第4話 ワイルドと見せかけて

 –––ガシャンッ。


「おいっ!!どうした!!」


 突然聞こえてきた物音と大きな声でビーが飛び起きたのと、両肩をガッシリと掴まれてガクガク揺さぶられたのがほぼ同時だった。


 驚きに見開いた目を瞬くと、目と鼻の先に随分と濃い男の顔がある。乱れた黒髪の間から、ギョロリとした目がビーを至近距離で食い入るように見つめていた。鼻息が荒い。


「……???」

(こいつ誰だ???)


 状況が分からず、ビーは視線を巡らす。


 見慣れない天井、眩しい照明、壁には備え付けの金属製の戸棚と、掛けられた整備用具の数々。自分が座っているのはコンクリートの地面で、尻と背中が痛い。すぐ隣に、外装の一部を外された銀の無輪ジェットと、乱雑に床に散らばった道具と部品がある。



「あぁ……」


 思い出した、と、ビーは声を上げる。


「寝てた。」

「……はぁ?」


 ぼーっとしたままのビーの呟きに、男は眉間に皺を寄せて咎めるように聞き返す。そして、盛大な溜息と共にビーの横に崩れ落ちた。長い足を投げ出し、後ろに手をついて座り込む。



 そうだ、そうだった、と、ビーは徐々に訪れた覚醒と共に思い出す。ここは准将の自宅のガレージで、自分はようやく無輪ジェットの整備に手をつけることが出来て、それに夢中になって、疲れ果てていつのまにか寝落ちてしまったのだ。


 こいつは、確かティーチとか言う准将の所の居候だ、という事もビーは思い出した。前にも一度だけ顔を合わせたことがあったが、確か彼は今日、准将が地上側の軍施設の視察で不在の間、ビーのお目付役を賜った筈である。


「あんたなぁ……」


 ティーチは乱れた呼吸を整えながら、ビーを見て責めるようにこぼしたが、その続きは口にしなかった。代わりに、室内に繋がる扉の辺りに視線を向けて言う。


「あーあー、勿体ねぇ……」


 ビーもそちらに目を向ければ、床には皿とマグカップとホットドッグらしきものの残骸が散乱し、重なるように黒い液体がぶちまけられていた。


 ティーチはよっこらしょっ、と重い腰を上げ、その惨状を粛正に向かう。



 自分はどうやら、このお目付役に要らぬ心配をかけた挙句、差し入れらしき折角の好意を無駄にしてしまったようだ、とビーは理解した。


 確かに自分が面倒を見る筈の人物が、気が付いたら床に転がっていた、なんて事になったら焦るだろう。しかもあの准将の依頼。ビーに何かあればティーチの身が危ないレベルである。ビーは、謝罪の言葉を小さく呟いた。


「悪ぃ……」


 ティーチは答えずにガレージの端に行くと、箒と塵取りを掴んで言った。


「あんた、そこの食料庫のモン勝手に食っていいって言われてたろ。なんか食ったか?」


 –––くーるりゅるるるるるー……


 漂う食べ物の匂いに刺激されたのか、ビーが応えるより早く、図ったように腹が応える。


 –––へくちっ。


 続いてくしゃみが一つ。


「寒ぃ……」


 鼻を啜って独り言のように呟いたビーに、ティーチは再度大きな溜息をついてから、箒でガシャガシャと散乱物を集約し始めたのだった。


 ◆◆◆


 せめてジェットの外した外装を戻してから、というビーの訴えを退けて、ティーチはビーを肩に担ぎ上げて室内に強制連行した。


「あんたが具合でも悪くしたら俺が殺されるんだっつーの。」


 と、言われてしまえば返せる言葉は無く、ビーは大人しく担がれて二階のリビングのソファーの上に辿り着く。ティーチはそこに置いたままになっていたブランケットを拾い上げると、ビーの頭に向かって乱暴に放り投げてから、カウンターの向こうのキッチンに向かった。


「あんた食えないモンあるか。」

「いや特に。」


 キッチンから聞かれて素っ気なく答える。顔でキャッチしたブランケットをもぞもぞと肩に被り直してから、ビーはキッチンで動き回るティーチを改めて観察した。


 見た目の年齢はヴァースと同じか少し若いくらいだろう。20代の終わりから、行って30代半ばというところか。カールのかかった艶のある黒髪は前髪が長く、動くたびに揺れている。顔の下半分を覆う髭はある程度揃えられ、整っていながら男らしい骨格の顔に良く似合っている。浅黒い肌に覆われた身体は筋肉質だが、手足が長いのかしなやかな印象だ。片腕には、黒一色で複雑な紋様のタトゥーが彫り込まれていた。


 ヴァースには無い、あからさまな野性味を感じる。



 ギラギラした、近づくものを、少しハラハラさせる様な。


 危険な、匂い。



 –––黒豹、かな。



 と、ビーは連想した。



「レタスとトマトとチーズとピクルスと、あと……玉ねぎとケチャップか。入れたくねぇもん有れば言え。」



 ……随分細やかな黒豹ではあるが。


 先に渡されたコーヒーはカフェオレだったし。多分ミルクは別で温めてたし。砂糖は黒糖だったし。


「全部イケる。あとマスタードも有れば。」

「うっし。」



 完成したハンバーガーは、バンはトーストされ、玉ねぎはローストしたものが使われており、チーズはパティの上でしっかり溶けていた。スープはレトルトなのがむしろ残念なほどである。


「ミネストローネもお代わりあるぞ。あぁ、あとチップスとソーダか……コークとジンジャーエールどっちがいい。」

「……ジンジャーエールで……」

「うし。」


 心得たとばかりに踵を返し扉を潜ると、一階の食料庫に向かったようだ。と、思ったら数歩引き返して来て扉から顔だけ出し、


「冷める前に食ってていいぞ。」


 と告げてまた消えた。




 この黒豹は、見た目に反して随分世話焼きのようである。




 肉汁滴るハンバーガーを頬張るビーの頭に、ある仮説が浮かぶ。



 准将と彼は、一時期同居していたことがあり、准将は随分世話になったと言っていた。






「………………元嫁?」



 一人目は亡くしてるから二人目の。


 ヴァースがこの場にいれば即座に否定されたであろう考えがうっかり浮かんでしまったのは、ある健全とは言えない思考回路を持った友人の影響であった。

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