第19話 自覚
「今日はありがとうございました」
汐見のアパートへと帰ってきて、車を降りると、俺は千和さんにお礼を言う。
「こっちから誘ったんだし、私たちの方が来てくれて感謝しているわ。 樹の面倒まで見てもらって助かっちゃった」
茶目っ気のある笑顔を浮かべる千和さん。
時刻は十七時前。
結局、四時ごろまで樹と一緒にアスレチックやったり、道具を借りて遊んだりしていた。
樹はまだ少し遊びたそうにしていたが、俺の体力が先に尽きてしまった。
「その樹はぐっすりだけどね」
アパートから出てきた汐見がそう言う。
先ほど、樹を抱えて寝かしに行ってきた。
俺が運ぼうかと打診したが、せめてこれくらいやらせて、言われと断られてしまった。
「汐見も、今日はありがとう」
「いや、私じゃなくて樹にお礼言いなよ……」
「じゃあ起きたら伝えておいてくれ」
「わかった、伝えとく」
汐見へのお礼も告げたことだし、そろそろ帰ろうと思い、二人に向けて軽く頭を下げる。
「じゃあ、帰りますね。 本当にありがとうございました」
そう言い、帰路をへと着いた。
家に帰宅すると、見覚えのある革靴が玄関にあった。
帰宅しているんだ、あの人が。
そのことを認識すると、先ほどまでの浮かれた気分は一気に消え去った。
一気に身体に力が入り、固くなる。
そして、そんな緊張した状態で、書斎に向かい、扉をノックする。
「……入れ」
そんな声が扉の向こうから聞こえてきた。
緊張はさらに加速するが、意を決してドアノブに手をかけ、扉を開ける。
「……失礼します」
「……何か用か」
そんな冷たい声色に思わず後ずさりそうになる。
「いえ、お帰りになっているようでしたので……」
「用が無いなら、さっさと出ていけ」
「……失礼しました」
そんな、短い会話とも呼べない言葉を交わし、俺は書斎を後にする。
そして、そのまま自室へと向かう。
この辺りでは一番大きい古橋医院の医院長を務めている。
医院内での人望は厚く、患者にも好評な医者だ。
そして、俺、古橋文月の父親でもある。
滅多に家には帰ってこないが、時折こうして家に帰ってくる。
しかし、家に居ても書斎にこもりっぱなしで碌に会話もしない。
最後にまともな会話をしたのはいつだっただろうか。
そんなことも思い出せないくらい俺たち親子の関係は険悪だ。
ベットに横になり、今日のことを思い出す。
しかし、思い出すのは居心地の悪さだけ。
俺はこの日、残りの時間をとても息苦しい思いで過ごした。
家に父親がいる。
そのことだけで、俺にとっては耐え難いものを感じる。
実質一人暮らしのような生活を送っているからかもしれないが、それ以上に父の存在に対する緊張感が拭えずにいた。
そして、今日の楽しかった出来事など、まるで夢かのように感じた。
――――Change View――――
時刻は二十一時を過ぎた。
樹は疲れていたのか、二十時ごろには眠ってしまい、私も家事が終わりゆっくりしていた。
「あら、楓が何もしてないなんて珍しい」
「……そうかな?」
突然お母さはそんな反応をし、私の前に腰を下ろした。
「そうよ。 だっていつもこの時間は勉強してるじゃない」
「まぁ確かに? でも、それを言ったらお母さんはこの時間に帰宅するでしょ?」
「まぁ確かに?」
「もう……」
私は返事をお母さんに真似され、軽く頬を膨らます。
母はそんな私を見て笑いながら謝罪してくる。
「今日、楽しかった?」
「うん、まぁ……」
母の問いに、素直に返す。
「そう、なら良かった」
「なにそれ」
母が心底安心そうに言うので、私はつい質問する。
「いやね、昨日の最初は嫌がってたからどうだったのかなーって……」
「不安、だったの……?」
誤魔化すように笑いながら言葉を並べる母に私は思わず聞いてしまった。
少しの沈黙があった後、母は切り出した。
「そうね、不安だった。 もっと言えば今までも不安を感じてた」
「それって……」
「楓が頑張ってくれてるから、私も頑張ろうと思ってたけど仕事も大変で挫けそうだった。けど、生きてくためにはお金を稼がなきゃいけなかったから働くことに不安は感じなかったけど、楓に負担をかけてるな、大丈夫かな、っていう不安はいつも抱えてた……って娘に話すことじゃなかったかも」
「……ううん、そんなことない」
母が母親としてのプライドとか親とかの威厳を捨て、そんな話をしてくれたことに私はとても喜びを感じていた。
「そう?」
「そうだよ! だって、お母さんも人なんだから不安なこともあると思うし……」
それに、私の頑張りが不安になるっていうのは少しだけど自覚し始めたから。
「そう言ってもらえるなら、恥ずかしい事を話して良かったって思えるわね」
「……そういうの、これからも話してよ」
私は母の不安を取り除きたい一心でそんな言葉を口に出す。
すると、母はまた少し黙り、その後口を開いた。
「うーん、だめ」
「なんで!?」
私は断られると思って無かったので、つい驚いてしまった。
「だって、楓は私に何にも話してくれないんだもの」
「あっ……」
私はまたやってしまったのだと気づく。
今しがた、私の頑張りが不安にさせていると言われたのにまた私は家族のために動いてしまった。
「楓がね、私のためにそう言ってくれるのは嬉しいし、助かってる。 けどね、楓のことも支えてあげられなきゃ家族じゃないでしょ?」
「……」
昨日、古橋君にも同じようなことを言われたのを思い出してしまう。
――ああ、そういうことなのかもしれない。
今更、私の中の優先順位はそう簡単に変わらない。
家族のため、それはこれからも変わらないだろう。
けれど、私が”家族のため”から”家族”を拠り所にしていかなければならないんだと、そう感じた。
私自身のためにも、家族のためにも。
「ねぇお母さん」
「なに?」
母に声を掛けると、優しい声色の返事が返ってきた。
「これからはちゃんと言うから」
「うん」
「これからは相談もするから」
「うん」
「これからは、不安も愚痴も、言うから」
「うん」
「これからは、もっと、お願い、するから……」
「うん」
これからは――
次の言葉が出るより先に私は嗚咽を漏らす。
目から涙が零れだす。
何のせいで、泣いているか理解できない。
弱い自分を自覚したからか、そんな自分を見せたからなのか。
理由はわからないけれど、この涙は止まらなかった。
泣いている私を母は優しく抱き留めてくれた。
母にこうされたのはいつ以来だろう。
そんなことを考えてしまい、私の目から涙はしばらく止まらなかった。
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