十二


数分間、ずっと姿のない遮詠の声に耳を傾けていた。途中で集中力が少しばかり解けかけたが、遮詠が睨んだような気がして思わず集中し続けた。

「理解できたか?人間」

 身体をほぐすために立ち上がった涛に彼が問う。見下しているようにしか感じられない。

「分かったよ。んじゃちょっと訊くけどよ、もしそれがおまえたちの手元へ来たらどうするつもりだよ?」

 理解はできたが、なぜ自分にその話をするのかが理解できなかった。もし手に入れたければこんなことをせずに盗んだ奴を待って奪えばいいだけだろう。

「どうもしない。できれば壊してしまいたいが、鳳凰を殺すということになるから少し気が引けるな」

 ためらうような物言いだが、遮詠が冷たく言い放つ、それに一番左の頭が同意する。

「餓鬼程度なら気にならんが、仲間を殺すというのは、な」

 涛にはよく分からないが、仲間に手をかけるというのはためらわれるものらしい。もっとも涛も『人を殺せ』と言われたらためらうだろうが。

 どんな生物でも同種を殺すということはためらってしまうものなのであろうか。少なくとも人間と妖怪たちはそうらしい。

「ふーん、そ。大体分かったから俺、帰るわ。餓鬼なんてどこにでもいるし捜せって言われてもな」

 涛はそう言い残して、刀を掴んでそこから去った。

 

 残された竜の真ん中の頭は遮詠を見つめていた。

 杉嵩には見えていなかったらしいが、彼は獣だ。竜は知らないが、彼はいつもこの山の頂にある樹によくいる。

「別にあれの報告を待たなくてもいいんだろう?」

 右中の頭が遮詠に訊いておく。たしかに、その必要はないと薄々思っていた。やろうと思えば彼は下の里から数十秒でここに着ける。

「一応、人間として信用に足りるかの確認だ」

 獣の目は呆れを持って右の頭を見上げている。

確認。彼らには見えているから、そのようなこともしないだろうが疑り深いところが彼にはありすぎる。竜以外はあまり信用しようともしない。何があったかは知らないがそれだけ縁を切られていったのであろうと推測できた。だがどれだけかは何をしても分からないものである。

「お前は信用ということをまずしないんだな」

 さりげなく呟くと怒る様子もなく、遮詠は右の壁を見て尾をふわふわと揺らす。

「しない、というかはできない、だな。日に日に強くなっていくおれを見て次々に離れていく。恐れをなして逃げていく。そんな『俺はずっと一緒にいるからな』と言っておいて、結局残ったのはおまえだけだ、己」

 獣がこちらを見上げた。やはり鋭いものだが、寂しさが滲み出ているような気がした。やはり、姿の通り一匹狼というものは孤独なのであろう。

「ところで、おまえはこの事をどう見る?」

 左頭が中の頭の口にしようとしていたことを先に切り出す。遮詠が一拍おいて横目にこちらを見やる。

「さっき言ったとおりだ。人間やらなんやらを憎む餓鬼が、復讐してやろうとでも思ったんじゃないのか?餓鬼の考えることなんてその程度だ。確かに人間は憎いと感じる。だからたまに神隠しとして子どもをさらう者もいる。そこまでするのも無意味だと思うな。どっかの人間が言ってたな、栄える者は必ず衰える」

 栄える者はいつか必ず衰える。彼が言いたいのはきっと、人間もいずれ滅びてしまうだろう、ということだ。人の命は短い。だがもっと短い者もいる。それに比べれば自分たちは丈夫な身体に、何にも縛られない自由なもの。

そんな自分たちは恵まれているのだろうか、とふと頭の中にそんなことが浮かんだ。

「今思ったが、あれらは我らを気にしていない。ならば気にする必要もないのではないか?」

ならば、と右中頭がその場で黙っている者全てに言った。そういえばそうだ、と思う。互いに気にしなければいい。それでいいのではないだろうか。

「ずっと番人してると何もしらないんだな?おい」

 眼光がぎっとこちらを見据える。

「こっちは何もしてないんだ。だかな、あいつらはそんなこと気にせず全てを切って、あまつさえ捨てる。生きるためにどうにか使うならまだいい。だが作っては捨てる、作っては捨てる、だ。もっとも、人間が作った法というもので人間が裁かれていくのは面白いと思うがな」

