第8話 嘘

八 嘘


 工藤に会いに行ったのは翌日の昼過ぎだった。マキはショートヘアにトンボメガネを頭に置き、雑そうなマニキュアとペデキュアをし、ブレスレットをしていた。Tシャツにパジャマの下のような薄いパンツ。

 雑貨店の店内を見ても何も感想は言わなかった。

 マキの思ったのはBBTの事務所にいるのはイダ・バグス、イダ・アユばかりだと思ったのだった。わざと工藤がブラマナだけを雇用しているのか、ということだった。類は友を呼ぶ、と言う。成一に偶然ブラマナが集まったのかしら。

 成一は楕円のテーブルに手を頭の後ろに組んでぼんやり座っていた。

 マキが顔を出すと、

「おう。マキちゃん。よく来たね」

 と立ち上がって、微笑んだ。事務所にいるブラマナのスタッフは全員がマキを見た。バリ人が絶対しないファッションである。後で何と言っているのか成一にはインドネシア語かブラマナが使うバリ語かさえわからないため、気にならず、楽である。人間の言葉こそが悪でもあり善でもある。

 成一は

「今度からはスーツを着てほしい。事務所は制服がないんでね」

 とマキに言った。

「で、工藤さんの代わりって何するんですか」

「管理、相談、決定、報告だね」

「はあ」

「君はインドネシア語もバリ語もわかるから逆にたいへんだろうけど。ぼくの代わりをする人が必要なんだ。よかったらホテルのカフェで話でもしないか」

「ええ、いいですけど・・・」

 牛島のところに勤め始めたとき、牛島は結構しつこく、マキの過去を聞いた。だいたい嘘ばっかり並べて答えた。牛島は素直にそれを信じた。

「この上だよ。このカフェの上にレストランを作りたいんだ。レストランはぼく、上山さんとその息子が資本を出して株主は三人だ。ぼくが代表をする。エステサロンはほら見えるだろう。あの建物の一階が全部そうなんだ。二十二人働いている。そこにマネージャーもいる。女の園なんだ。『ウエヤーマ』という雑貨店は四人。仕入れや商品開発はBBTがやっている。それにレストランもエステサロンもBBTが経理をし、管理している。人事面もすべてなんだ。ウエヤーマは上山さんの所有で外国法人。エステサロンは上山さんの息子さんが代表者でこれも外国法人。BBTはぼくが代表をしていてこれも外国法人。月に一度税金を払わなければならない。結構税務署の監視が厳しい。君もビザの切り替えがあるだろうから、その時は言ってくれ」

 きっちりしてるんだ。バリ人の名義を借りて会社を作る人が多い。これは外国人一般に安易にやってしまう方法である。しかし最後には乗っ取られることが多いと聞いている。マキにも好奇心がある。工藤さん、その歳でなぜバリ島で商売なの?

 成一が煙草を取り出すのを見て、マキもメンソールのマルボロを取り出した。

「バリ島はいいよ。ただ毎日の食事に困る。これはしようがないね。スタッフたちは素朴だ。それによく働く」

「日本人の間では、バリ人は怠けものって言いますけどね」

「何を怠けものって言うんだい。仕事が遅いから? 歩くのが遅いから? 知らないことが多いから?」

「見下したように不平を言う人たちが多いんです」

「日本人の尺度で判断してもダメだね。ここは赤道付近なんだ。地球の回転力も遠心力が強いところだと思う。するとその分振り飛ばされまいとして我々は立っている。たぶん、それだけ負担がかかっている。何と呼ぶのかしらないけど。引力? 重力? 実際はわからないけどね。でもそんな気がする。それに気候だ。乾季は毎日晴れている。交感神経がフル活動ばっかりじゃもたないだろう。副交感神経も使わないと。こういう自然環境ではのんびりと、ゆっくりと、喧嘩せず、穏やかにいるのが自然に身を守る方法だと思うんだけどね。そういうことはなんとなく生まれた時から知っているんだね。身体がそうなってる」

「遠心力の計算したんですか」

「いやしていない。遊園地に回転する遊具があるだろう。一番下のところの縁に立つと振り飛ばされる感が強い。あれの原理と同じだと思う」

 学者さんみたいなことを言うとマキは思った。そうかあ、と納得する。

「アニミズムが色濃く残っている。そして自然崇拝。さらに次の段階では仏教以前のヒンズー教がある。宗教はそこで止まっている。バリアンも認めながら、ヒンズー教のプダンダもいる。各村にいる最高僧侶だよね。日本はアニミズム、自然崇拝、天皇と言っていいかな、神道って言ってもいいいかな、それに仏教と儒教が乗っかっている」

 おお、こういうこと言う! この人只者ではない。

「マキちゃんはどんな経緯でバリ島に住むようになったんだい?」

来た、来た、だれもが質問する言葉。マキはちゃんと嘘を用意してある。

「会社辞めて、オーストラリアに行って、広い大陸で乾燥しきってしまって、島に行こうと、ティモール島、フローレス島と渡り、なんとなくバリ島に来てしまったの。そしたらほどよい湿気があって快適で、仕事もありそうだし、バリ島が過ごしいいかな、と思って」

