第1章:主要機体技師ビーの理想的三角関係

第3話 大丈夫かあの子

 始まりは、数年前のある日、母艦マザー・グリーンの港であるダミメの街の郊外に行った日のことだ。




「おぉぉぉ……」


 眼前の光景に、ビーは思わず感嘆の声を漏らした。


 僅かな機械音と共に、自動で覆いが開いて行く。露わになった壁一面を展示品の如く埋めるのは、機械整備の道具と部品の数々。そのどれもが、ビーには光り輝いて見えた。


「届かない物はアームを使え。操作プログラムはPAIから接続出来る。」


 そう言いながら、ビーの隣にいたヴァースという愛称の背の高い金髪の男性–––当時のアクレス准将であり、後の特別部隊隊長となる、ジェイスン・トレヴァース・アクレス・ウォーカー–––は、パチンと指を鳴らして個人用人工知能の操作盤を呼び起こして見せた。


 彼が眼前に展開されたホログラムのスクリーンを何度かタッチすると、天井近くの壁に組み込まれていたアームが伸びて姿を現わした。その先端のハンドが、壁にかけられている道具の一つを掴みヴァースの手元に差し出してくる。


「こんな風にな。細かい部品はドローンで手元に運べるし、追従式の可動テーブルもあるぞ。」

「ふおぉぉぉぉ……っ」


 言葉にならない声しか出ないビーは、ただただ立ち尽くしてキラキラした目でそれらを見つめていた。


「因みに小型の3Dプリンタとプレス、加工用の溶接アームもある。」

「なにぃ!?」

「少ないが、素材も残っていたはずだ。」

「マジかっ!?」


 ヴァースが告げた追加情報に、ビーはその顔を仰ぎ見て驚嘆の声を上げる。


「まぁ、整備には必要無いだろうが、好きに弄って構わんぞ。」

「准将……」


 ヴァースはビーを見下ろして、緑をベースにした、複雑な色彩の瞳をニヤリと細めて言った。それを見つめ返すビーの瞳は、感動で潤んで最早決壊寸前であった。


 とうとう耐えられなくなったらしく、ガバッ、とヴァースに抱き着いて叫ぶ。


「愛してます!!准将!!」

「……気持ちだけ貰っておく。」


 普段敬意のかけらも見せない態度のビーがこうなるのは、機械やら乗り物やらに関わる時だけだ。ヴァースは特に動じずに、呆れた様な声音で返すだけであった。




 二人がいるのは、ヴァースが地上に持っている住宅のガレージだ。ビーの『治療』のついでにと、ヴァースは暫く母艦に置きっぱなしになっていた自分の無輪ジェットを母艦から下ろし、設備の整っている自宅で整備をと、ビーに頼んでいたのだ。


 数週間前に起こった出来事がきっかけで、ビーは定期的な地上の施設での『治療』を余儀なくされていた。親しい者たちは、その『治療』が始まってからというもの、いや、始まるずっと前から、気分が塞いだ様子のままだったビーを案じていた。今回のことは、何か気分が晴れる様なことをと考えて、好きなだけ好きなものを弄らせてやろうと思いついた、つい先日正式に後見人となったヴァースの計らいだった。


 前々から、ビーは限定モデルであるヴァースの無輪ジェットにはかなりの執着を見せていた。


 そもそも母艦内で使えるものでは無いため、訳あって母艦に上げられてからはヴァースの自室の隅に追いやられていたのだが、ビーは見るたびに「ううっ、可哀想に……メンテどころか乗って貰えないなんてっ」と頻りに頬擦りをしていたのだ。母艦には、私物である上使用の認められていない機体の整備が許される設備が無かったのである。


 無輪ジェットはヴァースにとっても、友人の形見という非常に大事な物だ。それでも長い期間整備をしないのは良く無いし、ヴァースはビーの腕前も、機体に対する愛着も信頼出来たので、むしろ好都合、と結論付けた。



 ビーはひとしきりヴァースに抱き着いて興奮を発散出来たのか、その手を緩め、まだ信じられないといった様子で呟く。


「こんだけの設備、ほんとに使っていいのかよ……」

「無論だ。好きに使え。俺も暫く使っていないから、ガタが来ているものがあるかもしれないが……。何なら新しく買い替えても良いぞ。」

「マジかよ……。っつーか整備の為だけに、これだけ揃えたのか?」

「……数年前に、ちょっとな。その時は必要だったんだ。」


 ビーの質問に、ヴァースは言葉を濁した。


「とにかく、明日の夕方までは自由だ。好きなだけバラして磨いて調整して構わん。」

「……フフ、フフフフフ……」


 さぁ楽しめと言わんばかりに肩を叩いて、首元からジェットのキーを取り出そうとしたヴァースに、脇の下から何やら不穏な笑い声が届いた。


「やったぜ……やっと……やっと可愛がってやれる……この日を、この時をどれだけ待ちわびたことかっ!!」


 ビーの身体がゆらりと揺れてヴァースから離れる。前方の壁に近づくと、迷わず道具の一つをガシッと掴んだ。くるりと振り向くと、勢い良く腕まくりをし始める。ギラギラした目で、笑いながら。


 低く、語りかける様に呟く。


「さぁーあ……気持ちよくなろうねぇーぇ、可愛子ちゃん……」


 その視線の先には、銀色に輝く無輪ジェットの機体があった。




「なぁ、あれ、大丈夫なん?」


 唖然と見ていたヴァースに声をかけたのは、ガレージから家内への入り口のドア枠にもたれかかって二人のやり取りを見守っていた、やはり背の高い男–––ティーチ・ボス–––だった。


 ヴァースの友人で、彼の不在時にこの住宅の管理を任されている男だ。とは言っても、実質居候の様なものだが。


 濃い色の肌にタンクトップとハーフパンツの室内着を纏い、タトゥーだらけの腕を組んでいる。少し長めのカールした黒い髪と同色の髭に覆われた野生的な顔は、訝しげにしかめられていた。その視線は、ヴァースではなくブツブツ呟きながら無輪ジェットを忙しなく弄るビーに向けられている。


「なんか、イッちゃってねぇ?」

「……大丈夫だ。あのジェットを前にする時はいつもこうだ。多分。」

「多分かよ。」

「……きっと暫く鬱々としてたから反動が大きいだけだ。暫く好きにさせておけばマシになる。多分。」

「多分、な……」


 ティーチは不安げに希望的観測を述べるヴァースに、呆れた様に返したのだった。

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