第二章

第27話 二か月の経過


「久しぶり、文月兄ちゃん!」


「よう、樹」


 土曜日の十五時。

 汐見の家のチャイムを鳴らすと、勢いよく玄関の扉が開き、樹が出迎えてくれた。

 俺はそんな樹の頭を撫でる。


「久しぶりって、先週会わなかっただけでしょ……」


 奥から汐見も現れて、俺を出迎えてくれる。


「そうだけど、文月兄ちゃんに話したい事がいっぱいあるんだよ!」


「はいはい」


 汐見の小言に真剣に反論をする。

 汐見は仕方なさそうに呆れたように優しい笑みを浮かべる。


「……なら、今日は先週の分も色々聞かせてくれよ?」


 俺は樹に視線を合わせるように屈み、笑みを浮かべる。


「うん! じゃあ早く入って!」


 樹は勢いよく俺の手を引っ張る。


「おい、ちょっと待てってば……これっ!」


 樹は結構な強さで手を引っ張ってきていたので、俺は汐見に手土産だけ渡して、慌てて靴を脱ぎ捨てた。


「まったく……」


 汐見がそんな呟きを漏らしながら屈む。

 恐らく、俺の靴を揃えてくれているのだろう。

(……すまん。 あとでお礼を言わなきゃな)

 樹に引っ張られて、部屋に入りながらそう思った。


「でね、それですみれちゃんがね……」


「へぇ? それで?」


「えーっとね……」


 俺は樹が用意してくれた座布団に座ると、すぐに樹がここ最近のことを話し始めた。

 よっぽど話したかったんだなと思い、俺は樹の話をしっかり聞く。


「よかったら……」


 樹の話を聞き始めて十分ほど経ったとき、横からそんな声と共に湯飲みが差し出される。


「……ありがとう」


「……いえ」


 俺がお礼を言うと、気まずい雰囲気が流れる。

 樹は不思議そうに俺たちを見つめるが、すぐに汐見は立ち上がり、再びキッチンへと引っ込んでしまう。


「……姉ちゃんと何かあったの?」


「え!? どうして?」


 俺は樹からの質問に動揺してしまう。


「だって、ここ最近なんか変だよ二人とも。 喧嘩でもしたの?」


「いや、してないから安心しろ、な?」


「うーん……」


 俺は話を逸らそうとしたが、樹は唸りながら手を顎に持って行く。


 確かに最近たまにこういうことが俺と汐見の間に起こるようになった気がする。

 今は、六月下旬。

 俺がこうして汐見の家にお邪魔するようになってから二か月以上が経った。

 この二か月で変わったことと言えば、汐見の携帯電話がスマホに変わったことと、この雰囲気。


 俺は今までと何ら変わらない態度を取っているとは思うのだが、汐見の態度が時折おかしく、俺もその空気感を感じ取ってしまい、気まずくなってしまっている。

(まぁ四月時点で気まずくなることがほとんど無かった方が、不思議だよな……)

 俺たちが気まずくなることがあったのは、樹のいない空間での沈黙のときだけだった。


 お互い同じ空間にいるのに、先ほどまであった会話が一気になくなり、場を繋ぐべきか悩むあの空気。

 しかし、先月の半ばくらいからか、樹が居てもこうして二人で気まずくなってしまうことが起こるようになった。


「……なんでだろうな」


 俺はそんな呟きを漏らす。

 すると、樹が俺の呟きに返答する。


「……それって、姉ちゃんが文月兄ちゃんのこと気になってるんじゃない?」


「いやいや、それは無いから」


 樹が変なことを言い出すので、俺はきっぱりと否定する。

 四月の一件から俺たちは友達になったのだが、特に何もしていない。

 友達になる以前の様にこうして、家に訪れて樹と遊ぶだけ。

 まぁたまに夕飯もご馳走になるが。


「そうかなぁ?」


「なに、納得いかなそうな顔してるんだよ? そういったことはないから安心しろ?」


 何故か首を傾げる樹に、俺は丁寧に汐見とそういう関係じゃないと伝える。

 俺からの好意が漏れているのならまだしも、汐見がそういった感情を持っているとは考えにくい。


「だって、すみれちゃんがぼくに『すき』って言うときと、おんなじ目をしてたから」


「ほ、ほーん……?」


 俺は動揺して、そんな謎の相槌を打ってしまう。

 薄々気づいてはいたが、樹がモテているという事実。

 そして、樹のことを好いている女子と汐見が同じ感じだと言う。


 前者については何だか、樹に負けたような気がして。

 後者については長年一緒に居る弟からの意見と言うことで、もしかしたら、なんて想像をしてしまって。


「それに、先週姉ちゃんがね――もごっ」


「樹、お口チャックね? ……いい?」


 いつの間にやってきたのか、汐見は樹の口を背後から両手で抑える。

 その顔は怖いくらいの笑みで、樹は怯えた顔で必死に頷いていた。


「……文月兄ちゃん」


「ははは……」


 よっぽど怖かったのか、助けを求めるかのように樹は俺の名前を呼ぶ。

 俺は汐見のいる手前、樹に味方することはできず、乾いた笑いをこぼすことしかできなかった。


「古橋君」


「は、はい!」


 今度は俺に声を掛けてきた汐見。

 彼女の顔には笑顔が張り付いているが、禍々しい黒いオーラを纏っているので、思わず強張った返事をしてしまう。


「樹の言ってることは全部見当違いだから。 ……わかった?」


「は、はい!」


 俺は汐見に圧倒され、そんな返事をしてしまう。


「なら、よろしい」


 そう言って、今までの禍々しいオーラを引っこめると再びキッチンへと戻って行った。



「……なぁ、樹」


「……なに?」


「お前の姉ちゃん、あれだな……」


「あれだよね……」


 俺と樹は放心状態でそんな会話をする。

 あれの部分を明言すると再び彼女が来てしまいそうで。

 先ほどまで、何の話をしていたか。

 何で汐見があんな状態だったのか。

 汐見が”あれ”すぎて、俺たちはそんなことすら忘れてしまった。



「今日は夕飯食べてくよね?」


 時刻は十七時。

 俺はそろそろお暇しようと思っていたのだが、樹からそんな言葉が飛び出した。


「うーん、帰ろうと思ってたんだけどなぁ……」


 俺はそう言いながらキッチンにいる汐見をちらりと見る。

 すると、会話を聞いていたのか、汐見がキッチンから顔を出す。


「……今日はお母さんもうすぐ帰ってくるし、久々にどう?」


 いつもなら樹を止める汐見も今日は樹の味方だった。

 この二人に誘われてしまったら俺には断るという選択肢は残されていないわけで。


「じゃあ、お言葉に甘えて……」


 いつもより少し小さな声で樹と汐見に伝える。


「やったー!」


 俺が夕食をご馳走になると伝えると、樹は無邪気に喜んでいた。


「ん……」


 そして、樹とは対照的に汐見は短く答え、キッチンへと戻って行った。

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