 遮詠の口に笑みが漏れ、視線が出口へと向く。そんなものは見たことがない。どのようなものなのであろうか。こちらを向きなおして獣はにやりとする。

「わかんないって顔してるな。人間が人間のために作ったやつで、人間が裁かれている…面白いじゃないか。やってはいけないのにしてしまう、そんな愚かな人間が」

 人間というものはいつもそうなのだ。決めたものを必ず犯す。いつか、絶対に。

 やって、飽きて、取り消して、笑って、飽きて、取り消して。そんなのを何度も見てきた。自分以外は。友達から請け負ったここの場所。これは、幸せと見るべきなのだろうか。

「人間というものは、仕方のない生き物だからな」

 数秒、沈黙。獣は竜を僅かにかえりみてそこから出て行った。

「もう少し、人間に対して開いてみればいいものを」


 涛が戸を開くと、そこには見覚えがないとは、言い切れない人物と、男が囲炉裏のそばにいた。

 その人物を思い出せないまま涛は首をかしげて土間から上がり、刀を壁にかけて、彼に向く二対の視線のうち、残念そうに肩を落としてうつむく男の方へと向く。

「形見、見つかったか?」

 男はその様子になっていることに従って、首を横に振った。リムと遮詠から聞いた話が本当ならば見つかるはずがない。彼は視えないのだから。

「で、何の用だよ?誰だっけ?とりあえずは俺がいるってことになってるとこのやろう」

 口早くもう一人の方に向き直る涛。その人物は彼が言っている通り、彼の学校の学級の担任だ。もっとももう涛は長い間そこには居ないため名前を忘れてしまった。とはいってもそこへは行ったこともない。

「鳴月(なりつき)です。いい加減覚えてください」

 その人は都会では一般的だと言われる、面と姿を持っており、思い出せといわれても、なかなか思い出せそうにない、特徴のない顔をしていそうな気がするのは涛だけである。以前会ったのは二ヶ月ほど前だろうか。

彼女はたまに涛の家へ来ては学校へ来るようにと説得しようと試みるが案の定、受け入れてはくれないのだ。

「で?なんの用だよ――少しだけ出て行ってくれよ。ちょっと話があるから」

 始めは鳴月、後半は男へ向けた言葉。この差に何か不満を持ったような教師の表情が少しだけくもる。扱いと、目の前の生徒の孤独に。


 男を見送った少年はその男が座っていた場所にあぐらをかいて座り、囲炉裏の向こうの教師を見た。

「何のって、いつも通りのことです。たしかに辛いのでしょうけど、あんな物騒なものを持っているとずっと聞いているんです。手放しそうにないので一応、仕方なく持たせているんですよ」

 物騒なもの、と言ったとき女性が刀の方をちらりと見た。彼女はときどき少年がおかしな独り言を言ったり、それを持って裏の山へと行っていることも知っている。何をしているかは知らないが。

 物騒だと言うが、この国では持っている者は決していないわけではない。

「あれで、人を傷つけてませんよね?」

 女性は少年へと訊く。そんなことはしていない、と彼女は信じている。この少年にはすでに親がおらず、より所になりうるのはあの一学年下の明下のみだ。だったらせめて、自分だけでも、とも考えている。

「人を人をって、特別なのか?」

 それを耳に入れると同時に女性は思わず息を吸い込んで、怒鳴るような体勢になってしまう。

「傷つけたら……」

言いかけた。傷つけたら、それはどうなるの。何を傷つけているの、と。だが子供がきしむ床を、ばんと、拳で叩いた。

 少年は座ったまま目をかっと開いたかと思うと、また伏せてしまう。だがここから出て行こうとはしなかった。代わりに視線をそらす。また女性も言葉を失う。

(この前も、こんなだったな)

 この前、二ヶ月前にもこうなった。その前も。互いに黙って、沈黙。それを破るのは少年のここを出て行く音だ。そして外で独り言を言って、刀を取って行ってしまう、これでは説得でもなんでもない。ただ怒らせているだけなのだ。自分でも何とかしないといけないと思っている。だが何もできない。

「じゃあ、何を傷つけてるんですか?」

 数秒黙った後で切り出してやる。きっかけが必要なのだ。なんでもかんでも。そう、鳴月は言われた。今は亡き親に。

「言ってもどうせ、分かるかよ」

 誰も理解してくれない、といった風情だ。それは、悲しみと表現してもよいのであろうか。

「いいから、話してください」

 そこからまた沈黙。女性は少年から目を逸らすまいとしていたが、本人が逸らしているので合わすのは困難だった。

「少なくとも、人間以外なんですね、分かりました」

 人間以外だったらなんなのだろうかと思う。動物とか植物とかその辺りだろうか。少年は理解などしてくれるはずがないとずっと決め付けている。説明しなくても理解してくれる人を、待っている。

