二十

 しばらく笑いあった後、涛はふらつきながら岩場から降り、穴の底に座り込んだ。この奥に白蛇がいるのであろう。向こうから来るかもしれないが、表情を見られたくない。

 白蛇は自分の思う事を打ち明けた。結局は互いに悪くて、善いことをした。だったら次は涛が話さなければならない。気づかせてくれたから、伝えなければならなかった。言うことを、目を閉じてまとめ、天井の岩を仰ぐようにして後ろに手をついた。

「じゃあさ、俺も話すけどな、俺が学校ってとこへ行かないこと」

 この前、白蛇が行くらしいな、と訊いた。それに今答えようとする。

「我が前に尋ねたこと、だな。続けろ」

「俺さあ、いじめってものにあってた。いまさら行っても同じことの繰り返しだから、もうやめた」

「ならば、教師という立場の者に言えばよいではないか」

 白蛇がそのようなことを知っているとはと驚きつつも涛の溜め息。いつもの人間好きの妖怪からだろう。だが、教師なんて。

「言ったよ。けど少しの間だけなんもなくても、繰り返した」

 頼りにならないし、もう疲れた、と言いたい。

「だいたい、二、三回くらい。そんなになるんだったらって行くの止めた」

 止めれば、終わりのはずだ。

「それから何回も先生とか明下が来てくれるけどさ、結局意味がないんだったら、意味のないところに行かなかったらいいって自分で決めて、それからずっと白蛇とかと一緒に過ごした。でも行こうなんて考えてないからな」

 そうか、と白蛇の身体が地面と擦れる音が洞穴を支配する。だが出てくる気配はなかった。その場で身を絡ませているのだろうと涛は推測する。たしかに彼にとってここはいささか窮屈かもしれない。

「……人間というものはよく分からんな」

 涛には聞こえぬ呟き。涛が砂をいじっている音が白蛇には聞こえる。だが、これはすでに、数年前から知っていることだった。彼のことを気に入っていた者が、教えてくれた。

 人間は人間という種族同士でなぜ、虐げたり、争ったり、殺しあったり、他者をまきこんだり、繰り返したりするのであろうか、とずっと考えている。人間は人間というひとくくりの枠では納まらぬものなのであろうか。互いに人間であるというのに自分の方が上手いと見栄を張り、上であることを主張する。その主張は他者を傷つけるというのにやめようとしない。もしかしたら繁栄を極めた結果かもしれない。そして繁栄をより確かなものとするために、また争う。

 死の危機がすぐ隣ではないため、その分余裕が生まれる。それを補おうとして、何かが足りなくて虐げるという行為が生まれるのではなかろうか。そしてそれが自分に向けられぬよう仕方なく虐げる側へと向かい、大きくなり、涛のような人間を生み出すのではないだろうか。

 白蛇はその考えにようやく行き着き、人間というものに虚しさを感じる。繰り返して、反省して学ぶ、と母から、リムから聞いたことがある。だが学んでも、それと引き換えに被害者を出していく。増えて増えて、気づく。だが結局増えるだけだ。白蛇の生きている場所も同じだか、こちらのはるかに方が虚しい。

「涛、行きたくなければそれでよい。それを正しいと思うなら、そうしていろ」

 当然、と立てた膝に顔をうずめている涛がさらりと返し、続ける。

「なあ、今日一晩、ここにいたら駄目か?」

「体を壊さなければ構わんぞ?」

 いつもより優しさを含んだ声が涛の中に安らぎをもたらす。久しぶりに聞いたものはやはり安心をもたらしてくれるものだ。

「じゃあ、隣にいてもいいか?」

「構わぬ」

 涛は微笑んで立ち上がり、奥へと歩いていく。そして狭そうに身体をたたんでいる白蛇がいた。頭は正面からやってきた友を見据えている。以前とは少し変わったような雰囲気を漂わせているため、違いを見出そうとしたがやめた。涛は白蛇から見て右の岩壁にもたれて、大妖の視線もそれについていき、少年が彼に向け右手を伸ばし、指を伸ばした。それが何かは一瞬分からなくて迷うが、すぐ意味にたどり着き、鼻先を近づけた。

