第8話
次の日、休み時間に名前を呼ばれて顔を上げると、教室の入り口に前田くんが立っていた。通りすぎる女子が振り返って見ているのも気にせず私の方に笑顔を向けている。
「どうしたの?」聞くと、「これ」と言って差し出したのは三島由紀夫だった。表紙に「春の雪」と書かれている。
「どうかな。読んだことある?」
「ううん。アオイちゃんが読んでたのは見たことがあるけど…」
「よかった。じゃあ、読んでみる?無理にとはいわないけど…」
「うん。読んでみる。ありがとう。本当に持ってきてくれたんだ。」
「うん…じゃ。」
そう言って教室をあとにする。私はその後ろ姿を見送った。私は昨日の夜、自分の本棚とにらめっこしながら、「オススメ本」を探してみたけれど、男の子、高校生にどんなものを勧めていいか分からず結局何も選ばずに来てしまった。
「ね。大島さん、前田くんと知り合い?何もらったの?」
話しかけてきたのは同じクラスの森川さん。同じ中学だが、同じクラスになったのは初めてだ。
「いや、もらったっていうか、本を借りただけ。」
「えー本の貸し借りする仲なの?」頬に両手をあてて、黄色い声を出す様子に「いや、仲っていうか…」と語尾を小さくしながら答える。そこに被せるように
「もしかして付き合ってるんじゃないよね?」と、大きな声で言われる。
「違う違う。ほんとに昨日たまたま図書館で会ってそういう話になっただけで…」
慌てて否定する私。
「ふうん。なんか、大島さんの周りってかっこいい男の子が集まってきていいね。」
「え?」
森川さんは言うだけ言って、自分の席へとさっさと戻っていった。多分、悪気はないと思う。こちらを見ながら、自分のグループの友達と話している。気にしない、気にしない…と自分に言い聞かせながら、私は席に戻る。
「それ、悪気あるでしょ。」
放課後、今日からバスケ部の練習に参加するというナツを見送りがてら、体育館の前で話していると、一刀両断で言われる。
「え、そうかな…。いや、別にそれ以上何か言われたわけじゃないしね。」
「森川ってさ、中学二年の時、カズと同じクラスになって告白してフラれてるよ。」
「えっそうなの?」
「やっぱり知らなかったか。で、その後、ちょっとハルの悪口言いふらしてた。」
「え!」そう言えば、中学二年の時、カズとナツと森川さん同じクラスだったな。
「だから、ちょっとシメといた。」
「え!」シメ…何をしたかは聞きづらい。
「まあ、だから、何かあったら言って。」
「何かって…怖いよ。」ナツは空手を習っていることもあって、怖いもの知らずだ。そこらへんの男の子よりは確実に強いと思う。でも、ナツはその腕力をかさに偉そうにするタイプではない、と幼馴染のひいき目かもしれないけれど、思っている。
「まあ、私たちね、幼馴染で固まってるから、何か目立つらしいよ。」
「そうなんだ…」
「でも、私は気にしないけどね。気にせずマーくんの近くにいて、彼女の座を目指す!」ナツはガッツポーズを作ってみせる。
「強いね…でも、ナツちゃん、一向に告白はしないんだね。マーくんは気づいてる素振り全然ないよね。」体育館横で私たちは声を潜めて話している。放課後の部活動に向かう生徒たちが時々、前を通り過ぎる。体育館の中からはボールが跳ねる音がする。
「だって、マーくんがずっとアオイちゃんに夢中なのは知ってたからさ。」口をとがらせるナツ。うつむくと、綺麗なうなじが見える。短く揃えた髪。
「知ってたんだ。」ナツにその話をしたことはない。ナツの気持ちは聞いていたけれど、マーくんがアオイちゃんに告白したことは話していない。
「まあね。落ち込んでるみたいだし、今、私が告白しても絶対フラれるのは見えてるし…でも、あんまりタイミングを計ってると、『トンビに油揚げ』されそうで、怖いんだよね!」されそうって…用法、間違ってるのでは?
