二十一

 涛は数十日後、ほぼ完全に回復して、己のもとへ刀を取りに行っていた。もっともまだ包帯のある姿だが。あの後から刀が放置されたままだと、先ほど遮詠から聞いた。

餓鬼に襲われるといけないということで、誰かがついてくるものなのだが、なぜか涛は、白蛇ではなく遮詠と共に向かっていた。見えないが、なぜか感じた、気配のようなものを背後に感じている。

 まだ初めて会ってから一日分とも接していないはずなのに、なぜこのようなことをしてくれるのかが分からなかったが、とりあえず厚意は受けておくことにした。

「遮詠?」

 道を上がりながら後ろにいるはずの獣に声をかけると、なんだ、と数年前と変わらない声が返ってくる。怒っているような気もするが、この前からずっと気のせいと割り切っておいている。

「なんでお前が俺と一緒に来るんだよ?白蛇はどうしたんだ」

 足元の木の根を乗り越えて斜め前上を見ると崖が見えた。

「ただの気まぐれだ。白大蛇は少し休みたいといっていたしな。まだ寝ているかもな」

 そっけない答えに、多分自分が家の中にいたときに何かがあったのだろうと思う。おそらく、考えにふけっているとか、そんなものだろうと思う。

(何を考えてんだか)

 あまり悩むことの無い彼だ。はっきりと言って気ままに、そして本能的に生きている。それが半ばうらやましく感じたことがある。何も気にしなくていい。周囲の目なんて、ただ在るだけのものだという意識の彼が。

 茂みを抜けると岩壁が立ちふさがる。これを右に曲がれば洞穴があるはずだ。

 背後の気配が在ることと、まだ少しある痛みを感じながら、里の見える崖にそって歩き続ける。

 そしてぽっかりと空いた闇がある穴を見つけ、入っていく。相変わらず湿っているような気がする。問題は刀がさびていないかどうかだ。おそらくあの後から倒れて結構経っているはずだった。さらに気がついてから数日したのでそうなっていると十分に考えられる。

「なあ、俺がここで死にかけてからどんだけ経った?」

 足が石を蹴る。それを見ながらさりげなく質問してみる。

「…十五くらいだな。おまえが倒れてあの子供が貧弱な身体でおまえを運んだ。あの鳳玉を持ってきた男が驚いて急いでその身体に色々とぬっていた。それから三日、あれはおまえをずっと看ていた。そして帰った。直後、おまえが目を覚ました」

 そうか。そんなに自分が大切な存在であったのか。別にそんなことは彼に対し、微塵にも思っていなかった。いや、気づいていなかったというべきか。

あのとき、自分は殺そうと思って刀を突き刺すつもりだった。だがいつの間にか操っている者を追い払う、それだけで頭がいっぱいで、自分が傷つくことも構わず、手を動かしていた。しまいには正気に戻って思いっきり斬りたかったが、いつの間にか殴っていた、彼が戻ったのならばそれでよかった。

 もう、そろそろだろうか。ああ、いた。

 涛よりも遥かに大きい彼。今はあの頃のように真ん中の頭以外眠っている。寝息は聞こえないが岩壁などに体重をかけている様はまさにそれだ。無防備に見えるが主頭が起きている限り、そうではないだろう。

「涛?もういいのか。生きているな」

 真ん中の頭が人の子の姿を認め、それだけ言って安堵と思える一息を吐く。

彼が頭を後ろへ曲げて、背中と思われる場所から、何かを放るように、ぶんと首を振った。数秒置いて涛の目の前に、鞘に納まっている刀が地面の上を転がって滑り、それにつられて柄の紐についているらしい、あのナイフが暴れる。止まった後、それらを見るとナイフの柄に紐が器用に結んである。持っていけ、ということであろうか。刀を拾いながら歩みを進めた。

「お前、俺が死んでるように見えるか?足もあるし、遮詠もいるだろうがよ」

 そういって包帯がぐるぐる巻いてある右手の、右親指で肩越しに後ろの彼を指してみる。すると遮詠が機嫌を悪くしたように呻ると共に真ん中の頭が首をかしげる。

「?、おまえ、遮詠が見えなかったのではないのか?」

「いや、見えねえけど、いるなってことくらいは分かる」

 そうか、と一言置いて、いったん彼は思考に沈む。

 なぜ気配も何も気づかなかった涛が、遮詠がいるとわかるようになったのだろう。それにあの刃物は彼の命を奪いかけていただろう。だが、生きている。遮詠から昨日聞いたが、あれの男が治していたらしいが、だからといって難しいはずだ。

だったら、やはりあの刀のせいかもしれない。おそらく、長く使っていたために刀の気が彼を覆っているからだろう。それがこの異臭。だが、あれは涛にとって必要なものだ。そしてより力を強めていくかも、しれない。

 その少年はいつの間にか自分の視界の隅で、座って刀身を確認していた。問題なさそうに笑みを浮かべ、次は紐をほどいてナイフを見た。少しだけ赤いものがついている。それにはいやそうな顔をして両方とも鞘に収めた。

「あー、死ぬかと思ったぜ…」

 安堵の息を漏らしている涛は岩壁にもたれて、いまにも眠りそうな目をしている。

「涛、眠いなら寝ろ。今は急ぐ理由もない」

 気を利かせて遮詠が、彼に言いながら己に近づく。すると即座に、じゃあ寝る、と言って彼は湿った地面に寝転がった。刀は頭の上の地面に置いてある。遮詠がその顔を見たとき、すでに寝入っていた。意外と疲れていたのであろう。

