第25話 俺と君との距離
昼休み。
いつもなら購買でパンでも買い、特別棟に向かってるところだが、流石に、この状況で教室を離れるのは危険すぎる。
汐見が一昨日の様に誰かに呼び出されるかもしれない。
今度は未遂じゃすまないかもしれない。
そんな最悪の事態を考えて、俺は昼食を教室で取ることにした。
昼食を済ますと、速攻俺は机に突っ伏す。
そして、耳を澄まして情報を集める。
流石に噂がささやかれ始めて五日目。
もう誰も俺と汐見のことに関してなど話していない。
クラスメイト達は各々の談笑に興じている。
しかし、あと少しするとこの空間が一気に変貌する。
クラスメイト達の話題の中心に”汐見楓”が登場し始めるだろう。
「あ、汐見さん!」
「ちょっと、いいか?」
「僕とお話ししようよ」
小柄な可愛い系、怖そうな俺様系、眼鏡をかけた意識高い系の三人の男子生徒が汐見に向けて声を掛けながら教室に入ってくる。
当然、こんな状況であるから汐見は注目を浴びてしまう。
どうやら、この三人は学年でもそれなりに人気のある男子生徒のようだ。
しかし、何故か汐見に言い寄る。
それなりにモテているのなら、わざわざ汐見に関わる必要は無いのでは?
俺の中でそんな疑問も沸いてくるが、一旦置いておく。
そんな彼らに対して、汐見の反応を横目で窺うと心底嫌そうな顔をしていた。
水曜日の時点では少しは取り繕っていたのだろうが、現在はまるで顔に”嫌悪”の二文字が浮かんで見えてくる。
「あの、今私友達と話しているから……」
汐見は冷たく、けれど優しくプライドを傷つけないように彼らを拒む。
そして、汐見と一緒にいた仲町と飯沢は彼らへの嫌悪感を包み隠さず、顔に表して冷酷なまなざしを向けていた。
「え~? じゃあ何の話をしていたのか僕にも教えて?」
そんなあざとさを演出しながら彼らのうちの一人が尋ねる。
そして、彼に出し抜かれたくないと思ったのか、他二人も食いついてくる。
さらに周りの反応も変化し始める。
「それくらい教えてあげたら?」
「てか、男三人に言い寄られてるってやばくない?」
「というか、友達より大事なものもあるでしょ?」
そんな、囁きが教室内に飛び交う。
小さな声といっても、それが無数に折り重なり、その中の一つが聞こえてしまうことだってある。
内容が聞こえなくても、自分のことが言われているのだって邪推してもおかしくない。
「……汐見さん?」
「……どうした?」
「……何かあったの?」
男たちが揃って汐見の異変に気付き、声を掛ける。
これが彼らがモテる所以だと俺は思った。
自分の変化に気づいてくれる、きっとそれは女性の心を大きく動かすものだろう。
だが、今回に限っては汐見に悪い異変を起こして、勝手にそのことに気づいて気遣っているだけだ。
とんだピエロたちだ。
「……」
そして、汐見は三人から声を掛けられたものの、依然として沈黙している。
汐見のその反応を見て、三者三様な態度ではあるが、彼らは困ったような仕草、表所を浮かべる。
「ねぇ、アンタたちいい加減にしたら?」
飯沢がキツめに彼らへ言い放つ。
「……どういうことかな?」
彼らの一人の可愛い系男子がグッと感情を抑えて、笑顔で問いかける。
「どういうことも何も、楓が迷惑しているの分かんないの?」
飯沢に向けたであろう問いに、今度は仲町が答える。
「……迷惑? そんなわけないだろ」
彼らの中の俺様系男子が、低い声で彼女らの意見を否定する。
汐見の様子がおかしいことに気づいているくせに、その原因が自分たちという事実を認めたくないのだろう。
そんな子供のやり方をする。
「……そんなこと、実際に汐見さんに聞いてみないとわからないじゃないですか」
