第28話 古橋文月と汐見家
「ただいま~!」
玄関が開く音と同時に、元気のいい声が部屋中に届く。
どうやら汐見と樹の母である千和さんが帰ってきたみたいだ。
「おかえり」
「うーん、今日も美味しそうな臭い!」
「すぐにご飯にするから、少し待ってて」
「は~い」
そんな会話が玄関先から聞こえてきて、声が近づいてくる。
「ただいま、樹……ってあれ?」
「……お邪魔しています」
俺は樹のカードゲームの相手をしながら、顔だけ千和さんの方に向け軽く会釈する。
「文月君じゃない! 久しぶりね?」
「そうですね、お会いするのは一か月ぶりですかね?」
俺の存在に喜んでくれている千和さんを見て、俺も心なしか少し嬉しかった。
「最近会わないから、てっきり楓と喧嘩別れでもしたのかと……」
「そんなことは出会った当初だけで、今はそう言ったことは特にありませんよ」
俺がそう返すと、千和さんはニヤリと口角を上げた。
「またまた~、そういう意味で言ってるってわかってるくせに~」
「……そういう意味ならそもそも別れるほどの関係値がありませんよ」
千和さんの弄りに俺は冷静に返す。
ここで少しでも動揺を見せれば、後々面倒くさそうだし。
「……文月兄ちゃん、早く!」
「おお、悪い悪い」
どうやら千和さんと話している間に樹の番は終わり、俺の番になっていた。
俺は少し急いで自分の番を進める。
「もうすぐご飯みたいだから、早めに机の上片付けてね?」
隣の部屋に入りながら、俺の後ろからそう声を掛ける千和さん。
現状、まだまだ勝負は付きそうにもなかったので、俺は急いで負けるように努めた。
しかし、千和さんが隣の部屋に入ってから間もなく今度は汐見から注意される。
「ご飯並べたいから、机の上を早く片付けて!」
「だってさ、樹?」
「……もうちょっと」
樹はそう口にして、どうすれば勝てるのか再び悩み始める。
「……樹」
俺は恐る恐る汐見を見上げる。
汐見の顔を見て俺は急いで、樹に声を掛ける。
「お、おい、樹そろそろ……な?」
「なんで、文月兄ちゃ……ひっ!?」
樹もこの状況に気づいたのか、小さな悲鳴をあげる。
「机の上、片付けてね?」
汐見はとても良い笑顔で俺たちにそう告げる。
その笑みは良すぎて、恐怖すら感じた。
「は、はい!」
樹はいい返事をする。
(きっと、最初からその返事ができていればこうはならなかっただろうな……)
俺はそんなことを考えながら、机の上を片づけて、机の上を拭いていた。
「てをあわせてください!」
『いただきます』
樹のそんな掛け声に、四人の声が重なる。
そして、一斉に食事を取り始める。
本日の汐見家のメインディッシュはロールキャベツ。
「んー! おいしー!」
早速、ロールキャベツを頬張る樹。
そんな樹を見て、俺も一口。
「……うま」
思わず、感想がこぼれてしまった。
いつも汐見の料理を食べると、自然とそんな言葉が零れてしまう。
汐見の料理が美味いのか、この家で食べる料理が美味いのか。
「でしょ? 楓のロールキャベツは絶品なのよ~、んんん~!」
千和さんは俺の呟きを拾い、自らも料理を口に運ぶ。
「ちょ、お母さん恥ずかしいから!」
千和さんの言動に恥ずかしがる汐見。
そんな汐見の反応を気にせず、千和さんは口を開く。
「だって本当のことだし~。 あ、ビール飲んでいい?」
「……もう、好きにして」
「やった!」
千和さんはウキウキな様子で立ち上がり、冷蔵庫へと向かった。
そんな千和さんとは対照的に、汐見は呆れている様子だった。
どっちが子供で、どっちが大人なのか。
千和さんには失礼だが、そんな風に感じてしまった。
「なんか、千和さんテンション高いな……」
「……まぁ早く帰ってこれて嬉しいんでしょ。 明日は休みらしいし」
「そ、そうか」
汐見はいつものことだと思っているようだが、俺はまだ千和さんと出会ってから二か月ほどしか経っていないので、千和さんの振る舞いにこうして驚いてしまう。
こうして、汐見家の新しい一面を知ることは、驚きもあるが、どこか嬉しさも感じていた。
自分がここにいても良いのだと言われているような気がして。
自分がここにいるのが自然だと思われている気がして。
つい、そんな思いあがった感情が生じてしまう。
「――ご馳走様でした」
俺は手を合わせて、頭を軽く下げる。
ロールキャベツが美味しくて、ついご飯を御代わりしてしまった。
「はい、お粗末様でした」
予想していなかった発言を汐見から言われて、俺は彼女の顔を見る。
「……なに?」
