十一

 その後、一気に家の裏まで走った彼は切り株に座って一息ついて刀を落とす。まだ男は戻っていないらしく、しんと静まり返り、荒い自分の呼吸だけが聞こえ、涛はうつむいていた。

「どうせ、な……」

 行ったとしても、長い間会っていないから、といってあれがなくなっているはずがない。行っても、無駄だと知っているから。

「とーおー?」

 自分の名前を呼ぶ抜けた声が天より降ってきた。それが誰かは簡単に想像できたので、見上げることもなく待つ。彼を見つけたリムは暴風を起こしながら彼の正面に着地する。下手をしたら家か木が倒れそうなかぎづめだな、と足だけが見えてぼんやりと思った。

「あー、いたいた。えっとね、ちょっと訊きたいんだけど、あのあんたが運んだ男がさ、なんか玉みたいなの持ってなかった?」

 彼女は慌てる様子もなく尋ねる。涛はうつむいたまま、普段の声音で呟くように答える。

「持ってた。それを今朝無くしたみたいで今捜してる」

 それを、元気がないな、とリムは考えたが人間にはそういうときもあるのだろうと気にしないでおいた。人間と妖怪の考えは違いすぎているから、ということはここ数年で知り尽くしている。

「そう、じゃあそれが何かってことも知ってる?」

 返答はない。

 このような空気がリムは苦手だった。なんだか聞き流されているみたいで、自分がここにはいないような気がして。だが今の大半の人間はそうなのだろう。いるのに、いないと同様に扱われる。それはそれで寂しいが、面白いものも見られる。走る鉄の塊に乗って箱に入ったり、鉄の塊を飛ばす筒で戦っているのを見たりするのが、なぜか彼女にとっては面白かった。

「知らないのね?」

 とりあえずそういうことにした彼女は己から聞いた話を簡潔に話し始める。だが涛はろくに動かない。

「えっとね、あれの名前、鳳玉っていうらしいけどね、あれって私たちが持ったら危険らしいのよ。人間が持てばそりゃそうなるでしょうけど、私たちみたいにはならないらしいの。捜しても見つからないんだったら、多分それ、盗まれたんだわ。どこの物好きかは知らないけれどなんとかすべきだと私は思うのよ。ねえ、涛、捜すのを手伝ってよ」

 リムは面倒なのは嫌いではあるがこういう場合はそうも言ってられない。だが肝心の涛は微動だにしない。何があったかは知らないが、とりあえずは彼のことは彼自身の問題だと決め付けて、よろしくと言い残してまた飛び去った。

 しばらくして涛はぼんやり空を振り仰ぐ。雲のない空はなんとなく忌々しく感じた。ずっとくもっている状態で、大体何年くらい経っているだろうか。行かなくなったので数年以上前。だったら、残りは、ずっと耐え忍んだということになるだろうか。逆に言えば、それは耐えてきた強さ、ともいえるのだろうか。涛の中では答えが見つからない。

 考えることを諦めた彼は、

「仕方ねぇな……」

 と言いながら膝を手で押して立ち上がり、横に落とした刀を取ってきて山へと足を踏み入れた。

 そういえば今はどれくらいだろうか。さっき見た太陽は少し傾いていたから二時くらいになるのだろうか。もっとも暗くなる前に戻りさえすればいいのだから気にしても意味がない。

 さて、捜すといってもどこを捜せばいいのやら分からない。あの男があれを持っていると、誰かが知っているようなら、あの倒れていたところで見つけたとか、そういうのだろう。

 だがやはり、捜すといっても心当たりも何もあるはずがなかった。

 とりあえずは山道をずっと歩き進んでいる涛。普段通るような場所だ。迷うこともない。迷ったのはこれまで数える程度で、最近はない。おおよその道は覚えてしまっている。

 そういえば、リムは『らしい』とばかり言っていた。ということは少し前に聞いた話なのではないか、と思い当たる。白蛇はそのような話を知らなさそうだ。知っていそうなのはあの多頭巨竜たちくらいか。