最後の一人の意識高い系男子が眼鏡の位置を直しながら、極めて冷静に言う。
そして、彼の発言で彼以外の二人と仲町と飯沢が汐見に詰め寄る。
「どうなの!? 楓!?」
「ハッキリ言ってやった方がいいよ!」
「ねぇ、僕って迷惑だったのかな……?」
「別に迷惑なんかじゃねえよな?」
「え、いや、その……」
四人が一斉に汐見に詰め寄ってきて、汐見は言葉に詰まる。
「楓!」
「ちゃんと言いなって!」
「どう、なの?」
「……どうなんだよ?」
「……ちゃんと答えてください」
今度は五人から言葉を浴びせられて、汐見は俯いてしまう。
俯いてしまうのも当然だ。
今、彼ら彼女らが迫っているのは、”自分か、他人を傷つける”選択なんだから。
仲町と飯沢の意見の様に言えば、彼らを傷つけてしまう。
一昨日、汐見は他人を傷つけた場合どうなってしまうのか、その最悪の実例を体験した。
だから、仲町と飯沢の意見には賛同できない。
だからと言って、言い寄ってくる彼らを守ってしまえば、これから彼らから逃げるのは難しくなってしまうだろう。
そして、これまで以上にアプローチはエスカレートしていくだろう。
だから、彼らの意見には賛同できない。
そして、この状況では誰かに助けを求めることなんてできない。
汐見は八方塞がり状態だ。
「――はーい! ストップ!」
俺が身体を起こし、汐見と彼ら彼女らの間に割って入ろうとしたとき、少し離れた場所から大きな声が響いた。
その声がする方向から一人の女子生徒が近づいてきた。
そして、汐見に詰め寄っていた五人は彼女の方に注目する。
「……神崎さん、邪魔しないでください。 今我々は大事な話をしているんですけど」
彼らの中の意識高い系男子が神崎に向けて恨めしい視線を向ける。
「話? 一方的な意見の押し付け合いじゃなくて?」
「……」
神崎は持ち前の語彙力と言い回しで、彼の発言を無に帰した。
「というか、人のクラスで騒いでいる方が邪魔でしょ?」
神崎は今も睨むような視線を向けてくる彼らに追撃を行う。
すると、彼らはばつが悪そうに三人ともそっぽを向いた。
「……神崎さん」
仲町には神崎が女神にでも見えたのだろうか、彼女の名前を呟く。
「仲町さんと飯沢さんもあまり騒ぎを立てないでね」
「うっ……」
「……うす」
神崎の至極真っ当な発言に言葉を詰まらす仲町。
そんなリアクションをとる仲町とは対照的に、飯沢は含みのある視線を神崎に向けながら返事をする。
「……なら、ここはお互い様ってことで良いかな、汐見さん?」
五人への注意を終えたところで神崎は汐見に尋ねる。
「う、うん、ありがと」
当然、汐見は神崎の言葉に乗っかる。
汐見にとって避けがたい状況を一転して助けてくれたのだから。
神崎はその言葉を聞くと、少し口角を上げた。
「じゃあ今回の話はこれでおしまい!」
神崎が当事者だけではなく、視線を向けていたクラスメイト達にもそう告げる。
そして、神崎の発言を聞いたクラスメイト達は皆自分たちの時間を過ごし始めた。
「……待ってくれ」
そんな小さな呟きが聞こえた。
「僕たちはもうここに来ちゃいけないのかな?」
「もしそうなら納得いかねぇよ」
三人の男子たちは不平を漏らす。
「そんなの――」
当たり前。
飯沢がそう言うより先に神崎は彼らに告げた。
「そんなことはないよ!」
「え……?」
「じゃあ……!」
神崎のそんな発言に仲町と飯沢は固まる。
彼女たちとは対照的に三人の男子たちの顔には若干のほころびが見える。
「うん、そんなことは言わないよ。 だってそれは君たちの自由であって私が抑制できることじゃないからね」
