第9話 特攻

九 特攻


 バワを連れて、東京の食べ処を上山と共に案内した。驚いたことがあった。

 東京の帝国ホテルの一階ラウンジに海老を使ったクラブサンドウィッチがあった。成一は常日頃このソースは美味しいと思っていたのだった。このソースをバワは簡単に言い当てた。本当かどうかはバリに戻って確かめるつもりであったが、バワは、こんなの簡単すぎるよ、と言う風な落ち着いた顔をしていた。

 フレンチ、イタリアン、和食と食べ歩いた。バワの料理人としての舌の感覚は上等だと成一は素人ながらも思った。鍛錬で出来上がる味覚もあるのだろう。だが天性のものもある。つまり人間である限り美味しいものは美味しいということか。そこに種族や民族による差異などないのではないかと思うようになった。上山は帝国ホテルに入ると、背筋がピンと張る。気取るという風でもないが、とてもその気分がよくわかって可笑しかった。ひところ、肩を落としてトボトボと歩いている姿を見たことがある。その上山はどこへ行ったのかと思うくらいの変わり様だから成一も嬉しかった。

 日々、相変わらず上山とは付き合いをしたが、親友とも会わず、ひっそりと尾鷲での日々を過ごした。疾走して駆け上がってきた成一は上山の力も借りて、さらに駆け上がろうとしている。成一はビールグラスにこだわり、バリで見つからないことがわかっていたのでクリスタルのグラス類を日本で調達することにした。日本から運ぶものなどを点検しながら、コンピャンやマキからの報告を得て、進捗状況を把握していた。

 二〇〇一年九月十一日。ニューヨークの世界貿易センタービル・ツインタワーに航空機が二機突入した。アメリカ国防総省本庁舎ペンタゴンもまたボーイング機の突入を受けた。 

テレビニュースはこの同時多発テロ事件一色になった。成一の母は、「ざまあみろやで」と気持ちよさそうな感想を漏らした。戦中に二十歳前後だった母にはアメリカ軍による空襲の経験があった。知り合いの奥さんもまるで映画を見たあとのように「痛快やったなあ」

と成一に言った。彼女は戦争前に生まれた。まだ六十代だった。被害者への憐れみや同情がなさそうだった。また退屈な日々に突如とツインタワーに航空機が突っ込んだ映像にそのうさを晴らしているようだった。

 やがてブッシュ大統領が報復戦争を言い出した。小泉首相が「テロは許せない。アメリカを支援する」と早々と記者たちの前で宣言した。

 イスラム原理主義のビンラディンが指導したテロ事件は卑劣な行為であった。成一はアメリカにいじめられた彼らの取る方法はこんな風にするしかないのかと思ったが、報復戦争はさらに悪いだろうと考えた。ブッシュ大統領は「正義の戦争」と言っていたが、戦争に正義も何もあるものかと考えると小泉首相の発言に対しても「お前が支援に行ってこいと」とテレビの前でほざくのだった。

 イスラム原理主義アルカイーダの撲滅など可能なのだろうか。タリバーン政権を倒すことは可能かもしれない。しかしテロリストを排除することなどできやしない。テロリスト達にも言い分があるはずだ。国家が起こす戦争の悲惨さは成一のような戦後生まれの人間でも絶対にしてはならない、勢い込んではならない、冷静な態度が必要に思えた。

 アフガニスタンは戦場となってしまう。そこには無辜の人々も暮らしている。時代は後退したように思われた。

 インドネシア、タイ南部、フィリピン南部、マレーシア南部を統一したイスラム原理主義の国にしようという運動があることはイダからも聞いて知っていた。ジェマ・イスラミア。アメリカはどうしてこれほどまで憎まれることになったのだろう。むしろそのことの方を知りたいが、日本の報道番組はそういうことについては口を濁していた。被害を受けたアメリカ側、先進国側の主張が多く、イスラム原理主義者たちの映像や主張はごく限られている。ましてや普通に暮らす人々の声なども聞こえて来ない。

 アメリカに絶対追従する日本政府の態度が癪にさわった。理想的過ぎると言われる憲法は世界の人が羨むほどのものである。世界の常識に合わせる必要などはない。海外に自衛隊を派遣することもない。戦争への歯止めが効くのは憲法九条であった。

 雑誌などで、憲法の矛盾を言いたてる知識人、アメリカ支援をいち早く宣言した小泉首相をほめたたえる意見。日本は危機管理がなってないという意見。日本もテロの対象となるという意見、様々な意見が出たが、成一は鼻白んで読むだけだった。やっぱり戦争にいくんだったら「お前が行け! 」と言いたかった。

