涛が目を覚ますと、男がいなかった。荷物はほったらかしなのでそこらにいるだろな、と思い、男が作ったらしい汁物をすする。これは未知の味というものなのだろうか。

使った器を洗うため裏へと行くと、そこには地面にひざをつきながら何かを捜しているような体勢をしている男がいた。

「何してるんだよ?」

 男が後ろから降ってきた声に振り返ると一宿一飯の恩がある少年がいた。涛を見つめるその顔は何か不安そうな顔で、怯えたようなものだった。が、それを声に含ませずに昨日と同じ口調で言う。

「いや、形見の真珠がなくなっちゃったんだ。君は持ってないよね?」

 持っていない、記憶にもないと答えるとまた男は地面を見て探し始める。形見というものだから大事なものなのだろう。だがこの顔はそれだけではなさそうだった。だがその前に涛は訊かなければないことがひとつあった。

「何をあれに使ったんだよ?」


幸いにもそう多く使っているようではなかったので、一安心した。足りなければ山から取ってこないといけない。

形見なぞ、何のことかは知らないが、よほど大切なものなのだろうなと男の表情が察することが出来た。

 物を無くしてしまった不安と、もうひとつ、何か別の不安が見え隠れしている。それはある意味、恐怖ともいえるものだ。それはいつかの鬼の顔と似ている。

「形見、なあ…」

子供が呟く。白蛇がこの前言っていた。

『形見…な。身内が死亡した際、その死亡者の大事にしていたものをその者として扱うばからしいやつか』

 素っ気なく白蛇が言うのを聞いた涛は、刀を見ながら思った。それは親がなぜか持っていた、家にあったものだ。そしてこれも、形見の一つであった。ただ、役立つだけに使っているのだが。

「形見を無くしたっていうんだったら、まあ捜せばいいと思うけど、なんかあんた、別の意味で不安そうな気がしたんだけど、何かあんの?」

 相変わらずの無愛想だったが、男の顔色一つでここまで分かることは、感心すべきことだった。

「すごいね、君は。そうだね、僕の友達、しょっちゅう独り言を話していたってことは言ったよね?」

 男が立ち上がって倒木に座って、一息ついてから昨夜遅く、言っていたことの続きを涛に話し始めた。ずいぶんと気のいいことだった。

「その友達がある日こう言ったんだ。誰と話しているかって訊いたらね、『妖怪とお喋りしてる』なんて笑って言ったんだよ?」

 ぼんやりとした思い出話。しかし真剣に話す。

「そんなのいるはずがないのにね。それであれを貰うときにこう言われたんだ。『これは妖怪を強くするから、おまえが無くさないように持っていてよ。ああ、どこか最後に旅行したかったなあ』ってね。はじめは断ったけど、断れなくて。本当に妖怪がいるかは知らないけれど、必死そうな目を疑いたくなかったんだよ。頑張ってなくさないようにしたんだけどなぁ」

 男は涛の頭上より遥か先の千切れた雲が浮かんでいる空を見上げた。まだ午前だから空気はこれから温まるだろう。涛は、その表情は少し、寂しさ、孤独を滲み出しているようにも見えた。残された寂しさ、のようだった。

 疑いたくない、逆に言えば、信じたいということだろうか。あの頃は信じていた。

だがその結果がこれだった。深く大きい見えない傷。いまだに痛みを生み出す、癒えず、消えず、むしばみ続ける傷。治そうとされても、もう癒えるはずもない。そして記憶がそれを広げ続ける。唯一のより所も完全な、というものではない。白大蛇も、いつあいつのように裏切るか分からないという状況だ。だったら、信用したくない。傷を広げたくない。そして、裏切ってくれないだろう者たちのもとにいたい。

 この男が信じるというからには、この男はそんな大きいことはなかったのだろう。だからこんなふうにヒトに対して笑っていられるのだと、涛は考えることしか出来なかった。

 男は気がつけば、表情を変えていた。少しだけ痩せほおけている顔には笑みが浮かんでいる。懐かしむような、視線からしてもそうなのであろうと予測できた。だが涛にとっては、そんな懐かしめるものは存在しない。

