第2話


―――


「今日からこちらでお世話になる事になりました。白本百合子といいます。よろしくお願いします!」

 そう言って勢いよく頭を下げるが、しばらく待っても誰も何も言ってくれない。恐る恐る顔を上げると無関心といった様子の五人がいた。

「あ、あの……?」

「白本、気にするな。こういう奴らなんだよ。」

「そう…ですか…」

 一緒に来てくれてた捜査一課の菊池さんが私の肩をポンと叩いてくれる。私は表情を緩めた。


「……え?」

「?」

 不意に紫織さんが何かに反応して後ろを向く。つられて私も同じ方を見ると、何故か赤江さんと目が合った。その瞬間に視線を逸らされた。

「じゃあ、後は頼んだぞ。白本!」

「あ、はい!」

 菊池さんはそう言って私の背中をドンッと叩くと、嬉しそうに部屋を出て行った。

「えっと…私の席は……」

キョロキョロと辺りを見回した時、ちょうど青依さんと目が合った。すると彼女は空席になっている机を顎で示した。そこが私の席らしい。カバンを机に置くと、ゆっくり椅子に腰かけた。



―――


 ふっと目をあけると思いがけず青依さんが近くにいて、ビックリして後ずさった。

「ちょっ…!さっきからビックリさせないでくださいよ……」

「ごめんごめん。……で?あの時の事思い出したの?」

「えぇ、まぁ……」

 ずいっと更に近づいてこられて、私は体を反らした。


 あの時赤江さんが何かを呟いたのは確かだと思う。近くにいた紫織さんにしか聞こえなかったっていう事も。

 よほど意外な言葉だったのか、かなり驚いていたという記憶がある。私は紫織さんを見ると尋ねた。

「あの時赤江さんが呟いたのが、『百合の華』なんですね?」

「そうよ。ねぇ、白本さん?どういう意味かしらね。百合の華って。」

「……さぁ?」

「私には百合の華の意味、わかった気がするわ。」

「え!?」

「うちも。何となくだけどね。」

「え!青依さんも?教えてください!」

「鈍感な君には教えな~い。自力で解いてみな。」

「そんなぁ~……」

 意地悪な顔の青依さんを見つめても、答えを教えてくれる気はないらしい。紫織さんもさっと目を逸らした。

「自分で答えに到達した方が、喜びも増すわよ。」

 意味深な笑みを浮かべると、二人は目で合図しあって部屋から出て行ってしまった。


「自分で答えを、かぁ~……全然わかんない。」


 しばらく考えていたけどとうとう匙を投げた私は、椅子から立ち上がって赤江さんの席の方を向いた。


 誰もいないけど、目を閉じれば彼がそこにいて仕事をしている姿が簡単に目に浮かぶ。思わず呟いた。

「好きだなぁ~……」

「何がだ。」

「えっ!?…あ、赤江さん!いつからそこに?」

 不意に後ろから声がして慌てて振り向くと、赤江さんがそこにいた。

「今来たばかりだが。」

「そう…ですか……あ、赤江さん!」

「……何だ。」

 振り向いてはくれなかったけど足は止めてくれた。


「百合の華って……何ですか?」

「……っ…!」

 ほんの一瞬だったけれど赤江さんの肩が揺れた。

「赤江さんって、百合好きなんですか?」

「……と、思うか?」

「いえ。花には特に興味なさそうに見えます。」

「白本は時々だが、面白い事を言う。」

 至極真面目に思った事を言ったのに、苦笑気味に返されて私はちょっとムッとした。

「私は真剣に聞いてるんですよ!百合の華って何なんですか?青依さんも紫織さんも、答えがわかってるのに教えてくれないし…。赤江さんもこうやって誤魔化すし。もう私何がなんだか……」