 上山とも話をするが、彼に独自の意見があるわけではなかった。

 ある日上山は成一に、

「わしがお金を出すから人間ドッグに付き合ってくれんかな。息子が勤めている病院なんやけど。どうやな」

 成一には時間がいっぱいあったから、上山に付き合った。

 車で二時間。伊勢にある総合病院で一日ドッグを受けた。

 事前の質問用紙の病歴の欄には「慢性膵炎」と書いた。上山は「糖尿病」「高血圧」などと書いていた。一日ドッグだから精密なものではないけれど、検査終了後に、医師は成一に、

「『慢性膵炎』とありましたが、膵炎はありませんよ。胃潰瘍かもしれませんので、尾鷲の総合病院で検査してください」

「本当ですか」

 成一は驚いた。

「ええ、エコーでも調べましたし、CTでも調べました。白血球がやや多いので」

 とあとは専門用語が飛び出して理解不能のまま、結論は「慢性膵炎ではない」ということだった。あの病院の誤診だったのか。

 尾鷲に帰ってから知り合いの医者に電話をした。するとその医者は、

「大きな声で言えんけどな、あの病院に行ったら、脳梗塞か、慢性膵炎と言われる。それは有名な話や。胃が痛かったら慢性膵炎。血圧が高いと脳梗塞と言われる。絶対に行ったらあかんで」

 と内緒話のように言った。

 医師たるものがそんな診断でいいものか、と思ったが、とにかく「慢性膵炎」でないという検査診断にはこれまでの重荷が下りたようだった。安心感が体中に広がった。

「上山さんのおかげやで。あの検査受けてなかったら永久に慢性膵炎やったわ」

 上山は喜んで、

「な、病院は優秀な医者がおるとこやけなあかん。それにしてもよかったなあ」

 と言ってくれた。

 成一は毎日テロ事件のニュースを見ながらも、尾鷲総合病院で胃カメラ検査をしてもらった。結果は軽い胃潰瘍だった。薬で治ると言うことだった。薬を処方してもらって、次からは町中の小さなクリニックで薬を処方してもらった。

 ふとバリアンのことを思った。あのお呪いが効いたのだろうか。いやそんなはずはない。誤診だったのだと結論づけたが、頭の片隅にはバリアンのあの言葉を置いておいた。食べる物も変わった。これまで食べたい物も控えていたが、もうしなくてもよかった。ピロリ菌もないようだった。薬は確実に効いた。漱石も今の時代だったら胃潰瘍で死ぬこともなかったのに、などと思うほど、薬の効果には内心余裕を持って驚いたのだった。体重も増え始めた。

 また異空間に行くことになる。今度はやや長い。そして次はもっと長いバリ島での滞在となる。

 マキにバリ島でおもしろい人、外国人でも日本人でもいいから、インタビューをしてレポート記事を書いてほしいと連絡した。ホームページに載せるつもりである。マキは元気にやっている。「アイアイサー」と答えて平気そうである。

 マキはそれから三日経って、メールを送ってきた。インタビュー記事である。写真も付けてある。



たった一人の美しい戦士

Shiku Kimani(シク キマニ)


 「私はね、キクユ族なのよ」 

Shikoは何度も誇り高くそう言う。

キクユ族とはアフリカでは二大部族の内の一つである。

もう一つはご存知のマサイ族。

両部族とも美しく誇り高き戦士としてその名を知られてる。

引き締まった肢体を覆っている衣服、身体全体に施している化粧、装飾品と全てにおいて鮮やかな色彩おりなすその美しさは見るものを惹きつけて放さない。


Shikoを知ったのはある情報誌からである。

「Bali在住のアフリカンの方連絡ください」というもの。

最近やっとチラホラと観光客は見かけるがBaliでは未だに珍しいBlack People。住んでる人もいるのか。肌の黒さを良しとしないここBaliでさぞ大変にちがいない。

しかも同国人はこの地にはたった一人。もし自分がたった一人の日本人だったらどうだろう。

次の号にもその次の号にも「アフリカン求む」の広告は出ていて仲間はなかなか見つからない様子であった。

そしてこの美しき戦士はオシャレな戦士でも何でもない一人の日本人からのラブコールを受けたのだった。


Shiku Kimani といかにもアフリカンな名前だ。

その音感から勝手に男性だと決め付けた。

実際に会ってみるまでは「女」だとは思ってもみなかった。


彼女ほど聡明な女性に私は会ったことがない。

そして彼女ほどよくしゃべる女性にも。


オランダ人の夫と共にBaliに来たのだそうだ。

夫婦はオランダとベルギーがオーガナイズするイリゲーション プロジェクト の一員で、元はアフリカのコンゴ、スーダン、ウガンダの僻地で現地住民に人口森林、オーガニック プラントを育てる指導をしていたという。

