怪しい、桃色の光。部屋の内部を見渡した少女の顔が引き攣った。

 そこは悪趣味極まりない部屋であった。

 床から壁、襖、そして天井に至るまで、ありとあらゆる場所に男女の交わりなどを描いた卑猥な春画が貼りつけられていたのである。さらにその部屋のあちらこちらに、裸体の彫像の他、明らかに性具と思しきものが置かれている。

 この閨の、そして屋敷の主は名を近江屋二八と言った。

 彼は若い女性を買い付けて遊郭などへと売る仲介業――いわゆる『女衒せげん』であったが、その悪質な手口は、同業者たちからも忌み嫌われるほどであった。

 高額で売れる上玉を見つければ、子分を使って無理やり誘拐するということは当たり前。時には親兄弟を殺してまでさらってくることもあった。その上、とりわけ見目麗しき女子おなごは、売り払う前に自らの欲牙にかけるということも度々。

 二八が怯える少女へと近付いていく。少女は咄嗟に逃げ出そうとするも、やはり襖は開かない。すぐに強い力で取り押さえられ、寝具の方へと引き摺られていく。恐怖の余り声が出ないのか、少女は悲鳴を上げることすらもしなかった。無論、たとえ悲鳴を上げたところで、誰も助けに来ることはない。

 二八は寝台の上に押し倒した少女の衣裳を掴み、脱がせようとした。


「うっ?」


 そのとき二八の口から、独りでに声が漏れた。その顔が、見る見るうちに苦痛で歪む。

 丸い腹に、懐剣ほどの長さの刃物が深々と突き刺さっていた。血が刃を伝って流れ落ち、贅沢な着物を赤く染める。

 その刃物の柄は、少女の小さな手が握っていた。

 悲鳴を上げようとした二八の口を、少女の反対の手が強引に塞ぐ。

 鮮血が飛び散った。

 少女が刃物を容赦なく横に薙いでいた。二八は目を飛び出さんばかりに大きく剥いて、そのまま絶命した。

 事切れた男を見下ろす少女の顔からは、いつしか恐怖の色が消えていた。


「やはり刺客であったか」


 背後から声が投げかけられ、少女は振り返った。

 部屋の奥。絡繰扉になっていたらしく、壁が反転して別の男が現れた。

 小柄で太鼓腹、そして腫れぼったい目。容姿が床に転がる男とよく似ている。だがその服装はずっと華美で、金糸の刺繍が入った絹製の着物であった。

 顔に笑みを浮かべてはいるが、その実、瞳は狡猾そのものでまるで笑ってはいない。男は鼻を鳴らすように告げた。


「儂の命を狙う不届き者が売り物の中に紛れ込んでおると、ある筋から密告があっての」


 足元に倒れる男は影武者で、新たに現れた男が本物の近江屋二八であると気が付いたのであろう、少女は僅かに流麗な眉をひそめた。


「しかし、これほどの上玉とは、刺客にしておくのは惜しいのう」


 粘つくような声で言って、二八は手を打ち鳴らした。それを合図に、周囲の絡繰仕掛けの壁が一斉に反転する。

 現れたのは、浪人体の男が五人。恐らく二八に護衛として雇われたのであろう。いずれもすでに刀を抜き放っており、構えを見るに少なからず剣術の心得があるようであった。

 二八は顔に下卑た笑みを浮かべた。


「殺しはするな。腕一本ほどで留めておけ。後で儂が直々にたっぷり可愛がってやらねばならんからの」


 浪人衆は部屋の中を、少女を囲うように散開した。

 だが、少女は平然として動かない。

 浪人の一人が先駆けて床を蹴った。右足を大きく踏み込んで少女に迫ると、上段から刀を振り降ろした。


「へっ?」


 先陣を切った男が頓狂な声を発したのは、刀が空を切っていたからだ。

 しかも、すでに目の前に少女の姿は無い。


「う、後ろだっ!」


 仲間の指摘に咄嗟に振り返ろうとしたところで、男の背中が袈裟懸けに斬り裂かれた。血飛沫を散らしながら、うつ伏せに床へと倒れ込む。

 涼しい表情で立つ少女。いつの間にか、その手には先ほどの懐剣ではなく、別の抜身の刀剣が握られていた。珍しいことに、刃渡り二尺ほどの両刃の直刀であった。べっとりと付着した血糊の間に覗く明鏡のような刃が、灯りに照らされて冴えた光を反射する。

 浪人衆の間に動揺が走る。

 太平の世が長く、たとえ剣術を修めていても、実際に斬ったり斬られたりの修羅場を経験した者は案外少ないものである。どうやら彼らもその例に漏れないらしく、目の前で仲間の一人が斬殺されたことで完全に腰が引けてしまっていた。

 二八が怒鳴る。


「ええい、一斉にかかれ! 相手はたかが女子一人よ!」

「う、うおおっ」


 浪人衆は気勢を上げ、同時に踊りかかった。凶刃が四方から少女に迫る。

 少女が宙を舞った。

 ふわりと、まるで風に煽られた木の葉のように軽やかに、少女は飛翔していた。包囲網を飛び越え、着地した時には、すでに一人の男の頭部から血の華が咲いていた。

 恐怖に満ちた叫喚を吐き出しながら、残った三人が怒涛のごとく襲い掛かる。少女は最初の男の横薙ぎの剣閃を華麗に交わしつつ首筋を切断、さらに疾風のごとき動きで二番目の男に迫ると、瞬きする間も与えず胸に刃を突き刺した。

