幕間 ある女神の失敗
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明滅する無限の星空を見上げながら、シャンパンゴールドのヒラヒラとした薄い衣服をまとった少女——女神シトラフォールはため息をついた。
「どうしよう……」
そう力無く呟いて、手元の水の張った大皿を指でツーっと撫でる。
すると、天の星を映していたその水面は歪むように変化し、ある世界を映し出した。
それは、彼女が女神として初めて任されて、ついでに少し前から段々と滅びに向かっている「リーグロイエ」という名の世界であった。
シトラフォールが再度のため息とともに大皿の縁をなぞると、別の場所が映し出された。
黒と赤に彩られ、青い炎がおどろおどろしく揺らめくその空間で、骨の意匠が施された玉座に座る男が一人。
彼の名はイヴェリウス。世界を征服する為に君臨する魔王であり、シトラフォールの胃を現在進行形で痛ませている原因そのものであった。
「もう始末書で済む段階じゃないわよね……」
先輩女神のもとで天使として働き続け、ようやく女神に昇格できたと思ったらワンオペで配属されてしまったシトラフォール。
あまり変化のない世界だからと半ば無理やり丸め込まれる形となったのだが、結果はこのザマである。
本来は魔王のような危険因子が力を持つ前に何とかして削らなくてはいけないのだが、こうなってしまえばもはや手段は選べない。
神々の間に脈々と伝わる最終手段、「異世界転生」を行使する時が来たのだと、彼女は自分に言い聞かせた。
「……うん。申請がめんどくさいけど、初仕事で人類滅亡は流石にヤバイわよね」
原則として現世に直接介入できない神々だが、死んで天界に来た人間であれば話は別だ。
また、転生というのも状況に応じて申請などが必要になるが、神に与えられている権能の一つである。
つまり、死んだ魂に神の力で強い能力を与えて転生させるというのは合法なのだ。
グレーゾーン感は否めないが、とにかく、こうすることによって滅びを回避した世界はごまんとある。
そもそもワンオペなのがおかしいのだから何も問題はない、と彼女は自分の考えを補強していく。
「さて……どれにしようかしら」
並べられた青白い半透明の板に表示された三つの世界を眺めながら、シトラフォールはしばし考える。
エネドライフのリーテー族。
ガルグモのアノック。
そして、テラの日本人。
この三つの種族は、成功率の高さから異世界転生における最善手であると言われ、ほとんどの場合でこの三大種族の中から転生者が選ばれている。
そのことを先輩から教えられていたシトラフォールは、当然のようにこの中から転生者を探すことにしたのだった。
まず重要なのは、精神的に健康であること。
転生するに当たって身体は別のものになるため、肉体的に健康である必要はない。
どんな奇病で死のうが問題はないが、自殺者の転生は精神面を鑑みて避けられる傾向にある。
もちろん、それを補って余りある適合率を持つ人間であれば話は別だが、そんな人間は多くない。
そして次に、異なる世界に馴染める人間。
これは前述した適合率としてパーセンテージ表示されるものである。
判定基準は色々あるが、異民族に抵抗がなかったり、宗教的なしがらみがなかったりすると適合率は高くなりやすい。
精神的に健康で、異なる環境にもすぐに馴染める人間。
それこそが異世界転生における「求められる人材」なのである。
三つの世界を眺め、様々な条件をかけて絞り込んでいくシトラフォール。
「ユーエーリー=ミーティーって言うのが適合率97%ね……流石にこれ以上はいなそうだし、こいつでいいかしら」
やがて、適合率の最も高いリーテー族の男を見つけたようで、彼女は早速転生の準備をしようと意気込んだ。
その瞬間、フォンッと軽い音を立てて転生候補者リストが更新される。
「あれっ、更新?」
ふと気になってリストを見た彼女は、その表情のまま固まってしまった。
新しく表示されたのは、テラの日本人。
精神面に問題はなく、まだ若い。
条件には合っている……が、重要なのはそこではない。
女神シトラフォールの目線の先にある、適合率の項目。
西極国光と言う男の適合率は、120%であった。
「ひゃっ、120!? そんなのあるの!?」
驚きすぎて一瞬故障を疑った彼女であったが、そもそも故障するようなものでないことを知っていたため、深呼吸をして落ち着きを取り戻そうとする。
「と、とにかく120%なら絶対こいつにするべきね」
そんな当たりくじを引き当てられたことを喜びながら、彼女は転生に必要な書類を作成する為に役所へ向かうのであった。
