第35話 本音とこれから

 

「今日はありがとうございました」


「いいのよ、またおいで」


「来週も来て良いよ!」


「それは、ちょっと……」


 見送りに来てくれた樹の言葉に俺は愛想笑いを返す。

 流石に二週連続で夕飯までご馳走になってるから少し間を空けないとな……。

 これに慣れてしまうと、後が怖い。


「あっと……」


「……?」


 汐見は言葉にならない声を発するので、俺は首を傾げる。


「私、ちょっとコンビニまで行くから」


 汐見は極めて冷静な態度で靴を履き、俺の隣に立つ。


「そう、じゃあ樹はさっさとお風呂入って寝ようね~」


「え~、ぼくもいっしょに」


「樹は外に出ちゃダメな時間ですよ~」


 千和さんは何か察したのか、樹を連れてリビングへと戻って行く。

 そして、玄関の扉は閉まり、汐見が鍵をかける。


「えっと、じゃあ行くか」


 俺がそういうと汐見はコクンと頷いた。

 ……え、なに、可愛すぎるんだけど。



 俺は汐見と並んで夜道を歩く。

 コンビニまでは徒歩五分もかからないが、俺と汐見は並んで歩く。

 ゆっくりと、この時間が永遠になればいいのに。

 そんなことを思っていると、ついに汐見は立ち止まる。

 俺も汐見よりも一歩進んだところで立ち止まる。


「……ん? どうした?」


 汐見に声をかけ、身体ごと振り返る。


「……私は、君の助けになれてるかな」


「……」


「私は君の相談にも乗れてないし、話を聞いてあげられてもない。 私は君に恩を返せてるのかな……?」


 汐見は俺にそう告げると俯いてしまった。

 きっと、これは彼女と俺の間で生じていた気まずさの一因だろう。

 俺たちの関係は義理から始まり、贖罪に収束した。


 だから恩とか罪が付きまとう。

 切っても切り離せないんだ。

 今日、本当に俺と話したかったのはこの事だったんだろう。

 もし、昼間に話せばこの雰囲気を家庭に持ち込むことになる。

 それはきっと、俺も汐見も許せないことで。

 二人だけの問題に他者を巻き込むわけにいかなくて。

 だから、こうして意を決して俺に聞いてきたんだ。

 今にも消えてしまいそうな掠れた声色で。


「……『君が寂しいかったら傍にいてあげる』」


 俺がそう口にすると汐見の顔がゆっくりと上がる。

 そして、その表情が街灯に照らされて俺に届く。

 今にも泣きだしてしまいそうな。

 ここから逃げ去ってしまいそうな。

 そんな不安げな表情を浮かべていた。


「俺は、感謝してる。 傍にいてくれて、こうして一緒に居てくれて」


「……」


 汐見は黙って俺を見つめるが、言葉を続ける。


「だから、そんな不安げな顔するな」


 俺はそう告げて、右手を彼女の頭に添える。

 そして、優しく自分の胸に彼女の頭を押し付ける。


「私は君の助けになれてるの……?」


「なれてる……わけじゃない」


「なら、なんで……」


「けど、これから間違いなく助けて貰う。 俺、弱くなっちゃったから」


 そう言って、顔を上げる汐見に笑いかける。

 もう、俺は取り零せない。

 この関係に終わりが来るまでは何も失いたくないって思えたから。


「弱くなんか、見えないよ……」


「それは、まぁ女の前では見栄を張るのが男ってもんだからな」


「なにそれ……ださ」


 俺の顔の下から小さくささやかな罵倒が聞こえる。


「もっとダサいところを見せていくから覚悟しておけ」


「……わかった」


 彼女がそう言って返事をしたところで、俺は再び前を向く。

 そして、コンビニまでの道のりを歩みだすと、左手に温かさが伝わる。


 次に、感覚が伝わり、俺は何をされているか把握できた。

 一瞬立ち止まってしまったが、再び歩き出す。

 左手にある小さなぬくもりを大切に包みながら。



「……じゃあ」


「……おう」


 そんな短い会話とも言えない言葉を交わすと、お互いの手は虚しさを感じ、再び空気の生暖かさを取り戻す。


「気を付けて」


「そっちもな」


「……うん」


 汐見は小さく頷く。

 そして、汐見は小走りでコンビニへと入っていく。

 俺はその姿を見送ると、帰路へ着く。

 しかし、その足取りはいつもよりゆっくりだった。

 今宵の夜は空気が生暖かく、熱を冷ますには時間がかかった。




――――Change View――――


「ただいまー」


「おかえりー、早かったわね」


 私は家に帰ると、お母さんが出迎えてくれた。


「まぁね。 アイス買いに行っただけだし」


 私は冷蔵庫にアイスをしまいながら返答する。


「そう? なら樹も付いて行かせても良かったかしら」


 そんな呟きを漏らすお母さん。


「あ、そういえば樹が姉ちゃんの高校の友達に会ったって言ってたけど……」


「え、なにそれ、知らないんだけど」


「まぁ樹を叱ってたんだから知る由もないでしょ」


 お母さんは苦笑を漏らしながらそう言う。


「でも、私の友達って、優子か千弦くらいしかいないんだけど……」


「えー、その二人の名前じゃなかったけど。 ……というかその二人ならわかるでしょ」


「それもそっか」


 樹は優子と千弦と一度会っている。

 四月の一件で学校を休んだ日の放課後に二人が訪ねてきてくれたから。

 そこで、樹とお母さんは私の友達に会っていた。


 お風呂上がりの樹に誰と会ったかを聞いてみたが、本人も誰かわかっていなかったらしい。

 ただ、私と同じ名南高校の制服を着ていて、私と同じクラスだとその女子は言ったそうだ。

 樹自身、彼女に何を話したかはよく覚えていない様子だった。

 私はなんとなくだが、胸騒ぎがしていた。

 また、何か起こるんじゃないか、と。


 夏休みまで二週間と数日の短い期間で何が起こるかなんてたかが知れているが、それでも私は言い知れぬ不安を感じていた。

 

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