第32話 お呼ばれの理由


 やはり、一週間という時間は長いようでとても短い。

 気づけば、今週も既に木曜日の放課後になっていた。

 俺は貴重品だけ持って、教室から校門前に移動する。

 そして、生徒会長兼美化委員長を務める芹沢せりざわ会長の号令が終わると各々活動場所へ移動する。


 俺と汐見は、この二か月間恒例となった河川敷での清掃活動に勤しむ。

 正直、一週間に一回掃除していればゴミなんて落ちてないと思うが、これがそうでもない。

 たった一週間でほぼほぼ先週と同じ量のゴミが落ちている。

 全く、このゴミはどっから沸いてくるのだろうか……。

 そう思いながらも、俺たちは黙々とゴミを拾い集める。


 

「ねぇ」


「……なんだ」


 活動を始めて五分ほどしたとき、汐見が話しかけてきた。


「……その、土曜日、空いてる?」


 そんな戸惑いを含んだような声色で要件を告げてきた。

 いつからだろう、こんな風に汐見が俺を誘うのに戸惑いを抱え始めたのは。

 最初のころなんて淡々と要件だけ告げてきたんが、ここ最近は何故かどこかたどたどしい。


「まぁ、大丈夫だけど……」


 そんな汐見につられてか、俺の反応も歯切れの悪いものとなってしまう。

 以前なら「了解」や「分かった」程度の簡素な返ししかしてこなかったのに。


「樹が遊びたいって……あと、お母さん今週も早いから」


「……迷惑じゃなければ」


「わかった……」


 どこか、気まずい雰囲気が流れる。

 俺と汐見の関係は何も変わっていないのに。


 ただの、友達。

 仲の良い少年のお姉さん。

 この気まずさを味わうたびに、俺たちの関係性はこれだけではないと錯覚しそうになる。

 思いあがりそうになる。

 そして、すぐにそんな妄想は捨て去っているが、いつまで持つかわからない。

 もしかしたら、俺が勘違いして行動に移してしまうかもしれない。

 そうなってしまうと、誰にとっても良い結果にならないから。


「……古橋君?」


「おっと、悪い」


 少し心配そうに俺に声を掛ける汐見。

 ぼーっとしていた俺は声を掛けられてすぐに活動に戻った。

 そんなことは絶対に来ないから安心しろ、俺。

 何度も自分にそう言い聞かせながら、清掃活動に勤しんだ。




 

 そして、さらに時は進み、土曜日となった。

 俺は汐見の家に行く前にいつものショッピングモールで軽く手土産を購入する。

 毎回持って行っているので、汐見からは申し訳なさそうな顔をされるが、俺自身の懐事情は家柄故にかなり潤沢であまり大した金額ではない。


 週に一回行っても月四千円程度。

 俺は特にお金のかかる趣味もなければ、食に関心があるわけでもないのでお金と時間だけが溜まっていった。

 幸い、時間の方は勉強とたまにの読書で消化できたが、あの父親から振り込まれる口座のお金だけはどんどん増えていった。

 なので、正直こういった使い道があるだけで少し嬉しくなるし、気分転換にもなる。

 本日も千円程度の適当な手土産を買い、汐見の家へと向かう。


 ショッピングモールから汐見の家までの道のりには一つの公園がある。

 そこは二か月前、樹と二人話した公園だ。

 今日は土曜日の昼間、十三時であることもあり、子供やその保護者が見える。

 そこには樹と同い年くらいの少年たちが走り回って遊んでいた。

 今どきの子供はゲームやスマホばかりやって家で遊ぶものだと思っていたが、まだまだ公園というものは子供に需要があるのだと知り、何故だか少し嬉しくなる。


「……やっぱ、樹もこういう方が良いんだろうけどな」


 俺は思わずそんな呟きを漏らす。

 俺が樹と遊んであげられるのは、汐見の家の中だけだ。

 外で遊ぶとなると、俺だけじゃなく樹の保護者として汐見も同行しなければならない。


 それは四月の件の二の舞になりかねない。

 せっかく公の前で彼女との関係を否定したのに、実はまだ関係続いてましたなんて言ったら何が起きるかわからない。

 流石にもう汐見に寄ってくる輩はいないだろうが、学内での目は今以上に厳しくなることが予想される。


 今は古橋文月ふるはしふづきに捨てられた女というレッテルがあり、同情されている状態だが、もし二人でいるのを見られでもしたら今度は女子からの嫌がらせが汐見に降り注ぐことになるかもしれない。