「白本……」

「あぁ、そっか。赤江さんは私の事なんか嫌いなんですもんね。嫌いな人と話したくないのは当然か。なのにいつまでもお邪魔してすみませんでした。私……帰ります。」

 一気にそう捲し立てると、私は軽く頭を下げてそのまま部屋から出ようとした。

「待て!」

「……え?」

 突然腕を掴まれて、私の足は意に反して前に進まなかった。


「あ、赤江さん…?」

「白本……」

「はい?」

「百合の華は……お前の事だ。」

「…あ、そうですか……って!えぇっ!?」

「ふっ……この俺が花の名前なんか口走るなんてな。似合わないのにも程がある。」

 苦笑気味にそう言うと、掴んでいた私の腕を離した。


「初めて会った時、あんたに見惚れた。」

「………」

「女が苦手な俺は、女を見るとまず条件反射で距離を取ろうとするんだ。だがお前を見た瞬間、俺の足は動く事を拒否した。」

 淡々と語る赤江さんはいつもと違っていて、だけどどこがどう違っているのかわからなくてもどかしい。

「百合の華って呟いた事は自分でも無意識だった。」

「えっと……」

「確かに俺は白本を避けてた。」

 本人からはっきり言われて、私は思わず俯いた。

「だけどそれは嫌いだからとか、そういう意味ではない。断じて。」

「え……?」

「悩ませていたなんて気付かなかった。俺はどうもこういう事に疎くてな。……まぁつまり、その~……悪かった。」

「ちょっ……!あ、赤江さっ…」

 下を向いていて気付かなかった。いつの間にかすぐ近くにいた赤江さんに、私は抱き締められていた。


「実際に見た事はないが、白本を見た瞬間百合が頭に浮かんだ。真っ白な何色にも染まっていない百合の華が……」

 驚きで抵抗する事も出来ない私なんてお構い無しに、彼は続けた。

「まぁ、いわゆる一目惚れってやつだな。そんなものはただの勘違いか幻想だと決めつけていたが、実際に俺自身が身をもって体験してしまった今、否定するのは野暮ってものだな。」

「えっ……あの、えっと……」

 何だか自分に都合のいい夢を見ているのだろうか。私はそう思って、赤江さんに向かって言った。


「赤江さん、私の足踏んでください。」

「は?何故だ。」

「いや、あの……夢かどうか確認したくて。……いったぁっ!!」

 心の準備がまだ出来ていないうちに右足に激痛が走る。その場にうずくまった。

「ほら夢じゃないだろ?」

「ひ、酷いですよ!いくら何でも加減ってものがあるでしょ!…いたた……」

 ズキズキ痛む足を撫でていると、赤江さんがしゃがむ気配がして顔を上げた。


「要するに、好きだって言ってる。白本、返事をくれ。」

「……えっ…と…」

 あまり見た事のない熱っぽい瞳を向けられて、私はあちこちに視線を飛ばしながら何をどう言おうか働かない頭で考えた。


「私も……貴方と同じです。」

「それじゃダメだ。具体的に。」

「うっ……!…好き、です。たぶん。」

「ふんっ……まぁ、合格点だな。だけど『たぶん』は間違ってるぞ。5点減点。」

「あはは!何ですか、それ。」

 赤江さんなりのジョークに思わず笑ってしまう。すると彼の手がすっと伸びてきて、私の頭を撫でた。


「ほら、百合の華だ。」


『こんな事言うなんて、貴方らしくないですよ!』とか、『気障な台詞は似合わないです。』って言おうとしたのに、思いがけず優しい顔に何も言えなくなった。


「純粋・無垢・純潔」

「え?」

「百合の花言葉だ。」

「ふふ。私はそんなおしとやかな人間じゃないですよ?」

「知ってる。」

「私は貴方の事、棘だらけの薔薇みたいだと思ってました。」

「………」

「赤江さんは周りを攻撃していたんですね。自分を守る為に。」


 そう、最初の印象は闇雲に相手を傷付ける人だなぁと思ってた。相対する犯罪者に対しても、私達身内に対しても。だけど違った。だって彼はこんなにも優しくて、孤独を抱えてて、儚くて美しい。


「自分を守る為に、棘を生やしたんですね。」

「………」

 何も言わない横顔が愛おしい。私は一歩彼に近付いた。

「……薔薇の花言葉知ってるか。」

「え?」

 黙っていた赤江さんが唐突に発した言葉。私はただ首を振った。


「愛情・情熱・熱烈な恋。」

「愛情・情熱・熱烈な恋……」

 一語ずつ噛みしめるように繰り返す。

「貴方にぴったりですね。」

「……そう思うか?」

「はい!」

 誰よりも大きい愛情でメンバーの事を想ってくれている。彼なりの正義と情熱を注ぎながら、事件を解決に導いてくれる。


「やっぱり貴方は、薔薇ですよ。真っ赤で何色にも染まらない。真紅の薔薇。」

「白本こそ、真っ白な百合だ。」


 もうお互いの距離は数センチ。私はゆっくり瞳を閉じた。



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