第4話 俺の事情、彼女の事情

 俺は家に帰ると、自室へと向かった。

 そして、鞄を下ろし、制服から部屋着に着替える。


(……さて、これからどうするか)


 カッターシャツのボタンを外しながら、俺はこれからの不安に思いを募らせていた。

 

 着替えを終え、俺はベットに横になる。

 とりあえず、今日の汐見との会話を思い出し、状況を整理しよう。

 彼女は俺が売上金を盗み、隠した犯人じゃないと確信している。


 しかし、俺を犯人じゃないと公表する気もない。

 ただ知ってるから、などと戯言のような言葉を言ってきた。

 そもそも、あの事件から半年がたった今、何故彼女は俺に接触してきたのだろうか。

 俺は必死に頭を働かしたが、碌な結論は出てこなかった。


 結局、俺に考えられた結論は三つ。


 一つは、何かしらの罰ゲーム。

 この説が一番濃厚なのかもしれないが、汐見はそんなことする人じゃないと信じたい。だが、彼女の友人の仲町なかまち飯沢いいざわは意外とお調子者なので、ありえなくは無いことだ。


 次に、俺の状況を見兼ねた彼女なりの気遣い。

 あまりにもひどい状況だと汐見が感じ、俺に接触し、慈悲の言葉を投げかけた。

 彼女が見せたあの表情。

 あの微笑みを俺に向けてくれた理由として、こう考えるのが普通だと思う。


 最後は、彼女が俺に好意を寄せている。

 俺自身を好きになることはありえないだろうが、「古橋」に興味があるなら別だ。

 古橋なんて苗字は珍しくないが、どこかで俺のことを財閥の子孫の「古橋」と知れば、俺に好意を寄せるのも至って普通のことだ。


 彼女は元々俺が犯人じゃないと気づいていたが、特に気にしていなかったし、過ぎたことだったので今まで何も言わなかった。しかし、俺が財閥の子孫ということを知り、玉の輿を狙いに来た。そう考えれば、あり得ない話ではない。


 俺が汐見の行動理由を一応結論付けたとこで、スマホから通知音が鳴った。

 スマホを手に取るとLEENのメッセージが届いていた。


 送り主は、俺のただ一人の友人、隣のクラスの大澤博之おおさわひろゆきからだった。

 内容は、「今日、通話できるか?」という至ってシンプルなものだった。

 俺は「二十二時からなら」と手短に返し、ベットから起き上がった。

 

 そして、博之との通話の前に食事と風呂は済ませておこうと思い、リビングへと向かった。




――Change view――



「すみません、遅くなりました!」



 私は息を切らしながらも、学童保育の先生、美里みさと先生に頭を下げる。



「いえ、大丈夫ですよ、楓ちゃん。 まだ七時前ですから」



 美里先生は、ほかの先生に汐見君呼んできてと頼む。

 そして、先生は私を心配そうに見て、何かあったんですか、と尋ねてきた。

 私はその質問に答えるため、少し息を整える。



「ふぅ……そのですね、学校の委員会が長引いてしまって」


「あら、委員会に入ったの?」


「はい、半ば強制的に美化委員に……」



 私は少し苦笑いをしながら答える。 



「ああ、美化委員に、ね……それは災難ね」



 美里先生は名南高校OGだ。

 だから、美化委員が如何に厄介な委員会か知っている。



「なので、これから木曜日は少しお迎えが遅くなってしまうんですが……」  


「大丈夫ですよ、汐見君いい子ですし」



 すると、奥からランドセルを背負った私の弟、汐見樹しおみいつきがやってきた。



「姉ちゃん、遅かったね」



 私は樹の頭に手を置く。



「ごめんね、ちょっと色々あってね……じゃあ、ほら先生に挨拶して」



 私がそう言い、頭から手を放すと樹は先生に頭を下げ、挨拶をする。

 小学校三年生の樹だが、聞き分けが良くて、いつも助かっている。

 そして、私も一緒に頭を下げ、私と樹は帰宅するため、歩き出した。



「樹、体調は大丈夫だった?」



 歩き出して間もなく、私は樹に聞く。



「うん、とくには。 昨日は看病ありがと」


「ううん、樹が元気になったなら良かった」



 樹は本当にいい子だ。

 私の記憶が確かなら樹がわがままを言った例がない。

 


