正義のみかた
素を出した。ただそれだけの事。
それだけの事がここまで発展してしまうから、人間関係は恐ろしい。
目に浮かぶどす黒い悪意の笑み。男子が女子が怖い理由の第一位に挙げるあの儀式。
私はああいうのが一番許せない。
そんな負の感情をホワイトサイダーに溶かして一人流し込む。公園の隅のベンチに寂しくぽつり。夏だというのに暑いという感覚が麻痺しきってしまったみたいで、心のわだかまり以外何も感じられない。
今頃、皆何をしているんだろうか。
きっとあの子は今日も熱心に段ボールを切り分けているのだろう。あの子は絵の具で塗り潰して、あの子は……今日も変わらずふざけながら木の板を組み立てていることだろう。
そしてあいつらも、変わらず何もしないで駄弁っているのだ。
脳裏にあいつらの甲高い笑い声が響く。そういうヘルツは悲鳴や黄色い声とかそういうものの為に取って置いて欲しい。頼むから。
そしてまた昨日みたいに腹を抱えて笑い、あの子の段ボール工作を――。
……。
悔しさに思わずスカートを握りしめる。
踏まれて形の崩れた段ボールを眺めるあの子の顔がまた浮かんだ。
あそこまで完成させるのに彼女が休みの殆どをその作業に費やした事を私は良く知っている。
あの玉の汗は、たった一回の不注意により、水泡に帰したのだ。
記憶として右手に残る熱、赤く腫れた彼女の左頰。
あんまり覚えてないけど悪い事はしていない。それだけは確かだ。
だって自分の正義に従って行動したんだから。
……それじゃあ何で私が悪いんだ。
あの後の周りの目はゴミでも見るような目だった。
それぞれが、しかし何故か同じ事をその目つきだけで表現していた。
『あーあ、やらかした』
……不愉快だ。
全くもって不愉快だ。
一体人の正義とはどこにあるのか。
周りの皆の善とは一体何なのか。
何が悪なのか……皆に正義は無いのか。
昨日の一件で一気に分からなくなってしまった。
……自分の居場所も見当たらなくなった透明人間はどこへ行けば良いのだろう。
そう思いながら登校していたらいつの間にか近所の公園に辿り着いていた。
なんていうか、笑えない。
そんな結論に何度目か分からないため息をついた時、誰かの声が耳に飛び込んできた。
「じゃあ逃げちゃえば?」
突然の参加者登場に思わずホワイトサイダーを吹き出す。
「え、ちょ、誰!?」
ぐるぐる辺りを見回すとすぐ近くの森の中、木の陰から私をじっと見つめる少年を発見。
彼は黒髪のグラデーションボブに学ランを着、短冊形の硝子の耳飾りを身に着けていた。その端正な顔には黒耀石のようなきらきら輝く双眸があり、指はほっそりと、白く長い。
「和風美少年」という言葉がよく似合うひとだった。
私とばっちり目が合うと和風美少年は妖しくニタリと笑った。
「居場所が見つからないなら見つければ良いじゃない」
「どういうこと」
「スーパーヒーローってどうして『スーパー』なんだと思う?」
「ねえ、話聞いてる?」
「うふふ、よく言われる」
話をあっちこっちにぶっ飛ばす妖しい和風美少年に、何というか呆れてきた。
途方に暮れたの方が正しいかもしれない。
「要するにはさ、少数派の正義の味方なんて居ないって事だよね」
「……!」
いきなり話が読めてきた。
つまりは私の「正義」はここでは受け入れられるものではないということだ。
なんだか知らんが腹が立ってきた。
「だから私なりの正義が受け入れられる場所に行けば良いって言いたいの? 例えば森の奥とか、海獣の住み処だとか?」
「お! 人間の割には話が分かるね、感心感心!」
太陽が如くの素晴らしい笑顔でいらんことを褒めてくる和風美少年。
いやいや、そういうことじゃないでしょう!
「人間の割にはって、あんたも人間でしょ!?」
「こらこらひかえおろーう! 僕は齢三百の座敷童だよ!」
「はあ!?」
もう訳分かんなくなってきた。私はいつの間にファンタジーに飲み込まれたんだ?
「だから君の事、良く知ってるんだよ。――クラスメートを許せないでしょう?」
「う……」
図星。
図星をさされると人間は突然冷静でいられなくなる。
――何だろう、何だか凄く、逃げたい。
この少年は私の何をいくつ知っているのだろう。
どうすれば私は無事でいられるだろう。
どうすれば私は私の暗黒から目を逸らしていられるだろう。
「だったら君は力を手に入れれば良い。居場所を手に入れれば良い。欲しくない?」
「……」
「別に映画でよく見る大層な物なんかじゃない。何でもない。ただ強い心が君に宿るだけだ。君のその黒いお腹を洗い流してくれる様な強い強い、それでいて清い心」
「……」
「君をちゃんと『一人の人』として見てくれる環境。ただそれだけの事なのに君はそれすら手に入れられていない。そこに入るだけ。何でもない。善人だって欲しがる権利を持つ極々基本的な物だけだ。君に宿る罪悪なんかどこにも無い」
「……」
「どう。欲しくない?」
改めて聞いてきた彼の瞳はまさしく黒耀石。覗くヒトの心を映す黒い鏡だった。
欲しくない、と素直に言えないのは多分人間の性だ。
どうも目の前の少年には抗えない何か力がある気がする。
「気に入らない人間を餌にして代わりに素敵な力や居場所が手に入る池があるんだけど、ちょっと下見してみたくない?」
「そ、そんなのいけなくない?」
「ダークヒーローも例外なくスーパーヒーローなんだよ」
「う……」
「黒いお腹に悩んでる君にはぴったりだね?」
……どうせ冗談、でしょ?
