第18話 家族+α

 午前十時ちょうど。

 俺は汐見が住んでいるアパートの前にいた。

 正直、ここに来るまでの足取りは重かった。


 どうやって汐見と接すれば良いのか。

 それがてんで分からなかった。

 俺がこのことに悩んでいると、アパートから一人の女性が外に出てきた。



「あ、古橋君おはよ」


「お……おう」


 汐見はあまりにも自然に挨拶をしてきた。


「ごめん、もう少し待って」


「……おう」


 俺は状況を飲み込めず、おう、としか返せなかった。


 一体どういうことだ。

 あまりにも汐見の態度が普通過ぎる。

 昨日の会話の中で非があるのは間違いなく俺だ。

 どういうことだと必死に頭を回転させる。

 すると、一つだけ思い当たることがあった。



「今日のことを忘れるのも汐見の自由だから」



 そんなことを言った覚えがある。

 汐見はきっと昨日のことを忘れる、そういう選択肢を取ったんだ。

 今日が気まずくならないためにも。


 俺が汐見の態度にそう結論付けると、アパートから千和さんと樹が出てきた。

 そして、どうやら千和さんが車を出してくれるようなので俺は後部座席に樹と一緒に乗り込んだ。



「あの、千和さん」


「ん~なに?」



 車に乗って十分ほど経ったとき、俺は樹との会話を一旦中断して、運転中の千和さんに話しかける。



「あの、今日って何処に行くんですか?」



 俺は今日ここに来る最中にも思った疑問について尋ねる。

 正直、他に頭を悩ませることがあったのと、聞くタイミングを絶妙に逃していたので思い切って聞いてみた。



「あれ、言ってなかったけ?」


「ちょっと、お母さん!」



 助手席に座る汐見に咎められながらも、ごめん、ごめん、と言いながら俺に謝罪の言葉を述べる。



「今日は、新しくアスレチックができた公園にでも行こうかと思って。 樹も楽しめそうだし」


「なるほど、どのくらいで着くんですか?」


「えっとね~……」


「隣の市だからあと、十分くらいで着くと思う」



 千和さんが答える前に、汐見が教えてくれる。



「おう、さんきゅ」



 俺はそう汐見に告げると、樹との会話に戻った。



「文月兄ちゃん、早く行こうよ!」


 公園に着き、アスレチックが見えると樹が俺の手を引く。

 アスレチックは結構大きくて、驚いた。

 しかし、それでも人が混雑しており、保護者が一緒に遊ばないと危険そうだ。

 樹は我慢できないのか、俺の手を何でも引っ張り早くと急かす。


「ちょっと待てって。 ……千和さん」


「ごめんね、樹のことお願いね。 樹、お兄ちゃんの言うことちゃんと聞くのよ」


 どうやら、名前を呼んだだけで俺の言わんとすることを察する千和さん。


「うん、わかった!」


 千和さんからの注意に樹は元気よく返事をする。

 俺はそんな樹に手を引かれながら、アスレチックへと向かった。

 汐見が昨日のことを無かったことにしてくれてるとはいえ、気まずさは感じるのでこうして樹に汐見と離れさせて貰えたのは有難かった。


「あっ……」


 後ろから汐見のそんな声が聞こえたが、きっと躓いたとか、鞄を落としそうになったとかそんなところだろう。




――――Change View――――


「あっ……」


 本来なら私が樹に付き添わなきゃいけなかったのに、古橋君が樹と一緒に行ってくれた。

 私は短く声を漏らしたが、彼らには届かぬ声だった。


「楓も一緒に行っても良かったのよ?」


 そんな声を後ろから掛けられた。


「……もう、からかわないで」


「ごめんなさい」


 私が冷たく返すと、母は年に似つかない、いたずらっ子のようなあどけない笑みを浮かべていた。


「それで、私たちはどうするの」


 私は純粋な疑問を母に投げかける。


「荷物を持って下から樹を見てあげなきゃ」


「まぁ、そっか」


 私はそう返すと、車の荷台に積んであった荷物を手に取る。


「すぐにお昼だから一時間もしたらアスレチックから帰ってくると思うわ」


「うん、そうだね」


 母が車に鍵をかけると、私と母は並んで樹たちの元へと向かった。

 ここ最近、まともに母と会話できてなかったな。

 そんなことを感じつつ、母と他愛もない会話をしながら樹と古橋君の様子を見守っていた。


「お腹減った~」


 母が言った通り、一時間ほど経った時、樹と古橋君はアスレチックから降りてきた。



――――Return View――――



「おお……!」