汐見のその発言を聞くと、分かりやすくガッツポーズをする可愛い系男子、少しだけ顔を綻ばせた俺様系男子、眼鏡の位置を直す意識高い系男子の姿があった。
「ちょっと、待ってよ!」
仲町が声を上げる。
そして、その声に再びクラスメイト達の視線が集まる。
神崎はクラスメイト達に気にしないよう手でジェスチャーを送ってから、仲町と目を合わせる。
「もちろん、今までのままじゃだめだよ? 彼らにはそれなりに態度を改めてもらわないとね」
神崎はそう言うと、男子生徒たちに向き直る。
「今日みたいに汐見さんに対して不誠実な態度を取らないこと。 それが条件」
神崎はやけに抽象的な改善要求を求めてきた。
「それって甘くない?」
「……好きな人と話せないってのは結構辛いことだから、ね」
飯沢の意見に、優しくそう切り返す神崎。
「……それって、具体的にどうしたら」
可愛い系男子からそんな呟きが聞こえる。
「うーん、本当は自分で考えてほしいけど、例えば教室で自慢話とかをするんじゃなくて、実際に自慢できることを証明してみるとか、真剣さを伝えるために行動を起こしたりとか?」
『……』
神崎が具体例を提示すると、三人は考え込んでいるのか、黙ってしまう。
しかし、俺はここまで神崎が何を言っているのか正直理解できなかった。
いや、言っていること自体は理解できるし、たった一度の過ちで全てがダメだと告げるのもおかしいことだとわかっている。
そこまではわかっても、条件の内容がまるでわからなかった。
(不誠実じゃない、言い換えれば、誠実な態度を取れということなのに何故……)
神崎の言う誠実な行動は、彼ら自身の気持ちに誠実な行動であって、汐見に対しての誠実な行動ではない。
神崎奏とあろうものが、どうして。
俺は彼女の珍しい間違いに酷く動揺していた。
先ほどまでの状況なら、ここまで状況含め、一転するかと思い胸を撫で下ろしていた。
しかし、今、また別方向に状況が転ぼうとしている。
「……それっておかしくない?」
「何がかな?」
俺と同じ気づきをしたのか、飯沢が神崎に指摘する。
「だって、彼らは汐見に迷惑かけたのに、そんな彼らに神崎さんは、君たちデートしたら、って今言ったんだよ?」
「……確かに、彼らは迷惑をかけたけど、それは飯沢さんと仲町さんも一緒じゃない? それに実際に汐見さんが彼らを迷惑としない、ってことはさっきのことからわかってるから」
「は? そんなこと楓は言ってないし」
「さっき、君たちの発言にすぐに同意しなかったことから明らかだよ」
飯沢の反論に真顔でそう返答する神崎。
「そんなわけ――」
「やめなよ、千弦……」
神崎に再び反論しようとした飯沢を仲町が止めに入る。
「なに、優子。 アンタも神崎の味方なわけ?」
「そうじゃないけどさ、一旦場が収まったわけだし、これ以上揉め事は……」
「大事なところは何も解決してないのに?」
「そうだけど、仕方ないよ」
飯沢は完全に頭に血が上っているのかキツイ口調で仲町に当たる。
そして、仲町にキレる飯沢という不思議な状況が出来上がる。
次第に飯沢も我慢することを選んだのか黙っていく。
三人の男子たちは早速汐見をデートに誘いだす。
汐見はこのカオスな状況にオロオロするしかできなかった。
俺は、悩んでいた。
これまでの状況と比べれば幾分かはマシな状況だろう。
この三人が神崎の言いつけ通り動くのならば、きっと汐見にかかる負担も多少なりとも減るだろう。
クラス内の雰囲気も悪くなることなく、上手に神崎がまとめ上げた。
三人に対して周りから危害が及ぶことも避けた。
未だ、古橋文月の彼女というレッテルは外れないが、それ自体は今後この三人の関わっていくことで次第と消えていくだろう。