「白蛇って、すごく硬いよな」

 ちょうど顎にあたる鱗をなで、口先を見つめながら呟く。硬く、冷たいがほんのり温もりのある、つるつるとした、規則的な形をした鱗だ。それを不快に感じる白蛇だが今は我慢することにした。この子供はぬくもりというものを思い出としか感じられない。だから代わりに、と思ったから。

「硬い…か?我は知らぬ。だが、役に立つな。雑魚程度なら傷なぞつかんしな」

「んー、いいなあ…」

 そう言いしぼんでいった途端、目が細く虚ろになったかと思うと、がくんと涛の頭が前にうなだれ、手もぱたりと落ちた。白蛇は驚くが寝息が聞こえたため、唐突に眠ったのだと分かる。たしかにもう人間の子供が起きているには辛い時間だろう。白蛇は尾をしならせて涛に風が当たらないようにして、なでられた頭を遠ざける。

「いきなり眠るな、涛。驚いたぞ」

 尾の上に顎をおいて、もう声の届かぬはずの涛の頬を、出し入れしている舌が掠める。人間の味だ。うまそうではない。次いで左腕の赤い布に触れる。あの頃と同じ鉄の味。きっと先日の傷が開いたのだろう。しばらく涛を見ているとばさりという羽ばたきが外より聞こえる。

「やっほー。白、機嫌いかがですかー」

 この声はリムだ。様子をうかがいに来たらしい。これに白蛇は小さめの声で口を開く。

「大きい声を出すな。涛が起きてしまうだろう」

「ふーん、じゃあやっぱり涛が来てるんだ」

 やっぱり?白蛇が聞き返す。なぜ予測がついていたのかがなんとなくわかるが気になる。涛の臭いはあるものに紛れているはずだ。

「なんかすっごい臭いに紛れててわかりにくいけど、涛の臭いをたどって来たの。で、なんて話したの?」

 機嫌の治っている白蛇に気分をよくしたリムの声ははずんでいる。別に白蛇はどうでもいいのだが、こういうときの彼女はときどきあらぬほうへ話を持っていくことがある。

「別に。我らがただの身の上話だ」

「それで?何か変わった?」

 白蛇が首を入り口へもたげる。

「そうだな、仲直り、というのだろうか?これは。人間が好きになったわけではないが少しは信じてやってもいいかなとは思えてくるな。同じ『仲間』としてな」

 それを聞いたリムは笑いがこみ上げるがすんでで噛み殺す。なのでそれは洞穴の奥へは届かない。

「へー、白の口からそんな言葉が聞けるなんてね、思ってもみなかったわ」

 穴の闇を見つめるリムは正直に言うと心の底から嬉しかった。少しでも信じてやろうとなんて思わなかった彼がそう言うのだ。憎む心が少しでも薄れてくれればと思っていた。もしかしたらそれは親心とでもいうのかもしれない。

「それにしたって人間が物好きね、こんな穴の中で眠るなんてさ。下手したら崩れて生き埋め、それか食い殺されて終わり。変わった人間よね、涛って子供はさ」

 互いに離れたところから声を出し合っているためたまに聞きこぼしそうになるが、なんとなく問題なかった。

 もし今、白蛇が涛に対して、ただの人間だと思っていたならば白蛇は間違いなく涛をあのときのようにしようとするだろう。だが今は今だ。そうしようとはわずかにでも思っていない。

「たしかに、物好きだな。人間が我らのことを見えていたとしてもすぐに恐れて逃げ惑い、助けを求めてどこまでも行く。そして死ぬのが恐ろしくて逆に殺すか、他人を殺してもらう。そうだったな、リム」

 うん、と肯定したリムは真上を見る。月が欠けてそこにある。百年前とは変わらないが確実に何かが変わっていた。たとえば、山のいたるところにあった社はもうないし、人間の山の出入りもずっと少ない。白蛇はあれだし、己はいつの間にか門番だし、前の門番もいなくなっている。他にも多々あるものなのであろう。