「行ってみっか」

 立ち止まってため息をつき、とりあえずあそこへと向かうことにした。暗いが、なんとなく落ち着ける場所へ。もともと不安で怖かったがすでに吹っ切れてしまっていた。


穴へ入ると楽しそうな真ん中の頭と思われる声が聞こえた。だがもうひとつ、あのとき聞こえた声もあった。多分、いるのだろう。遮詠という者が。

「おーい」

 軽く呼んでみる。音が反響すると同時に巨大な姿が見え、同時に右手首にびしりと鈍い衝撃が走り思わず刀を落としてしまう。

「?」

 いぶかしみながらかがんでそれをとろうとすると、刀が蒼目の方へと飛んで行った。刀が地面にぶつかって乾いた音をたてる。

「まさしくあれだな」

 遮詠と思われる声が響く。真ん中の頭が頭を下ろし、不気味に顔を歪めながら鼻先で刀をつつく。

「間違うはずないだろう?おまえが。だが忌むものだとしても、この子供にとっては必要なものだ。できるのなら、返してやってくれ」

 彼の思いがけない表情に驚いて、少し涛に後ずさりするが、彼は返してくれるよう頼んでいるようなので踏みとどまる。

「ふむ……度胸があるな、うまくいけば何が起きてもいいだろ。おまえが頼むというなら、まあいい。無力な人間にも興味があるけどな」

 ぞぞ、と涛の背筋に寒気が走る。なぜするのかは分からなかったが、ひょっとしたら遮詠という者がこちらを見つめているのかもしれない。だとしたら、どんな目でこちらを見ているのだろうかと涛は思う。この感じはおそらく、見下すようなものだろう。

「子供、なぜ何も言わないんだ?別に恐れる必要もないだろ」

 声が岩壁全体に響いて、まるでここ自体が彼のようで、どこにいるのかが分からなかった。だから何を言おうにも言葉が見つからない。

「遮詠。そいつにはおまえが見えていないようだ。だったら無理もないだろう?」

 蒼が刀の柄をくわえて、首を振って涛へと投げる。涛の足元まで滑り、足にぶつかって止まる。

「そうか、おれが見えていないのか。だったら無駄に話すのは無意味だとしか思えないけどな…」

 だが一応、とうながす中の頭に負けて遮詠は淡々と見えない口を動かしだす。

「鳳玉がなくなったそうだな?海の霧から聞いた。何者かが入ってそれで奪ったとしか思えないな。人間は朝早く活動するようだがそれでもなさそうだ。ではそれは何者か、心当たりもない。だとすればそいつは私欲に使う、ということだろう。ならばその奪った者はどのような力を持っているかは知らないが危険だ。しばらくここにいることにする。おまえは事が起こったら知らせに来い。あまり人間は信用ならんが、仕方がない。さもなくば地の果てまで追いかけて喰ってくれる」

 妙な怒りの見え隠れしている声が恐ろしく思えた。よく白蛇からも喰ってやると似たようなことをよく言われたが怖くはなかった。だが、遮詠のそれは比べ物にならないほど、恐ろしい。

「そう脅してやるな、遮詠」

「人間はこのくらいしないと忘れるから、言わせろ」

 どんな姿をしていているのかがさっきからずっと分からなかった。見えないから当然のことだが、見えないと、もしかしたら目の前にいるのかもしれないし、竜の方を向いているかも分からない。もっとも見えたら見えたでそちらの方が恐ろしいかもしれないが。

「遮詠…って、やつぱりあの何年か前の、あの?」

 そうとしか思えないが、一応尋ねる。それに左の頭が無言で頷く。

「ん?おまえはあのときの子供か。人間というものはすぐに大きくなるな」

 遮詠が思い当たって言う。たしかにあのときと雰囲気は似ているかもしれないが微妙に違う気がした。強くなったというか、自分という存在が確立している。

「えっと?俺が里にいて、何かあったら伝えに来いってことか?」

 その通りだと遮詠が同意し、それと同時に涛の頭にここへ来た目的が浮かぶ。

「あ、そうだ。さっきリムから聞いたけどよ、えっと、鳳玉っていうのは何なんだよ。俺にいきなりそんなこと言われても分かんねえし。教えろよ」

 刀を腿でしくように彼は座り込んで見上げる。リムは主頭から聞いたのだと思ったが、遮詠が淡々と言の葉を並べ始める。

「人間から見れば水の向こう、異邦の地には鳳凰と云われるものがいた」

「異邦の地って、海とでも言った方が早いだろ……」

 少し話しが長くなりそうなので涛の表情がげんなりとしたものになる。そんな呼び方はもはや聞かなくなり、死語であるため回りくどく、最近は感じられるようになった。

「人間の考えを押し付けるな」

 やはり、その言葉には一言一言に威圧感があった。

 鳳凰というものは人間が伝説として伝える不死鳥のことである。

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