第11話 進言

十一 進言


 十日ほどで成一は日本に帰り、一ヶ月後からはグランブルーの開店と開店後の様子によって落ち着くまでいるつもりだった。オーストラリアにいる元社員だったパトリシアにメニューデザインとメニュー説明とパーティーの司会を頼んだ。キッチンとフロアを取り仕切りを元社員の上田明子に頼んだ。妻の祥子もキッチンに入って当面手伝うこととなった。

 上山は元会社のビルの買い手を探してくれた。次いで、成一の自宅を買いたいという申し出が交通事故で亡くなった元女性社員安藤由美子の母親からあった。買わせていただいて成一にそこに住んでほしい、そしてまた買い戻してくれればいい、と申し出てくれたのである。その母親の息子夫婦は猛然と反対したが、きっとあの娘もそう思っている、お世話になったのだから、と言い、頑として息子の意見を聞き入れなかった。

 ゴールデンウィーク。バリ島に成一の家族と死んだ彼女と同僚の女性一人とで旅行する予定だった。それが同僚の一人がケアンズ無料旅行も抽選に当たってお流れとなった。成一たち家族だけが行くこととなり、安藤由美子は別の友達と大阪に旅行に行ったのだった。その途中で反対車線からトラックが突っ込んで来た。由美子とその友人は即死であった。このニュースを成一はバリ島からの帰りの車でラジオをかけたその時に聞いたのだった。耳を疑った。AMのライジオから安藤由美子という名を確かに聞いた。

 彼女は高校を卒業して成一が経営する会社に勤めたのだった。みなから可愛がられ、仕事もきっちりとやっていた。ミスオワセになったこともあった。葬儀はまるで会社葬のように全社員で行った。由美子はまだ二十二歳だった。あまりにもあっけない命の終わり。成一は突然に生と死の列車のレールが入れ違ったような偶然に呆然としたのだった。由美子の母は狂乱の状態となった。立ち直るに相当な年数が必要だった。

「夢に由美子が出てきて、そんな時に上山さんと偶然逢って、社長の話になって・・・。由美子が助けてあげて、と言っているような気になったんです」

 と由美子の母は言った。成一は有り難くその気持ちを受け取った。そして実際有り難かった。貸していた家の借主の家が完成したということで、成一家族はまた元の家に戻ったのだった。

 まだまだ成一の借金問題は解決しなかった。裁判は先方からの請求を破棄するということで和解決着となった。成一はまたひとつ解決したと安堵した。

 依頼したパトリシアや上田明子や妻の祥子が渡バリするスケジュールを打ち合わせ、成一は一足早くバリ島に向かった。

 レストランは柱が立ち、バーのゾーンも出来上がり、キッチン設備も搬入されていた。

 海の砂漠の中に女性の胸が浮かんだようなガラス壁も次々と設置されてようとしていた。

 ただ、牛島が提案したテーブルにパステルカラーの布を巻き、それを樹脂で固めて磨くというテーブルと椅子はまだ出来上がらなかった。

 二月一日という再約束の完成まであと二週間というところだった。広告用の看板も立てられ、レギャン通りで配るパンフレットも出来上がった。旅行雑誌社にも連絡をした。ただ写真を送るにはどうしてもテーブルと椅子が必要だった。

 成一はレストランで流す音楽を日本から持ち込んだ。どんな音楽をかけるかでレストランのムードも違うことになる。気に障る音楽はかけたくはなかったので、ショーロクラブや、セサリア・エヴォラ、オーボエの宮本文昭やアマリアロドリゲスのファド。そしてもちろん映画音楽の「グランブルー」などを用意した。

 フロアースタッフの制服も出来上がってきた。下はサルンで、上は半そでの青みがかったグレーのような銀色のような色合いである。前でボタンをするのだが、胸の部分が結構空いていた。恥ずかしがるスタッフもいたらしいが、それはあとになってわかったことだった。