「ん?」

 そういえば、自分がいない間のことを、何も白蛇に聞いていないのでは、とリムは今更、思い当たる。聞いたとしたら涛のことくらいだ。

「どうした?」

 それを聞き逃す白蛇ではない。リムは息をついて視線を岩の中の闇に戻し、話し始める。

「そういえば最近のこと何にも聞いてないなーって思ってさ、何か知っていることあれば教えてくれない?」

 少しの静寂に響く風によって、空気が冷え込む。

「そういえば、何も話していなかったな。そうだな……山を飛んでいて気がついただろうが人間が来なくなってきている。戊(つちのえ)が死んだ、ということは知っているな?その際得体も知れないやつらがそこから逃げ出してきた。おまえらが相手をしたやつらだ。今もまだ他の奴が、仲間を助け出そうと狙ってるかもしれぬな」

 ただでさえ一部のやつらは彼らのような大妖にも匹敵するような輩だ。先日の者たちは大したことはなかったが、できれば早く始末するべきだろうか。

「少しくらいなら己がなんとかするだろう。一応我ら以上なのだから」

 白蛇、リム、己。この三匹の中では己が他を勝っている。次に白蛇だ。一応リムの方が長く生きているが偶然だ。もっとも以前は己が最も弱かったが門番となってからは異状なまでに力を得ている。

「それじゃ、見つけたら適当にするわ」

 彼女の瞳が一瞬光る。彼女は白蛇よりも頭がまわることがある。だがその姿らしく、好戦的だ。

 白蛇は涛を覗き見る。気持ちよさそうに眠っている。これをたまにうらやましいとも思える白蛇は、自分自身がおかしいのだろうかと悩むときがある。

「私は大丈夫よ。でもさ、だったら涛は?言うこと聞く子じゃないでしょ?その子のあれの扱い方次第ね」

 リムは心配しているようだが、白蛇はしていない。別に大丈夫だろう。口外には出さないがあの刀がいざというときに役立ってくれると確信しているからだ。

「大丈夫であろう。こいつの刀の使い方、まだうまいほうだ」

 白蛇は百年も前、刀をもっと多くの人間がもっていた時代、ある者がある日突然妖怪が見えるようになり、刀を餓鬼にむかってがむしゃらに振っていると殺されたのを見たことがある。それと比べれば涛は才があるとでもいうのか、上手である。

「ふーん。あんたがいうなら本当ね。それにしてもひどい臭いね」

 そうだな、と白蛇が認めると次はこの臭いのもとは何かとリムが尋ねる。妖鳥は気にしなければ別にそれで気にならない。だが気になる。こんなにしつこい臭いは嗅いだことがない。さきほどの風でも全く薄れない。

「おまえなら知っているかもしれんな。涛の持っている刀だ。鞘から抜くと刀身から放たれる。我は耐えられるといえば耐えられるが、我慢ならんな。今は離れているからそう問題ない。だが、刀は己のもとにあるはずなのだが…」