水(井戸)の探し方、水の使い方など、以前のように指導者がその地から去った途端に消えてしまうものではなくきちんと根付くように長年に渡って研究を続けているプロジェクト。

Baliへもこのプロジェクトでやってきた。

現在は三人の子供の母親、そして一家の主婦として暮らしていてプロジェクトからは離れている。


「殆どのBaliの人は私が知る限り向上心というものがないわよ。自分達のやり方以外のものは認めないし外の世界のことを知ろうともしない。およそ理解できないわ。異質差別はすばらしい程よ。私はこの通り全く違うでしょ、歩くと非情な視線を浴びる。外国人がIndonesia語、ましてやBali語なんか理解するわけがないと信じきっているから平気で目の前でひどいことを言っている。

インドネシア語で話し掛けるとあわてて『かわいいね。Bali娘みたいだよ。髪を長くしたらもっとBali人の男に好かれるよ』ですって????

『Bali娘みたいにかわいいね』っていうのを誉め言葉だと思ってるのよ。頭おかしいんじゃない?

Bali人男性に好かれるためにロングヘアーにする気は全くないわ。

私は私の好きな髪型をするの、誰のためでもなくね。

大体、ステキだなと思うBali男性に出遭ったことなんかただの一度だってないわ。

そんな人いるの? いないんじゃない?」


「でもね、Baliの人たちの封建的なところとか、閉鎖的なところ、視野が狭いところって私の故郷の人達もそうなのよねえ。でも外を知らない限りどの部族もそうよね。人が集まって社会が出来たら必ずそうなるのよ。日本人だって絶対そうなんだから。

私はラッキーなことに外の世界を知ることが出来たけどそうじゃなかったら私も自分達のやり方しか知らないし、それが唯一優れていると信じたまま一生を終わっていた筈だわ。本当、パパには感謝するわよ」


子供に与えられる最高のものは教育という知識人だった彼女の父は男尊女卑甚だしいその当時のアフリカで子供達全員に大学教育を受けさせたという。


「バリもアフリカも未だにトラディションが根強く残っててそれが世界標準といわれているモラルとかちあっちゃって悲劇や喜劇が起こるのよねえ。この二十年間の急激な変化といったら大変なものよ。男尊女卑もね。ソマリア女性の割礼のこととか・・・知ってるでしょ? 」

夫についてくるんじゃなくて一人だったらBaliに来ていたと思う?

「絶対に来ていなかったわ。Baliという観光地の島がアジアにあるというのは知っていたけどね。でも強制的に来たわけでなく興味があったから来たのよ。いくら夫が行くって言ったって本当に嫌ならついてなんか来ないわ。私は好奇心の塊で出来ているの。そしてラッキーなことにそれを満たすことが出来る人生を与えられているのよ」


次はどこへ?

「夫のプロジェクトの都合によるけど、ん~そうねえ。日本なんかも行ってみたいしなあ。私はアフリカと日本は共通する部分が案外多いと思うのね。そんな似たメンタルを持った人たちがあれだけの経済大国を作り上げた。トラディションと現代との歪がなかった筈はないから実際に今までどのようなことが起こってきたのか、とても興味深いわ」

「最後はアフリカへ戻りたいわ。アフリカには「生」とは何かの答えがある。そして純粋な魂に戻って土に還る。

私のおばあちゃんはねえ、ある日『さて、死ぬ用意は出来たぞよ。もう満足だ』と言って静かにその時を待ってたのよ。私もあの地でそう言う風にして還って行くの」


最後にBaliへ一言

「緑豊かな美しいBaliを知ることができて良かったわ。あと一年半か二年はまだ居つづけるからその間に最大限Baliをエンジョイして暮らすわ。 ちょっとBali人にも一言いいかしら? もっと頭と心を柔らかくね。広い知識は人生を何倍も楽しいものにするのよ。 それとショートヘアーだって可愛いんだからね! 」


一時間の予定が四時間半にも及んでしまった。

その殆どは彼女が喋っていて放っておいたらまだまだ話し続けそうな勢いだし例え三日先まで続いても話していたかったのだが次のアポもあったので後ろ髪を強くひかれながらおいとましてきた。


あれからBaliに住むアフリカンは見つかったのだろうか?

ずーっと話し続けたまま見送ってくれたShikoの姿を思い出す。

                     マキ 

二〇〇一年十一月一三日


 成一は読みやすくて、このアフリカの女性の個性や考えも十分伝わっていて、相対的に物事を見ているマキの能力を喜んだ。こいつ、才能ある。文をどんどん書かせば、いろんなことが飛び出してくるに違いない。インタビュー記事でなく、もっと違う何かを。日記のようなものでもよい。彼女のもっている茶目っ気も、こころの奥底にあるかもしれない凄みも噴出してくるのかもしれない。

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