六
どれくらい走っただろうかと、子どもらが疲れに足を緩めたところに、追いついた白蛇が子どもらに見えない大口を限界までひらいた。それと同時に上あごについた細い牙が立つ。
「後悔するのだな…」
白蛇が真上で呟き、三人をまるごと飲み込もうと襲い掛かった。毒のないつばが牙を伝って地面に落ちる。
ゆっくりと近づく赤。子供らは生暖かい風を感じて、互いに顔を見合わせ、逃げ出そうと思ったがもう足は限界だった。
覆いかぶさる口腔に子供が消えそうになったとき、白蛇の右の口端が一瞬だけしびれた。
続けて不意の激痛に襲われて、口をさらに大きく開きながら頭を天へともたげた。白蛇は見えないが、そこは鱗が剥がれ、刃物でつけられた傷ができており、そちらには血を払う刀を抜いた涛がいた。
「何してんだよ、白蛇」
子どもにとって何も無い空間に言い放つ彼は、白蛇と同じ怒気にまみれ、一箇所にかたまる子供たちをより畏怖させる。
「…食事だ」
痛みが落ち着いてから、顎を浮かせて涛を見据え、重苦しい声で答える。口内に漏れてくる血を少しだけなめると、自分の鉄の味がある。外へと流れている血を見つめる涛は子供らをちらりと見て、
「逃げろ。それでここへはくんな」
嫌われたままで、そのままでいいという思いを乗せて放つと、子供が疲れきっている足で下りていった。
「なぜ、逃がす。あれはおまえを虐げる者だぞ」
白蛇が舌を出した。血気盛んに輝きを持ち、にらみつける目は、涛さえも動けなくなる。
「…自分でする。白蛇はやらなくていい」
のどから絞り出される声と、震える膝小僧。だが気配は違っても、白蛇はいつものような調子でしゃべっている。
「…ならば、いつするという?」
にらみ合いは続いても、白蛇の目は輝きを失わず、むしろ増して涛を目前に見つめる。
「おまえは、苦しかったであろう?辛かったであろう?ならばなぜそれを晴らそうとせん?忘れたいからか?ならば忘れる前に我が、晴らしてやろう」
涛が若干視線を逸らしながら、聞いていた。
「友より聞いたが、人間は学校とかいう場所に行くらしいな?ならなぜそこには行かん?何かがあったのだろう?それで我とずっといる。我は構わぬ。だがおまえは、怨みたいのだろうが?」
涛は黙ったまま、動かずにいる。本当に、白蛇は何でも分かるんだなと感心しながらも、怖がりながらも、肯定した。だが、
(…どうして)
という思いがあった。
嫌いで、一緒にいるのが嫌で、傷つきたくなくて、泣きたくなくてこうしている。できる限り関わらずにいる。だから何も残ることはないはずなのに。
「おまえは、嫌いなものを助けるのか?おかしくはないか?」
涛は刀を握り締め、頭を宙に浮かばせる妖怪をぎっと睨んだ。
「怨みたいのなら、我に打ち明けろ。叶えて――」
白蛇の首の右側から、鱗が広く砕けた。
「…!」
嫌な感触を感じながら涛が、動いたのだった。だがそれ以上攻めようとせず、背中の鱗を蹴って、逃げた。
「人間というのは…」
白蛇は血で地面を長く濡らしながら、平気そうにねぐらへと戻っていった。
山を駆け下り、逃げている涛は後悔していた。
「白蛇のばかやろ…」
誰よりも分かってくれていると思っていた。だが、いや、これは自分が悪いのだ。それだけははっきりと分かっているつもりだった。
白蛇は痛いだろう、気持ち悪いだろう。傷ついただろう、眠れなくなるだろう。怒っただろう、自分に向かってくるだろう。
そんな思いがいっぱいだった。
やはり、違う存在はこのようにしか関われないのだろうか。リムから聞いた話と今の出来事から、そう思った。
人間は母親のことを、『白大蛇』という名の神として崇めていた。そしてそれに仕えていると言い張る人間、僧が出てきた。彼らは『神のお言葉』とかなんとか言いながら生活をしていた。
だがあるときの僧は自分たちが見えていて、リムを見つけて消そうとしたらしかったが返り討ちに遭ったらしい。鬼や餓鬼を消せても、彼女はそうもいかなかったようだ。
そう、だから母は人間に出会わぬように穴の中で隠れていたという。会っても、見えていなければどうするでもないが、否なら仕方なく、容赦なく喰ったらしい。まずいと言っていたらしい。
そう、結局、相容れない存在なのだと知った。人間は身勝手で、犠牲を省みない者たちなのだとさっき分かった。
だが、杉嵩涛には、なんとなく嫌われたくなかった。特別という意識が、いつの間にかあった。
帰ってくると、寝床の岩にリムがとまっていた。白蛇を探していたらしく、彼を見るなり言う。
「杉嵩涛っていうのね、あの子。変わった名前よね。どういう意味があるか知らないけど、親が何か特別な願いでも込めたのかしら?――けんか、したのね」
いつものように軽く言い続けたが、何も返事がない白蛇に何があったかくらい想像できるので言い当てた。
「まあ私は別にいいけど?白が嫌いになったなら、それで嫌い続けなさいよ。それでも一緒にいたいっていうなら、誤りを正してきなさいよ。その間違いが、あんたにあるかは知らないけど…」
リムが思う事を並べる。好きなことを、やればいい。思いに従うことが、最善と思っているから。
「誤り…悪…か」
蛇はそれだけ、鷹の目を見ようともせず呟きながら穴に潜ってしまった。どうしようかとあたりを見渡したが誰もいるはずがない。いるのは恐れをなして隠れる鬼たちだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます