第13話
記憶の波が、押し寄せてくる。
カズと付き合った日々。
大学進学。
カズと別れた時。
就職。
それは、事実の確認であり、ただの「記憶」であり、そこになんら私の感情は伴っていない。
みんなと別れ、冷たい風が吹く帰り道。私は歩道橋の上から、下を流れるテールランプを眺めていた。
「寒い…。」
マフラーに顔を埋める。このマフラーは去年から着ているもの。
コートのポケットでスマホが短く鳴る。
手に取り、眺める。ついさっきまで私の携帯は折り畳み式だった。
馴染みのない、その四角い画面を見つめる。
馴染みはなくても、その操作方法はきちんと知っている。
呼び出し音が鳴って、馴染みのある、その声を聴く。
「ハル?もしもーし。どうしたのー?」
「ナっちゃん…」
「なに?どうしたの?泣いてるの?もしもし?今どこ?」
「はい。コーヒー。」
目の前のカップから湯気が出ている。
「ありがとう。」私は温かいカップを手に取る。
目の前の少し大人びたナツの腕には3か月になる息子のケイタがいる。
「ごめん…遅くに。」
「ううん。旦那は今日出張でいないし、ケイタと二人だったから嬉しいよ。」
そう言って優しく微笑む彼女。さっきまで女子高生だったはずの、その顔は母親のそれになっている。彼女の腕の中で眠る赤ん坊は、母親によく似ている。
「よっと…」言いながら、そばに敷いた布団にケイタを寝かせ、その胸をとんとんしてやる。後ろのチェストの上に、結婚式の写真が見える。
ナツの横にいるのは、マーくんではない。
「で、どうしたのー?」
「え?」知っていたはずなのに、私は動揺が隠せずにいる。自分の顔がこわばる。
「ん?何?泣いてたでしょ。今日、アオイちゃんの結婚式の打ち合わせじゃなかった?」
「うん…」
俯いてラグの網目を見る。そのラグを買った時を覚えている。お腹の大きなナツと旦那さんと一緒に選びに行った。
思わず、ナツに電話をしてしまったけれど、なんて言うべきなんだろう?
私は、高校時代から来ました?
いや、ちゃんと28歳の私だ。
顔を上げてナツの顔を見る。幸せそうな彼女の困った顔も見たくない。
私はゆっくりと首を振った。
「ううん、なんでもない…仕事でちょっと疲れただけ。」
ナツはじっと私の顔を見つめた。
「本当?」
「うん。本当に本当。愚痴を聞いてもらうつもりだったけど、なんかナツちゃんとケイタの顔見たら癒されたよ。」
ナツは甘いチョコレートのお湯につかってるような幸せそう微笑みを浮かべた。
「ハルも仕事ばっかりしてないで、さっさと坂口さんと結婚しちゃえばいいいのに。」
その言葉に、記憶の糸を手繰り寄せてみる。私の恋人。ぼんやりとカップの中の黒い液体を見つめる。私はいつからブラックで飲むようになったんだっけ…
「ナツ?大丈夫?」
私は顔をあげ、ナツの顔を見つめる。
「ねえ、ナツちゃんは今幸せだよね?」
「え?うん…何言ってんの?」
「ねえ、マーくんのことはもう何とも思ってないの?」
ナツの顔が少し強張る。
「何…言ってんの。怒るよ。」隣に三か月の赤ん坊が寝ているのだ。怒って当たり前だ。
「ち、違うの…」声が震える。肩も震える。その様子に気が付き、ナツが表情を和らげる。
「どうしたの?何か変だよ。ほんとに。何かあったんじゃない?言ってみな。」
ナツの温かい手が肩に触れる。
この幸せそうな彼女に、私の存在は不穏分子でしかない。
この幸せな家族に私は異物だ。
カズ…
カズの顔が浮かぶ。
カズは打ち合わせの間、ずっと私を気遣っていてくれた。その様子は高校時代と何も変わらないように思う。けれど…「記憶」がきちんと蘇った今ではわかる。
私たちは「別れて」いる。
別れたのは高校時代…二年ほど付き合って別れた。
高校の間は気まずい思いもしたけれど、大学進学が同じ東京となり、段々とまた元の幼馴染の関係に戻った…
涙が次から次へと溢れる。嗚咽が漏れる。
「こんな未来…知りたくなかった…」
カズが、隣で、大人になってるのに。私は、ただの幼馴染になってしまっている。
高校生の私はまさか結婚まで想像していたわけじゃない。
でも…
それでも…
ずっと、一緒にいると思っていた。
「ハル?どうしたの?未来って…?」
背中をさすってくれるナツの手は、変わらずに温かい。その手の温かさを感じながら、段々と目の前がかすんでくる。
「ハル、だいじょうぶ…?」
声が段々と遠のく。
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