「行かねえからな。あんな奴らと笑っていられる方がどうかしてる」

 もう少年はもう諦めている。だったら、自分だけの友達さえいればいい、と感じている。唯一の共に笑える、人外の友達に。

「とりあえず、今日はこれを渡しに来ただけです。明下君から受け取ってくれなかったらしいですね」

 女性が紙束を床に置く。

「あのあと電話があって取りにいってこっちへ来たんですよ。大変だったんですから」

 少年は紙束に一瞬だけ視線を向け、そしてもう口は開かなかった。

「ちゃんと、やってくださいね」

 そう言いながら女性は立ち上がった。


白蛇は山の中を、餓鬼を捜すためにさまよっていた。少し前にリムが声だけでしらせに来たからだ。もっともそれらの住処は全く分からないので捜すといってもそこらを見回るだけだ。しばらくするとあることに思い当たった。餓鬼ではなく、大鬼なら何か知っているかもしれない。反対側の山に住み着く軟弱者だ。

「くだらんことを考えるのもいたものだな」

 左へ方向を変えて住処へと向かう。真っ赤な目が夕日を浴びて真っ赤に輝いていて、彼にはその光がうっとうしかった。

 じきに彼らの住処、反対側の崖へと着いた。途中の道に人間がいなかったことが幸いだ。涛の悪口を聞かなくて済む。あのような衝動に駆られることもない。

 大鬼たちの巣もまた、洞窟だった。体を引き寄せながらその中に叫ぶ。大鬼、出て来い、と。するとその鬼は慌てて現れた。

「び、白大蛇、さん?な、なんでしょう?」

 人間のような、自分が劣等だという態度を取る大鬼。だがこれでも涛よりも、白蛇よりも大きいことが驚きだ。白蛇が口を開かなければの話だが。

「質問だ。最近餓鬼がおかしな動きをしておらんか?小さなことでもかまわん」

「あ、ああー…最近数が増えてきてます。それと、白いやつがいた気がしますけど」

 あいまいそうな記憶だ、と思いつつ、礼を言ってそこから消えることにする。だがその前に、がばりと口を開いて脅すと、面白いように穴へと逃げていった。あの頃以前の白蛇の遊び相手はいつもあの鬼だった。

「まあ報告しておけばよかろうか」

 そう呟いたとき、近づいてくるものがあった。とりあえず背中に顎を置き、その者がすぐに見えるように見渡した。

 数秒もして現れたのは巨大な獣。たしか遮詠といっただろうか。長い間、会っていない気がする。

「白大蛇、ここで何をしてる」

 獣の鋭い眼光が白蛇に向くが本人は気にしていないような様子で答える。

「変化を捜していた。餓鬼が増えているらしい。あと、これは餓鬼に聞かれ、逃げられたな」

 白蛇が己の後ろを見つめていたことに気分を害したか、遮詠がいきどおる。

「逃げられた?よく言うな。餓鬼程度ならすぐにでも追いつけるはずだろ」

 獣の目がより険しくなる。彼はすぐに機嫌を悪くする。それを理解しているのは自分たちだが、なだめる方法は知らないうえ、色々と破壊を尽くさなければ落ち着かないときもあるので出来る限り逆鱗に触れないようにしているのであった。

「我はおまえたちと比べれば遥かに遅い。追う気にもなれん」

 白蛇の尾が僅かに震える。彼は遠まわしにでも、追っても追いつけないと言いたかった。元から速くは移動しないし、できない。そしてこの身体では少し不便で移動しにくい。それと無駄な力を使いたくない。

「そうか。だったら俺が追う。適当に捕まえたら聞き出せそうだしな」

 遮詠が振り返って、一瞬身構えると同時に風が流れ、獣が木々の中へと駆けていった。それを見送り、もうすることがないだろうと白蛇は寝床へと向かうことにする。あと少しで、夜になるだろう。


 遮詠はとりあえず鼻を使って餓鬼を捜した。だが妙なものまで混ざっていた。表現しにくいが、妙なものだ。

 白蛇のもとから去って数秒、目の前に餓鬼が迫っていた。いや、自分が迫っていた。餓鬼の背中を前脚で押し倒すと、餓鬼の怯えた顔つきが彼に向く。遮詠は数え切れないほどこのようなことをしてきた。人間の言葉でいう、狩りだ。餓鬼を見下ろす。

「おまえ、餓鬼だろうな?何か別のが化けているとかだったら今すぐにでも、な」

 空腹は感じない。だからこれはおどしと言う。牙をむき出しにして頬を吊り上げると、それを見た餓鬼がぶんぶんと頭を振る。人間のようだ。

「なら教えろ。おまえたちはあそこで何をしていた?答える気がないのなら、分かっているよな?白大蛇や霧ほどじゃないが、おれはおれだ」

 餓鬼の口が喘ぐ。別に声を出しているわけではない。だが出している。それを聞き取った遮詠はそれを理解して脚をどける。

「もうそんな考えをしないならとっとと行け。もししたら分かるよな」

 その声を聞いて、再び逃げ出す餓鬼。

「ふん……」

 遮詠はしばらくそこで考えていた。

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