「早いな。何日も眠っていたから当然だな」

 久しぶりに動いたため、身体が少々なまってしまうのも当然。それに人間に整備された平坦な道ではなく山の斜面と、傷だらけの身体だ、なおさらだろう。

 遮詠が己の正面で腰を下ろして彼を見上げる。鱗に覆われている口があざわらうように歪む。

「おまえ、考えが変わったか?人間をどうこう言っていた頃があったではないか」

 もう昔のことだ、と遮詠は切り捨てる。今でも嫌いだが、この子供の姿が気に入っただけであった。あれを殺さずに助けた。一種の私的な欲望ではあっても、それを実現させるために死にかけた。力があった。これを機に少しだけ考えを変えただけであった。

「以前捕まえた、例の餓鬼だが、予想通り俺達と人間に恨みがあったらしい。だがあいつは餓鬼だから、門からの逃亡者におれ達の相手をさせて、あの子供の身体をのっとってこいつが抵抗できずに見ているだけだと、思ったんだろうな。だがこいつはそんな甘いやつじゃなかったと。むしろ返り討ちにあって目的は灰と化した。無駄だったみたいだな」

 蒼目の次は遮詠が牙をのぞかせる。

「ならば、あの子供がなぜおまえたちを見えるようになったか、分からなかったのか?」

「いや、鳳玉の力がただあれに移っただけらしい。だったら鳳玉自体はもうただの人間にとって価値のある石にしかならないだろうな。だが、力が乗り移ったからこそ、あいつを殺させてはならないと思うけどな?」

「たしかに」

 彼らにとってあれは不要なもの。消えてくれればそれでいいのだが、消えたわけではないし、それどころか、人間に力が乗り移った。それに本人が気づいていない。扱い方を知らないのであれば、それで万事解決ともなりそうだったが、いつか気づくであろうと予想がつく。それに何かが、誰かが気づいて奪おうともするかもしれない。もっとも殺して力が手に入るかは知らないが。

「まあ、あいつがこいつのように戦えれば、問題ないのだがな」

 獣の目がぎらりと涛へと向く。敵意に近いが、かといって襲うわけでもない。尾を持ち上げてすぐにぱたんとおろす。

「そうもいかんだろう。あいつは身体が貧弱だ。涛のようにはなれん」

 真ん中の頭がそういえば、と天井を見つめる。これまで何度か聞こえていたあの叫びは涛のものだったのであろうか。餓鬼から襲われたりしていたようだったが、おそらくそれだろう。

 涛が餓鬼のとりついた少年と戦っていたとき、彼は少年を見ていた。何度か見えた襟の中は少し骨ばっていた。だったら期待できるはずもない。


◆  ◆  ◆


 明下は山を登っていた。おそらく、これまでで二度目の登山であろう。前回は数年前の遠足だった。あの時のは登山道がきちんと整えられていたが、ここは野山なのであのとき以上にきつかった。

 先ほど涛の家に行ったが、男が出かけたといっていたため、ここしかないと思ったからいまここに、彼はいる。

 記憶を頼りに洞穴へと向かっている。もっとも、もうすでにここがどこらへんか分からなかったが、見覚えがあった。友達を背負って降りた道なき道を。

母親が一応心配してくれたので学校は休んだ。昼食もとった。なので着く頃はまだ平気だろう、と思っていたがもうすでに限界が来ていた。もともと運動が苦手なので当然だが、早すぎないかと思った。

しばらくすると、ちょうどよさそうな大きさの、木の根が地面から伸びていた。こけもなにもついていないので、そこで少し休憩することにする。

それにしても、なぜ『涛の友達』が見えるようになったのだろうか。昨日の晩からずっと考えていたが、結局、答えが出ないばかり。だが何も無いということはありえないだろう。何かが、きっとあった。

 はあ、とため息をついて、葉のおりから覗く天を仰ぐ。快晴だ。冬なのでぬくぬくと温かい。こうしてぼーっとしていると眠くなってきた。疲れたせいかもしれない。眠るのにはちょうどいい気候と疲れ。眠るのに絶好の環境だろう。体調も、周囲も。こくんと頭が揺れる。そして意識が飛んだ。


 明下の意識が覚めると、目の前は白かった。否、白にところどころ影が落ちていて、白のひし形をしき詰めたように見える。

「起きたか?」

 後ろから誰かの声。だが下を向いているので、上からというべきか。自然と首を上げると、頭のてっぺんあたりに何かをぶつけた。明下がそこを抑えると同時に、彼の目の前で、無表情な蛇も痛みを感じているような、呻きをあげている。

「我に恨みでもあるのか…」

 彼の顎の先に当たり、少しばかり痛みが響く。

「いや、ないよ…。むしろ感謝したいくらいだよ…」

 涛のことで、でもあるが、目が覚めたこともだ。数秒すればそれは治まったので立ち上がり、白蛇の結んだような身体を見る。昨日も思ったが、やはり大きい。左側に蛇の頭が近づく。

「明下。お前はなぜここにいるのだ。今日は『学校』とかいう日だろう」

「母さんが心配してしばらくは休めって」

 そういえば、怖くない。先日ほどの恐怖心がない。涛の友達であるからか、それともいとも容易く慣れてしまったからか。

「ほう?ならばこのようなところで何をしている」

 赤い視線を向けてくる白蛇が、当然思う疑問を投げかける。後に、来る必要もあるまい、と付け加える。

「えっと、杉嵩がいなくて、そ、そしたらこっちかなって思ったんだけど」

 怖くはないのだが、どうしてもおどおどと答えてしまう。本当は恐ろしいと感じているということなのだろう。白蛇は特にそれを気にすることもなく、身体をほどいて、明下の背後の茂みへとするすると入って行ってしまった。

「こっちだ。死にたくなければついて来るといい」

 行きたいのだがそこから入る勇気がないため。少しだけ迂回して白蛇についていった。死にたくなければ、というものが気になるが今は、黙ってついていくことにする。

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