第2話 彼女の隣の席

 一学期二日目。

 約二週間ぶりに登校したせいか、やけに重く感じる身体に鞭を打って、学校へと登校する。


 正直、登校するのに後ろ向きな理由はもっと別にあるだろと思われそうだが、学校の最悪な環境には慣れてしまった。実際、半年もこんな状況なら慣れないほうがおかしい。


 ……いや、今日、これからに限ってはさらに学校に通うのが憂鬱になっていくかもしれない。昨日のホームルームで俺と汐見は幸か不幸か、同じ美化委員になってしまった。


 俺は確かに汐見のことが好きで、一緒に居られるなんて願ってもない幸運であるが、それ以前に俺は学校の嫌われ者なんだ。俺が傍にいるだけで彼女は嫌な思いをするかもしれない。彼女に嫌な思いをこれ以上させたくない。ただそれだけだ。


 ああ、これからどうしよう……、などと考えている間に学校に着いてしまった。


 校門を通り、昇降口で外履きから上履きへと履き替える。

 この半年間一度も俺の下駄箱に嫌がらせ行為はされてないが、嫌われ者のテンプレとしてやはり毎日下駄箱だけは警戒してしまう。


 今日も無事上履きに履き替えられたので、少しだけ安心して二年六組の教室に向かう。

 極力誰の邪魔にもならないように、後ろの扉からこっそりと教室に入る。

 いつもなら一目散に自分の席へと向かうが、俺は思わず足を止めてしまった。


 一番後ろの窓際から二番目の席、そこに彼女はいたんだ。

 彼女は教科書やノートを鞄から机の中に移していた。

 そして、髪が少し邪魔なのか、耳に髪をかける仕草。

 その横顔に俺は見惚れてしまった。


 昨年度も同じクラスで、彼女の横顔なんて何度も見ているはずなのに。

 それなのに、美しすぎて一瞬、時が止まったのかと錯覚するほどには見惚れていた。

 

 しかし、俺はすぐに切り替え、一番後ろの窓際から三番目の自分の席へ着席する。そして、すぐに突っ伏した。これが俺にできる唯一の選択だ。



 「おはよ、楓!」


 「おは~」



 俺の席の隣から汐見の声ではない他の二人の声が聞こえてきた。


 

「おはよう、優子ゆうこ千弦ちづる



 そんな二人に挨拶を返す、汐見の声が聞こえてきた。

 彼女たちは汐見の友人の仲町優子なかまちゆうこ飯沢千弦いいざわちづるだ。

 この三人は一年のころからいつも一緒にいる、仲良し三人組ってやつだ。

 


「てか楓、あんた何で昨日休んじゃったの? そのせいで美化委員になっちゃったよ!」


「ごめんね、昨日はちょっと色々あって……。 あー、でも美化委員かぁ」


「放課後が拘束されるけど、だいじょぶ?」



 汐見の放課後を気にするって、もしかして何かあるのか?

 正当な理由があれば、それを建前にして美化委員を他の人と変わってくれ……。



「まぁ一時間くらいなら、なんとか?」


「そう、それならよかったけど……」



 いや、俺は良くない。早くもう一人の美化委員が俺だって伝えてやってくれ。



「でも、問題はそれだけじゃなくて、ね」


「何? 他にもなんかあったの?」


「いや、その、ね?」


「ほら、まぁ、そゆこと」


「ああ、なるほど……」



 どうやら隣で突っ伏している俺を目配せしてか、はたまた指でも指してかわからないが、ようやく俺と一緒に美化委員なってしまったことが汐見に伝わったみたいだ。

 

 ほんの少しの沈黙の後、汐見が口を開いた。



「まぁ休んじゃった私が悪いんだし、仕方ないね」


「流石に私たちも神崎さんには何も言えなかったよ……」


「ほんとごめんよ……」


「いいって、気にしないで。 もうこの話題はおしまい! 普通に話そ?」



 どうやら、汐見は美化委員を引き受けてしまうようだ。ほんの僅かの嬉しさとそれを何十倍も上回る罪悪感で胸がいっぱいになる。


(汐見、ほんとごめん……)


