第2話 見聞を広めたいのだ

 チャップマンが視線を合わせて保温ポットを掲げて見せた。もう一杯どうか、と言う事だ。


 ビーは、小さめのカップをテーブルの上のソーサーに戻して彼の方に少し押しやり、遠慮なく二杯目を注いでもらうことにした。せっかく淹れてもらったものを冷ましてしまうのは勿体無いと思える程に、このコーヒーは美味しかった。何というか、清々しい程に「味」の塊だ。そのくせ後味は、快さだけ残して潔く搔き消える。豆が違うとここまで違うのか、それとも淹れてくれた彼の腕前なのか。


 足は組んだまま、腕も組んで、ビーは甲斐甲斐しくコーヒーを注いでくれる目の前の人物を改めて観察する。



 彼が自分に相談を持ちかけた理由は、自分が複数の相手と関係を持っているから、だという。もっと言えば、それを堂々と公言しているから、だろう。


 と、いう事は、彼自身か、もしくは彼に近い人物が、そう言った関係を望んでいる、もしくは既にそんな状態にある、という事なのだろうか。そこで何か問題が起き、同じ様な状況にあるビーに助言を求めた、と。そういう事なのだろうか。


 チャップマンは姿勢良く丁寧にコーヒーを注ぎ、カップの持ち手の向きまで正してソーサーをビーの方に押してくれた。その様子は、とても複数の女性(もしくは男性)を囲いたいという願望を持て余している様な人間には見えない。


 逞しい肉体を持つ整った顔立ちの男だが堅い性格。ビーの勝手な想像では、どちらかと言うと半歩下がって後をついてくる様な、慎ましく穏やかな奥様が既にいそうである。


 それとも、ビーの持つそんな印象など表面だけのもので、実は物凄く鬼畜な性癖を患った人物だったり、とんでもない下衆だったりするのだろうか。真面目だからこそ鬱屈して歪んだ欲求が生まれてしまっていたりとか。


 何それ怖ええやべえどうしよう。


 そんな風にほんの少し不安になりながらも、思い込みに囚われてはならぬとビーは頭を切り替えることにした。まぁ、人は見かけによらなかったとしても、ある意味自分も同類だしな、諦めよう。と、ビーは自分の宿命を思い起こして、意外な一面を打ち明けられた場合にそれを受け止める覚悟を搔き集める。


 多分、そうなったら自分は他の奴らより適任だ。



 二杯目を手に取り、こほんと咳を一つしてからカップを口元に寄せる。


「恋人が二人ってのは正しいんだけどさ。複数相手がいる関係ってのも色々あるから、あたしでいいの?相談相手は。」

「と、言うと?」

「あー……、まずオープンかクローズかってところだけど。」


 案の定、チャップマンは何のことか分かっていないらしく、説明を求める様に黙ってじっとビーを見つめている。長くなりそうだな、とは思いつつ、ビーは続けた。淹れてくれたコーヒーの分は、労力は惜しむまい。ズズズ、ともう一口。うむ、美味い。


「まぁ、定義も色々あるみたいなんだけどさ、あたし的にはオープンは複数の相手がいて、かつ相手それぞれにも不特定多数の相手を認めてる状態、かな。クローズは複数相手でも、それぞれ相手は特定されてて、それ以外と関係持ったら浮気になる、みたいな?」

「ふむ。」

「で、あたしの場合は一応クローズだから。それで参考になる?」


 ビーが「一応」、と言ったのは、彼女のパートナーである二人とそんな定義を確認したことが無かったからだ。一応、お互いを蔑ろにするなら縁を切る、もしくはちょん切ると言った事はあるので、クローズと定義付けていいのだろう、とビーは判断した。


