二十三
後日、涛の家より少し離れたところの田んぼの真ん中にある家。そこを涛は訪ねた。
「ごめんくださーい。杉嵩 涛です」
久しぶりに自分の上の名前を口にした気がする。しばらくするとろうかの向こうから笑顔を浮かべている祖母が歩いてくる。
「ひさしぶりだねぇ。どうしたんだい、今日は。突然来るなんてね」
「いや、何か動きやすい服、ねえかなって取りに来ただけだよ」
涛は、別にこの人たちが嫌いではない。ただ、頼りがたくて。あの頃、出て行ってなかなか帰ってこないと無駄に心配されると思ったから。それに、なんだか人と触れ合うのが怖く感じて。
「何か新しく始める気になったのかい?」
「さあ、それは俺がこれから考えるつもりなんだけど」
「それなら、学校行って、お国に尽くさなきゃ」
国は嫌いだ。何人もどこかへ連れて行って、そして帰ってくるかも分からない。
「俺は嫌だ」
「まあ今は、わがままは言わないよ。少し待ちなさい」
祖母がろうかの向こうへ消えるのを見て、涛は玄関に座る。
正直に言えば彼はただ『友達』以外の何かを、誰かを、なぜか守りたいと思った。それに明下は、自分たちが巻き込んでしまったも当然。だから、守らないと。死ぬまで。
しばらくして、黒の服と帽子が、他の物と共に老婆の手の上に乗って運ばれてきた。なぜ制服まで持ってくるのか、と思った。
湿っぽい闇で遮詠は伏せていた。
「どうせ俺があの子供の相手になれとか言うんだろう?おまえは動けないし、白大蛇はあまり意味をなさない」
「残念ながらその通りだ。あきらめろ」
真ん中の頭は嫌らしく笑っている。左の頭が呟く。
「お前以外に、霧がいるだろうに」
それを聞いてがばりと、遮詠が起き上がり、駆けた。
「そこまで嫌だったらしいな」
崖に生えている斜めの木と地面で白蛇とリムは話していた。
「ふーん、そう。それじゃあ私はそろそろ行こうと思ってるけど、いいわよね」
「別にかまわん。だが、そうもいかないらしいな」
リムがはてな、と首をかしげると白蛇の後ろから白の獣が飛び出す。
「霧!」
「何よ。そう呼ばないでって言ってるでしょ」
むっと、首を上げてとっさに返したリムだが遮詠は意に介さず続ける。
「行くな」
白蛇はその理由を理解しているので、遮詠は彼女に説明するように求める。話し始める白蛇の隣で遮詠は獣らしくなく息を荒げている。
「明下を鍛える、というのは話したな?我は相手にならん。己は動けん。となると相手は涛か遮詠くらいしかおらん。こいつはそれを嫌がっている。だからお前にも頼みたいとのことだ」
「仕方ないわね」
リムはいさぎよく了承した。別にそれで暇がつぶれるのならば、それでよかった。
涛は明下から預かった鳳玉を男に返した。明下が着替えた際、床に落ちたらしい。それを先ほど受け取った。
「ねえ、どこにあったの?」
男が尋ねてくるが、明下が盗んだようには仕組みたくはない。
「…鬼が、持ってた」
すると男は、やっぱりといったふうに、涛を見下ろした。
「鬼、かあ…じゃあさ、その鬼はどうして、これをもっていたの?」
それは、言いたくなかった。
「しらねえ。とりあえず、渡したからな」
男は笑いながら、それを背負い鞄に入れた。
「ありがとう。これで友達と一緒だよ」
友達、か…
◆ ◆ ◆
寒々そうな裸の木は朝霜に濡れる。
手の甲の包帯だけは取れない涛が、いつもの服を身にまとい、そして片手には黒色の学生鞄とそれに挿した刀。その状態で『明下』と書かれている石の近くの木に上って見下ろしていた。
「いってきます!」
元気な姿は、裏切り者には似合わないな、と思いながら、まだ包帯の取れない右手を見つめた。
涛は笑っていない。仕方ない、といった表情だったが、そんなことを知らない、彼に気づいていない明下は嬉しくて、外に出てからも、常々笑っていた。新しいからだろうか。
白蛇とリム、そして遮詠は田んぼの中の道を歩いていくその姿を崖の上から見つめていた。その後ろから追っている姿も、必死に見つからないようにとしていることがうかがえた。
「静かになるな。おかげでもう少し長く眠れそうだ」
「というかさ、あの子たちだけで大丈夫よね?」
「そんなこと、知るか」
あと数ヶ月で春が来るだろう天は青く澄んでいた。
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