第45話 古橋文月の母親事情
「急に誘っちゃったけど、文月君は予定とか大丈夫だった?」
「あ、はい。特に何か用事があるわけではなかったので」
「そう? なら良かったわ」
「ぼくも文月兄ちゃんと一緒で良かった」
「そ、そうか」
「……」
本日の目的地である自然史博物館に向かう道中。
後部座席にやけに元気な樹と何故か黙ったままの汐見、運転しながら話しかけてくれる千和さん。そしてその助手席に何故か俺は座っていた。
汐見家に着き、車に乗り込む際に千和さんが、
「最近文月君とお話しできてない」
なんて、言いながら助手席に座るように促してくるので断ることなどできなかった。一番良い席は樹の隣だったが、汐見と二人後部座席に座る可能性もあったのかと思うと今はこれで良かったと納得している。
「そういえば、文月君のご両親は何してるの?」
千和さんは運転しながら当り障りのない質問をしてきた。
ここで正直に答えても俺が旧財閥の一族とバレることはないのだろうが、万が一のことを考えて口を開く。
「えーっと……父は医療関係の仕事で」
「文月兄ちゃんのお父さんはお医者さんなの!?」
「い、いや、医者じゃないから。詳しくは俺も良く知らないけど」
我ながら上手に当り障りのない返しをしたと思う。
俺は仮面をかぶり、自分を偽ることには慣れてはいるが、嘘を吐くことが苦手だ。
博之にはいつもバレていたし、『お前に嘘は似合わない』なんて言われた過去もある。その割に今回は上手にやったと思う。
「お母様は?」
父親のことを答えたのだから、当然次は俺の母親について言及される。
俺は再び何か嘘をつくか、それとも正直に答えるか悩み、その悩みが昇華されぬまま再び口を開いた。
「母は、俺が五つの頃にいなくなりました」
俺が選んだのは後者だった。
無意識的にこの人たちにあまり嘘はつきたくないと思ったのだろうか、この事実を口にした俺自身が驚いていた。
「……死んじゃったの?」
「こ、こらっ!?」
後部座席に座っている樹が遠慮がちにも質問をしてきた。
そして、そんな樹を汐見は叱る。当たり前の行動だろう。
「いや、死んでないから大丈夫。俺の言い方が悪かったな」
俺は汐見が樹を叱ろうとしたので、慌てて訂正する。
「母は親父と離婚して、家を出ていった。まぁ幼いころの俺からしたら母親はいなくなった、というよりは『母親』って存在が分からなくなったって感じですけれど」
俺はそう言って笑って誤魔化す。
あの日、俺の中で『母親』という概念が消失した。
いつも父と喧嘩ばかりしていた。しかし、俺に慈愛に満ちた微笑みを浮かべてくれていた。父から酷い言葉を浴びせられている俺を庇ってくれたりもした。
あの日、それらが何だったのか、分からなくなった。
俺を何故一緒に連れて行ってくれなかったのか。何故、あの男の元に置いていったのか。
十年以上たった今もそのことだけが疑問だった。
「あっと、すみません。変な話しちゃって……」
車内の空気が非常に悪くなってしまったので、明るい声色で空気を換える。
「いや、こっちこそ変なこと聞いちゃってごめんね?」
千和さんが俺の一芝居に乗ってくれ、すぐに別の話題に移り変わったため、車内がこれ以降暗い雰囲気に包まれることは無かった。
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