 レジャーシートに腰を下ろすと俺は思わず、感嘆の声を上げていた。

 その理由は……


「姉ちゃん! 早く食べて良い?」


「こら、先に手を拭きなさい」


 目の前に豪勢なお弁当が並んでいるからだ。

 樹はすぐにでも食べたいのか、汐見にそんなことを聞き、汐見から渡されたウェットティッシュで手を拭いていた。


「凄いでしょ? ほとんど楓が作ってくれたのよ?」


 娘の弁当を自慢する千和さん。

 その横から元気な声で”いただきます”を”して食べ始める樹。


「ほんと凄いですね」


 俺はさらっと千和さんの発言に同意する。


「なっ……」


 当然、この会話が聞こえる距離にいる汐見がそんな声を上げる。


「別に、ふつうだから」


「そ、そうか」


「ふふふ……」


 千和さんは俺と汐見のやり取りをそんな声と笑みをこぼしながら見つめる。

 クラスメイトの親にクラスメイトとの会話を聞かれ、なんとも言えない恥ずかしさを感じる。


「あの、食べていいか?」


「どうぞ」


 汐見も恥ずかしかったのか、顔を逸らしながらも短く返事をする。

 その様子を見ている千和さんの視線に若干の居心地の悪さを感じた。


「おいしー!」


 樹はそんな雰囲気を意に介さず無邪気に弁当を楽しんでいた。



「おといれ」


 食後休みも終え、バトミントンのラケットを借りてきて樹と二人で遊んでいた。

 すると、唐突に樹がそんなことを口にした。


「なるほど? ……千和さん、樹とちょっとトイレに行ってきますね!」


 俺は少し離れた場所にいる千和さんに声を掛ける。

 一応、きちんと声を掛けておかないと心配をかけるかもしれないから。


「ちょっと待って!」


 そんな声が千和さんから発せられた。

 ただ、トイレに行くだけなのに何故?

 そして、千和さんは小走りでこちらに駆け寄ってきた。


「樹は私がトイレに連れていくから文月君は少し休んで」


 え、でも。

 そんな言葉が口から出そうになったが、ぐっと堪え、お言葉に甘える。

 樹からラケットを受け取り、レジャーシートが敷いてある場所へと戻る。

 そこには汐見が座っていたが、一日中避けているわけにはいかないと思い、覚悟を決める。


「おつかれさま」


「……ほんとつかれたわ」


 レジャーシートの上に腰を下ろすと、汐見がねぎらいの言葉をかけてくれた。

 俺はそれに本音で返す。


「こんなんで疲れるとか、体力無いんじゃない?」


「うっせ、日頃は登下校できる体力があれば良いんだよ」


 ぶっきらぼうにそう返す。


「……」


「……」


 沈黙だけが流れる。

 お互い、様子を窺っているがそれ故により気まずい雰囲気となる。


「よし……!」


「……?」


 汐見から何かを決意するようかの声が聞こえてきた。


「……あの、古橋君」


「……なんだ?」



「昨日は、ごめんなさい」



 汐見から謝罪され、俺は動揺してしまう。


「い、いや俺が悪いし、別に汐見が謝ることなんてないだろ」


 事実だ。

 俺が勝手に首を突っ込んで、勝手に怒りを買っただけ。

 汐見に非なんてない。


「……昨日私のために色々言ってくれた古橋君の気持ちを無下にした謝罪です」


 そんな律儀な謝罪をしてくる汐見。

 俺はそんな汐見に慌てて言葉を返す。


「それなら、俺の方が色々酷いこと言ったと思う。 ……ごめん」


 そう言い、俺は頭を下げる。

 俺は昨日、もしかしたら汐見の”いままで”を全否定するようなことを言ったのだ。

 謝るつもりは無かったが、汐見に謝られたら俺も謝るしかなかった。


「たしかに、ひどいよね」


「うぐっ……」


 汐見は急に言葉による攻撃を俺にしてきた。


「でも、そのおかげで分かった事もあるから感謝もしてる、少しだけだけど」


 そんな予想外の言葉を予想外のタイミングで伝えられてしまう。

 そんな、俺に残されている道は一つしかなかった。


「少しってひどいな」


 茶化すような明るい声のトーンで汐見に告げる。


「だってねー」


「だって、なんだよ?」


「……言ってもいいの?」


「いや、やっぱやめてくれ」


「なにそれ」


 呆れたような笑みを浮かべる汐見と会話をする。


 先ほどまで俺が感じていた気まずさも抱えた決意も全部忘れて、汐見との会話で頭がいっぱいだった。

千和さんと樹が戻ってくるまで、会話は続き、沈黙で気まずくなるようなことはなかった。

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