「そう…か」

 少年は男になんとか聞こえる声で言う。男は再びしゃがんで形見を捜し始めた。涛は近くの切り株に座って山に顔を向ける。白蛇はこんな話を知っているのだろうか。聞くとしたら、謝らないといけない。けど、何て言えばいいやら、まだ思いつかない。

 だったら、それはどんな言葉なのだろうか。心がこもったものか、うわべだけだが心に染みるものか。

「リムなら何か知ってねえかな…」

 さりげなく呟いた言葉は誰にも届いていなかった。


その頃、リムは湿っぽい、竜のいる洞穴の中へと脚を踏み入れていた。鋭い爪が備わるそれはすこしばかり汚れていた。昨日からずっと気になっていた者は見つかっていない。一応ここに穴を見つけたので入ったのだった。

「海の霧(うみのきり)、何か用か?」

 少し進んだところで、その気になっていた者のうちの一人の声が、奥から響いてくる。五つの頭と五つの性格を持つ彼らだが声は全くといっていいほど似ている、というよりかは、そうにしか聞こえない。だから言い方で判断するしかない。これは真ん中のはずだ。

「うるさいわね、好きで来たんじゃないのよ。それにそれお母さんの名前だし。ちょっと聞きたいことがいくつか、ね」

 ほう?とらしくもない声が返ってきた。彼らのうちにこんな言葉を使う者はいない。こんな陰鬱な場所にいて、性格でも変わってしまったのだろうか。

「なんだ?どこかで倒れていた男が持っていた、鳳玉(ほうぎょく)でも奪われたのか?」

 何それ?と竜が見えてくる中、尋ねる。特に興味はないが、その男が、昨日の涛が運んでいた男かもしれなかった。その直後、竜の全体の姿を妖鳥は見る。相変わらず四対の赤と一対の蒼は輝いていた。

「…知らないのか?知っていると思っていた。そうだな、正しくは鳳凰玉」

鳳凰と呼ばれる存在は彼も知らないが、鳳凰というものは死ぬとき燃えて灰になり、そこからまた新しく鳳凰が生まれるという、この地の外の人間が言っていた伝説の鳥。だが我らのたぐいではいたらしい。そのような存在が。

となると人間は我らのことはまず見えない。鳳凰もそれを安心して飛び回っていた。しかしやがて寿命が来て、死に、燃え、灰へ、そして生まれ変わる。それを何回も繰り返していた。

そしてあるとき、また死んだ、燃えた、灰へなった、そこで生まれ変わるはずだったが、生まれなかったそうだ。その灰はある人間が見つけ、灰を崩した。そこから出てきたのがその玉。その人間は宝石だとか言いながら浮かれて人から人へと渡って今は行方知れず。のはずだったがこんな場所で男が持ってきたわけだ。

あれは、おそらくは鳳凰の魂が灰の中でよみがえれず、灰だけが魂に集まり固まったもの。鳳凰は不死鳥とも人間は言うだけあって非常に強い魂を持っている。妖怪が手にすれば力は増幅、人間が持てば力を得られる。あれはどちらにしても意味最高の凶器かもしれないな。

 全ての頭が口々に、交代して話していった。このような話はリムも聞いたことがなかった。ここらの誰に聞いてもそんなことは知らないと答えそうだ。たしかここの穴の中によくいる中で彼が最も色々なことを知っていて、次に遮詠、リムだ。遮詠は滅多に姿を現さないため捜すのも手間なので皆放っておいているが、リムは彼の姿を少し前に見つけていた。だがむこうから竜へと来ることはよくあるので竜は気にしていない。