大きな輪で見たときに、この状況の改善は素晴らしいものだろう。
けれど、小さな輪で見たときにはどうだ。
汐見は多少負担が減っていくとはいえ、一定の負担は必ずかかってくる。
それにより、家族との時間も今まで以上に無くなってしまうかもしれない。
それに、彼女の友好関係にこのままではヒビが入ってしまう。
この取り零すものが、本当に失って良いものなのか。
俺がたった一つでも良いから拾い上げてほしかったものは何だったのか。
そのことを考えると、俺は今行動するべきなのか、静観すべきなのか悩んでしまう。
きっと、俺が動いても動かなくても汐見は救われる。
けれど、守れるものが変わってくる。
俺が動かなければ、これまでの汐見の日常は戻ってこないし、友達だって失うかもしれない。
けれど、もし俺が動いてしまえばクラスの雰囲気は悪くなる。
そして、汐見を大きく傷つけることになるだろう。
その代わりに、今失いかけているものは拾い上げることができる。
俺は神崎へと視線を向ける。
神崎は少し満足げな表情を浮かべていた。
きっと、大方自分の予想通り事が運び、その愉悦に浸っているのだろうか。
俺は自分にできない選択を取り、実行した神崎との差を感じてしまう。
そして、俺は視線を自分の机に戻す。
考えだけでは決められない。
俺はそう思い、自分の心に訴えかける。
俺の本心は、俺はどうしたいんだ。
色々な思考をすべて放棄して、心の底にある俺の今したいこと。
拾うもの、失うもの、得るもの。
その全てを度外視した俺の気持ち。
(――ああ、そうか。 結局、俺は俺のエゴを突き通したいんだな)
俺自身の言葉や行動で彼女を守りたい。
彼女のこれからより、今まであったものを守りたい。
俺はそんな自分の感情に身を任せることにした。
「……さっきから五月蠅いんだよお前ら」
俺はあくまでぼそりと、けれど当事者全員に聞こえるように発言する。
この場にいる誰もが俺の介入を予想できていなかったのか、皆固まる。
「……おい、今更何の用だよ?」
最初に口を開いたのは、意外なことに俺様系男子だった。
「何の用だって? 今、言ったろ、五月蠅いって。人の言葉はよく聞けよ」
「な!? お前――」
「やめとけ」
今にも俺に掴みかかろうとした俺様系男子を意識高い系男子が止める。
「五月蠅かったのなら、その非礼は詫びよう。 けれど、君のその態度も如何なものかと思うけれど」
「は? 俺にお前が態度どうこう言える立場だと思ってのか?」
「……僕の態度は至って普通のものだと思うが」
俺はその言葉に思わず嘲笑を漏らす。
「お前の態度が普通? 笑えるなこれは。 お前がそこの女に言い寄って、詰め寄るのが普通? どうせ、俺との噂が流れてきたから近づいてきたハイエナの癖に」
俺がそう言うと、彼ら二人は怒りに震える。
「でも、それを君に悪く言われる筋合いはないんじゃないかな?」
最後の一人が俺に噛みついてきた。
「じゃあなんだ? 例えばお前に付き合っている相手がいて、目の前で別の男が口説いてても何も言わないってわけか?」
「そういうわけじゃ……」
俺は噂を利用して、言い包める。
さらに、俺は彼らに笑いかけながら追い打ちをかける。
「なら折角だし、俺だけじゃなくて周りのみんなにも聞いてみようぜ?」
俺はそう言うと、クラス内、そして教室の外にいる汐見を見に来た観客に向けて言葉を放つ。
「ここにいる三名の男子生徒は俺と汐見楓の噂が広まってから現れたハイエナ共だ! そして、ハイエナの癖して無駄に高いプライドを今も尚振りかざしている。 なぁ、お前らはどう思う? 女を顔で選び、相手が学校の嫌われ者だからって簡単に奪えると思ったこの愚か者たちを! 結局、その女すら傷つけてる碌でもない奴らだけどな!」