「あ、いや……美味かった、ありがとう」
「いや、どういてたしまして……」
勢いだけで彼女の顔を見つめてしまった俺は、言葉に詰まりながらも素直な言葉を伝える。
彼女は急にどうしたと言わんばかりの表情で返答する。
そして、彼女は俺の空いたお皿を自分のお皿に重ねる。
「あ、それくらい俺が持ってくよ」
流石にそこまでして貰うのはどうかと思い、俺は口を開いた。
「いいって、お客様なんだから休んでて」
「でもな……」
「いいから、いいから」
俺は汐見に断りを入れられてしまう。
「――なら、私が洗い物しておくから、楓は休んでおきなさい」
千和さんは、飲んでいた缶ビールを机に置くと、そう言って立ち上がった。
「え、でも、お母さん酔ってるし疲れてるでしょ」
「お母さんはこのくらいじゃ酔いません。 それに、いつも楓に任せっぱなしじゃ母親の威厳が無くなっちゃうじゃない?」
汐見の指摘に反論しつつ、千和さんは汐見の頭に手を置きながら優しい声色でそう告げる。
「……じゃあ、まぁ、お願い」
「任せなさい!」
汐見が少し恥ずかしそうに、千和さんの言葉に甘えると千和さんは汐見から食器を受け取り、洗い物を始めた。
この二か月で一番大きな変化。
それは、汐見が家族を頼るようになったことだろう。
以前は家の中でも肩肘を張っているイメージだったが、今では”助け合う”という言葉が良く似合う家族になっていると感じる。
「……ちょっと、千和さんだけじゃ心配だから俺も手伝ってくるわ」
俺は汐見にそう断りを入れて、立ち上がる。
「え、それは悪いって……」
「いいから、汐見は休んでおけって」
俺は汐見の静止を振り切り、千和さんの元に向かう。
「……あれ? 文月君、どうしたの?」
「いや、俺も手伝おうかなって思って……」
「そう、なら洗い終わった食器を拭いてってくれる?」
俺は千和さんの横に立ち、渡された布巾で食器の水気を取っていく。
「……ありがとね」
「どうしたんですか、急に」
唐突に千和さんがそんなことを言ってきた。
「最近、樹も楓も凄く楽しそうだから」
「それに俺は関係ないと思いますけど……」
千和さんの言葉に脈絡が無いので、俺は冷静に答える。
「ううん、だって文月君が家に来てから別人のような笑顔を見せるようになったんだから」
「……そうですか」
「うん、だから文月君には感謝してる。 まぁ本来なら母親の私がしなきゃいけない指摘もしてくれたし」
少し自嘲的な笑みを浮かべ、お皿を渡してくる千和さん。
俺はそのお皿を受け取る。
「なら、彼女たちが勝手に笑顔になっただけですよ。 本当に俺は何もしてないですから」
そう、俺が汐見と樹を笑顔にするためにしたことなんて無い。
ただ、俺のしたいことをしただけなんだから。
「……文月君って、もしかして、楓よりも頑固?」
「さぁ、どうでしょう?」
千和さんのそんな問いに、俺は少し意地悪く返した。
「そろそろお暇しますね」
時刻は二十時になり、樹とのカードゲームもひと段落つき、そう切り出した。
「えー、もう帰っちゃうの?」
「ごめんな?」
不服そうにする樹の頭に軽く手を置く。
そして、その手を離して立ち上がる。
「ごめんね、樹に着き合わせちゃって」
「いえ、俺も楽しかったですし、それよりこんな遅くまで居てすみません」
千和さんに向かって軽く頭を下げる。
「それはいいのよ、樹の相手をしてもらって私も大助かり! なんなら泊って行ってくれても……」
「お母さん!」
汐見が千和さんの言葉を途中で遮る。
「……なに、楓は文月君が泊まるのは反対なの?」
千和さんは不服そうに汐見に問いかける。
「そういうことじゃなくて、そんなこと言われたら古橋君が困るでしょ。 ……ごめんね」
「いや、うん、まぁ大丈夫だから」
汐見に謝られて、俺は意味の分からない返事を返してしまう。
「今日はありがとね。 またいつでもいらっしゃい」
「ありがとうございます」
「また来週遊ぼうね、文月兄ちゃん!」
「ははは……用事が無かったらな」
「外、暗いから気を付けて帰ってね」
「了解。 ……じゃあ、お邪魔しました」
三者三様の見送りを受けて、俺は帰路に着いた。
二か月前には予想もできなかった休日。
幸せ過ぎて、充足感以外が感じられない状態だ。
俺は夜空を見上げ、今日に思いを馳せる。
日中は曇りだったが、今は雲と雲の隙間から若干の星々が顔を覗かせていた。
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