 リムははっとして黙り込む。鳥の身体が僅かに震えた。その刀は、数多のモノを壊し、殺したものだ。

 そしていずれ、刀は使用者をも殺すといわれている。もし、それが本物だとしたら、涛は危ない。だがそれだという確証もない。だが、これは。

「その刀、どうすべきだと考える?」

 白蛇の真剣な言葉が思考の渦からリムを引き上げる。そうだ、まずはそれだという思いがリムの中をめぐる。

「捨てちゃった方がいいんじゃない?……あー、でもこれからにそなえて持っといたほうがいいのかな…?あー」

 考えがまとまらないらしい。それを嘲笑うように風が渦巻く。ただの臭いならこれで散ってしまうだろう。だがこれはしつこく居座り続ける。

 白蛇はたとえその刀がリムの思っている物だとしても、別にそれは涛本人次第だと考えている。本物で害をなすもので、それだと確証できたなら、潰す。

「そのときに対応していけばよいのではないのか?いざというときは即座に壊せばよい。それでは駄目なのか」

 白蛇の軽い気持ちの質問にリムは呻る。

「それを使い続けたらどうなるかなんて知らないから、そのいざっていうときが分かんないのよ。もしかしたら今がそれかもしれないし、もっと先かもしれないじゃない」

 いいではないか、と白蛇がなだめる。リムは少し怒りを感じるが気にするものでもなかった。

 もしかしたら、情報をもっと拾ってくるべきかもしれない。誰から聞いたんだっけ、この話……

 リムは岩場に飛び乗って、羽ばたいた。


◆  ◆  ◆


 目を開くと黒い世界が見えた。いや、暗いだけだ。ここはそんなに山の深いところにあるらしい。否、ここは光の届かぬ穴の中だ。

「白……蛇…?」

 友達の名前を乾いている喉で呼んでみる。少しずつ意識がはっきりとしてきて、起き上がる。湿っぽい空気が辺りを満たしている。息を吸うと湿り気が胸の中を満たす。

「白蛇?」

 少し視線を動かすと、いた。身体を様々な向きに曲げて、絡ませながら頭をそこに埋めているのだろうか、頭部が見当たらない。微妙に身体が上下しているのが何とか分かる。

「まだ寝てんだ」

 だったら起こすと悪いし、待っとくか、と岩壁にもたれて体温が逃げないように膝を抱く。

 それにしても、湿っぽいところは嫌いだとかなんとか言いながら、こんなところで寝てんだったら別にあの主頭たちのいるところに行けたんじゃねえか。うそつき。

「うそつき」

 思ったことをつい口に出す。寝ているし聞こえているはずがない。闇に音が吸い込まれてなんだか虚しい。自分が小さく、巨体が目の前にあっても一人のように感じられる。いつもこんな場所に白蛇はいるんだろうか。

「誰のことがうそつき、だと?」

 悪寒が背中を走る。聞かれていた?というか起きてたのか、と。

「んだよ、起きてたのか」

「ついさきほどな」

 白蛇の身体がうごめき、白く真っ赤な目がついた頭が現れて宙に浮く。もしずっとこのまま寝ていたならそうとう蒸れそうだ。

「ところで、誰がうそつきなのだ」

 怒りのような赤色の視線が向けられる。やばい。言い逃れなんてできるはずがない。だったら正直に言うのみだった。

「だいぶ前、湿っぽいとこが嫌いだって言ってたろ?ここも湿っぽいじゃねえか。だからうそつきって言ったんだよ」

「?」

 はてな、といったふうな静寂が流れる。そんなことを言ったか?ということだろうか。

「何か言ってたじゃねえか。こう、寒いとかなんとかよ」

 自分で言ったことを忘れるのかとあきれさせられる。見上げて言うが白蛇は首をかたむけたような雰囲気のままだった。

数十秒の沈黙。

ふと空腹を覚える。

「腹減った……」

 今は何時だろう。起きればいつもこんな状態だが昨日、晩は何も食べていないのだ。食べるために帰らなければならない。けどなぜだかそんな気分ではない。思い当たることもないし、んー……と少年は蛇を前に悩む。

「ならば帰るか?食事くらい適当に作れ」

 白蛇は頭を目の前まで伸ばして地面に顎を置く。別に表情をうかがいたかっただけだろうがなんとなく手を伸ばして昨日と同様になでる。抵抗は、やはりしなかった。少し材料があっただろうか、あったはずだ。

 手を白蛇から離して脚に力を込め、壁を支えに立ち上がると一瞬ふらついてしまう。それを白蛇は心の欠片もないような口調で大丈夫かと尋ねてくる。大丈夫なわけがない。空腹が過ぎているようなのだ。だが少し耐えられなかっただけ。

「そういうことはもっと心配したように言えよな」

 身体を歩けるようにして右側の壁にそって外へ向かって歩く。後ろから獲物が弱るまで待っているような、のろのろと蛇行している蛇がいるが、彼がそんなつもりはわずかにもないということは分かっていた。そんなことをしようとしたら、今度こそ絶交だ。

