第12話

翌週、月曜日。梅雨の中日なかびでどんより曇り空だった。

放課後、ナツもカズも部活へ向かい、私は、図書館へと向かった。

扉を開けると、手前の自習机に何人かが座っていて、そこに前田くんの姿があった。

近づくと、前田くんが私の顔を見て、目を丸くする。

「驚いた…避けられると思ったのに…」

私は前田くんの向かいの席に腰を下ろす。

「私、前田くんに告白されたとは思ってないけれど、でも、はっきり言っておこうと思って。」

「何を?」前田くんは読んでいた本を閉じる。

「私、やっぱりカズが好きだから。前田くんが言っていたことが本気だとは思えないけれど、きちんとお断りしようと思って。」

周りを気にしながら、声を潜め、けれど、できるだけ毅然とした態度に見えるように言う。

「へえ。ショックだなあ。断られちゃった。」言葉とは裏腹に、彼の顔は傷ついているようにはどうしても見えない。

「じゃあ。」私は椅子をひいて立ち上がろうとする。

「ねえ。この前言ってた本なんだけどね。」前田くんが上目遣いにこちらを見る。

「だから…」私は少し気色ばむように声をあげる。

「しっ」声で制して、またじっと目をのぞき込む。

「こっちに来て」と前田くんが立ち上がる。「内緒の本だから。」

「私の話、聞いてた?」

「うん。聞いたよ。その話と『内緒の本』、また別の話だよ。」言ってから少し首を傾げる。

「うーん。一緒かもしれない。ぜひとも君に読んでほしくなったな。おじい様の遺した本…おじい様にも幼馴染がいたんだ。」

「え?」

言い残して、前田くんは図書館の奥へと向かう。目だけで私を促す。今日はいつもより人も多いみたいだし。公の場所ではある。

私は黙ってついていく。

突き当りの書架まで来て、右に曲がる。右の奥の窓に近い書架。目線の位置。古い洋書のような背表紙に手をかける。題名は何もない。オレンジ色の背表紙。抜くと、表紙はくすんだ緑。やはり何も書かれていない。

その本を手に取って、前田くんは窓際のソファに腰掛ける。横に座るように目で促す。

ちょうど、そこは貸し出しカウンターからは死角になっている。

けれど、時々周りを生徒が通る。自習机までの距離もさほどあるわけではない。

私は促されるままに隣に座る。

「この本と、この図書館は、おじい様が幼馴染のために贈ったものなんだって。」

深い、濃い緑の表紙を前田くんの細い指がなでる。

「この本は、未来を見ることができるんだ。」

前田くんはそう言って、私を見つめた。前田くんの茶色い瞳が私を映す。

「君はどうして、中元くんが好きなの?」

「どうしてって…理由なんて…分からない。」

「ふうん。」興味があるのかないのか分からない声を出す。

「中学の時、仲がよくなった女の子がいたんだ。その子とも本を通じて話すようになってね。その子にも幼馴染がいたんだけど…」そう言う前田くんの表情は少し寂し気だった。

「未来が見えるなんて、信じてないでしょ?」いたずらっ子のような表情でこちらを見る。

「うん。それは、まあ…」困って首を傾げる。「だよね」とほほ笑む。

「僕もそう思うよ。試したことないんだ。おじい様から聞いただけで。」

前田くんのおじいさんが亡くなる直前に教えてくれたらしい。

「前田くんには見たい未来があるの?」今日の前田くんはこないだから感じていた恐怖を感じない。私は少し身を乗り出して聞く。

「うーん。自分の未来には全然。」

「自分の未来には?」

「うん。自分の未来なんてどうだっていいよ。」吐き捨てるように言う。

「ねえ、試してみない?」

「え?」

「君ははっきりと、僕じゃなくて中元くんを選んだ。正直、僕ね、モテるんだ。わりと昔から。こんな感じだけどね、女の子にモテるんだよ。たいてい、僕が見つめると僕のことを好きになってくれるんだ…」

一体何の話だろう。

「今までもね、他に好きな子がいたはずなのに、僕のことを好きになっちゃうんだって。」

中学の時の例の話だろうか。

「僕、幼馴染っていうのは大した絆じゃないんだろうなって思ってたんだ…でも、君と話してて、君が一向に僕になびく雰囲気がないからさ。なんだかもどかしくなっちゃったよ。君と中元くんの絆なのか、君自身の問題なのか…どう思う?」

「分からない…」ずっとここ最近能面のように感情の見えない前田くんだったが、今日語る彼の言葉には感情がこぼれていた。

「将来、中元くんとどうなってるか知りたくない?付き合ってるのか。うまくいってるのか。幼馴染としてどうなってるのか。」

将来、私たちがどうなっているのか。知りたいような知りたくないような…。

「僕は、単純に覗いてみたいけどなあ。」

そっと、表紙を開く。

「でもね、この本、まだ何にも起きたことないんだ。見て。ほら、真っ白なんだ。」

覗くと、中は古びた真っ白なページがあるだけで何も書かれていない。私は少しほっとする。やっぱり未来を覗けるなんて、そんな話があるわけない。

「これ、日記帳なのかな?なんで真っ白なんだろう?」私もそっと手を伸ばしてみる。ざらざらとした古い紙の手触り。

ページをめくってみる。

すると、そこに文字が浮かんできた。何もなかったはずのページに薄い消えそうな文字が浮かぶ。

「あ、これ…」

「え?」

ひとつ、あなたの未来を

ふたつ、わたしの過去を

みっつ

そこまで数えたところで段々と意識が遠のいていく。しまった…そう思ったけれどもう遅かった。

頭の芯がしびれて、手も、足も、自分のものではないような感覚がする…。


「…ハル。…ハル。ハル!!!」

大きな声で呼ばれ、肩を揺さぶられて、我に戻る。

「はい!」授業中に居眠りをして先生に怒られたような気がして、背筋が伸びる。

「どうした?大丈夫か?」目の前には心配そうなカズの顔。

けれど、その顔は心なしか私の知っている顔とは違う。髪も少し長い。

「カズ?」

「どうした。疲れてる?」

「カズ、何、その恰好…」見ると、カズはスーツを着ている。ネクタイも締めて、目の前の椅子に腰かけている。

「何って…変?」

「いや、変っていうか…」心なしか、少し肩幅も広くなったような…

周りを見渡すと、明るい照明の真っ白な空間にいる。

「え、何、ここ。」

「何って…」カズが方眉をあげて困った顔をする。

「どうしたんだよ。お前。」

手元を見ると、大きな冊子が広げられている。そこには綺麗な花嫁の写真が沢山乗っている。周りをよく見ると、壁際に沢山の白い衣装が…フワフワ、ヒラヒラしたものが沢山ついている。

「嘘…」私は言葉を失う。

自分の胸元に目を下ろすと、制服ではなく、私もジャケットを着ている。

「私、さっきまで前田くんと…」呟くように言うと、カズが「前田?」とまた眉をしかめる。

「これ、何?」私は手元を指さして聞く。

「何って、結婚式の打ち合わせだろ?」なんでもないようにカズが言う。

「お前、大丈夫か?」

嘘…結婚式…え。未来?未来に来てるのかな。嘘でしょ。ていうか、結婚式って何。私がカズと…?心臓の音が聴こえるぐらいに跳ね上がる。私、明らかに喜んでる。どうしよう…嬉しすぎる…

「カズ…私たち…」目元に涙がにじんできて、カズの顔を見る。

「ハルちゃん!カズ、お待たせー」

その時、後ろから名前を呼ばれた。

「おう、遅いなあ。ほんとに。」カズが手をあげる。

振り向くと、こちらに向かってくるアオイちゃんとお兄ちゃんがいた。

「わりい。わりい。」お兄ちゃんもアオイちゃんも少しばかり年をとっているのが分かる。お兄ちゃんはスーツなんて着ていないけど、アオイちゃんはきっちりスーツを着ていて、それがまた様になっている。

「ごめんねー。呼び出したのに、遅れて。」そう言ってアオイちゃんが私たちの前に座る。

「う、ううん…」

アオイちゃんは化粧もして、髪は後ろに綺麗に束ねている。いくつぐらいだろう?綺麗な口紅がよく似合っている。

「ノリの打ち合わせが長引いちゃって…」そう言って、アオイちゃんが私の顔を見て言葉を飲み込む。

「どうしたの?何かあった?」心配そうに言って、カズの方を見る。

「いや、なんか急にぼーっとして、さっきから変なんだよな。」

「どうしたの?仕事忙しい?ごめんね。私たちの結婚式の打ち合わせに付き合ってほしいなんて言っちゃって。」

「へ?」私の口から出た声は存外マヌケだった。1オクターブほど高く裏返る。

「い、今なんて…?」

「だから…」

「お前、ほんとに大丈夫か?」横からお兄ちゃんが私の顔をのぞき込む。お兄ちゃんは一体何の仕事をしているのか、ずいぶんラフな格好だな。思考が別のことにそれる。

「どうしちゃったの?」アオイちゃんがさらに心配そうな表情になる。

「だ、だ、だ、大丈夫…打ち合わせ。お兄ちゃんとアオイちゃんの!結婚式!おめでとう!」1オクターブ高い声がなかなか治らない。

「ありがとう」アオイちゃんとお兄ちゃんが声を揃える。

「そっかあ…アオイちゃんとお兄ちゃん結婚するんだあ…」

「え、こないだ電話で言ったよね?」

「う、うん…いや、実感。実感が湧いてきて。」慌てふためく私をみながら、二人は顔を見合わせる。いつの間に付き合ったんだろう。すごいなあ。危ない。私、早とちりして、私とカズの結婚式だと思ってしまった。

私たちが一体どういう関係なのかは分からないけれど、結婚式の準備のために呼ばれたみたいで、ウエディングプランナーも加わり、ウエディングドレスなどの相談が勧められる。アオイちゃんとお兄ちゃんはすごく幸せそうだった。あんな呑気なお兄ちゃんが一体どうやって、結婚まで運んだのかすごくすごーく気になるところだけれど、何はともあれ、二人が今幸せそうで安心した。

「お前、本当に大丈夫?」打ち合わせ終わり、屋外に出ると冷たいビル風が吹いていた。寒くてマフラーに顔を埋めると、カズが声をかけてくる。

「仕事キツイんじゃないの?」ぼんやりと、今私たちは28だという意識が湧いてくる。28のカズはずいぶん落ち着いた大人になっていた。

「ううん。大丈夫。カズの方こそ…忙しいんじゃないの?ゲームアプリ?だっけ。」

私たちが顔を合わせるのはかなり久しぶりのことなのだと、ついさっきまで高校生だったはずの私が思う。段々と記憶のすり合わせが私の脳内で行われる。

私たちは28歳で、高校はとっくに卒業し、大学も卒業し、それぞれ就職して東京で働いている。

私たちは…高校時代に付き合って、それから、別れたのだ。



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