 工藤はなぜマキが日本を出たのかは訊かなかった。

「結婚は? してないよね? 」

「結婚? する予定はありません。う~ん、きっとしません」

 キリッとマキは言った。ここは突っ込みどころのところだったが、工藤は、

「フーン」と言ったきりだった。そして、

「一生に一回はこれぞという人が現れるよ」

「一生に一回ですか。八十歳で現れたりして」

「いいじゃないか」

 カフェものんびりしている。ただやはりレギャン通りはバイクの音がうるさい。店内ではリンディックの音楽がのんびりと流れている。

「私も工藤さんのバリ島に来た経緯を聞いていいですか」

「ぼくね。よく家族とリゾートで来ていたんだ。それでイダと出会って。また来たときにイダは転職していて、旅行代理店なんだけどね。客が来ない。イダの給料は十ドルというものだった。よし、バリ島で事業を起こしてみようと思ってね。イダがいるし。南国もいいし」

 成一も用意してある答えをした。嘘ではないが、根本を言ってない。

「ぼくは日本にも仕事があるし、故郷では釣場があって、貝も採れて、美味しい深海のエビも獲れてね。二月の末あたりの片口イワシは脂が少々のって美味しんだ。だからバリ島には移住できないね」

 マキもそれ以上訊かなかった。

マキは転勤で都会を転々としたから工藤のいうような望郷感がなかった。

「マキちゃん、バリ島に飽いたら、尾鷲に来るといいよ。スナックでも開けば、一億円なんてすぐに貯まるんじゃないの」

 冗談っぽく言うが、工藤が言うと本当にそうなるかもしれない、と感じたのだった

 マキの工藤への印象。神経が太そう。肝も据わってそう。はっきり物を言いそう。自分でさっさと決めてしまいそう。自信がありそう。

 工藤のマキの印象は、お茶目なところがありそう。無駄な言葉は出さなそう。人間にビクビクしていなそう。神経質ではなさそう。互いの印象はそんな風だった。

「じゃあ、スーツ買って、ブラウスにスカートやパンツでもいからね。Tシャツはダメ。いいかい。これで仕事着を買って」

 と言って二万円をマキに渡した。

「あの給料は? 」

「いくらほしい? 」

「牛島さんところと同じくらいだったら・・・」

「いくらだい? 」

「五百万ルピア」

「いいよ。それに十パーセントプラスするから。交通費も払う」

「通勤にどのくらいかかる? 」

「バイクで一時間はかかります」

「そう」

 面白そうな娘であった。心情を排除しているようなところがある。きっと俯瞰してみえる能力も備えているようだ。


成一は牛島との話し合いから帰ると早速スタッフ募集の新聞広告を出していた。すると百名ほどの人が履歴書を持ってやってきた。まずはシェフだった。イダ・バグス・バワが応募してきた。イタリア料理、フランス料理、ロシア料理の店で過去に働いていた。バワは物腰が成一には柔らかかった。そして自分をしっかり売り込んでいた。バワが務めたことがあるレストランを訪問した。成一は正直この程度のメニューかと思ったのだった。しかし相性というものがある。バワを採用した。そしてバワがソースシェフやキッチンスタッフを連れてきた。新人はバワも面接に参加して選んだ。次にバーテンダーのリーダーである。シフトを考えると五人が必要だった。次はフロアマネージャーとフロアスタッフである。片言でも英語ができるものを選んだ。バリ人は語学能力があった。これには成一も感心した。高校までが義務教育であるらしかった。そこで英語を習うのであろうが、観光業を新興させているバリ政府の教育方針があるのだろう。難しい話はできないが、レストランで働くのに使う英語は大丈夫だった。客とのちょっとしたコミュニケーションは可能のようだった。

 マキが働き始めた。成一が思った以上に、インドネシア語、バリ語、英語がよくできた。背も高く、ほっそりした体型のせいかスーツもよく似合った。働く女、東京にでもいるようなキリッとした働く女になっていた。どんなところをチェックしてほしいか。三日ほど成一に付かせて指導し、成一はバワを連れて日本に戻る予定である。牛島の作ったオイル瓶は予想以上の出来で、マキにはこれをいくつかの場面でプロの写真家に撮影してもらうよう頼んでおいた。

 マキはポイントを言うとすぐにわかる。

「モデルにマッサージの客になってもらい写真を撮る。瓶も撮る。瓶がサロンに並んでいるところも撮る。パンフレットや広告で使えそうになるものはすべて撮っておく。

「まかせておいて」

 と愛嬌よくウインクするのだった。

 成一は空港のカフェで今回のバリ日記の最終日を書きながらカフェの前を通り過ぎる男や女の人物評をして楽しんでいた。皆こころは違う。だけれども皆こころに共通のものを持っている。

 レストランは成功するに違いない。牛島は想像以上のものを作るかもしれない。シェフのバワには主に東京でいくつかのレストランで料理を食べてもらい、味の分析と、舌の記憶だけで同じものが作れるかどうかを見るつもりだった。「スマスマのレシピ本」も見せるつもりだった。


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