第10話 夜の会話
十 夜の会話
成一は十一月の下旬にバリに向かった。牛島はテーブルと椅子の製作が遅れているらしい。ガラス関係は順調であると言い、壁面に使われるガラスの板を見せてもらった。薄いエメラルドグリーンが擦ることによって白で薄められている。そこに女性の乳房のようなものがいくつも浮かんでいる。砂漠の風でできる小山のようにも見えるが確かに乳房のように見える。そしてそれはまた海底の砂漠のように見える。
バワはキッチンの動線を気にして牛島と議論を重ねている。百人は入るレストラン&バーなのだ。効率のよい互いに邪魔にならない動きが必要であった。
バワとメニューの打ち合わせをする。マキにも意見を聞く。インターナショナルレストラン。蟹と海老とポテトやブロッコリーなどを熱い石で焼き、塩とパプリカで混ぜる。それを石と共に籠に入れて、テーブルに豪快に盛る。脇には四種のソースも念のため置く。石焼シーフードだ。それを一番のお奨め料理にした。成一はキッチンのメニューを決めて、次にはカクテルメニューを決めていった。ロンドンマティーニもニューヨークマティーニもメニューに入れた。
工事も順調に進んでいった。一気に昇ってみたくなる階段が出来上がった。ガラスの下にライトが仕込まれていた。厚い石のような雑に見えるガラスであったが、その厚みは安心させ、異世界に昇っていくには十分な色合を光が作り出していた。昇ったところにピンク色した壁があり、そこに Restaurant & Bar というガラスの文字が上段に、その下に Gran Blue という文字が大きくあった。正方形の厚いガラス板を積み重ねていってできる柱も完成しつつあった。
予算がオーバーしていった。牛島は意に介さず、好きなことに熱中するだけであった。そして当然のごとく工事は遅れがちであった。
マキはスーツを着て仕事をしていた。すっかり雰囲気が違っていた。
「全くのキャリアウーマンって感じになったね」
と成一が冷やかすと、
「そう?」
と言って、胸を張り、愛嬌よく目をパチクリさせるマキだった。
「夜食事でもしようよ」
と成一が誘っても断ることはなかった。
そのレストランは広い敷地に小さなガゼボも幾つも点在していた。テーブルがあるだけである。蝋燭が立てられている。敷地には幾つかの篝火があった。成一が蚊よけスプレーを腕や首に吹きかけたのを見て、
「あたしはもう蚊には刺されなくなった。多分食べ物のせいだと思う。ワルンで食べる食べ物に蚊が嫌がる成分が入っているのかしら。バリの人は決して虫を殺さないわね。蚊も殺さない」
と言ったところへウエイターが来たので、二人はビールを注文し、焼き鳥のようなサテと鯛を焼いたものとシャカンクンという青菜炒めなどを注文した。
「食べ物は合う?」
「ナシチャンプルしかないから。またそれがいつ食べても美味しいと思うようになったわ。日本食が恋しいということは一切ないの」
「マキちゃんは人生の目標とかあるのかい?」
成一はマキという娘に好奇心がある。
「わからない。それって必要なものなの?」
「とりあえずの目標みたないものがあって、それは夢とはちがうんだけど、資格をとるとか、フランス語喋れるようになるぞ、とか、ここまではやっておこうというようなもの」
「それだったらあるわ。今度は中国語マスターかな」
「ふ~ん。外国語のマスターというのは自分の母語の言語力以上にはいかないよ。日常生活的なことができればいいということ?」
「母国語の言語能力って?」
「例えばだ。前にも少し言ったと思うけど、バリ島というひとつの島を考えてみると、アフリカ的段階のアニミズムが色濃く残っている。人間の力で自然を動かせると思っているところがある。ところがアジア的段階のものがさらにアニミズムに覆い被さるように支配している。それがヒンズー教だ。そこへオーストラリアやヨーロッパなどから西洋的段階のものが入ってきている。おそらく知らず知らずの間に生活の一部に西洋的段階に入ってきている。ところがアフリカ的、アジア的段階が色濃く長いから、それを保守しようとする。バリ島は農業国だったからね。今も地方にいけばほとんどが農業をやっているんだろうけど、少なくともデンパサールやクタ、サヌール、レギャン、それと地続きでスミニャック、クロボカンと新興住宅地ができてきている。そこはぼくが見る限り西洋的な風景だよ。
この歴史的段階を踏まえて、宗教を見る、精神を見ると物事の見え方が違ってくる。西洋医学よりもバリアンを信じるというのはなんと迷妄か、と考えるのと、バリアンのようなアニミズム的なものがまだ人類の原始・未開の段階だった宗教のようなものが残っていると考えるのとではずいぶんと対応のしかたが違ってくると思うよ。マキちゃんはこういう論議ができるところまで外国語をマスターしようとすると母語での表現の能力を上げていくことが必要になると思うよ。だって、日常会話ができてあたし英語喋れるって人はワンサカいるよね」
「言ってることがまるでわかんない。アフリカ的段階って何?」
「歴史の区分を時間軸で分けると自然採集をして生きる時代に相当する。宗教的段階もそれに応じている。アニミズムだよ。自然を動かせると思っている」
「あっ、バリに雲を動かす人がいる。そして多くの人がそれを信じている。そういうこと? じゃあアジア的段階というのは? 」
「農業社会の時代だね。宗教は多神教のようになり、自然を崇拝する。巨岩や巨木、山や森に神々がいると信じる。アジアは内陸部が広いから農業時代が狭いヨーロッパより長かったんだ」
「西洋的段階というのは?」
「商工業、つまり資本主義の時代だろうね」
「そういう風に歴史を段階で見るってことに何か意味はあるの」
「ぼくもそんな風に見たことがなかった。学校で習った歴史は年表みたいなものだからね。けど本を読んでいると、そういう考えを知ることになる」
「知って、それに大きな意味があるの」
「ぼくにはあるんだ。社会というものが時間軸と空間で構成されているとわかるし、イスラム教は野蛮な宗教だと言えなくなる。それに自分というものの中に斑のようにして歴史の段階が残っているのかどうか考えることもできる。国民国家や民族国家というのも固定したものではなく、歴史の段階としてあることがわかる。そしてやがてヨーロッパのように国家が緩やかに開いていくこともわかる。これはぼくの独自の捉え方じゃないよ。本を読んで知ったことだ」
「ふ~ん。あたしはそんな難しいこと考えたことがないわ」
「考えている人は確かにいるんだけど、普通に生活している人はそんなことは考えていないと思う。しかし、普通の人の奥に潜む精神の中に仮にアジア的段階の無意識が色濃くあったら、社会が後退してしまうことだってあり得る。天皇のために死ぬっていうような風潮がでてきたら、それにワッと行ってしまうこともあり得る。戦前はそうだった」
「今の日本はどうなのかしら。それは興味あることよね」
「そんな風にならないことを願うけどね。歴史の無意識は『自由』を求めている」
「なんか遠くのことを言っているみたい。あたしの理解力がないのかしら。それは個々の人間にもその歴史的段階、例えば、アフリカ的段階を色濃く持っている人、アジア的段階を色濃く持っている人がいて、プラスして、育った環境やその家庭での育ち方によって個人が違ってくるということ? 」
「そういうことだと思うよ。でも現実そこにあるものをただ空間的にというか表面的に捉えていると、差異ばっかりを言うことになる。さっき言ったようにイスラム教原理主義は野蛮だとかね。北朝鮮はけしからんとかね。日本も五十年前までは北朝鮮みたいだった。それを馬鹿にして笑っているけどね。おれたちは正義だとかね。ヨーロッパだって、アフリカ的段階はあった。アジア的段階は商工業化によって早く通過した。アジアは農業が長い間続いたからアジア的段階が長く続いたけど。日本はバリ島までとは言わないがよく似ている。アフリカ的段階もアジア的段階も長く、現代ですら、精神の奥にというか無意識の中にアニミズムも農業の神様も、いろんな神様を持っていると思っている。だんだんと形骸化はしているけどね。神社なんかは楽しい祭事の場になってしまっている。それでも我々は柏手を打つ。そして清々した気持ちになる」
「バリ島に懐かしさを覚えるのは同じような歴史的段階を経ているからかしら」
「そうだろう。きっと。マキちゃんは海育ち? 山育ち? 農村育ち? それとも都会育ち」
「あたしは都会育ち。でも父も母も農村育ちね」
「海には何か感じる? ぼくなんかは海辺で育っているからなのか海がないと落ち着かない」
「人間の祖先って海からきたんでしょ。あたしも海を見ていると落ち着くわ。でもね、山の農村に入っていっても落ち着くのよね」
「へえ、そうなんだ。アジア的なところが色濃く無意識にあるのかもしれないね。ぼくなんかが農村の風景を見ていると落ち着かないもの」
「へえ、そんなものなの」
「狩猟採集民族だよ、きっと。それを色濃く持っている。何度も言うけどね、時間軸で現在を視ると物事の捉え方も変わってくるよ。イスラム原理主義は少なくとも野蛮ではない。そういう時代をヨーロッパも通過したんだ。野蛮というのなら、国家が国民を使って戦争するのはもっと野蛮だと思うよ」
イカンバカールという鯛のグリル。青菜が運ばれてきた。サテが皿の周りに置いてある。ビールを追加すると、マキはアラックを水割りで注文した。四、五メートル離れたところでは恋人たちのように見える白人カップルがいる。
「外国語を覚えると同時に日本語の能力をもっと上げろってことね」
「そうだ」
成一は聞く耳をもつマキの受容性に感心した。普通の女子と話せばこんな話はできない。分からないからだ。なぜマキには話せるのだろう。
「男は?」
「欲しい時はいつでも・・・」
「日本は? 」
「いるとこじゃない」
「占いは?」
「信じない」
「死ぬことは?」
「恐ろしいけど、いつ死んでもいい」
「好きなことは?」
「星や月を見ること。雨だれをみること」
「社会に参加していると思う?」
「う~ん、社会って何なのかしら 」
「家の外だよ」
「だったら参加しているじゃない。少なくとも働いているんだから」
「そうだね。でも社会参加しているような気分ある?」
「そうねえ、あんまりないかな。でも生きて飯食わなきゃなんないからね。工藤さん、あたしばっかりへの質問じゃない」
「ハハハ、そうだな。ぼくに質問してくれていいよ」
「じゃあ。これからはどうするの?」
「グランブルーが立ち上がったら、また何かやるんだろう。本当は小説を書きたいんだ」
「なぜそれをしないの」
「余裕がない」
「小説家って余裕のない人が目指す人じゃないの」
「ハハハ、そうだよね。でもね、ぼくの中には何かを開発するのも小説と似たようなところがあって、つい、思いついたことをやってしまう。それで時が過ぎてしまう」
「好きな言葉ってあるの?」
「う~ん。二十五時間目。という言葉かな」
「えっ、それどういうこと? 工藤さんは難しいこというね」
「二十五時間目に自分と向かうことかな。虚のような時間がないとやっていけない、という自覚がある」
「虚? あたしが仕事を終えて、星を見るのと同じ時間のことなのかなあ」
「きっとそうだよ。さっき言ってたね。星を見ること、月を見ること、雨だれを見ることって。それって捨てがたいだろ」
「嫌いなことってあるの? 」
「ある、ある。肩書や地位、名誉にしがみついている人だね」
「職場に入ったらしかたないじゃない? 」
「そうなんだけど、それを自慢している人だね。荒くれの人間でも美しい人がいる。それは中上健次という作家の『千年の愉楽』という小説を見ればわかる」
「へえ、『千年の愉楽』ね。今度持ってきてくれるとありがたいな」
「いいよ。いくつかマキちゃんに読ませたい本を持ってくるよ」
成一もマキも酔うことはなかった。成一は徹底して話し込んでおこうと思っていた。
「工藤さん、女は好き?」
「うん、男よりも女の方が好き」
「どういうこと? 」
「男はグジュグジュしている」
「グジュグジュ、って?」
「威張る、妬む、疑う、へつらう、媚びる、ええと、あと、まあそんなのが混ざったもの。女の人の方が話の通りがいいし、感覚で理解できるところがある」
「そうなの? 男ってグジュグジュしてるの」
「ぼくも含めてなんだろうけどね。念のために言っておくけど、いい男もいるんだよ。ところでここでいつまでも働くの?」
「う~ん。考えてない。何が起こるかわかんないものね」
「中国語以外にやりたいことってないの?」
「特にない」
「君は文才があると思うよ。レポートは面白い。読ませるよ。それに楽しい。また客観的だよ」
「客観的? 私は主観的に書いてるつもりだけど」
「でもそうなってないよ。人に入れこまず、密着し過ぎず、適当な距離を操っている。ユーモアもある。多くの人はそれができない」
「そんなものかしら」
「だからね、これは提案だけど、『マキの独り言』をシリーズで書いてみてくれないか。ぼくは読みたい」
「独り言?」
「そう。レポートじゃない。日記のようなものさ。君のバリ島での体験談でいい。マキちゃん生きてます、みたいなもんだ」
「書けるかな」
「書けるよ」
成一はマキには異能なものがあると思っていた。それを出さないのは切掛けがないか、関心がないか、臆病だからなのかはわからなかった。自分の能力というものは自分では確かにわからないものである。成一は一度知り合いの弁護士に言われたことがあった。経営者なんて、あんたは向いてない。教えること、それが向いてると思うと、と彼は言った。しかし成一は経営者をやっている。向いていないということも薄々感じている。
「書いたら送るから」
マキは仕事としての命令だと受け取った。それはそれでいいじゃない? やってみるか、と思った。工藤はマキよりもずっといっぱい経験してきて、いっぱい本を読んで、いっぱい考えてきた男だとわかる。そして、マキの過去に踏み込んでこなかった。現在のマキを知る手立てに、過去を聞くという方法を多くの人は使ったが、工藤はその手を使わない。
「人間って何? 生きることって何って時々考えることがあるの」
「ぼくなんか毎日考えているよ」
「フン、えらそうに。まあいいわ。私たちは宇宙から来たんでしょうね」
「・・・かもしれない。宇宙から来た物質が地球の変化とともに生物を作ったのかもしれない」
「生物は海で発生した」
「そう海で。でも海は生存競争が激しかった。それで川辺か海辺に上陸した」
「両生類になった。爬虫類になった。鳥類になった。そしてついに哺乳類となった」
「途中で植物と動物に分かれたんだ。ぼくらは動物の方に行った。けれど、植物だった時代の名残もぼくらの身体にはある」
「えっ、それどういうこと? 」
「腸を主として内臓は植物系だよね」
「そうなの? 」
「植物の茎を裏返すと腸とそっくりらしい。腸が神経とともに発展していって脳になった」
「ってことは?」
「こころというのは内臓と脳のネットワークだと思う。この頃は細胞のネットワークなのかなって思うこともあるんだけど」
「精子や卵子というのはどのくらいまで遡った生き物なのかしら」
「う~ん、わからん。受精をしたとたん胎児は過去の歴史を再現しながらヒトとなる。わずか三十五日くらいで二億年もかかった上陸のあの困難な時代までくる。クジラは上陸を諦めたらしい。『つわりの時期』はその困難な時期に相当するらしい」
マキは工藤の話を聞いていて、マキの両親、その上のそれぞれの両親と途絶えることなく、アフリカで発生したホモサピエンスより前、さらに前と偶然のように引き継がれてきた命、今存在する自分を思った。こんなに遡って現在を視るってことがあるんだとマキは体の皮が剥がれて、体が縮んでいき、受精卵のその奥に入っていく自分を想像した。
時々思い起こす、ドクンドクンという速い太鼓の音。激流のように川を流れる水の音。
ふと我に返って、
「へえ、てなもんね。工藤さんはそんなことを考えて経営やってるんだ」
「まあね。こういう興味は死ぬまで続けるんだろうね。マキちゃんは夜になると何をしてるの」
「星と話をしたり、ヤモリに語りかけたり、バイクに文句言ったりかな」
「バイクに?」
「そう。テメエ、長生きしろよとかね、もっとスピードがでないのか、とかね。あたし、人間の中でやってかなくちゃなんないのに、人間が苦手なんだよね」
「それでよく語学をやるね」
「そうなんだよね。言語学習はあたしには苦手ではないんだよね。別にコミュニケーションとりたくてやっているわけでもないんだ。何なんだろう」
「記号の解読がおもしろいのかな」
「でもね、いくらインドネシア語や英語ができてもそれは意味あるものではないんだよね。単なる交通。けど、言語の法則なんかには興味あるのよね」
「言語は常に二重性を帯びているけどね」
「二重性? 」
「そう。雲が湧き出てきた、と言ったら、事実雲が湧き出てきた、という光景と、何か不安なことがおこりそうだ、というような暗示がある」
「なるほど。だったらあたしは英語とインドネシア語、バリ語がわかっても、やっぱり日本語人なんだわ。だって日本語でそういうこと考えてるものね」
成一はマキがどんなものを書くのか楽しみである。きっと間違いない。
マキと成一は十一時になるまで話し込んだ。マキは決して成一との距離を縮めない。成一も観察されていることはわかっている。マキもわかっている。会話がつまらなかったら、さっさと引き上げてしまうようなマキであった。
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