* * *
善と悪の境目とは一体どこにあるのかしら。
そんなたわいもない事を考えながら少年の後についていく。
「……それで? その池はどこにあるの」
「慌てない、慌てない。もうちょっとかかるから頑張って」
「う、うん」
強い力を欲するのは何も強者だけじゃない。強欲な者だけでもない。
いや寧ろ弱者こそ欲するものだ。
それに罪悪がつかないとすれば尚更である。――何とも弱者らしい考えだ。
自分で思ってなんだか情けなくなる。
「ねえお嬢さん。そういえば名前、何て言うの?」
そんな風にまた負の感情を反芻していると目の前の少年が目だけをこちらに向け、歩きながら聞いてきた。
反射的に答える。
「え、あ、浬帆です。鳴上浬帆」
「ナルカミ、リホ。へえ、良い名だね」
「ありがとう。貴方は?」
「僕? ……うーん困ったな、僕には名乗る程の名前が無いから。ごんべえにでもしといてよ。ナナシノゴンベエ」
「そんなのってアリ?」
「良いじゃん。事実だもの」
「うーん、まあそうか」
ちょっとずるい気もする。
そこから話が続かなくて少し沈黙した後、少年――ごんべえはちょっと嫌なのでナナシくんにしておく――がぽつんと呟いた。
「存在意義ってさ、何だろね」
それが私に向けられたものだと分かるまでに少し時間がかかった。
「――え、あ、な、何?」
「存在意義。考えたことある?」
「あー……実は、あんまり?」
「まあ、難しい議題だもの。当然と言えば当然だよね。それに、人は自分は居て当たり前って思うものなんだし」
「でも……自分はいらないんだって嘆く人はいっぱいいるんじゃない?」
「人は悲しくて泣くんだと思ってる?」
「え……」
「人は誰かに気付いて欲しくて泣くんだよ」
先程の彼からは想像も出来ないような暗く冷たい声が胸に響いた。まるで何か勘違いをした人を軽蔑するようにも聞こえる、冷たさだった。
色で例えるならば鉛のような、そんな鈍い口調だった。
その瞬間、何故か頭の中がゾワゾワした。触れてはいけないものに触れて、案の定痛い目にあった、みたいなそんな感覚が。
何か、怖い。
「僕には名前が無い。リホさんには名前がある。それだけでこんなにも差がある。僕らは余っていた。僕は元々いらない存在だったんだよ。――僕は赤子の時に泣いていたのだろうか」
闇が深い。
「捨て子とか……だったってこと?」
「分かんない。でも家族はいるよ、お兄ちゃんが一人」
「お兄さんも座敷童?」
「分かんない。今は遠いところにいるから」
そう言いながらナナシくんは右手の白い手袋をするりと外した。掌に何か奇妙な印があるような気がしたけれどすぐに手袋をはめ直してしまったので良く分からなかった。
「勝手に覗かないでよ、えっち」
「え、えっちって……!」
いたずらっぽく笑うナナシくんの表情は暗くなる前の彼と同じものだった。
戻った……。
会った時からそうだ。彼はころころ変わる。まるで秋の空のように気まぐれなのだ。
そのギャップに今更ながら少しどきりとしてしまったなんて言えない。
「あ、ほら、もうすぐ。あそこだよ」
少し開けた場所に着いたところでナナシくんはいかにも座敷童らしく、木の向こうに微かに見える小さな小屋のような建物に向かって元気に走っていった。
そこは意外にも学校に近い所だった。学校の裏の森。まさかこんな怪しい場所に入ることになろうとは入学したての新入生も昨日ビンタをかました少女も思わなかっただろう。
すぐに追いかけようとしたけれど、その場にあるちょっぴり異様な建物に一瞬目が奪われる。
廃屋の様なボロボロのその建物は駄菓子屋の様にも見えた。子ども達が秘密基地に使っていそうだ。朽ちて殆どその機能を失いかけている看板には「駄菓子屋 うさぎ」と微かに書いてあった。
「駄菓子屋……こんな所で……?」
ぼんやり眺めながらそうぽつんと呟いていたら、ナナシくんに腕を引っ張られた。
「そんな所で油売ってないで早く行こうよー!」
「ああ、ごめんごめん」
「ほら、この小屋に入るんだよ」
ナナシくんに入るよう促されたのは小屋……というよりかは少し大きめの祠みたいな建物。(プチサイズの神社の方が正しい?)扉を開けると人が一人やっと通れそうな細い道が続いている。――って待って、この祠モドキのどこにそんな空間があるの?
っていうか池は?
あれ、もしかして……騙されてる?
なんだか怖くなってきた。
「え、池に行くんだよね?」
「池だよ」
「池なんだよね?」
「どっちかって言うと貯水池、みたいな?」
「ああ、池……」
「ほら、変わりたいんでしょ? リホさん」
ナナシくんに促されるまま、背中を押されるがまま。
私達は祠モドキの奥に姿を消した。
――思えばこれが全ての始まり。
この誘惑が、皮肉だけど私の世界を全てひっくり返したんだ。
(つづく)
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