 かと言って、俺の素性がバレてしまうので、俺の家に汐見たちを招くわけにもいかない。


 最悪、樹だけ呼んで家のことを口外しないことを約束させれば何とかならない気もしないが、樹は小学生だ。どうしてもボロが出てしまう。

 ボロを出すなという方が無理な話だ。


(……でも、そろそろなぁ)


 俺はまだ、汐見たちに家のことを話せないでいた。

 それは一年以上の付き合いになる博之にも打ち明けられていない。

 俺が元財閥の、古橋の人間だと知られた時の反応が怖い。

 そのあとの態度が変わってしまうことが怖い。

 俺は過去の出来事ゆえに竦んでしまっている。



 中学時代、俺は元財閥の末裔ということを隠していなかった。

 というか、小学生のころからの知り合いも同じ中学に何人も進学していたので隠しても意味が無かった。

 俺のことはたちまち学年中で噂になり、俺の席の周りはいつも人で溢れていた。

 特に女子や、金持ちの息子たちでいっぱいだった。


「古橋君、趣味は?」


「文月君は勉強得意?」


「文月くんは好きなことか居るの?」


「古橋は親の仕事継ぐとか考えてるのか?」


 そんな、玉の輿とか一緒に居るとメリットがあるとか碌でもない人間たちが集まってきた。

 最初はそんなことに気づかず、仲良く愛想を振る舞いていた。

 誰かに求められていることで、愉悦に浸って、自らのちっぽけな自尊心を満たしていた。


 しかし、結構早い段階で俺は真実に気づいてしまう。

 中学一年生のゴールデンウィーク明け。


「古橋のやつ、海外とか行って帰国遅れてんのかな?」


 朝、いつもの登校時間より遅れて、遅刻ギリギリで学校に向かうと扉の前で友達だった男子と女子たちの会話が聞こえてきた。


「えー、だとしたらズル休みじゃない? それか、行った先で体調崩したとか?」


「かもなー。 てか、あいつ正直言って面白くないよな」


「だよねー、つまんない。 三年も古橋君に愛想ふりまかなきゃいけないとか考えたくないんだけど」


「そんなこと言わないの、じゃないと甘い汁据えないよ?」


「お前ら悪女だな?」


「そういう君こそ~」


『あはははは』


 今でも一字一句その会話は覚えている。

 俺の心は深く抉れ、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 けれど、ここで帰ったら父に怒られると思い、必死で急いで登校してきた風を装った。


「はぁはぁ……、間に合った?」


「お、おうおはよう古橋」


 男子の挨拶に続いて彼と会話していた女子たちも挨拶を返してくれる。


「古橋……今の会話聞いてたか?」


「……今の話って?」


「ううん、なら良いんだ」


 俺が気づいていないふりをすると、彼らは安堵した表情を浮かべた。

 このとき俺は学んだんだ。

 金の前では簡単に人は嘘を吐き、自分の気持ちすら偽る。



 そんな、苦い過去の記憶を思い出していると、すぐに汐見の家に着いた。

 気持ちを切り替えて、汐見たちの家の前に立つ。

 そして、深く深呼吸をする。

 もう二か月も経つが、相変わらずインターホンを鳴らすことすら慣れない。

 俺は意を決して、右手の人差し指を突き出し、インターホンを鳴らす。


「――はい?」


 扉越しにそんな声が聞こえてくる。


「えっと、古橋ですけど」


 俺がそう答えると、扉が開く。


「……どうぞ」


 どこか不機嫌そうな汐見が扉を開けてくれた。


「え、ええっと、お邪魔します……?」


 俺は汐見の様子に戸惑いながら家へと上がる。

 そして、いつものようにリビングに通される。

 いつものようにテーブルに手土産を置き、腰を下ろす。

 そこで、俺はようやくいつもと違う違和感に気づく。


「……あの、樹は?」


 そう、いつもなら一目散に出迎えてくれる樹がいないのだ。


「……本当についさっき遊びに出掛けた」


「え」


 汐見の不機嫌そうな返答に俺は驚いて短くそう漏らす。

 あれ、俺って今日は樹と遊ぶって名目でお呼ばれされてるんだよね?

 というか、今この家には汐見と俺だけ?

 あれ、ちょっと、どういうことだ?


 唐突に俺に幸せな地獄の試練が降りかかってきた。

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