第3話 君との邂逅

 俺が会議室に着くと、既に半数ほどの生徒が集まっていた。

 会議室の黒板を見ると、席分けが表示してあった。


 通路側から一年生、二年生、三年生という順で一組から順に横二席使い、前から座っていく。

 俺は六組なので、最後尾である六列目の席に腰を下ろした。


 俺が着席して間もなく、汐見も会議室に入ってきて、俺の隣に腰を下ろした。

 そして、俺の反対方向に少し椅子を引いた。

 分かってはいたけど、実際に目の前でやられると少し辛い。



「それでは、第一回美化委員総会を行う」



 俺と汐見が会議室に着き、暫くするとそんな声が掛けられた。

 声の主は名南高校の生徒会長、芹沢せりざわ会長だ。

 彼は一年生の時から生徒会と美化委員の仕事を担い、今年は生徒会長、加えて美化委員の指揮まで行うようだ。


 芹沢会長は手早く出欠の確認を取り、資料を前から回した。

 俺の前に座っている二年五組の生徒から心底嫌そうな顔でプリントを渡された。

 ごめんね、俺なんかが美化委員で。



「それでは、ざっくりとだが、美化委員の活動について紹介していく」



 そう言いながら、芹沢会長が資料を少し掲げたので、皆視線を下げ、資料に目を通す。



「まず、活動時間についてだが、毎週木曜の放課後に三十分ほど行ってもらう」



 資料に目を通しながら、芹沢会長の声に耳を傾ける。

 すると、隣から何かを必死に書いては消してを繰り返すような音が聞こえた。

 一見、メモやアンダーラインを引いているように見えてもおかしくはないが、明らかに汐見の行動は変だった。

 俺はあまり、じっと見るのは気持ち悪いと思いながらも、汐見が気になって仕方なかった。


 暫くして、汐見の手が止まり、シャーペンを置いた。

 そして、何かを俺に見せるかように、俺の机のほうに少しプリントを滑らした。

 そのプリントの端には、何度か書き直して少し汚れた余白に汐見の綺麗な文字が記してあった。



”これ終わったら教室に戻って”



 そんな短い文を見て、俺も急いでプリントの端に返事を書く。

 しかし、何度も書き直してしまう。

 「わかった」だけだと冷たい感じするし、「OK」ってのも何か違う気がする。

 そしてなんとか返事を書き終えた俺は同じようにして汐見のほうに少しプリントを滑らせる。



”了解しました”



 業務的な返事をすることが、今の俺には精一杯だった。

 この後、汐見に呼び出され何があるか皆目見当もつかないが、今の俺は胸の高鳴りを抑えるので必死だ。


(ああ、汐見とやり取りをしてしまった……)


 片思い歴一年の俺は今まで碌に汐見とコミュニケーションを取ったことがないので、このやり取りだけでこの一年頑張れそうな気さえした。




 

「質問も無いようだし、本日の会議は以上だ。 皆、解散してもらって構わない」



 その一声で、席についていた生徒たちはぞろぞろと会議室を後にする。

 先ほどのこともあり、俺は少しの間だけ何も考えられなかったが、途中から気を取り直し、説明をしっかり聞いた。

 そして、汐見が先に会議室を出ていくのを確認した後に、俺も荷物をまとめて会議室を出る。

 逸る気持ちを抑え、何度も早歩きになろうとする足を制御する。

 教室へ向かう途中、中島先生とすれ違うが、

 

 「お、どうした古橋? 忘れ物か?」

 「ええ、まぁちょっと」

 

 と誤魔化し、教室へ向かった。

 教室の前に着き、一つ深い深呼吸をする。

 

 そして、扉に手を掛ける。

 告白なんてのは百パーセント無いと知っていても、女の子から呼び出されるといいうだけでドキドキしてしまうのは悲しい男の性なんだ。

 まぁいろんな意味でドキドキしているが。

 そして、ゆっくりと扉を開く。



「……あ、ごめん、急に呼び出して」



 汐見は頬を朱色に染め、少しもじもじした態度、なんかではなく真剣な顔つきで自分の席のあたりに立っていた。

 終礼後、約一時間が経過した教室には誰もいない。後から入ってきた汐見と俺以外。

 そんな状況に少し胸を高鳴らせながらも平然を装い、教室へと足を踏み入れる。



「いや構わないが、俺に何の用だ」



 平然を保つため、そんなぶっきらぼうな言い方をしながら、扉を閉める。

 すると、汐見は一瞬だけ表情を歪めたがすぐに表情は戻り、目を逸らしながらも口を開いた。



「いやその……ね……」



 何やらとても聞きづらい事なのか、口ごもる彼女。

 俺はそんな彼女の次の言葉を待った。

 そして、彼女は逸らした視線を再び俺に向け、言い放った。



「古橋君は、なんでまだ悪人を演じてるの?」


 