 残った男は、背後から少女に斬り掛かろうとしたにも関わらず、気が付くと刀ごと手首が飛び、悲鳴を上げる前に胴と首が離れていた。

 咽るような血の匂いが部屋中に充満し、血だまりの中心には大量の返り血を浴びた少女が夜叉のごとく立っていた。

 だが二八は、顔に不敵な薄ら笑いを浮かべていた。


「……なるほど。五人をいとも簡単に斬り伏せるとは、どうやら随分と腕に覚えがあるようだのう」


 余裕綽々な二八に、少女は警戒を覚えたのか表情を険しくする。

 不意に、床が強く振動した。

 地震か、との考えが少女の脳裏を過るも、しかしそれは間違いであった。

 少女が立っていた床が瞬く間に盛り上がり、一息に突き破られた。咄嗟に身を翻して後退していた少女の瞳が、驚きに見開かれる。

 床下から現れたのは、袈裟頭巾を被り薙刀を持つ、体長七尺(約2メートル12センチ)にも迫る巨大な僧兵であった。

 すぐに少女は違和感に気付いた。

 目の前に立ちはだかる僧兵の厳めしい顔が、彫刻のように作り物めいているである。

 いや、作り物めいている、ではない。


「ははははは、驚いたようだの。こやつはかの浅井月影が遺した絡繰遺産が一つ――絡繰武者『薙刀型武蔵坊弁慶』よ」


 作り物なのである。

 床を突き破るという規格外の方法で現れた絡繰武者は、じりじりじりという砂利を擦るような音を全身から放ちながら、本当に生きているかのごとき滑らかな動きで、仁王の形相を少女の方へと向けた。


「弁慶よ、あの小娘を捻り潰してやるがよい」


 二八が命じる。

 直後、絡繰武者の巨躯が狼のごとく疾駆、少女へと襲い掛かる。薙刀の一閃が、咄嗟にしゃがみ込んだ少女の頭頂から一寸と離れぬ空間を掠め通った。髪の一部が斬り落とされ、はらりと宙に舞う。さらに刹那の返し刀。少女は飛翔して間一髪それを回避した。

 絡繰武者が豪快に薙刀を振り回し始めた。

 巻き起こるは、薙刀の乱舞。後方へ跳んで後退する少女を、絡繰武者が追い迫る。壁際まで追い込まれた少女は一転、飛燕のように風を切った。寸毫の間隙を縫って薙刀の嵐を貫き、絡繰武者の眼前へ。頭部を下段から容赦なく斬り上げる。

 額が真っ二つに割れた。

 だが、絡繰武者は動きを止めなかった。割れた額の奥に覗くのは、ただの空洞。

 ならばと少女は懐へ飛び込み、絡繰武者の胴体へ真一文字に斬撃を入れた。驚くべきことに、金属でできているはずの鎧に深々と傷痕が刻まれる。

しかし絡繰武者は、何事も無かったかのごとく薙刀を振り上げた。

 少女は咄嗟に剣で受る止めるも、威力を抑え切れずに大きく吹き飛ばされた。


「無駄よ、無駄。こやつの全身はすべて厚い鎧に覆われておる。刀では斬れぬわ」


 壁に叩きつけられた少女へ、二八が勝ち誇る。

 少女は立ち上がると、無防備に剣をだらりと下げた。


「どうやら、観念したようだの」


 だが、少女が見せたのは、『無形の位』と呼ばれる構えのない構え方。敵の攻撃に合わせ、自在にこちらの手を変える新陰流の活人剣だ。本来なら構えぬことで相手を不安に陥れ、誘い込む法ではあるが、こと人形相手にそのような心理戦は意味がない。

 ただ、誘い込むことはできた。

 無防備な相手に対して絡繰武者の放った一撃は、神速の突き。

 それを紙一重で躱すと、少女は絡繰武者の頭上、天井まで跳躍した。身体を反転させて天井に足を付け、蹴る。雷のごとく急降下。嘲笑う二八の声が響く。


「ははは、何をしようと、お主の攻撃は効かぬわ」


 しかしその刹那、少女の剣に異変が現れた。

 眩い輝きを放ちながら、刀身がその性状を変ずる。太く、太く、そして、重く、重く、重く。

 天剣神術第弐式――『万鈞ばんきん

 百貫を遥かに凌駕する超重量の一撃が、絡繰武者の脳天へと叩きつけられる。

 痛々しい破砕音が響き渡った。

 少女の剣が元に戻る。身を翻して着地した彼女の背後には、縦方向に強制圧縮されて無残な姿へと変わり果てた絡繰武者がいた。ぎしぎしとぎこちない音を鳴らしながら必死にもがいているが、虚しく上滑りしている。


「ば、ばかな……わ、儂の弁慶が……」


 唇を震わせ、二八が喘ぐ。泡を食って逃げようとしたが、足が絡まって情けなくつんのめりその場に倒れ込んだ。


「ひっ……ひぃっ……た、頼むっ、い、命だけはっ……」


 懸命に命乞いをする二八。しかし少女は、何の酌量もせず剣を振った。

 盛大に血飛沫を撒き散らして飛び、畳の上を転がった首を冷ややかな瞳で一瞥し、少女は顔を上げて呟いた。


「まったく、これならわざわざ〝こんな格好〟をする意味などなかったではないか」


 少女は剣を鞘に収め、下ろしていた長い髪を一本に結わうと、打掛の裾を捲り上げた。それを帯の隙間へと無理やり突っ込んでから、外廊下へ通じる障子を豪快に蹴り飛ばし破壊する。

それは、とても見目麗しき乙女とは思えぬ粗野な振る舞いで……


 美しき少女――否、美しき少年は、名を天雲剣華あまくもけんかと言った。

 男児が神秘の剣とともに生まれてくる、天雲一族の生き残りである。


念のため人相書きと相違ないことを確認してから二八の首を拾い上げると、少年は鼬のごとく奥庭を駆け抜けて軽やかに塀を越え、夜闇にその姿を消した。

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