「ハル!あんたもだよ!悠長に構えてたら、いつどこの誰にカズを持っていかれるかわかんないよ!野球部にだって可愛い先輩マネージャーいるんだからね。」がっしり肩を持って揺さぶられる。
「い、痛い…」頭がガクンガクンと揺れる。
「それとも何!?あんたの方が新しい出会いにほだされちゃったの?」顔が近い。
「な、何のこと?」「そのゲンゴロウよ。」眉を吊り上げて声を荒げる。
「ゲンジロウくんじゃなかった?」
「どうでもいいよ!」どうでもいいって人の名前を、失礼な…とは思ったが口に出すと、ナツが怒るので黙っておく。
「そんなんじゃないってば。」
体育館の中からナツの声が呼ばれる。
「あ、呼ばれた!じゃあね、みんな今日から部活だから、気をつけて帰ってね!」
手を振り、体育館へと走っていく。母親みたいなその言葉に苦笑しながら手を振り返す。
体育館の中にはユニフォーム姿のマーくんの姿が見える。あんなに率直に気持ちを現わしてるのに、マーくんは本当にナツの気持ちに気が付いていないのかな…それとも、気が付いていて、気がつかないフリをしるんだろうか。
ナツは昔からとにかく面倒見がいい。私たちが小学校に上がるタイミングで緑ヶ丘団地に引っ越してきたナツ家族。上にはよくできた兄、下にはやんちゃな弟がいたナツはその頃からとにかく男勝りだった。
同じ団地で同級生の女の子は私だけだったから、入学当初、一緒に帰るように大人たちに促された私たちだったが、のちにナツから聞いた私の印象は「どんくさい」だった。そんな私たちだが、どうやらナツの中で「穏やか」に私の印象を改めてくれたようで、打ち解け、毎日手を繋いで帰る仲になった。
「どんくさい」私を「守ってやるか」と認識を改め、常に私を見守ってくれているナツ。何度もナツに救ってもらった。
中学時代は部活動も一緒だったから、高校に上がって一人になってしまった気がする。いつも身に着けている大事なものを忘れものをしてしまったような、何か足りない自分に心細さを感じながら、少しの間バスケ部の様子を眺めていた。
「何してるの?」声をかけられ振り向くと前田くんがいた。
「あ…ナツ…櫻木ナツって言って6組の友達が、バスケ部だから。」
「ああ。あの元気のよさそうな子だね。」口元に笑みを浮かべながら同じように体育館を眺めている。
「あの、背の高い色黒の彼も幼馴染だよね?」見ると、マーくんが離れたところでドリブルの練習をしていた。
「うん。一学年上だけど。マーくんは幼稚園から一緒だね。」
「へえ。幼稚園から…」目を丸くしてこちらを見る。
「私とカズは生まれた時から一緒なんだけど、ナツちゃんとは小学校上がる頃からで、ほら5組の松田ジュンイチくんも同じ団地だけど、ジュンくんは小学校高学年からだし…」私、なんでこんなに説明をしてるんだろう…と自分でも不思議に思う。
「へえ。面白い。」
「そうかな?」
「うん。僕は幼馴染なんていないから、分からないけど、興味あるな。今日君に貸した『春の雪』に出てくる二人も幼馴染だよ。幼馴染ゆえに強い執着心を抱いて、それを相手にぶつけるなんて、僕はどうかしてると思うけどね。」
「えっと…」それは私たちのことを言っているのだろうか。私が返答に困っていると、前田くんがこちらを見てにっこり笑った。つられて私も笑ってしまう。
「ねえ。大島さんは何か部活動しないの?」
「うーん。今悩んでるところなんだ。」
「あの職員室の横に飾られてる、大きな絵って『大島ノリト』て書いてあるけど、大島さんのご兄弟?」
「うん、お兄ちゃん。」
「へえ。」目を丸くして驚く。
「すごい。僕、あの絵、すごくいいと思うんだ。きっと好きな人のことを描いた絵なんだろうね。」
職員室に飾られているという絵は、お兄ちゃんがどこか大きなコンクールに入選して、大学の推薦の決定打となった絵だった。色使い鮮やかで、楽園みたいな、ジャングルみたいなところの奥に水辺があって、一人女の子が佇んでいる。
「え、好きな人…?」私は驚いて前田くんの顔を見る。あの絵に描かれているのはどう見ても幼子で、お兄ちゃんの好きな人という印象は持っていなかった。
「うん。僕はあの絵は好きな人を描いたのかなと思ったよ。まあ、僕のただの印象だけどね。なんだか、あの少女の周りから、優しい、温かい感情が溢れてる気がするんだ。」そう言って、前田くんは思い出すように目を閉じた。
「へえ。そういう見方もあるんだ。」私は感心して言う。
「僕、絵も好きだから、美術部に入ろうかと思って。大島さんもよかったら一緒にどう?」段々と男の子と話しているというより、女の子と話しているような気軽さを覚えてくる。
「いやいや、ないない。お兄ちゃんは小さい頃から本当に絵が上手だったんだけど、私は本当に絵心がなくてね。昔から同じ12色の色鉛筆使っても、出せる色が全然違うの。」私は顔の前で手を振りながら答える。
「そうなんだ。絵を描くことは嫌い?」
「うーん…小さい頃は好きだったなあ…ていっても漫画みたいな絵ばっかりだけどね。」美術という授業が始まると段々苦手意識を持つようになった。物心がつき始めて兄と比べられていることに気が付いたのも一因かもしれない。
「じゃあ、いいんじゃない?一度、一緒に見学に行かない?」やけに積極的に誘われることに若干の疑問を感じる。けれど、そこまで深い意味はないようにも思う。「うん。まあ、見学だけなら…」渋々そう答えてしまった私。なんて押しに弱いんだろうと自分でも思う。
「やったー。」そう言って笑顔になる前田くん。幼馴染以外の男の子とあまり話すことがないので、距離感の掴み方がよく分からない。そこへ、「おう。ハル。今から帰んの?」ジュンくんが通りかかる。新入生とは思えない独特の制服の着こなしをしている。キャップを被って、ブレザーの下にトレーナーを着ている。
「あ、ジュンくん。」
ジュンくんは、前田くんを上から下までぶしつけに眺める。し、失礼じゃないかな…。横目で前田くんを窺うが、特に気にしている風はない。
「カズは?」顔を私に戻して聞く。
「今日から部活。」
「そうなんだ。帰る?俺、今日自転車だけど。」
「いいの?じゃ、乗らせてもらおうかな?」私は今朝もバスで来ていた。浮いたバス代はあ私のお小遣いとなる。ジュンくんはカズみたいに「重い!」なんていじわるなことは言わない。実際、私がやせていて、そんなに重くないからだ。
「じゃ。」そう言って、前田くんに手を振る。
「うん。また明日ね。」
実はジュンくんは、高学年からの友達だからか、カズ、マーくんに比べると若干緊張する。どうしても同じように接することはできない。でも、このままだと前田くんと離れるタイミングが掴めそうになかった。
しばらく黙って自転車を漕いでいたジュンくんが、「あいつ、同じクラスなの?なんか女みたいな顔してるね。」と感想を漏らす。
「カズのクラスだって。昨日図書館で一緒になって、本のことで話したりしてて…」
「へえ。カズは?何か言ってないの?」
「え?カズ?」ジュンくんは私たちのことをどう思っているのか、よくこういう言い方をする。私の行動を「カズは知ってるの?」「カズはどう思ってるの?」と聞いてくる。「保護者」という昨日の前田くんの言い方を思い出した。
「昨日、図書館で話してる時にカズが来たけど…」
「それで?」
「『馴れ馴れしくない?』とは言ってた。」
「ふうん。」興味があるのかないのか分からない答え方をする。
「ジュンくんは?部活見学とか行かないの?」
話をそらそうと思って尋ねる。
中学では野球部に入っていたのに、高校ではまだ行かないのか不思議だった。
「あー俺、高校では部活に入らずに、バイトしようと思って。」自転車をこぎながら答える、もうすぐ駅を通り過ぎる。
「え?何の?」
「知り合いの美容室。俺、美容師になりたいから。」
「そうなの?すごい…もう、そんなこと考えてるの?」
「んー。まあね。うち、ねえちゃんがうるさいし。『あんたはちゃんと考えてるの?』『無駄に時間を過ごしたら、高校生活なんてあっというまなんだからね』とか。」
「そうなんだー。マイちゃんが言いそうな感じだね。」
「だろ?」
「うちのお兄ちゃんはなあんにも言わないしなあ…」
「あと、イベントとか企画しようかなと思ってて…。」
「イベント?!」
「うん。まあ、そのうち誘うから、来てよ。」
「う、うん…。」
ジュンくんは引っ越してきた当時から、とにかくあか抜けていた。中学時代も若干とがった制服の着こなしをしていて、上級生に目をつけられないかと冷や冷やしながら見守っていたが、私が知る限りは、わりと上級生から可愛がられている様子だ。遊びに誘うと乗ってきてくれるものの、別のグループと遊ぶことも多く、とにかく人脈が広い。中学時代、すでに別の学校に友達がいると知った時は、かなり驚いた。田舎で、しかも転校してきたこの土地にいて、ずっとここにいる私たちより明らかに顔が広い。
「あ、さっきのやつ…思い出した。」坂に差し掛かった時、自転車を降りてジュンくんが立ち止まった。
「え?」私も自転車をおりる。ここからは歩いてあがる。
「南西中のやつじゃないかな。なんか女みたいに綺麗な顔してて、どっかで見たと思ったんだよ。」
「ああ、F市から来てるって言ってた。」
「あいつ…気を付けた方がいいんじゃない?」
「え?」気をつける?
「前F市の駅前で遊んでたらアイツが通りかかったんだよ。女の子みたいな顔してるから、先輩が声かけようとしてさ。」
「えー何それ。」
「そしたら一緒にいた南西中のヤツが、『あいつヤバイから近づかない方がいいっすよ』て先輩に言ってて。」
「それってどういう意味?」
「いや、俺もあんまり興味なかったから詳しく聞いてないんだよな。」頭を掻きながら言う。「また友達に聞いとくから、とにかく気をつければいいんじゃない?」適当な受け答え…そうは言っても私、美術部見学に行く約束しちゃったよ、とは言えず「うん…」とだけ答える。
坂を上がると、逆方向に家のあるジュンくんは「じゃあな」と言って颯爽と自転車に乗って帰っていった。
私は心もとなくジュンくんの後ろ姿を見送った。
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