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「さあ、ついに完成したわよ!」
そう胸を張る女神シトラフォールの前に、魔法陣が二つ。片方はテラと天界を繋ぐもの、もう片方は天界とリーグロイエを繋ぐものである。
「えーっと、死者の魂を呼ぶ方は……詠唱が要らない方ね」
記号の羅列が描かれた紙を魔法陣の上に置き、ガラス製のボトルから青白く光る水を紙にかける。
紙は水分を吸っていき、数秒で変質が始まった。
紙が溶け、魔法陣が光り輝くのを見ながら、シトラフォールは「そういえばこの次どうするんだっけ」と段取りを確認し始めた。何故かぶっつけ本番で転生の儀式を始めたのだ。
あたふたと準備をする女神をよそに、魔法陣から放たれる光は部屋を覆った。
一段強い光が放たれ、そして収まった時、魔法陣の上には一人の男が立っていた。
「……えっ、何? ここどこ?」
「おほんっ。えーっと、西極国光であってるわよね?」
「あっはい、そうですけど……あれ? 俺死んでませんでした?」
「あっ、死んだって気づいてるのね。じゃあ話は早いわ。貴方に救ってほしい世界があるのよ」
「世界を……救う?」
言っている意味がよくわからないという風に首を傾げる西極に、シトラフォールは説明を始めた。
「えーっとね……私の管理している世界が今ピンチなのよ。だからその世界に行って、魔王を倒しちゃってほしいの!」
「はー。RPGみたいな感じですか」
「よくわからないけど多分それで合ってると思うわ」
「まあ別に良いですけど。俺でよければ頑張ります」
「えっ、決断が早いわね……」
女神の説明はあまりにも雑だったが、適合率120%がここでも発揮されているのか、西極はすんなりと異世界転生を受け入れた。
「ま、まあいいわ。それじゃ、貴方に能力を授けるわよ! まだ私自身の地位が高くないから若干控えめではあるけど、それでも十分戦えるほどの能力だから喜ぶと良いわ」
そう言って、女神が西極の額に手をかざすと、彼の身体が淡く発光し始めた。
光は脈打つように明滅を繰り返し、やがて弾けるようにその輝きを散らした。
「えっと……何が変わったんですか?」
「貴方の身体を魔法に置き換えたのよ。分かりにくいかもしれないけど、どんな傷もすぐに治るし、覚えさえすればどんな魔法だって使うことができるの」
「あっ本当だ、視力が良くなってる」
「何かささやかね……。まあ身をもって実感できるようなことでもないし仕方ないわね」
シトラフォールは、西極をもう一つの魔法陣に誘導する。転生後の姿はある程度融通が利くのでその辺りの要望を聞き、諸々の必要なことも準備した。
「これでオッケー。というわけで、貴方を異世界に転生するわ。準備はいい?」
「はい、大丈夫です」
シトラフォールはこほんと一つ咳払いをし、先輩に書いてもらったカンペを見ながら転生の詠唱を読み上げ始めた。
「……さあ、テラに住む者よ。今こそ汝の魂は、次なる大地リーグロイエへと流転する。汝にとっては夢寐が如き旅なれど、流転の女神アミューの名のもとに、汝の旅路に大いなる加護と祝福を授けん。……吾、ここに転生の光を示す!」
詠唱を終えると、西極が召喚されたときと同様に魔法陣が光り輝く。
白く、暖かい光の濁流が全てを包む。
その光がだんだんと収まるのを感じながら、シトラフォールは転生の成功を喜んだ。
「やったわ! 書類書くのは面倒だったけど、手伝ってもらって不備なく提出できたし、転生もうまくいって万々歳ね!」
全身で喜びを表現しながら、徐々に目を慣らしていく女神。
周囲の光景が見えるようになり——そして彼女は、魔法陣に横たわるそれを見た。
そこにあったのは、首の無い身体だった。
「きゃあああああっ!?」
余りの衝撃に半ばパニック状態になる女神。
横たわっているのは確実に先ほど転生させた男のものだ。身体を魔法に置き換えたため血は出ていないが、首から上が完全に消滅している。
女神は慌てて大皿の水面に世界を映し、転生者の姿を確認する。
ある僻地の路肩に、気を失っている生首があった。
「…………」
ここまでくると逆に冷静になってしまうようで、彼女は無言でこのあと取るべき行動を考え始めた。
後からわかったことなのだが、この時の魔法陣にはミスが多く、詠唱もカンペの表面に気づかずに後半部分しか読み上げなかったため、不完全な状態で転生が行われてしまったらしい。
もう一度確かめるように魔法陣の中央に横たわった首無しの人間を見てから、とりあえず証拠隠滅に走る女神であった。
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