「姉ちゃん、なんかあったの?」



 今度は樹が私に質問してきた。



「そのね、お姉ちゃん委員会に入っちゃって……」



 私が申し訳なさそうにそう言うと、樹は興味なさそうに、ふーん、と相槌を打つ。



「だから、木曜日はお迎え少し遅くなっちゃうけど、大丈夫?」


「ん、大丈夫」


「ほんとごめんね」


「大丈夫だから」


「うん。 ……ところで今日は学校楽しかった?」



 この後は樹の学校での話を聞きながら少し暗い道路を二人で並んで歩き、アパートを目指した。

 

 

 樹を寝かしつけた後、私は居間で勉強をしていた。

 家に帰ると、夕飯を作り、食器を洗い、お風呂を沸かして、樹の歯磨きの仕上げをし、寝かしつける。


 すると、私が勉強できる時間は樹が寝た二十一時以降だ。

 朝も五時半には起きなきゃいけないので、二十三時には寝なきゃいけない。

 すると、勉強時間は二時間弱しかない。

 課題をやり、ほんの少し予習復習をするので精いっぱいだ。


 私が課題を半分ほど終わらせたとき、アパートの玄関が開いた。



「ただいま、楓」


「おかえり、お母さん」



 樹が寝ているので、二人とも樹を起こさないように小声で話す。



「わああ! 今日も美味しそうね!」


「いつも、同じ反応ありがと。 早く食べちゃたら?」


「何よ、褒めがいがないわね。 じゃあ、いただきます」



 そう言って、母は私が勉強している正面で食事を始めた。



「楓」



 箸を置く音と同時に、母は私の名前を呼ぶ。



「何お母さん」



 私は教科書から目を離さず、そう答える。



「もう少し私に頼って良いのよ?」



 思わず、ノートを書く手が止まる。

 しかし、すぐに続きを書き始めた。



「なら、その食器洗っておいてくれると嬉しい」


「うん、それくらいはもちろん……でも、そうじゃなくてね」


「大丈夫だよ、お母さん。 私は私にできる分をやってるだけだから」



 私がそう言うと、母はわかったわ、と言いお風呂へ向かった。


 時刻は二十三時になり、私は勉強用具を片付け、歯を磨き、樹の横で寝転ぶ。

 母と父が離婚してから月に一度、母は私に同じようなことを言う。

 別に無理なんかしていないのに。

 私にできることをやってるだけなのに。

 何とも言えない感情を抱えながらも、私は眠りに落ちた。



――Return view――


 ピッ。


 俺は博之との通話は一時間ほどで終わり、スマホをベットへ放る。

 博之からは一か月ほど前にできた彼女の惚気を聞かされ続けた。


 学校では俺の立場故に会話できないため、言いたいことが溜まっていたいたのだろう。

 そして、俺は口ではうざいと言いながらも、内心では凄く嬉しかった。

 何せ俺が悪人だと自白しても友達として接してくれるんだから。


 上がった口角を自力で戻し、俺は机に向かった。

 博之との通話前に課題は終わらせておいたので、今から予習と復習だ。


 正直、予習と復習なんて面倒くさいと思いやらない人がほとんどだろう。

 だが、俺は古橋の人間故に、それなりに勉学ができなければならない。

 そのためには予習復習、特に復習は欠かせない。


(俺は秀でた才能もなければ人一倍努力できる人間でもない。当たり前のことを当たり前に行う。それしかできないから)


 俺はいつものように、目を瞑りながら心の中でこの言葉を唱えてから勉強を始める。

 英語、数学、物理、化学、古典、……、と各科目の予習復習を終わらせていく。

 俺が勉強を終えたのは日付が変わり、午前三時を過ぎてからだった。


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