第7話
翌日の放課後、私は高校に併設されている図書館を訪れた。
昨日アオイちゃんに電話をしたら「学校の図書館がとても雰囲気がいいから、是非行ってみてね。」と教えてもらったのだ。
高校の図書館は公立高校としては蔵書も充実しているし、何より校舎の中の一部屋ではなく、独立した建物で図書「室」ではなく、図書「館」として成立している。その建物は、ただのコンクリートではなくて、洋館のようなレンガ造りの建物で、年季が入った壁は蔦で覆われている。
高校敷地内の西側に建てられた、それは、昔A市にいた資産家による寄付らしい。蔵書も初期はその人からの寄付のものが多く、有名な作家の初版本なんかも寄贈されていて、かなり貴重な資料となっているらしい。県外から見学したいとの申し出もあるそうだ。
何の変哲もないコンクリート造りの高校の校舎の横に、その洋館はひっそりと佇んでいた。敷地内の西に位置している上、洋館の周りには背の高い木が、洋館を守るよう囲んでいて、そこだけ日陰を作っている。
「すごい…」思わず声が漏れる。
重い木の扉を開けると、中から本独特の湿った匂いがした。中と外では2度ぐらい温度が違うように感じる。
その洋館は1階建てで、天井が高くつくられていて、その天井いっぱいまで本棚が並んでいた。上の方の本棚には回廊が作られている。
「…わあ。」また、思わず声が漏れる。
こんなに素敵な図書館があるなんて、私の高校、捨てたもんじゃないな。制服がダサくたって私は全然構わない。
天井を見上げていると、後ろから「大島さん?」と声をかけられた。
驚いて振り向くと、昨日バスでカズと話していた前田くんが本を抱えて立っていた。
「えっ」と声を出したきり、狼狽えてしまった私。
「あ、大島さんじゃなかったかな?」眉毛を下げて少し心もとなさそうな顔をする。
「あ、違うの。大島で合ってます。私、自己紹介したかなと思って…」
「ああ。いや、中元くんといつも一緒にいるし、君たち目立つから…。誰かが話してたの聞いたんだ。多分。」
上品な話し方をする人だな、と思った。「君」だなんて言われたのは初めてだ。
「本を借りに来たの?」
「うん…アオイちゃんが…あ、カズのお姉さんがね、もう卒業したんだけど、ここの図書館いいよって教えてくれたから行ってみよう、と思って。」
「へえ。うん、いいよね。僕もこの図書館があるから、この高校に来ることに決めたんだ。」
「僕」という一人称で話す人もまた、初めて見た。けれど、その一人称は、この可憐な空気を持つ彼にとても似合っている。
「そうなんだ。すごく雰囲気のいい空間だよね。市の図書館より断然いい。」
「高校生しか使えないなんてすごく贅沢だよね。」
「うん。」
「芥川龍之介や三島由紀夫の初版本もあるんだよ。本当に凄いから、見てみて。」そう言って、前田くんはにっこり笑った。その笑顔は、百合のように可憐で、品がある。男の子の笑顔を花に譬えるなんて、失礼かな。私はどぎまぎして俯く。
「前田くん…すごく詳しそう。私、あまり詳しくなくて。現代作家ばかりで、芥川龍之介とか難しくてとてもとても…」顔の前で手を振る。
「僕も現代作家も読むよ。よかったらオススメの本を紹介し合わない?なかなか本好きの人と巡り合えなくて…みんな外でサッカーしたり、家ではゲームしたり、だから僕あんまり友達がいないんだ。」
伏し目がちに話す前田くんの目は、綺麗な濃いまつげに縁どられている。人形のようにキメの細かい肌をしている。その白い肌に長いまつげが影を落とす。
「そ、そうだね。みんな、きっと読んでるんだろうけど、なかなかそういう話題にならないね。」明らかに狼狽える私。心拍数があがっている。
「そうなのかな?実はみんな読んでるのかな?僕は小さい頃から本が好きだけど、本を読んでたら『暗いヤツ』とか『気取ってる』なんて言われて、よくいじめられたよ。」そう言って笑う前田くんは、屈託がなくて、とてもいじめられていたようには見えない。いじめたという人たちは、前田くんへの嫉妬もあったんじゃないかと邪推してしまう。
「ね、ここを寄贈した人。僕のおじいちゃんなんだ。」
突然、前田くんが屈んで顔を寄せ小声で話しかけてきた。私は驚いて体をひく。自分でも顔が熱くなっているのが分かる。多分、前田くんはそんなつもりなんてないだろうに、意識してしまった自分が恥ずかしい。
その時入り口が開いて、カズが顔を覗かせる。
「ハル…」
カズが私たちの様子を見て怪訝そうな目をする。私は狼狽えている様子をカズに見られたくなくて、とっさに後ろを向く。逆光になっているから、多分カズに表情までは見られていないはずだけど…。カズが近づいてくる。
「おう。前田も来てたんだ。…すげーな。この学校にこんな図書館があるんだなー。」天井まである本棚を見回しながらこちらへ来る。
「ナツに聞いたら、図書館に行ったって言うから迎えにきた。」そう言うカズの言葉を聞いて、前田くんがくすりと笑う。静かに。
「なんだか保護者みたいだね。」
「え?」
「仲が良くて羨ましいよ。」そう言って前田くんは「じゃ、僕これ借りて帰るから…」と言って私たちの横を通り過ぎる。
「うん。じゃあ…」
2、3歩行ったところで前田くんは立ち止まった。
「あ、大島さん。さっき言ったオススメの本。明日、持ってくるね。君も何かあったらオススメしてくれると嬉しいな。」
振り返って、にっこり笑った笑顔はとても高貴な雰囲気を身にまとっている。さっき耳元で言われたことを思い返す。突然、ささやかれて咄嗟に返すことができなかったが、ここを寄贈するぐらいの資産家がおじいちゃんということは、彼もまた資産家の息子なのだろうか。どこぞの貴族の子どもだと言われても納得してしまうぐらいの空気だ。
「何話してたんだよ。」前田くんの後ろ姿を見送りながらカズが言う。
「いや。本好きな人があまり周りにいないねとか話してて…」
「あー。あいつ、いつも教室で本読んでるんだ。」
「あ、私も本借りて帰りたいから、ちょっと待って。」そう言って私は図書室の奥へと進んだ。入口近くは自習用の机が並び、奥に本棚が並んでいる。なるほど、古い本もあるが、新しい本もある。読みたかった新刊も入っている。町の図書館では順番予約が何十人もあるような人気の新刊も置いてあって、アオイちゃんが勧めてくれたのもよくわかる。
「なあ。なんか、あいつ…」本の多さに歓喜して、夢中で本棚の間を歩いて回っている私の後をカズがついてくる。
「前田さ、馴れ馴れしくない?」
「そうかな?私、昨日の先輩たちのほうが馴れ馴れしくて、なんか嫌だったな。」
「あーお前、ああいう感じ嫌だもんな。」
「うん…ねえ、今日はあの先輩たち会った?」
振り返って、カズの顔を見る。
「いや、会ってないけど?」嘘をついている表情ではない。
「そ、じゃあいいんだけど。」私は胸をなでおろす。
カズが私の顔をのぞき込むように身をかがめる。
「な、なに?」
「べつにー。」そう言って私の頭をくしゃくしゃとなでる。
「もうっ」振り払うと、カズが顔を崩して笑う。
「なあ、ナツたちが下駄箱で待ってるから早く行こうぜ」
私たちは並んで図書室をあとにした。それを見送る前田君の姿には全然気が付かずにいた。
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