「なっ……」
可愛い系男子の顔が酷く歪む。
「こうすれば学校中に拡散される。 それで来週にでも誰が悪いのかはっきり決まる。お前らが悪く言われるか、俺が悪く言われるのか。 見ものだよな?」
俺は意地汚く、笑いかける。
「このっ……」
かわいい系男子が怒りに耐えられなくなったのか、俺の胸倉を掴む。
「殴りたければ殴れよ。 まぁそのときはお前の停学が確定するけどな?」
俺は彼を挑発する。
そして、彼は握りこぶしを振り上げた。
しかし、俺にその拳が届くことは無かった。
「……やめておけ」
「……うん、僕も悔しいが、やめておいた方がいい」
残りの二人が彼を掴んでいた。
そして、胸倉を掴んでいた手から解放される。
「すまなかった」
「……悪かった」
二人は俺に謝罪をしてきた。
「なんだよ、自分の立場が危うくなりそうだから謝罪か?」
「……そうだ、僕が悪いのは認めよう。 これまで数々の非礼も詫びる」
意識高い系男子がそう言う。
「……なら、さっさとここから立ち去って、二度とこいつに近づくんじゃねぇ」
「わかった……ほら行くぞ」
俺がそう告げると、三人は教室から出ていった。
「……これでお前らの揉め事は解決したんだろ? なら、お前らも静かにしてろ」
三人が出ていくのを確認した後、仲町と飯沢にそう告げた。
「……」
「……わかった、ごめん」
飯沢はそっぽを向き、仲町は俺に返答と謝罪を言ってきた。
これで、一つ拾い上げた。
「……なんで、邪魔するの?」
「邪魔? それはこっちの台詞だったんだがな。 俺の邪魔するものを排除したまで」
さっきまで固まっていた神崎からようやく発せられた質問に俺は”邪魔”という単語だけ拾い上げて切り返す。
神崎は俺の言葉を否定できない。
何故なら先ほど彼女が行った問題の解消も、結局のところクラス内での揉め事が邪魔で、それを排除したのだから。
根本的には同じなのだから。
「さっきのままじゃ、駄目だったの?」
神崎は細々としたけれど、怒りも込められた声色で俺に聞く。
「駄目だね。 あれだと、何も変えられない」
「……」
神崎は黙って、俯いてしまう。
俺だって神崎と同じように今までを守るために動いている。
神崎はクラスの平穏維持のため。俺は汐見の今までを守るため。
けれど、方法が対極的なんだろう。
彼女は今を壊さないまま、存続させる。俺は変わってしまっても、変わらない確かなものだけを守る。
「……変わらなくていいのに」
神崎のそんな小さな呟きが聞こえるが、俺は無視する。
この傷心っぷりならイレギュラーは発生しないだろう。
そう思い、最後の一番大事な段階へと進む。
「あー、そうだ!」
俺はわざとらしく、教室内外に向けて大きな声を上げる。
「さっきは色々言ったが、もう俺はこの女のことはどうでもいい! もう用済みだからな。 この女に話しかけるなり、告白するなり好きにしろ。けどな、こいつは俺の、学校の嫌われ者”古橋文月”のお古っての忘れんじゃねぇぞ? ままこの女と付き合うヤツとか、俺のお古でもいいっていう男としてプライドの欠片も無い碌でもないヤツだろうけどな!」
俺は声高らかにそう宣言する。
お古。
きっとこの言葉で思春期真っ最中の高校生男子は勝手に色々な想像を働かせてくれるだろう。
そして、誤解した人たちは汐見から離れていくだろう。
これから、噂はさらに加速するが、当事者から一つの解が明示されたんだ。
すぐに時の話題となっていくだろう。
噂は真偽がわからないから続く。そして、人はその真偽に惹かれる。
しかし、真偽が判明した時人々の関心は一気に離れていく。