「……正直、男性と女性、一対一の関係しか考えた事の無かった自分には、それ以外の関係は全て未知の領域だ……」

「成る程。じゃあ、まぁ、参考程度に聞いてみたいって感じ?」

「そうだな……まずは見聞を広めて……勿論、その上で建設的な助言も頂けたらとは思っているが……」


 –––見聞を広める。


 その言い回しに強烈な違和感を感じつつ、ビーはチャップマンの様子を伺う。


 仕事中は狼狽える様子など晒さないであろう隊長補佐官が、視線を泳がせてなんとも歯切れの悪い口調だ。こんな話は、親しい人間ともしたことが無かったのかも知れない。


 今時、何処をどう生きたらここまでピュアでいられるのかと呆れるほどだが、何事も自分の価値観を常識だと信じるのは危ういだろう。もしかしたらおかしいのは自分の方なのかもしれない。いや、いわゆる多数派では無い自覚はある。



 ただ、それがどうしたと思えるくらいに、自分は進んで色々大雑把になることにしたのだし、二人のパートナーを誇りには思っているわけで。



 何にせよ真面目に生きている人間に罪は無い、と、ビーはチャップマンの気の済むまで付き合う覚悟を決めた。



 後々からかって遊べそうだし、というのは、動機のほんの僅かな一部分でしか無い。断じて。



 不意に、チャップマンがビーに視線を戻して、意を決した様に言った。


「……ブリッジス殿の恋人の一人は、スターリン殿だとお伺いした。」

「うん、そう。」


 リディ・スターリン。ビーとチャップマンと同じ特殊部隊に所属する、プログラマーである。ビーとは訓練校からの付き合いで同期であり、入隊はビーとほぼ同時期だった。


「……と言う事は、もう一人の恋人は男性なのだろうか。」


 チャップマンの言葉に、ビーは目を見開いた。


「そうだけど、何で分かった?」


 リディはビーと同じく女性である。であれば、ビーを単なる同性愛者だと認識してもおかしくは無い。


「お二人とも、揃いの金と銀のピアスをしているのを拝見した。それぞれがそれぞれの相手を示しているのであれば、もしかして、と。そう予測した。」

「へぇ……当たりだよ。凄いなあんた。頭切れるのな。」


 ビーのもう一人のパートナーは、ティーチという男性だ。母艦ではなく地上におり、リディと違ってあまり頻繁には会えないが、れっきとした「三角関係」の一角だ。彼の左耳には、微妙にデザインの違うゴールドのピアスが二つ、常に輝いている。


「揃いで付けていたのであれば恐らく薬指の指輪に相当する様なもの……数は相手の人数に相当するのではと考えた。もし三人ともが同性なのであれば、リディ殿が付けていたピアスの片方は違う色になったのでは無いかと予測したまでだ。」

「ご名答。流石だよ。」


 あの隊長に見込まれて配属されただけの事はある、と、ビーは納得する。


「まぁ、金色が女性を示す、なんてのは後付けで、ただ単にあと一人が肌の色が濃いから金色の方が似合う、って言う理由なだけだったんだけど。」


 ティーチの褐色の肌に金色は映える。じゃあ男性は銀色で表そう、なんていうのは、リディが思いついたただの遊び心だ。



「……と、いう事は、ブリッジス殿はバイセクシュアルという事になるのだろうか。」


 チャップマンにそう聞かれて、恐らくそんな単語を口にするのも初めてなのだろうな、と思いながら、ビーは少し視線を泳がせた。そしてコーヒーをもう一口。まだポットには残りがあるのだろうか。残ってしまっているなら勿体無い。チャップマンはさっきから自分の分は飲んでいない様だし。勿体無い。


「あー、まぁー……そうなるのかな?っていうか……」


 言葉を濁しながら、飲み終わったカップをソーサーに戻す。艶々とした白い陶器同士がぶつかって、かちゃりと控えめな音を立てる。


「狙ってこうなった訳じゃ無いんだよねぇー……」


 ビーはカップを持っていた手を何となく口元に持って来て顎に触れ、天井を見上げながら、二人との馴れ初めを思い起こしたのだった。

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