 時々エステサロンを覗いた。成一はスタッフたちに、なぜオイルマッサージがよいのか、またどうして身体のある線や点を押したり、手のひらで押し滑らせたりするのか、理由を訊くと、解答ができるものがいなかった。観光客というイチゲンサンに施術する、おそらく二度と会うこともない人にエステをするのだから、そんな理由はどうでもいいことなのかもしれない。みながする回答は「みんながやっていることだから」ということだった。自分がなぜここを触っているのか知らないのだった。

 成一は日本でやっているエステテシャンと言われる人もそうなのだろうか。もしそうだとしたら、オイルマッサージをする理由や、気持ちがよいということはどういうことなのか、人間の身体にどう作用するのかなど様々な知識を知りたいと思うのではないだろうかと考えた。成一は多田富雄の「免疫の意味論」を読んだことがあった。続いて安保徹の「免疫革命」を読んだことがあった。もっと突っ込んでこのエステの世界を考えてみようと思うのだった。もしかしたら美しくなりたいという希望と同時に健康でありたいという希望を一致させることができるかもしれない。妻の祥子にエステでやっているマッサージに関する書物を買って持ってきてほしいと頼んだ。


 妻の祥子、上田明子、パトリシアも合流した。成一とは「あ・うん」の呼吸で仕事ができる連中である。マキは気さくに彼女たちと接した。マキは事務所、雑貨店、エステサロン、グランブルーを行ったり来たりして、時には成一や祥子や明子の通訳もした。仕入れのルートもしっかり把握し、値段交渉も行った。パトリシアの英文メニューにインドネシア語をアキが加えた。雑貨店のポップには日本語や英語で書く。売れているものは何か。どのくらい仕入れ注文をスタッフに言うか。言わないと動かないサロンのスタッフに通りでパンフを配布するよう指示もしなければならなかった。ホームページ用のインタビュー記事のための取材もしなければならなかった。

 上山は家族を連れ、知り合いも招待して、蝶ネクタタイに黒の高価なタキシードまで買い込んで、オープンパーティーのためにやってきた。

 パーティーの一日前にテーブルと椅子が届いた。空色に白が浮かび、黄色がところどころ浮かんでいた。テーブルが配置されると、見事な海のレストランとなった。バリ島によくある屋根と竹張りの天井。その当たり前のレストランと完全に違うものだった。昇ってみたくなる階段という発想からバリガラスのレストランが遂に完成した。

 牛島は満足そうであった。プダンダに来ていただき祈祷をした。バンジャールにも届け出をした。

 パーティーではパトリシアとマキが司会をし、家主のマデや上山が挨拶をした。日本領事館の領事にも挨拶代わりに招待状を出してあったので、貴賓席にいた。成一はどうでもよかったのだが、上山が喧しく領事を呼んでいただきたいということだったので、従ったのだった。祥子や明子はフロアースタッフの動きを見たり、料理の盛り方を見たり、最後の点検を行っていた。家主のマデのスピーチはひどく長かった。「おめでとう」と言えばよいと思うがマキの通訳で二倍となるのはしかたなかったが、だれそれへの感謝の辞が延々と続いた。結局、領事のスピーチ依頼を成一はしなかった。おそらく領事はスピーチを用意していたのではないだろうか。料理を前にしてスピーチほど退屈なものはないと思っていた成一はもしかしたら領事に失礼なことをしたのではないかとこころの中で謝ったが、領事は始終ニコニコしていたから大丈夫だろうと思った。しかしそれはおそらく成一の迂闊さであったことが後になってわかったことだった。

 上山家族や知り合いたちのバリ島観光旅行はイダとマキが案内してくれた。得意気の上山は異常に興奮し、奥さんはそんな夫を蔑み、夜になると大喧嘩になる。しかし上山は幸福であった。百十四席の大型レストラン。成一もやってみたかったことのひとつを実現できたことを喜んだ。鬱陶しい生活をしてきた妻の祥子も仕事をしているときは楽しそうであった。