目の前にある問題が解けたら、次の問題について悩む。
このことと一緒だ。解が出た問題をいつまでも気にするわけがないんだから。
汐見は俺の発言の最中、ずっと俯いていた。
俺は彼女が変にアクションを起こさないかが若干心配だったが、無事この策は上手くいきそうだ。
汐見の評判を傷つけられ、今にでも仲町と飯沢は飛び掛かってきそうだが、俺は再び口を開く。
「もう一度言う! この女はもう用済みだ! 俺のお古だ! だから――ぐっ……」
その先の言葉は何者かによって遮られてしまう。
俺は胸倉を思いっきり掴まれ、そのまま後ろの壁へと押し付けられた。
「もう、黙れよ」
「はっ……やだね。 てか部外者が首を突っ込んでくるなよ、加藤」
加藤君は俺の胸倉を掴む力を強める。
「言い過ぎだ。 汐見さんに謝れ」
「嫌だね。 というか、何も知らないくせに口を出してくるな」
俺はそう言い、最上級の冷たい視線を向ける。
すると、加藤君の力が弱まり、俺は彼の肩を軽く突いた。
そうすると、俺の胸倉にあった手は離れていった。
俺は加藤君に背を向け、教室を出ていく。
あと五分もしたら五限目が始まる。
(五限目は何の授業だっけな……)
色々なことを考えないように、俺はそんなことを思いながら特別棟へと向かった。
☆ ☆ ☆
特別棟に着くと、俺はいつも昼食を取っている教室に入り、窓際の壁に背を預け座り込んだ。
俺はスマホを取り出し、LEENを開く。
そして、『加藤』にメッセージを送る。
「ありがとう、助かった」
そんな短い感謝の文章を送るとスマホをしまう。
そして、俺は小さく息を吐きながらぼんやり天井を見つめる。
今の俺の心は罪悪感でいっぱいだった。
去年の文化祭のときとは違い、今回は俺一人のことじゃない。
加藤君にあんな役までやらせて、汐見を傷つけた。
しかし、最悪の状況からは帰られたと思う。
ここから先、しばらく汐見に男子は近寄らないだろう。
加藤君に頼んで、今日の放課後には一昨日の件がクラス内に拡散されることになっている。
先ほどの勇気ある行動により、クラス内において彼の地位は今日限定で最上位だ。
その彼に、一昨日のことを話してもらえば、この先汐見に近づく男子を警戒する風潮がクラス内にできあがるはず。
クラス外で接触を試みよう者が居たのなら、俺の今日の発言により、プライドの無いハイエナ男子として吊し上げられるだろう。
そうなれば、汐見の安全とこれまで通りの日常は確保される。
しかし、俺に唐突にやってきた一か月の”非日常”は消えた。
もう、きっと汐見とあんな風に話すこともないし、樹とも遊べない。
同じ美化委員ではあるものの、会話はもうしないだろう。
もう二度と……。
ガラガラ――
唐突に教室の扉が開かれた。
俺は誰が来たのか、天井から扉へと視線を移す。
一昨日の件で学校の教師が見回りに来たのか、それなら面倒だな。
そんな、気持ちで扉を開けた人物を確認する。
「……やっぱりここにいた」
「汐見、なんで……」
扉を開けた人物は、もう関わることが出来ないと思っていた相手。
汐見が片手に荷物を持っているのを見て、彼女は早退したのだと察する。
「なんでって、古橋君が勝手にあんなことするから」
「だって、俺は、お前を」
「――傷つけた?」
俺は言葉の続きを先に汐見に言われてしまい、黙ってしまう。
「あんなことじゃ私は傷つかないよ。 だって、既に私は、君にもっとひどい事されてるんだから」
「え……?」
俺は思わずそんな情けない声を漏らしてしまう。
「古橋君が私に”本当に助け合ってるのか?”って聞いた時、私がずっと気づきたくないことを直視させてきたんだよ? そんなことに比べたら今回の嘘で塗り固められた言葉なんて平気だよ」