「……な」



 絶句した。まるで雷にでも打たれたような気分だ。

 俺は平然を装うため、ひとつ咳ばらいをし、口を開く。



「何のことだ。 俺が悪人を演じてる? これを演技だと思ってのか?」



 突き放すような、怒りも含んだかのような声色で彼女にそう伝える。



「そうだよ。 だって私は古橋君のにはアリバイがあるの、知ってるから」


「アリバイ? 犯人がいつクラスの売上金を盗んだのかすら、知らないのにか?」



 俺は嘲笑も交えながら、彼女に伝える。

 あの件の真実には誰にも近づけさせたくないんだ。

 このためなら、俺は君に嫌われることも厭わない。

 だから、さっさと諦めてくれ。



「確かに、いつお金が盗まれたかは知らない。 でも、あの日の古橋君の行動は知ってるから」


「なんだよそれ、意味わかんねぇよ。 他ならぬ俺自身が盗んだって言ってるのに、アリバイとか意味ないから」


「だよね。 だけど、私は君の無実を晴らしたいとか別に思ってないから」



 なら、なんで。

 反射的に彼女の真意を探る言葉をこぼした。

 すると、彼女は慈しみに満ちたような表情を浮かべ、微笑んだ。



「――ただ、私は知ってるから」



 じゃあ、また明日。

 彼女はそう言うと、教室から出ていった。

 俺は何も言えず、ただ立っていることしかできなかった。

 

 

 汐見が出ていった教室で一人立ち尽くしていた俺は、しばらくすると膝から崩れ落ちてしまった。

 彼女と言葉を交わした後、俺の中で渦巻いている感情はとても複雑なものだった。


 焦りと動揺と言い知れぬ感情。


 彼女は俺が盗人ではないと確信している。

 そして、彼女があの件の真実に近づいてきている。


 これが、焦りと動揺の原因だ。

 しかし、これらは今の俺の感情の一部だ。


 そして、大部分は言い知れぬ感情が占めている。

 彼女の女神のような微笑み。


 そして、その口から発せられた甘美なる言葉。

 この半年間、その言葉をずっと欲していたような気さえする。

 それはまるで、俺を全肯定してくれているような錯覚さえ覚えるものだった。


 きっと、俺の恋心故に補正が掛かっているのかもしれない。

 しかし、彼女は美しかった。




(ふぅ……)

 何分か経ち少し落ち着きを取り戻した。

 そして、彼女の言葉の意味を考える。

 あの口ぶりからするとまだ彼女は真実にはたどり着けていない。


 しかし、他の人が気づいていない、真実にたどり着くまでの前提条件を彼女はクリアしてしまっている。

 俺が犯人ではなく、真犯人が他にいるということに気づいている。

 だが、俺は汐見であろうと誰もこの真実へとたどり着かせたくない。

 

 俺は両手を床に着き、立ち上がる。

 そして、決意する。

 汐見は俺が全力を持って、真実から遠ざける。

 これだけは、何があろうと変わらない。


 だけど、万が一何かの間違いで彼女が自力で真実にたどり着いたとしよう。

 その時、彼女にこの秘密を守らせるには強固な繋がりが必要だ。

 俺の経験則から言わせてもらうと、友人関係なんかじゃ秘密なんて守れない。


 だから、きっとその時は俺の全てをかけて、彼女”と”恋をしよう。

 

 俺の持てる全てのモノを使い、汐見と恋人になってみせよう。

 そうやって、彼女に残りの学生生活の間は秘密を守らせる。

 そして、卒業と当時に俺から振る。

 これが、万が一の時のシナリオだ。



☆    ☆    ☆



 汐見との邂逅を終え、約三十分が経った頃。

 俺は家の前までたどり着いた。

 学校から徒歩二十分。

 自転車を使えば良いのだが、そうなるとただでさえ運動不足気味なのに、もっと運動量が減ってしまう。



 「あら?」



 玄関を開けると、そこには丁度帰宅するタイミングだったのか、お手伝いさんの良子りょうこさんがいた。



「お疲れ様です、良子さん」


「ありがと。 文月ふづきくんも学校、お疲れ様」



そう言って、にこやかな表情を浮かべる良子さん。



「あの、一応聞いておきますが」


「あ、お父さん? 今日も帰ってこないって」


「そうですか、ありがとうございます」



 今日も父は帰宅しないことを知り、少し安堵する。



「あ、文月くんの夕飯は用意してあるから!」


「いつも美味しいご飯、ありがとうございます」


「いえいえ、じゃあ私はこれで」


「はい、お疲れ様です」



 そう言って良子さんは自身の家へと帰宅し、俺はこの辺りでは一番大きいとされている豪邸、古橋家の中へと入っていく。

 

「汐見楓は箱入りお嬢様」

 この地域にはかつて大きな財閥があり、その子孫が今も様々な功績を残している。

 だが、汐見楓はその家系ではない。

 何故なら、古橋家こそかつての巨大財閥の子孫が集う家系なのだから。

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