第3話


―――


 そういう訳で付き合う事になってもうすぐ一年。最近赤江さんの様子がおかしい。以前に比べて妙に明るくなった。前だったら自分の机に座ってボーっとしてるかすぐに個室に入ってパソコンで仕事してるかのどちらかだったのに、今や少しでも暇な時があれば紫織さん達と何やら話している。


「ねぇ、何話してるんですか?」

 って話しかけても、

「いや、別に?」

 って誤魔化されるのはわかっていたから、敢えて私は無視していた。ホントは気になって気になって、仕方がないのに……


 それと変わった事はもう一つ。私と一緒に帰らなくなった。その代わり、いつも紫織さんと何処かに行くようになった。たまに青依さんと三人の時もあるけれど、明らかに紫織さんとの方が確率が高い。


 彼女に限らずメンバーの皆とは長年の付き合いだから、私が把握していない関係などいくらでもあるだろう。

 でも私が勝手に認識していたのは、赤江さんと紫織さんは普段一緒にいるイメージはなかった。だけどもしかしたら二人だけが知っている穴場の居酒屋があるとか、実は帰る方向が一緒だからとか、色々と思考を巡らせていたが結局行き着くのはこの言葉だった。


「これって浮気なのかなぁ……」

「赤江に限ってそんな事はないと思うがな。それに奴は女性恐怖症なんじゃなかったのか?」

 つまみの枝豆を食べながら気のない返事をした同期で親友の咲良を睨みつけた。

「紫織さんは特別なんですよ。それに青依さんだって……」

「あぁ、そうか。昔から知ってるみたいだしな。それか女だと思ってないかのどちらかだな。」

 咲良はそう言うと、ビールを飲んだ。私は黙ってその様子を眺めていた。


 桃山咲良は可愛い見た目とは裏腹に口調も性格も男っぽい。でもさばさばしているところが私にとって楽で、こうして色々と相談できるありがたい存在なのだ。


『浮気』、この言葉が頭の中を支配するまでそんなに時間はかからなかった。紫織さんは容姿端麗で知性も兼ね備えている。セクシーだけどどこかお茶目で、仲間思いで。

私はそんな彼女に憧れていた。


 こんな人になりたい、もし少しでも彼女に近付けたなら、自分に自信が持てるようになるんじゃないかって思ってた。赤江さんの傍にいる為には身につけなければいけない何かを、紫織さんは知っているような気がしたからだ。だから赤江さんが紫織さんと一緒にいるようになったのは、私にはそれがないからだと思った。