「グランブルー、素敵じゃない。こんな店をオープンさせるなんて」

 パトリシアも楽しんで仕事をしていた。

「料理も美味しいよ」

「ボブとまた来いよ。いつでも言ってくれよ」

 ボブは医師をしていた。そのうちカンガルー島に住むのだと言う。パトリシアはオランダ人だったが、オーストラリアのボブと知り合って結婚した。今、エコツアーを学ぶのにまた大学に行っているということだった。

「あなたにはブレーキってものがないのね」

 成一はその冷やかしに笑顔で応じたが、パトリシアにハーレムに行ってゴスペルを取材してこい、ネジまきでかかるラジオを発明した博士にロンドンまで行ってインタビューして来い、とか言って、それをしっかりこなすパトリシアを人間的にも信用していた。彼女には先進国の人間のいいところでもあると思う知性があり、信念のようなものがあった。それはこころの芯のようなものだろうと思う。寛容で地球というものについて考えていた。

 パトリシアはパーティーの翌日に帰って行った。牛島夫婦も翌日からマレーシアにのんびり旅行をすると言っていた。

 オープン当日は客でごったがえし、キッチンはてんてこ舞いで遅くなり、フロアースタッフからの苦情などで、明子がキッチンとフロアースタッフの間に立ち、オーダーの仕分け、整理をした。祥子はキッチンに入って手伝った。メニューが多すぎたのか、まだ慣れないのかと話し合ったがまだ慣れないということでメニューはそのまま続けることにした。

 上山家族たちが帰り、次いで、祥子や明子も帰り、グランブルーも十日もすると、落ち着き始めた。しかし客の数が日に日に少なくなってきた。なぜなのだろう。

 日本とバリ島を行ったりきたりして、六ヶ月が経っても客の数は少なかった。イベントで口琴の合奏や舞踊も企画した。有名人も時々やってきた。ミックジャガーが来たり、デビィ夫人が来たりもした。しかしながら毎日満席となり、二回転、三回転となることはなかった。どうしたらいいものか。成一にはその打開策が浮かばなかった。方策がないままさらに一ヶ月、二ヶ月と経って行った。メニューも点検してみた。路上チラシ配布もしっかり行った。

 ある日、フロアスタッフのウィドニーが、

「工藤さん、道路側のガラスの壁を全部取りましょう。それの方が向こうの通りから見えていいと思います。絶対そうした方がいいよ」

 と確信を持ったような顔で進言してきた。普段から気が利く女性だった。海辺のヌガラ出身だった。成一と祥子はウィドニーのヌガラの家に招待されたことがある。そこで小鰹を焼いたのを食べた。食べ方は紀州の尾鷲と同じだった。ヌガラの竹のガムランの演奏を聴いた。巨大な竹琴、中型のもの、演奏者は取り憑かれたように体全体で竹を叩く。大空に音が鳴り響き、聴く者の体は地響きのように震えた。

「そんなものかなあ。よしやってみよう」

 そう言って早速外側の壁を取る工事をした。

 すると取ったその日から客数が増え続けた。常に満席となった。ああ、壁ひとつのことだったのか。それにおれは気がつかない。ウィドニーに大感謝だった。

 マキも気が付かなかった。

「気がつかなかったなあ。でも意見を言うって、ウィドニーはすごいわ。ずっと考えていたんだわ。そして閃いたんだわ」

 そばで思ったほど客が来ないのを見ていたマキも方策を考えてはみたが、よい案が浮かばなかった。向う側の通りからだったらレストランの中が見える、という意見は視点を変えてみるということだった。

 ようやく一安心し、上山にも電話を入れた。

「外側の壁を取ったら客が来始めで。すごい数や、ぼくは帰るので、息子さんと見に行ったらどうか」

「予定をたててみるわ」

 上山も喜んだ。息子も喜ぶことだろう。これで安定するかもしれない。借金返済のプランもきっちりと立てられるかもしれない。

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