 汐見たちが談笑している中、隣の俺はひたすら汐見への謝罪を心の中で述べていた。

 

 そして、ショートホームルーム、一限、二限と時間割は進み、四限目が終わり昼休みになった。

 クラスに居場所がない俺は当然、クラスで食事を取ることは許されない。かといって、便所飯をするのも中々気が進まない。


 ということで、俺は四限目が終わると席を立ち、足早に購買に向かい、速やかにパンを買う。そして、普段は使われていない特別棟へと向かう。

 特別棟はかつてベビーブーム時に建てられた建物であり、少子化の一歩を辿る現在は誰も使っていない。

 取り壊すのにも費用が掛かるし、部活動などで利用するには少し錆びれているし、そもそも部活動の教室は本館で賄えている。


 そのため、滅多に人が寄り付かない特別棟で食事を済ます。

 その後、本館へと戻り、お手洗いを済ましてから教室に戻る。

 そして、再び自分の席に突っ伏す。

 これが、俺の昼休みの過ごし方だ。



「ねぇねぇ、汐見さん」



 俺が教室に戻ってきて、暫く経ち、あと十五分ほどで昼休みが終わろうとする時間。楽しく談笑している汐見に声を掛ける男子が現れた。



「なんですか?」



 汐見は声のトーンが変わり、先ほどとは打って変わって鋭い声となった。



「いや、俺、加藤かとうって言うんだけど、汐見さんと連絡先を交換したいなって思って……LEEN《リーン》やってる?」



 LEEN。スマートフォンのメッセージアプリで、今主流の連絡ツールだ。通話もできればボイスメッセージも送れ、様々なファイル形式のデータも送れる。そして、みんな可愛いスタンプを使い、メッセージのやり取りを楽しんでいる。



「ごめんなさい。 私スマートフォン持ってなくて……私の携帯これだから」



 汐見の口からお断りと、その理由が述べられる。

 去年も同じクラスだった人たちは知っているが、汐見はスマホを持っていなくて、ガラケーを使っている。それどころか、家にはパソコンもテレビもないらしい。そのため、最近の話題や流行に疎い。

 去年も加藤君同様に声を掛ける男子はいたものの、LEENはやってないし、そもそも話題がないということで次第に汐見に話しかける男子はいなくなっていった。



「そ、そっか、なら仕方ないね。 ごめんね急に話しかけて」



 加藤君は汐見にそう告げるとトボトボと友達の所へ戻っていった。



「だめだったわ……」


「ほら、言っただろ? ”汐見楓は箱入りお嬢様”だって」


「その噂って、本当なのか?」


「いや、わかんねぇけど……」



 加藤君軍団のでかい話し声は俺の耳にまで届いた。


「汐見楓は箱入りお嬢様」

 いつからわからないが、そんな妙な噂が真しやかに囁かれるようになった。

 彼女の美貌。勉学の出来。世間に疎い。

 そしてなんの偶然か、この地域にはかつて大きな財閥があり、今もその子孫たちが様々な功績を残しているらしい。

 そしてこれらが絡み合い、噂が生まれ、その現実味を増していった。



「……だってさ、汐見お嬢様?」


「だってさ~?」


「もう、やめてよ! そんなんじゃないって……」



 俺の隣では仲町と飯沢にからかわれ、必死に否定している汐見がいた。

(ありがとう、加藤君。 君のおかげで汐見の良い反応が見れた。 いや、声だけだけど)

 俺は密かに加藤君への感謝を心の底から述べていた。


 昼休みが終わり、午後の授業も終え、終礼のため担任の中島先生が教室に戻ってきた。

 中島先生が明日の連絡事項等を述べている。

 特に直接的に関係あることは無く、俺は机に突っ伏して聞き流す。



「古橋!」



 すると、唐突に俺の名前が呼ばれ、思わず顔を上げてしまった。



「あと汐見も。 美化委員は今日からあるらしいからこの後、会議室へ向かうように。 以上だ。 みんな、気を付けて帰るように」



 まだ少し先だと高を括っていたが、まさかもう委員会が始まってしまうとは……。

 俺は上げてしまった顔をゆっくりと下げ、再び机に突っ伏した。

 

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