「あの刀…おまえの両親の形見……だったな」

 後ろからの質問に、ああそうだけど、とぶっきらぼうに答える。ちょっと力が入らない。彼が乗せてくれるはずがない。

「……ば……………か」

 白蛇が小さく呟くが、気にしていられる状態ではない。ばかと聞こえたが、応じる気もない。でも苛立ちはつのるものだ。

「ばか…?」

 聞こえたままを呟いてみるが、足は止めない。当然白蛇もついてくる。白蛇は、ん?と口ごもって続ける。

「なんのことだ。我は、『ならばそれをどのようにして手に入れたのか』、と言ったのだが?」

 たしかに一言目と二言目で間があったが、そんなに彼が早口なはずがない。いや、思い違いかもしれないが。

 言われてみればそうかもしれない。この時代、刃物なんてそこらにあるとすれば、包丁くらいしかない。だが刀を持ち歩く人間など、まずいないだろう。

「そういえばそうだよな」

 じきに光が見え、光に照らされている岩場が浮かんでいる。闇にある程度目が慣れてきたせいか地面からしっかりとそこに続いている。白蛇がうめき声を上げた。珍しい。彼がこのような声を出すなどとは。

「どうしたんだよ」

 拾って振り向く。だが別に何も変わらなかった。いつもの彼だ。違和感がある気がするが分からないので気にしないふりをしておく。

「いや…なんでもない」


 白蛇は目の前の異臭に耐えていた。これで何か言ったら、確証もないのに彼の生命を取り上げなければならない。できれば確証を得てから何とかしたかった。しかし少なくとも刀が発生源なのだと判明する。

 それにしても、この異臭はどこから流れているのだろうか。

 涛はおかしく思いながらもまた歩き始める。相変わらず弱々しい。空腹というものはそこまで辛いものなのだろうかと白蛇は考える。

(人間と我らは違うのだからな)

 とりあえず、そこまでで思考を止めることにする。こんなことを考えていたら涛に置いていかれる。思っていた頃にはすでに涛は岩をよじ登っていた。できれば異臭に近づきたくないのでこの距離を保つことにする。

「あーもう、腹減ったぁー…」

 最後の岩の上に立った少年は力を入れた声を出しながら光へと足を進める。そういえば、たしかこの冬、涛は十五歳になるとかなんとか、明下が言っていた気がする。

「白蛇ぁー、どうしたんだよー」

 上から降ってくる声。今行く、と首をもたげる。

「何も無い。ただ、少しだけな」

 眩しいがこれがいつものことなので、気にすることもなかった。光に満ちた世界が視界に映ると、涛はすでにいなかった。

 視線をおろすと、岩場から足を滑らせたらしい涛が、座って背中をさすっている。非常に辛そうな表情である。空腹だからといってもこれはさすがに馬鹿らしく大蛇は思う。もう少し落ち着け、と。

「無事か?涛」

 平気そうだが一応気にかけておく。数秒間涛がそうしているうちに白蛇は全身を穴から出す。そしてすっくと涛が立ち上がる。と、同時にばさりと聞き覚えのある羽ばたきが聞こえた。涛が見上げるとリムの巨大な姿が上空にあった。しばらく旋回しておそらく山の向こうの方へと飛んでいった。

「なんだよ、あいつ。一声もなしかよ」

 こういうとき、人間というものはいつもこうなのだろうか。空腹で機嫌が悪い、といったところだろうか。

 リムは何かをしにきた。一応白蛇に聞こえるような声でこう伝えた。いろいろと探してみるけど見つかるかは知らないと。おそらくは昨夜告げておいた、門からの逃亡者のことだろう。だがそう簡単に見つかるはずもない。それを聞いた以前から今まで、あのとき以来一目も見たことがない。うまく隠れていて機会をうかがっているか、ここにはいないのか。

「別に我らに気づいていなかったわけではない。しっかりと気づいていた。おそらく一応様子見といったところだろうな」

「なんのだよ」

 白蛇からして小さい頭が向けられ、それについている黒い瞳の目が彼を睨みつける。こうして見ればただの元気な人の子だ。

「まあ、色々な」

 死んでないかの安全確認、と言ったら激怒するだろうから白蛇はそこで言うのをやめる。

「教えてくれねえなら、とっとと行こうぜ」

 涛は穴に背を向け、歩き出し、一方白蛇は一定の距離を置きながら蛇行していく。それにしても、なぜ急に自分のところに来たのだろうか、と思う。遮詠かリムか、彼に何かを言ったのだろうか。いずれにしても、きっかけができてくれただけで彼にとっては十分だった。

 一晩ずっとくさむらで隠れて、彼らを見ていた遮詠は、やはりやめよう、と姿を消す。

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