「ふーん、そ。その男がさ、涛の家にいるみたいなのよね。なんか言っていた気がするから行ってみるわ」

「待て、涛とは誰だ?」

「あんたも知ってるでしょ?ここにも残ってる人間の臭いの子よ」

 首をかしげて蒼を見上げる。そこに表情は浮かんでいないが何かを心配しているように彼女には見えた。

 とりあえずは、そこを後にする。


すでに数十分と捜し続けていたが形見は見つからなかった。里の家々の道を涛と男は分かれて捜していた。男はこちらには来ていないはずだが、一応だ。

 それにしても、妖怪の力を強めてしまう、というのはどういうことなのだろうか。涛の中には男の友人の言ったという言葉だけが、頭の中で渦を巻いていた。

 その渦の真ん中で沈んでいた涛を引き上げたのは、なれなれしくつきまとう声だった。

「杉嵩?こんなところで何してるの?」

 はっと視線を足元から先へ向けると、うっとうしく感じられる漆黒の制服を着た明下がこちらを珍しそうに、黒い手提げ鞄を右肩にかけて見ていた。

なぜここに、と一旦地面に視線をもどし、右手で押して立ち上がった。その顔をじっと見つめてくる明下が、

「今日は午前中だけだったから」

 疑問を察したように答える、淡い笑顔を浮かべる彼に、涛は眉間にしわを寄せながら早口に言う。

「ああ、そう。ちょっと捜し物。なんかこんなちっさい玉を、見つけたら教えろ」

 右手の親指の人差し指の先端で男に教えてもらった大きさの丸を作り、明下に示す。それをうん、とうなずいた彼は口を開き、かばんを開いて中に左手を伸ばす。

「先生がさ、勉強遅れないようにって色々と作ってたみたいなんだ。それで、渡してくれって頼まれた」

 鞄の中から十枚はあると思われる紙の束が涛に差し出される。だがそれを受け取ろうとせず、それを見つめ続ける少年。

 別にどうするでもなく、明下の次の言葉を待った。しばらく、人々の行き来もなく、風だけが音を立てている。紙を差し出したままの体勢を崩して、明下は紙を鞄の中へ納めながら明下は寂しげに言う。

「ねえ、一緒に行こうよ」

 どこへ、とは涛は訊かなくても分かっていた。あの人が集まる場所だ。目の前のやつが毎日のように行っている、過去に自分が裏切られた嫌いな場所。行こうという気も起こらない。もし行って、どうなる。死にたくなるような思いに駆られるだけなのだ。

 なら行かずに、彼らとは全く違う友の方が断然いい。涛は、だからここにいて、山へと行く。

「なんでだよ」

 聞き飽きた言葉に機嫌を悪くする。

「なんでって…」

「お前も、どうせ分かんねぇんだろ……」

 双方、口と顔だけを動かして話し続ける。

「分からないって、なんだよ」

 黒の少年の表情がくもる。

「お前は俺じゃねえんだ。どれだけ苦しかったか、痛かったか……」

 妖怪の友達のいる少年は若干うつむき気味に道の脇を見る。

 その言葉の意味が、明下には分からないらしく、少しぽかんと口をあけた。こんな休戦中の国で、苦しむ、痛むことなんてない。あるとしたら集められた兵士たちの訓練の失敗や政府への反抗、犯罪くらいしかない。だがじきに、その日が来ると噂が飛び交っている。

「どれだけ…?」

 明下が、それが何かを尋ねた途端、涛は彼に背を向けて走り出した。その背中を掴まえることもできず、彼は立ち尽くすだけだった。


 あの頃は、早く明日よ来い、来いと布団の中で待っていた。そして眠りについた。楽しかったな、あの頃は。そうでなければ逆に慣れてしまって行っているはずだ。

 その頃から、いや生まれてから鬼たちは見えていたが、母親に口止めされて言わないようにしていた。見えないふりをしていた。おかげで楽しいとしか思えなかった。けんかもしたが、それでも次の日には仲直り。

 あるとき、机の中に入れておいた、紙工作の飛行機に落書きされていた。その日に完成したけど不細工だった。

 あるときは毎日のように机の上に置かれる何かに、中に大量の何か

 別に恐ろしいと思わなかったわけじゃない。初めは怖かった。恐ろしくて何度も逃げ出した。しばらくして親がいなくなって、心細くて、形見の刀を襲ってくる者たちに向けて、行き所のない怒りをぶつけた。白蛇と出会って、別に全部が全部いきなり襲ってくるわけじゃないと知って、嬉しくて話しかけてみたりして、それがあの頃を忘れさせてくれた。


でも消えることは決してない。多少は癒えても在ることはたしかなのだから

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