第38話 重ならない
「どうしてこうなった……」
俺は思わずそんな小さな呟きをこぼす。
時刻は五時前。
夕焼けに染まりきらないアスファルトの上を歩く。
いつもなら帰路に着いているところだが、いつもとは違う道を歩く。
そして、その足取りはゆっくりで。
けれど、確実に一歩を進める。
「……ん? 何か言った?」
俺の呟きが聞き取れなかったのか、聞き返してくる彼女。
俺はそんな彼女に何でもないと告げて、前を見る。
俺、古橋文月は今、汐見楓を家まで送っている。
どうしてこんなことになったのか。
それは汐見発案の対策故だ。
そう、事の発端は二時間ほど前まで遡る。
「……あるよ、ひとつだけ! この状況でも怪しまれずに対処する方法が!」
神アイディアが思い浮かんだと言わんばかりの表情を浮かべ、俺ににこやかに告げる汐見。
俺は正直、不安という感情を抱いていた。
今まで、汐見のこうした案を聞いたことが無かったのも勿論だが、何か突拍子もないことを言われる予感があったから。
俺自身、彼女がどういう人間か知らない。
けれど、意外と汐見楓はそういう人間だと、彼女と過ごした俺の二か月間が知っていた。
「……一応、聞くけどそんな方法だ?」
流石に、俺も手詰まりだと思っていたので、ここで彼女の発案を無視することはできなかった。
「古橋君が一緒に居れば大丈夫だよ」
「………………は?」
俺は彼女の言葉を疑った。
彼女が何をもって大丈夫と言っているのか、俺にはわからなかった。
「だって、君は私を噂から守った実績があるから。 そんな人が私の周りにうろついていたらやりづらくなるでしょ?」
「……いや、思いっきり怪しまれるだろ」
俺は冷静にツッコミを入れる。
自分で言うのもなんだが、俺は結構悪目立ちをしている。
そんな俺がうろちょろしてたら、怪しまれる以前に注目されてしまう。
「……大丈夫だよ。 たかが学生の恋愛なんだし、簡単に寄りを戻したって不思議じゃない」
「……さいですか」
俺は彼女の、いや女性の語る理論が理解できず、そんな関西方面の方言を口にしてしまう。
そもそも、よりを戻すどころか寄ったこともないんですけれど。
「まぁ若干、賭けみたいなところもあるけど、私を信じてよ」
「……」
そんなこと言われたら、俺の選択肢は一つしか無くなるだろ。
お前が気づいているかどうか知らないけれど、俺はお前にずっと前から惚れてんだから。
惚れた女から、信じて、なんて言われたら信じるしかないだろ。
「……だめ、かな?」
「一応聞いておく。 お前は俺と噂されることになる、かもしれない。 それでも、良いのか?」
「……そ……の……いい……」
「え、なんて?」
俺の質問への返答はとても小さく、俺の耳では聞き取ることが出来なかった。
俺が聞き返しても再びその返答が返ってくることはなかった。
「私からの提案なんだから気にしないで」
「お、おう……」
その代わりか、きっとした目つきで短い言葉が告げられた。
「それに、古橋君は帰りだけ。 行きは優子に頼んでみる」
「なら、帰りも…………そうか」
行きに仲町に頼めるなら、帰りも仲町と一緒に帰ればいいんじゃね?
そんなことも思いもしたが、すぐに野暮だと気づく。
俺は彼女の意図を理解してしまったから。
そして、思わず顔が熱くなる。
俺の気持ちが伝染する。
そんなことあるはずないが、心なしか汐見の顔も少し赤くなっている気がした。
その後は特に言葉を交わすこともできず、俺たちはそれぞれ教室に戻った。
そして、帰りに本当に一緒に帰ることになり、今に至る。
俺たちはのろのろと並んで歩く。
他の通行人からしたら邪魔になりそうだが、幸い歩道は四人並んで歩いても通れるほどに広いので邪魔にはなっていないと思う。
ただ、時折すれ違う主婦の皆様の視線が痛い。
俺たちはもうすぐいつものショッピングモールあたりに着くのだが、ほとんど言葉を交わしていない。
そんなもどかしい雰囲気は一目見ればわかるものなのか、主婦さんたちから温かい眼差しが向けられる。
(気まずいな……)
視線的な意味でも沈黙的な意味でも、距離感的な意味でも。
俺は彼女との時間に気まずさを感じていた。
そして、彼女もきっと同じ気まずさを抱えているだろう。
「あ、あの」
俺が汐見に会話を振ろうと口を開くと、彼女の肩がビクッと跳ねる。
「な、なに?」
「い、いや、本当にこれが対策になってるのかなって……」
「ふぇ……あ、あー、対策、うん、対策になってるよきっと!」
ほんとかよ……汐見、忘れてただろ?
そんな言葉を言いそうになったが、ぐっと飲み込む。
もしそんなことを言ってしまったら、この幸せな時間が消えてしまうかもしれない。
気まずさを抱えながらも、何故だか充足感や幸福感に溢れている。
そんな時間を自ら手放すようなことはしたくなかった。
「そ、そうか」
「う、うん」
そして、俺たちは再び黙ってしまう。
俺は俯き、自分たちの影を見る。
歩いて揺れる二つの影。
俺の思い上がりじゃないのなら心は重なっているはず。
だけれども、夕陽により照らされ生まれた俺たちの影は重ならずにいた。
そして、すぐに汐見の家についてしまう。
すぐと言っても、実際には二十分程度は学校から歩いているのだが、今の俺には一瞬に感じられた。
「じゃ、じゃあ……」
「うん、じゃあ……」
そんな、ぎこちない言葉を紡ぐ二人。
小さく掲げられた手は自信なさそうにそれぞれの胸元に浮かぶ。
しかし、二人は向き合ったまま動かない。
どちらかが背を向けるのを待っている。
「あの……」
「ねぇ……」
お互いの声が重なり再び沈黙が流れる。
そんなことを幾度か繰り返したのち、二人は背を向ける。
そして、その後は一度も振り返らず、汐見は家へ、俺は元来た道へと戻って行く。
せっかく別れたのに振り返ってしまったら戻ってしまいそうで、甘えてしまいそうで。
俺はそんな本能を必死に抑制して帰路へとついた。
そんな日の帰り道。
俺は切に願った。
『私の中で折り合いがつくまで』
そんな折り合いのつく日なんて来ないことを。
せめて、もう少しだけこの距離感でもいいんじゃないかと。
そんな贅沢過ぎる願いを胸に俺は帰宅した。
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