繰り返しの中で
落果 聖(しの)
繰り返しの中で
とある昔の、とある場所の、とある追憶
唐草真沙は手が好きだった。
漫画を書くにも手は必要だし、デッサンをするのにも手は手軽だ。左利きの真沙は暇つぶしに右手のデッサンをする。多くの場合は数学と社会の授業中だった。
今もデッサンをしているが、授業中ではなく、放課後の部室だった。真沙は漫画研究部に所属していた。一年生にして部長である。つまり一人しかいない廃部寸前の部活だった。
教室のと同じ机と椅子が六つ、ダンボールにしまわれた同人誌、一つだけあるオフィスデスクの中にはGペンやトーンなどの漫画を書くための機材があった。
それに先輩達が残した同人誌を読む事が真沙は好きだったし、何より部費で漫画を書くために必要な物を買えるのが嬉しかった。
部室の扉が開いた。部室に先生が来ることは無い。幽霊顧問だ。この部室に来るのはたった一人だけ。
「やっほー」
金剛椿。真沙のクラスメイトで同じく美術部部長。
つまり一人しか居ない美術部員だ。
椿は漫画を読むためにここに来る。一応美術部として活動をすることもあるが、活動実績を作るためだけに動いているような物だった。
椿の描く抽象的な絵は真沙に奇妙な感覚に引きずり込む。美しさと恐怖が同時に来てもっと眺めていたいと思うと共に、これ以上は見てはいけないとも思う。
それが審査員特別賞を受賞した。真沙の知るかぎりでは椿の描いた絵は高校に入ってからその一枚だけであった。
「どっちが漫研なんだかわかりませんなー」
そう言いながら椿は先輩が残していった漫画を読み始める。もう何十回も読んでいる漫画を。
「絵描けば良いのに…私好きだったよ。変幻意識」
それが絵のタイトルだった。真沙には意味が理解出来なかったし、椿に聞いても要領を得ない言葉しか返ってこなかった。
「あんなの美術部員として活動してまーすって実績作るために描いたんだから、次回作は来年の夏休みね」
「来年の夏休みまで美術部に所属してるのかなぁ」
椿はなんともつかみようの無い性格をしている。
顔は美人なので一学期の時にはけっこう告白されたらしいが、部活に集中したいで全部断ったらしい。
真沙はその話を聞いてあきれるしか無かった。
すくなくともここで読み飽きた漫画を読むよりも楽しい生活が待っているだろう。
「他はもっと退屈だから無いよ。幽霊部員になるぐらい?」
「漫研は?」
「私が部長じゃないからヤダ」
「そこなの?」
「だってさー真沙ってばべた塗りしてーとか頼んできそう」
「…たぶんするかも」
「じゃあダメ。それよりさ新しいの描いてよ」
「…べた塗り手伝ってよ。それは冗談として何を描けば良いか解らないんだよね」
真沙がスランプに陥るのは初めてだった。
「この前の続きが読みたい」
二人の女の子が恋に落ちて死ぬ話。正直な所他人の評価を気にしたことの無い真沙だったが、椿が絶賛してくれた事は嬉しかった。
「主人公両方とも死んでるじゃん」
「繰り返すんだよ。転生でも、異世界でも、別次元でもいいからさ」
「却下却下。蛇足だよ蛇足」
「蛇に足ついたら絶対強いって、翼とかツノとかもっと付けた方が良いよ」
「そう言う話じゃないから。とにかくどんな話を描いて良いか解らないんだよね」
そう言うわけで真沙はひたすら自分の手をかき続けていた。スランプと言う現実から逃げられるし、絵の練習をしている。
「じゃあ刺激的なことしよ?」
「刺激的な事ねぇ」
冬休みにでも椿と一緒に出かけるのは楽しいかも知れない。そうでなくてもちょっと遠出して映画ぐらいでも良い。
しかしお金が無かった。
漫画に必要な機材を手に入れるだけでお小遣いは消えてしまう。ウィンドウショッピングぐらいならできるかも知れないが、刺激的とはほど遠い。
バイトも真沙の両親が許してはくれなかった。ただ、実際にバイトができたとしても田舎では大した給料は貰えないだろう。
結果一番刺激的な事は絵を描くことになってしまう。刺激的では無くても飽きることは無い。
椿はブレザーを床に脱ぎ捨てた。
「何してんの?」
「刺激的な事をしようと思ってね。裸婦デッサンしたくない?」
真沙は右手のデッサンを止めて。デッサン帳のページをめくり新しい鉛筆を手にした。
「身体は正直だねぇ」
笑いながら椿は全裸でポーズを決めていた。
「椿の奇麗な身体をデッサンするタイミングなんてもう無さそうだから」
「私の身体を褒めてくれる真沙が好きだよ」
椿はよく顔の方を褒められる。真沙は均等がとれて若干筋肉のついた椿の身体が好きだった。以前にも服を着た状態でのモデルを頼んだ事はあったが、全部断られてきた。
「デッサンモデル頼まれた時も嬉しかった」
「じゃあしてくれても良かったのに」
「だって普通じゃん」
「普通じゃない?」
「普通じゃなくて特別でありたい」