「……」
俺は思わず言葉を失ってしまう。
確かに先週そんなことを言って彼女と気まずくなった。
しかし、彼女にとってそこまでのものだとは知らなかった。
新たな事実に俺の罪悪感はさらに大きくなった。
「……でも、ありがと」
汐見からそんな感謝の言葉が発せられた。
俺は彼女の置かれている状況から救いはしたかもしれないが、それは放課後になるまでまだわからない。
「礼を言われるようなことは……」
「古橋君のおかげで、家族と、お母さんときちんと向き合えた。 古橋君のおかげで明日からまたいつもと変わらない日常を歩んでいける」
俺は汐見からの言葉に返答できなかった。
汐見には俺の学校での仮面は通じない。
だから、全部今日のこともバレているのだろう。
そして、俺の放った傷つけるような言葉も受け入れられてしまった。
俺は俯いてしまった。
何故、彼女に相談しなかったんだろう。
これは俺と彼女の問題だったのに。
独りよがりのヒーロー像に浸っていたのだろうか。
彼女のために自分を使うことを、恋だと思っていたのだろうか。
彼女はここまで、俺のことを理解してくれているのに俺は何一つ……。
「でもごめんね、甘えてばかりで」
感謝から急に謝罪の言葉を述べる汐見。
「別に、汐見が謝ることなんてないだろ。 謝るのは、俺の方だ」
「ううん、そんなことない。 私は何もできなかった。 ただ、古橋君に助けてもらっただけ」
「それを言うなら、もともとの原因は俺の立場にある」
「そのことを言われちゃうと何も言えないんだけど……」
汐見は苦笑いでそう返してきた。
暫しの沈黙。
俺と汐見の距離は教室の端と端。
まるで今の状況が俺たちの心の距離を表しているようだった。
「ねぇ」
「なんだ?」
汐見が十数秒の沈黙を破り、俺に声を掛けてくる。
「あの、もう一つだけ甘えてもいい?」
「……それが俺の贖罪になるのなら」
「うん、そう思うならそれでもいいや」
そう言うと汐見は俺に歩み寄る。
ゆっくりと、けれど確実に近づき、俺の目の前に到着する。
そして、俺の目前で屈み、汐見は頭を俺の胸に預けてきた。
「し、汐見!?」
俺は小さく上ずった声を発してしまった。
「ねぇ、なんで私に何も言わなかったの?」
「……なんでだろうな」
「そんなに私って頼りないのかな?」
「……俺が臆病だったから」
「私ってそんなに怖い?」
「それなりには」
「ばか」
そう言って、小さく握った右手の拳で軽く俺の胸を叩く。
「……一昨日も、昨日も、今日も、ずっと、怖かっ、た」
「うん」
「一昨日は、恐怖で、昨日は、孤独で、今日は、不安、で……」
「うん」
「だか、ら……」
そう言いながら汐見はすすり泣きを始めた。
ところどころ嗚咽を漏らしながら、言葉を紡いでいたようだが限界のようだ。
俺はそんな汐見の頭に優しく手を置く。
「なぁ」
「な、に……」
「よく、頑張ったな」
俺がそう声を掛けると、一旦すすり泣く声が止まった。
そして、すぐに大きな声が俺の胸部から聞こえてきた。
「……うわああああああああああああ」
汐見は豪快に泣き出した。
子供の様に彼女は泣きじゃくっていた。
「なんで、なにも、いってく、れなかったの」
「ごめん」
「こわ、かった」
「ごめん」
「ごめん、ばっか」
「ごめん」
「でも、ありが、と」
「……どういたしまして」
俺はそんな彼女の頭を撫でながらわかったことがある。
汐見楓の泣き声は不細工だってこと。
だから、もうこんな風に彼女を泣かしてはいけない。
そう、思えたんだ。
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