06.アヴェ・マリア

「でしょでしょ」とミコ。

「うん。わたしも似たようなこと考えたことあるよ。ギター弾いてる時とか。去年の音楽の授業でさ、ギターを習ったじゃん。わたしさあ、最初は全然うまく指が動かなくて、ちっとも面白くなかったんだ。あんまり難しくていらいらしちゃって、家で兄貴にギター借りてずっと練習してさ、今じゃけっこう弾けるようになったんだよ。井上陽水とかさ。歌詞を鼻歌で「ふんふふーん」って歌いながら弾いてるとさ、なんかすっごく楽しくなってくるんだ。何百回も弾いてると、もう指が勝手に動いちゃうから、自分で指動かしてるって感覚もなくて、ただ自分はメロディとリズムに身も心も任せて、何も考えてないんだけど、不思議と気持ちよくて、「自由」を満喫している気分になるよ。そういうのと、ミコの言ってること、似てると思う」

「マイちゃん。井上陽水って、誰?」

 ミコは首をかしげて訊いた。

 その質問を受けたマイコは、ぎょっとしたような顔になった。

「え、井上陽水を知らないの? 有名だよ。フォークソンガーだよ。『少年時代』とか知らない?」

「知らないなあ。でも、まあいいや。話の腰を折ってごめんね。続きお願い」

「いや、わたしの話はさっきので終わりだし」

 マイコは苦笑する。それから壁の時計を見て、今の時刻をミコに告げた。

「わ」

 ミコは驚きの声をあげると、十円玉をホログラムペーパーに置き、その上から左手人差し指を軽く重ねた。

「準備にけっこう時間かかっちゃったなあ。駅前のケーキ屋閉まる前に終わらせちゃうから」

「そうしてくれると助かるよ」マイコが言う。「でも、別に明日でもいいんじゃないの? 今日は練習にして、さ」

 マイコは少しにやけながら言った。その言葉が、ミコへのいたずらになると理解しているからだ。

「あ、明日じゃ、ちょっとダメ、かな」

「なんで?」

「なんでもなにも……」

 答えに詰まるミコに、マイコは意地悪そうに笑いながら、「明日じゃ、杉本くん家の引っ越しに間に合わなくなっちゃうもんね」と言った。

「うわ、マイちゃん、わかってて訊いたの!? 意地悪!」

 ホログラムペーパーに置かれた十円玉は、ミコの人差し指を乗せたまま、ランダムなパターンで縦横ななめに動き始めている。その感触は、電気麻酔によってミコの脳にまで到達しないので、小人たちがアヴェ・マリアを歌い出すまで、彼女は自動筆記が始まっていることに気づかない。

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