 いつまで待っても私が全然成長しないから、それを持ってる彼女の方が良くなったんだと想像した。そしてやっぱり私じゃダメだったんだと、悟ったんだ……


「っていうか、そんなに堂々と浮気するか?普通。」

「まぁ、それはそうなんだけど……」

 咲良のもっともな意見に、私は俯いた。

 二人は私の前で堂々と連れ立って帰って行くのだ。そして他のメンバーも、当たり前の事のように振る舞う。


「でもあの人達、普通じゃないから。」

 自嘲気味にそう言うと、咲良が珍しく悪戯っ子のような表情で一言。

「お前もな。」

 私は思わず吹き出した。

「そうだね。私もいつの間にかあの人達に毒されてたみたい。私は自分の事もっとドライな人間だと思ってた。これって、私が普通じゃなくなったからかな?」

「良い意味で、普通じゃないって言ったんだ。今のお前、人間らしくてわたしはいいと思うぞ。誰のせいでそうなったのか、自分の胸に聞いてみろ。」

「咲良……」

「あいつの事信じろなんて、わたしには言えない。だけどお前が信じてやらなきゃ、赤江は本当に一人になっちまうぞ。」

「え……?」

『一人になる』、その一言に反応する。私は咲良の言った通り、自分の胸に手を当てた。


「わたしには赤江がお前を裏切るなんて思えないけどな。でももしお前を傷付けるような事があれば、わたしは奴を許さない。」

 眼鏡の奥の目が一瞬細くなる。その瞳に射ぬかれて、私は固まった。


「じゃあそろそろお開きにするか。」

「え?もう?咲良まだそんなに飲んでないじゃん。」

「二杯飲んだからもう十分。お前はわたしの記憶が正しければ、四杯飲んでるぞ。」

「え、そうだっけ?」

「まったく…弱いくせにやたら飲みたがるのは昔から変わんないな。」

 咲良はそう言うと、テーブルに置かれた伝票を持ちながら立ち上がった。

「あ……」

「今日は奢ってやるよ。赤江と決着ついたら、どうなったかくらいは報告しろ。その時はお前の奢りだ。」

「あ、ちょっ…ちょっと待って!」

「何だ。」

「どうしたらいいと思う?」

「は?」

「だから赤江さんの事。このまま何もしない方がいい?それとも思い切って本人に聞いた方がいい?」

 知らないうちに目には涙が溜まっていた。咲良は『はぁ~…』って盛大にため息をついた後、もう一度座りなおした。


「だからわたしには何とも言えない。どうするかはお前の自由だ。」

「うん……」

「だけどもしお前が一人になったら、泣きに来い。しょうがないから慰めてやる。」

「その時は私が奢るんでしょ?」

「当たり前だ。……じゃあな。」

 咲良はもう一度伝票を持つと、今度こそレジへと歩いて行った。


「はぁ~……」

 盛大なため息をつく。そしてゆっくりテーブルに顔を伏せた。

「どうしよう……」

 疑惑はもう、これ以上膨らまないってとこまでいっている。だけどもしまったくの勘違いで、私が疑った事が原因で赤江さんが気分を悪くしたら?彼はまた女性恐怖症に戻って、心のドアを永遠に閉ざしてしまうだろう。


 何を言っても聞き入れてもらえない。何をしても振り向いてもらえない。

 そうしてきっと彼は、少しずつ元の彼に戻っていくんだ……


「帰ろっと。」

 小さく呟き椅子から立ち上がった時だった。カバンの中から振動音が聞こえたから、私は慌てて椅子に逆戻りした。

「あ……」

 ディスプレイには、たった今まで頭の中を支配していた人物の名前が表示されている。一瞬迷ったが、電話に出る事にした。

「……はい。」

「白本か。今どこにいる?」

「赤江さん……」

「何だ、どうした?」

「何で…何も言ってくれないの?私に隠してる事があるなら、早く言って?お願い、もう……」


『傷つきたくない…』

 そんな声にならない言葉が、自分の心を締め付ける。さっきまでは赤江さんが傷つく事を恐れていたのに、今は自分の事しか考えてない事がすごく恥ずかしくなった。


 そう、私はズルい。一番大切な人を疑って勝手に傷ついて、本当の事が知りたいはずなのに、腹の奥底では知りたくないともがいてる。俯いた瞬間零れた涙はズボンに落ちて消えていった。


「あぁ、何だ。バレてたのか。」

「……!…やっぱり……浮気してたんですね。」

「……は?」

「え?」

 間の抜けた赤江さんの声に、私も乾いた声が出た。そして何故か沈黙が二人の間に訪れた。


「あの……赤江さん?」

「白本……俺が浮気など出来ると思ってるのか?」

「いえ、でも紫織さんならあり得ますよね?それに最近二人でどこかに行くじゃないですか。私、ずっと……」

「浮気だと思ってた、と?」

「はい……」

 小さく頷くと赤江さんのため息が聞こえる。私は姿勢を正した。何を言われても平常心を保って、取り乱したりしないよう固く決意する。私は赤江さんの次の言葉を待った。


「お前、どこにいる?」

「え?」

 先程の第一声とほぼ同じセリフに、また乾いた声が出た。

「だから、どこにいるのかって聞いてるんだ。」

「えっと……いつものとこです。」

「わかった。五分で行く。そこで待ってろ。」

「え……ちょっ…赤江さん!」

 どこか慌てているような彼の声を最後に、通話は切れた。

「何よ、もう……」

 ホントはあまり会いたくなかったけど、浅ましい私は赤江さんが会いに来てくれる、それだけで幸せになれるんだ。


 それが例え、別れ話をしに来るのだとしても……



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