そう言うと椿は喋るのを止めた。真沙もデッサンに集中した。
翌日の事だった。真沙はプロットを書いてしまった。
「ほら刺激的な事をしたらできたじゃん」
と言う自慢げな椿の顔が真沙にはちょっと憎たらしい。
結局椿の思うとおりになってしまっているのだから。
死んだ二人の女の子は双子として転生した。二人とも記憶を覚えているが、成長していくごとに記憶は薄れていき、気持ちが離れていくことを自覚していく。
「落ちは?」
「どうしよう? また屋上から落っことす?」
「たぶんそうはしないと思う」
でもきっと死ぬだろうと真沙は思ってしまう。
双子のモチーフは椿と真沙の二人なのだから。
椿が同じ事を繰り返す事を望んでいるのならば、きっと彼女達も同じように繰り返してしまうだろう。
冬休みも目前と言う所だった。定期考査も終わり、真沙の漫画もほぼ完成しかけていた。落ちは記憶を覚えてる方が覚えていない方を殺してその後自殺すると言う落ちだ。
また同じ記憶を共にし、同じ場所に生まれるために。
「繰り返してるけど、これ何回繰り返すんだろ?」
真沙は結局新しい物を描けていないと思っていた。前に描いた漫画をもう一度書き直した感覚に襲われていた。
「ずっとかな」
椿は淡々と答えた。
「現実と変わらない。ちょっと波があるだけ」
「大学とか考えた事ある」
「本気になればどこにだっていけるから考える意味が無い」
椿は平然とそう言った。確かに学年主席なのは間違い無いが、そこまで言い切るのは珍しかった。
「変幻意識を真沙が初めて見たとき何て言ったか覚えてる?」
「ううん」
褒めたかどうかすら真沙は覚えてなかった。
「死の香りがする。だよ。嬉しかったな」
「嬉しい?」
そんなことを言ってしまった自分に真沙はあきれるが、それを褒め言葉として受け取る椿にもあきれてしまった。
「嬉しいよ。だってあれは私を描いた絵なんだから、私の事を一番理解してくれているってことだよ」
「あれが椿?」
ならば、
ならば真沙は椿を美しいが怖い物だと思っている事になる。
友人付き合いして半年以上たつが、放課後はほとんど一緒だっただけに真沙は椿の事を一番の友人だと思っていたのに。
それなのに。
「悲しまなくて良いんだよ」
椿は俯いている真沙の顔を強引に自分に引き寄せた。やはりその顔は美しくずっと眺めていたいと思わせる何かがあった。
引きずりこまれていく感覚が怖かった。
「ねぇ一緒に自殺しましょう」
真沙が一番苦労したのは家から出ることだった。おおよそ何も無い田舎で今まで夜に外出したことの無い娘がいきなり外出すると言うのだ。当然の反応だった。
天体観測をするから。
そう嘘を付いた。
「昔の人はこの空を見て星座考えて居たんだからよっぽど暇だったんだろうね。あれが双子座だよ」
なぜか天体観測になっていた。
「…どうやって学校の鍵とか開けたの?」
「やろうと思えば何だってできるさ。大半の人は自分で自分を檻の中に閉じ込めてる。私はその檻いや鳥カゴから出たんだ」
まるで舞台の台詞のようにハキハキとした口調で椿は喋る。
「双子座の話って知ってる? 双子の片方は不死身だけどもう一人は不死身じゃなかった。だから死んじゃった方と一緒に居たいと願って不死身の方も空の星になったんだ。
漫画の落ちさ。私は双子座よりそっちの方が好きだよ」
真沙の描いた漫画の落ちは記憶が完全に消える前に殺して、その後自殺する物だった。
また同じ記憶を抱えて生まれ変われるように。
椿は真沙の手を取った。
まるでダンスの様に二人して屋上を回る。真沙は椿に振り回されながら空を見上げる。こういう無茶苦茶な天体観測も楽しいかもしれない。
そこからは覚えていない。
覚えているのは病院のベッドの上だった。椿が私の下敷きになったおかげで真沙は軽傷ですんだ。
椿は死んだ。
真沙はそれで良かったと思った。
きっと椿は一人では死ねないから、もし私が死んでしまったら椿はきっと何も出来ずに退屈とか、檻とか、色々考えて社会に絞め殺されていただろう。
それに私が生きていないと椿が死んだって観測できないから。
椿がきちんと死んだって解らないと死ぬに死ねないから。
復学した真沙に椿の事を聞こうとする者は居なかった。それは最初からいなかったかのようなふるまいで、逆に真沙がどうして椿の事を尋ねないのかを聞きたくなってしまった。
廊下に飾られた変幻意識。椿の描いた絵だけがその存在を証明していた。今の真沙には愛おしい絵に思えた。
「待ってて椿」
真沙はまた漫画の構想を練り始めた。それしか椿に応える方法を知らないから。
繰り返しの中で 落果 聖(しの) @shinonono
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます