《初秋》 雄蜂 (ドローン)マサフミ

「邪魔だよ、ウロウロすんなカスが!」


 怖い姉さんに怒鳴られ、僕はあわてて避けて道を譲った。


「ちっ」


 舌打ちをして、姉さんは僕の横を通り過ぎ、外へと飛び去る。

 ゲートキーパーの二匹が僕の方を見て何か話しているのを感じて、僕は恥ずかしくなって巣の隅っこの方に歩いた。

 ゲートキーパーの娘の一匹がすごく可愛らしい子で少しドキドキした。


 僕はマサフミ。初夏に生まれた出来損ない雄蜂だ。

 僕の羽は縮れていて、飛べない。


 それには訳がある。

 僕の生まれた部屋付近の巣の一角は、スムシに浸食されていた。スムシは蛾の一種で巣に侵入し、卵を産み付ける。スムシの幼虫は使用済みの部屋に残った残骸(蜜や花粉の残り、蛹の欠片等)を食べて育つんだ。卵から孵った幼虫は巣の底に落ちたゴミや巣のカケラなどを食べてくれるんだけど、それで足りないと巣まで上ってきて、齧ることもある。部屋や壁の内部に侵入して食い荒らし、姉さんたちの攻撃から防御するために繭の糸を張ったりする。

 僕は蛹から羽化するときにその繭の糸に身体が絡まったせいで、羽がねじれてしまったんだ。

 でも、まだ僕はマシだったのかもしれない。

 右隣の部屋の奴は糸に絡まって羽化しても部屋から出ることが出来ずに死んだし、左隣の部屋の奴は巣の壁と一緒くたに自分の頭までスムシの幼虫に齧られてしまった。どっちの奴も掃除屋の姉さんたちが引き摺り出して外に廃棄された。


 いや、そいつらの方が僕よりマシだったかも。

 飛べない雄蜂……ドローン怠け者よりも更に役立たずのオスバチとして生きるよりはね。


 僕たちオスバチは女王と交尾するために生まれてきたハチだ。そのためだけの存在なのに、交尾飛行にすら行けなかった僕の存在は一体何と言えばいいのだろう。


 僕たちオスバチの遺伝子は女王バチとワーカーのそれとは違う。姉さんたちは遺伝子を二対もっているけれども、僕たちオスバチは一つだけ。母さんである女王から引き継いだものだ。

姉さんたちは母さんからもらった同じ遺伝子と父親であるオスバチの遺伝子を一つずつもっている。

 奇妙な話だけど、性別も姿も違うのに僕たちオスバチは女王母さんのコピーみたいなものなんだ。なんだか気味が悪い話だろう。オスバチを生むことは女王の分身を増やすことと同じなんだから。


「あんたにやるエサは無いよ。収穫が減ってるんだ」


 近くに通り過ぎる姉さんに顔を向けた途端、返ってきた言葉に僕はショックを受けた。

 役立たずの僕にでも、姉さんたちは望めば舌を伸ばし、蜜を吸わせてくれた。姉さんたちが与えてくれなければどうすれば良いのだろう。僕たちの身体は花を採集したりするようには出来ていないのに。女王のように姉さんたちに与えられるだけの身体で生まれてきたのだから。


「やめて! 姉さん! ボクちゃんを捨てないで!」


 悲痛な叫び声がして、僕は信じられない思いでそれを見た。

 僕と同期であるオスバチのミツヒコが何匹かの姉さんにぐいぐいと出入り口に押しやられていた。


「やめて、お願いだよ。姉さん!」


 外に追い出されたミツヒコは往生際悪く、出入り口に前足をかけて必死にかじりついていた。


「捨てられたらボクちゃん、どうしたらいいの! 死んじゃう!」


 廃棄される。

 僕は青ざめて、身体を震わせた。


 それはそうだ。これから蜜の採集は減る一方で、この先は冬が来る。少しでも蓄えを増やさないといけないのに、僕たちのような役立たずのタダメシぐらいは厄介なお荷物だ。


「お願い! 大好き! お姉さま! どうかボクちゃんを……ぶわべっ!」


 姉さんたちがあっ、と声をそろえるのが聞こえた。


「た、助けてっ……! ギャア!」


 ミツヒコの叫び声のあと、ブウゥン、と聞き慣れない羽音が聞こえた。


「来た。奴が来たよ!全員、中に入れ!」


 ゲートキーパーが叫び、信号を出した。

 巣の出入り口付近に居た姉さんたちが一斉に巣から入ってくる。

 皆は身体を寄せ合い、息を潜めた。


 ひた、ひた、ひた。


 巣の外の付近を何かが歩き回る微かな振動を感じる。しばらくそれは続き、やがて飛び去っていった。


「あのドローンを別の場所に運んで肉団子にしてから、あいつは仲間を連れてくるはずだ」

「なら、それまで時間はある」


 ミツヒコ!

 彼はスズメバチの毒針に殺されたのだ。これから彼は噛み砕かれてぐっちゃぐっちゃにされ、スズメバチの幼虫の餌になるべく肉団子にされる。

 ただ、今回来たのはただのスズメバチじゃない。


 今まで、キイロスズメバチが単発攻撃をしてきたことは何度もあった。彼女らは、僕たちの巣の入り口にふらりとやってきては、一匹を捕まえて去っていく。だが所詮、彼女たちはただのヤンキーだ。

 今回、きたのはヤンキーどころじゃない。

 オオスズメバチだ。


「臨戦態勢を整えよ!」

「決して、奴らを巣の中に入れるんじゃない!」


 オオスズメバチたちの恐ろしさは聞いている。

 僕らと違い、彼女らは秋に繁殖期を迎える。

 女王バチは女王バチ候補とオスバチを大量に生み出し、巣の仲間の数が増え、ワーカーたちの負担は最大級となる。子供たちを飢えさせないために、ワーカーたちは更に凶暴になり、獲物という獲物を根こそぎ狩っていく。

 彼女たちの狙いは、僕らの巣の子供たち。幼虫や蛹の子たちだ。

 彼女らは見つけた巣に最初に偵察を送り、そして今度は精鋭隊を引き連れてターゲットの巣に戻ってくる。僕らを全滅させるために。


 姉さんたちが一斉に外に飛び出したので、僕も一緒に押し出された。


 なに、この匂い。

 僕は嗅ぎ慣れない嫌な匂いに顔をしかめる。


「偵察が仲間に知らせるための匂いを残していったんだ。全員、消せ!」


 偵察のオオスズメバチがしばらく巣の外を歩き回っていたのは仲間を呼ぶフェロモンを所々に押し付けていたためだったのだ。

 姉さんたちはめいめい散らばり、偵察が匂いを押し付けた場所に黒い何かを置いた。それが何か分からなかったけど、その黒いものからは僕たちの匂いがして、フェロモンの効果を薄める働きをした。


「子供騙しにしかならないかもしれないが、やらないよりマシだ」


 僕たちは不安と恐れの中、じりじりと待った。彼女たちがくるのを。

 もしかして、姉さんたちの匂いの効果で、敵は場所がわからなくなったかもしれない。

 時間が過ぎるにつれ、そう考え始めた仄かな僕の期待はその後、見事に打ち砕かれた。


 来た。


 彼女らは僕を見逃しはしなかった。

 ああ、なんて邪悪な姿をしているんだろう!


 僕たちよりもはるかに大きな身体は凶々しい美しさで陶然とするほどだった。

 黄色と黒の鮮やかな警告色。細くくびれた腰。シャープな顎の線に、流線型の身体のライン。大きな羽音で鋭く尖った毒針をこちらに向けて飛ぶ姿は悪魔的で、魅力的でさえあった。


 姉さんたちは一斉に巣から出て、威嚇行動を開始した。尻を上げて振り、羽を鳴らし、全員でウェーブする。ヤンキーのキイロスズメバチバチには割と効果があるのだけれども、オオスズメバチには効果は皆無だった。


「全員、死ぬ覚悟で行くよ! ここまで来れば後はない! やるかやられるかだ!」

「子供たちのために! 一族のために!」


 ゲートキーパーの姉さんが叫び、姉さんたちが同意の鬨の声を上げた。


 蜂球ほうきゅうをするつもりだ。僕は息を飲む。

 オオスズメバチに対抗するための最終手段が僕たちにはあった。

 一斉に大勢でスズメバチを囲み、蒸し焼き状態にさせ、窒息死に追い込むのだ。

 僕たちミツバチの熱による致死温度は 50 度だけれど、彼女たちスズメバチの致死温度はそれよりも少しだけ低い。その僅かな差に僕たちは勝負を挑み、命を賭ける。僕たちの先祖が編み出した方法だけれども、外国に来たハチたちはこの方法を知らない。だから、外から来たミツバチたちはオオスズメバチに狙われたが最後、侵略され、殺戮の果てに全てを奪い尽くされる。

 もちろん、僕たちの蜂球が成功しない場合もある。その時はもう、諦めるしかない。


 あっ。


 邪悪な魔物が僕の隣にいる一匹のワーカーの前に降り立った。


 あの子。

 ゲートキーパーの可愛い女の子。


 思うより先に、僕は身体が飛び出して、いつのまにかオオスズメバチの前にいた。


 すごい。

 おおきな顎。逆三角形の美しいけだもの。


 彼女の顔が近づいてきたと思ったら、がぶりと彼女は僕にかぶりついた。


「今だ! かかれ!」


 姉さんたちの声がして、次々とワーカーが僕とオオスズメバチに飛びかかり、覆い出した。

 僕の意識がなくなる最後の最後に、ゲートキーパーの可愛い彼女が驚いたようにこっちを見ているのが視界に入った。

 僕はその彼女の表情に人生において初めての達成感というものを感じて酔いしれた。僕も一族の一員だったのだと不思議な満足感に浸った。











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